ニートですが何か?

楠木祐

プロローグ

とある木造二階建ての一軒家、エアコンをつけているとは言え、寝づらいはずの八月の暑さに負けず平日の午前十一時だというのに未だに自室のベッドで寝ている男が一人。

 松本まつもとまこと。十八歳。大学を中退した後、アルバイトどころか就活もせずそれに危機感すら覚えない生粋のニートである。

 決して彼は怪我をしているわけでも重病を患っているわけでもない。ただ働きたくないという甘えで働いていないだけ。

 彼には仕事がない。友達がいない。彼女がいない。根性がない。情熱がない。性根も腐っている。彼が見ている世界はきっと歪んでいるに違いない。そんな彼は今、終わりの来ない夏休みを満喫している。

部屋のカーテンは閉ざされたまま、目覚まし時計もなくスマホのアラームもかかっていない。彼を起こそうとする者もいない。この家ではこれが通常なのだ。

 ニートである誠には予定がない。仮に予定があるとすればスマホのソーシャルゲームのイベントくらいのものだ。それも他にやることがないから暇つぶしにやっているだけだ。これまで彼が本気になったものはあっただろうかというくらいに彼は本気を出さない。こう表現すると本気を出せば最強キャラかと思われるかもしれないが誠の本気など高が知れている。それに気づいているからプライドの高い彼は本気を出せないのかもしれない。

 朝の五時に寝て昼の十二時くらいに起きる誠は人間の本能に従い寝たくなったら寝て起きたくなったら起きるという自由な生活を送っている。社会人には叶わない理想の生活を彼はおくれているのだ。それが幸せなのかどうかはわからないが。

「ふわぁ」

 午後十二時、誠は目を覚ましベッドから起き上がる。そして長い欠伸をする。そして再びベッドに視線をやり二度寝をしようか少し迷うがあまり眠たい訳でもないのでこのまま起きることを決める。

 誠の両親は共働きで二人とも朝早くから仕事に行くので既に家にはいない。だから今は誠にとって活動しやすい時間だ。親が家にいると働けとしか言われないから動くなら今がチャンス。

 それでは誠のモーニングルーティンを見てみよう。彼は決してYouTuberなんかではない、ただのそこら辺にいるニートである。だけど日々の生活を大切に送っている誇り高きニートだ。それだけは覚えておいて欲しい。

 まず誠は二階の部屋から出て少し廊下を歩き階段をおりて台所まで行く。冷蔵庫から二リットルのペットボトルに入っている水を取り出し紙コップに注ぐ。誠は水道水が嫌いだ。変なウイルスが入っていると思っているからだ。そしてグラスではなく紙コップで飲むのが彼のこだわりである。一杯の水を飲むことから誠の一日は始まるのだ。

 朝ご飯を食べない誠は洗面所に向かい、洗顔と歯磨きをする。特に歯磨きは数年前、歯医者に行った時教わったやり方を入念に行う。入念に行いすぎて歯茎から出血することも多い。しゃこしゃこと音と泡をたてながら綺麗に磨く。そして歯磨き粉の爽快感が薄まるまで口をゆすいだ。

 洗顔と歯磨きを終えたら自室に戻り、カーテンを開け気分が乗れば掃除機を一階から持ってきてかけるのだが今日は気分が乗らなのでやらないようだ。

 椅子に座って早くも一息つく。

 小学校から変わらない勉強机に置かれているのはノートパソコンのみ。彼が高校時代、唯一したアルバイト代で買ったものだ。彼の友達はこれとスマホくらいだ。通信量は勿論、誠の親が支払っている。

 勉強机の隣には縦長の本棚が置かれておりそこには彼が厳選した、と言ってもアニメがきっかけで買ったラノベが乱雑に置かれている。誠は完全なヲタクではない。ヲタクになりたいのだがそれを自身のプライドが許さない程度のヲタクだ。だからフィギアなどのグッズは揃えていない。

 誠は昔、ネットでヲタク友達を作ろうとしたがコミュ障を発揮して断念した過去がある。

 ネットにもコミュ力が高い奴がいるなんて誠は思いもしなかった。そして、その主を中心としたコミュニティに嫌気がさした。

 そんな過去を思い出しつつ本棚からお気に入りのラノベ一冊を手に取って適当に読むことにする。朝のモーニングルーティンを済ませたら昼飯まで彼は暇なのだ。この暇さを労働に当てれば金になるのに彼はそれをしない。本当に変わっている。

