1章 ニートは起きられない。

第1話

 誠が嫌いなことは人と関わること、働くこと、そして睡眠時間を奪われることだ。誠は学生時代から朝に弱かった。だから部活の朝練はよくサボっていた。

 朝の七時、朝五時から睡眠を開始する誠にとっては眠ってから二時間が経過したところでかけた覚えのないスマホのアラーム音が聞こえてくる。

 本来なら誠のスマホの電源は切られているはずなのに、不思議な現象が起きている。

「誠さん、朝ですよ。起きてください」

 聞き覚えのある声が上から降ってくる。強引に掛け布団を奪われるが誠は目を瞑ったまま感覚を頼りながら掛け布団を探す。取り上げられているのかなかなか見つからず適当に手を伸ばすと指先に何かが触れる。

「きゃ!」

 短く甲高い声が聞こえる。流石に状況を確認したいと思った誠はなんとか起き上がり目を開ける。

 朧げに見えた華奢なシルエットがだんだんと視界がクリアになっていき、それが昨日、家に来た女子、晴香なのだとわかる。

「なんでいんの?」

 寝起きだからか昨日よりもさらに不機嫌な様子で誠は聞く。その質問に晴香は掛け布団を綺麗に畳みながら答える。なぜか彼女の頬は朱色に染まっていた。

「誠さんを起こしにきました」

「起こしにって、なんで? というか、スマホのロックがなんで解除できているんだよ!」

 誠が慌てて聞くと彼女は微笑んで口を開く。

「真っ当な人間として生きるためですよ。あ、ロックはハッキングして解除しました」

 真顔で真剣な口調で言う晴香。

「ハッキングってマジか! 何してくれてんだよ!」

 誠は深い溜息を吐く。どうして朝からこんなカロリーを使わせるのかと少女を睨む。

「人権が俺にはないのかよ」

「誠さんには必要なことですよ」

「俺は人間として生きているし、この生き方に不満はない。そして今、人間にとっても俺にとっても大切な睡眠を君に奪われている。その点についてはどう思う?」

「仕方がないことかと」

 仕方がないか。その言葉で全てが丸く収まるなら世界に戦争は起きず平和なはずだ。それでも人々は争いを続ける。それは仕方がないことがそれぞれの人間にとってあるからだ。

そして誠も睡眠の問題は仕方がないでは片付けられない。

「昨日、俺が頼んだことは二度と家に来ないでくれだったはずだ。誰も君に起こしにきてくれなんて頼んでない」

 努めて冷静に言う誠。

「頼まれましたよ、国に。仕事として」

 こちらも冷静に言う晴香。

「昨日は適当に聞いていたがその話、嘘じゃないだろうな?」

 女子高生が国に頼まれてニートを支援するなんて誠は聞いたことがなかった。ネットで検索しても出てこないはずだ。

 昨日は支障がなかったから良いが今日は違う。誠にとって大切な睡眠を奪われたのだ。彼女にはそれ相応のものを返してもらわないといけない。

「嘘じゃないです。仕事以外で私がここに来るメリットがないです」

 嘘を吐いていない様子に見えるが女は嘘が得意だ。誠は女を全員嘘吐きだと思っている。そしてビッチだとも思っている。この世に処女なんていない。女は生まれた瞬間からビッチだ。異論は認めない。

「それを証明できるか?」

 誠は警察官が行う取り調べのように聞いた。

「証明ですか、それは難しいですね。国のお偉いさんは誠さんのことを対象者の一人としか見ていないので会おうと思っても顔出しすらしてくれないと思います」

 舐められたものだと思いつつ彼女の作り話である日本の裏組織のガードが強いことに誠は感心する。

「じゃあ、証明はしなくていい。ただし……」

 誠は右の人差し指を立てる。それを晴香は怪訝な顔で見つめる。

「なんですかその指は? いち?」

「損害賠償請求だ。と言っても裁判沙汰にはしない。その代わり俺の小さなお願いを聞いてくれ」

 そう言って、誠はニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「お願いってなんですか?」

 無垢な表情で晴香が聞くと誠はスッと掌を前に出し言う。

「千円くれ」

「はい?」

 誠は晴香から今日の昼代をせびろうとしていた。

 働いていない誠は常に金欠状態であり今日の昼飯も食べられるどうか怪しい。だから千円でも手に入れば御の字なのだ。

 少し考え込むようにしてから晴香が口を開く。

「……触られました」

「え?」

 彼女は恥ずかしそうに自身の体を抱く。照れで少し濡れた瞳はサファイアのように美しい。

「先ほど、誠さんを起こしている時にむ、胸を触られました!」

 外に聞こえそうな大声で涙目の晴香は言った。幸い窓は開けていなかったので良かった。

「さ、触ってねえよ!」

 そう言いつつ誠の視線は晴香の胸に一点集中する。慎ましいが形の良い膨らみを目に焼き付ける。

「……今、視姦されました」

「してねえよ!」

 実際のところしっかりと見ていたので追及されると困る誠はすぐに口を開く。

「わかった、金は要求しない。だからとりあえず二度寝させてくれ。話は二度寝の後でゆっくりしようじゃないか。君の話もしっかり聞くからさ、ね」

 そう言って誠は布団を奪い取ろうとするがかわされる。

「駄目です。大体の会社の始業時間は九時とされています。もっと早いところだって沢山ありますし、働くために誠さんにはそれに合わせた正しい睡眠を身につけてもらわないと困ります」

 持っている布団を誠から離して床に置き、両手を腰にやって言う晴香に誠は溜息を吐く。

「俺は有給が簡単に取れて週三日は在宅ワークで済んでコアタイムのないフレックス制度のある会社に勤める予定なの、だから布団返してくれ」

 誠自身、そんなホワイトな会社があるかはわからないが相手は女子高生だ。会社のことなんてあまりわかっていないだろうし諦めてくれるだろう。しかし、誠の思惑は外れる。布団を畳みながら誠に呆れた彼女は言う。

「布団は返しません。……鞭がダメなら飴です。今起きたら、私が朝食を作ってあげますよ。どうですか?」

「起きます!」

 従順な犬のように誠は瞬時にベッド上で正座して即答した。晴香もこれには驚いたようで目を見開いて若干引いている。

「は、判断がはやいですね」

 訂正しよう。晴香は若干ではなくドン引きだった。

「本当に作ってくれるんだよな」

 圧強めで誠は確認する。彼の人生で朝食を女子に作ってもらうことなど一度もなかった。昼にお弁当を作ってもらったこともない。それどころか、女子と共に食事をしたことがない。だからこそ彼は女子の手作り朝食に起き上がるほど興味があった。

「勿論です。私が朝食を作っている間に誠さんは洗顔とか済ましてきてください」

「わかった」

 誠は足早に部屋を出ていき洗面所に向かった。忙しないドタドタと階段を下りる音が聞こえてくる。

「……単純な人ですね。でも、それは良いところかもしれませんね」

 誠の背中を見送ってからポツリと晴香が零した。

「なんか言ったか⁈」

 地獄耳の誠が聞くが彼女は笑って答える。

「なんでもありませんよ! 早く行ってきてください!」


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