ピンポーン。

ラノベのページを捲っていると間抜けなベルの音が聞こえてくる。

 一度の呼び出しくらいで誠が今やっていることをやめて動くことなど決してない。本当に用事があるのならもう一度くらいは鳴らすと考えているからだ。

 ピンポーン。 ピンポーン。 ピンポーン。

 借金の取り立てのようにインタホーンが連続で押される。

 こう何度も押されてしまったら流石の誠でも諦めて部屋を出るしかない。

「しつこいな。誰だよ、何も頼んでないはずだぞ」

 ブツブツと文句を言いながら誠は階段をおりる。

 玄関でスニーカーの踵を踏み潰して引き戸を開けるとそこには端正な顔立ちをした黒髪ロングの女の子が立っている。制服を着ているので女子高生だろう。艶のある薄いピンクの唇に長い睫毛、そして大人しそうだが陽なオーラを感じた。真夏の日光も相まって彼女が余計に眩しく思えた。

「何か用ですか?」

 社交性のカケラもない誠は不機嫌さを隠しもせずに聞く。誠は愛想が悪い。態度も悪い。常に周囲を威嚇して生きている。そんな彼の問いに彼女は答えない。恐怖で固まっている訳ではなさそうだ。じっと静かに誠を観察している。

 誠は考えた。いつ彼女を救っただろうかと。満員電車で痴漢から守ったこともないし、彼女を守るために喧嘩をしたことはない。入試で隣の席の女子に消しゴムを貸してあげたこともない。階段前で困っていた荷物を背負った彼女のお婆ちゃんを助けたこともない。

 ではなぜ知りもしない女子高生が俺の家を訪ねているのだろうか。その疑問を解消するために誠は再び聞く。

「名前、聞いて良いか?」

 誠の質問には答えず、彼女は周りを確認してから鈴の音のような声で言う。

「貴方、ニートですよね?」

 突然に一陣の風が起こったような気がした。段々と意識が戻されていって彼女に言われたことを少し時間をかけて理解する。なるほど、どうやらこの子は俺に喧嘩を売りに来たらしい。それならどうせ暇だし買ってやることにするか。男女平等を重んじる今の社会だ。普段は社会のレールから外れたニートだがたまには社会に順応してやることにしよう。

 誠が戦闘体制に入ると彼女は首を傾げる。

「違いましたか?」

 俺は首を横に振ってから答える。

「いいや違くない。君の言った通り俺はニートだ。平日の昼間なのに当たり前のように玄関に出られる時間に余裕のあるニートだ。それで、これ以上何も失うもののないニートに喧嘩を売っている君は誰だって聞いているんだ」

 誠の言葉を聞いて間違い探しが当たったかのように彼女は微笑む。

 そのあどけない無垢な微笑みを見て不覚にも可愛いと思ってしまう誠。

「……良かったです。私は清宮きよみや晴香はるか。貴方をニートから卒業させるために参りました。今日からよろしくお願いしますね、誠さん」

 美少女からいきなりの名前呼び。これには誠もドキッとした。そして、どうやら誠がこれから彼女に救われるらしいことを知る。

「ニートから卒業?」

 誠が聞くと彼女はコクリと頷く。

「はい。私たちのような存在は極秘で活動しており『日本の鍵』という意味でJK(ジャパンキー)と呼ばれています。現行の国の運営するハローワークをはじめとした公的サービスだけではニートを減らすことが難しい現状を打破するために私のような人間がニートの方の生活に寄り添いサポートしていきます。勿論、親御さんの許可は取ってありますので安心してください」

 晴香から丁寧に説明を受けるが納得はできなかったので誠は彼女に噛み付く。

「本人の許可は取ってないぞ」

「必要ありません。これは国が必要だと決めたことなので誠さんに拒否権はありません。従ってください」

 年上の誠に怯まず淡々と言葉を返してくる晴香。

 その堂々とした態度に誠の方が気圧されている。

「それは俺が決めることであって国が決めることではない。俺は今、働く気なんてないからサポートなんていらないし君には用はない。さっさと帰ってくれ」

 誠の言葉を頷きながら聞いてから晴香は言う。

「これは貴方の為なのです。今なら取り返しがつきます。働く際に不安な点は私がサポートしますので安心してください。ニートから卒業するために一緒に頑張りましょう」

「だから頑張らないって!」

「とりあえず中に入れて貰えませんか? 外は暑いので」

 炎天下で話を続けてもお互い頭に血がのぼるのは確かだ。

 自分の家に帰れば良いのにと思いながら誠は引き戸を開けて晴香を通す。

「お邪魔します」

 本当に邪魔をされていると誠は思った。これからの残酷な未来を想像して誠は溜息を吐く。

「絶対に働かないからな」

 誠は快晴の空を見上げて呟いた。



 晴香を家にあげる誠だったが気の利かない誠が客人にお茶なんて出すはずがなく居間で晴香を正座させている。座布団も渡していない。

 そんな気の利かない彼は冷蔵庫から自分のためにペットボトルのアイスコーヒーを取り出してグラスに注ぐ。そして冷凍庫から氷を取り出してチャプンと二つほど入れる。

 正座したままの晴香はそれをじっと観察している。

「なんだよ」

 不機嫌そうな声で誠は言った。晴香は溜息を吐いてから誠を見る。

「私の分はありませんか?」

「欲しいのか?」

「欲しいとは言いませんけど普通に頂けるものかと思っていたので驚いているところです」

 晴香は目を丸くして皮肉たっぷりに言った。

 そういう心遣いは不器用で気の利かない誠にはできないので彼はぐしゃっと頭を掻いて言う。

「言ってくれないと困る。それで何飲む?」

「同じものをお願いします」

「わかった」

 もう一つグラスを用意し氷を入れてアイスコーヒーを注ぐ。自分のグラスと晴香の分のグラスを手に持ち、座卓に置く。

「ほら」

「ありがとうございます」

 少しだけ嬉しそうに晴香はお礼を言った。

「別に、ただグラスに注いだだけだ。手間はかかっていない」

「そうですか」

 何か言いたげに晴香は頷いた。

 誠はアイスコーヒーに口をつける。それを確認してから晴香もアイスコーヒーを飲む。

 グラスに涼しげな汗をかいているアイスコーヒーはカランカランと音を奏でる。松本家では風鈴なんて飾らないので誠にとってはこの音が夏の始まりを感じさせてくれる。

「美味しいです」

「ただのアイスコーヒーだぞ」

 微笑んで言う晴香に対してなんでもないことのように言う誠。そんな彼に晴香はムッとして口を開く。

「ただのではありません。このアイスコーヒーを作るのには沢山の人が努力しています。それをこんなにも手軽に味わえているのもまた沢山の人が働いてくれているからです。それに感謝せずこれを飲むのはいけません」

 誠にとってはスーパーに百三十円くらいで売っている飲み物が晴香にとっては人が努力した結晶のように映っていることを当然誠が理解できるわけがなかった。

「そんなアイスコーヒーで大袈裟な。アイスコーヒーだってそんな風に飲まれるとは思っていないぞ」

「大袈裟ではありません。貴方が普段使っている冷蔵庫も氷も全部が人によって生まれて、仕事によって私たちの元へと届けられている。そのことをまずは理解してください」

 誠が今考えていることは全ての働いている人に申し訳ないという気持ちなどではなく、面倒な女を家にあげてしまったという後悔と早く帰って欲しいなという気持ちだけだ。

 よって、彼の口から出るのは謝罪ではなく自己弁護の言葉だ。

「なに君、こんな暑い中、俺に説教しに来たの? そういうのは求めてないからアイスコーヒー飲んだらさっさと帰ってくれる? 俺、忙しいからさ」

 しっしと手で彼女を払うようにして誠は言った。

 勿論、仕事をしていない彼が忙しい訳がない。それでも涼しい顔をして平気で嘘をつくことができる。これが松本誠という男だ。

 そんな彼を見て晴香は唇を浅く噛む。

 彼女は思ったはずだ。松本誠という腐り切った男を正すには相当な労力と覚悟が必要なのだと。そして現状ではその努力をしても報われる可能性が低いということを。

「……だいたい、ニートを働かせるなんて誰も得しないだろ」

 誠がぼそっと言うと彼女は座卓をバン! と叩いて立ち上がる。その音に誠はビクッとして驚く。

「わかりました。今日は帰ります」

 晴香はアイスコーヒーを呷り静かにそう言う。彼女の言葉に引っかかった誠は眉間に皺を寄せて聞く。

「今日は? 明日も来るのかよ。え、来ないで。マジで来ないで。フリじゃないからね。本気で来ないでください。お願いします」

「どんなに嫌がられても絶対明日また来ます。仕事ですから。アイスコーヒーご馳走様でした」

 ゴン! とグラスを座卓に置いて晴香は玄関に行く。

 ローファーを履き、トンとつま先で地面を叩いてから引き戸を開ける。

「それではまた明日伺いますので失礼します」

 颯爽と帰っていった晴香を見て誠は唖然とする。

 失礼な女だった。いきなり人をニート呼ばわりとか。まあ、ニートなのは事実なので仕方がないがズカズカと人の生活に介入してくるのはマジで迷惑だ。国の命令なんて誠には知ったことではなかった。

「……来なくていいよ」

 久しぶりの人との会話で疲れ切った誠は本心でそう言ってから鍵を閉めてキッチンから持ってきた塩を玄関に振り撒いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る