02 涼風千冬


「……それで、いつまでそうしているの?」


 部屋の扉が開かれると同時、涼やかな声が響き渡る。

 そこに立っていらっしゃったのは涼風千冬すずかぜちふゆさんだった。


「ち、千冬さんっ! た、助けてっ、先輩が言う事を聞いてくれないっ」


 腰元に回した腕を全く離そうとしない羽金麗はがねうらら先輩。

 彼女をどうやったら引き離して自分の部屋に戻れるのか、四苦八苦していたのだ。


「心外だなっ、私とてゆずりは君の邪魔をするつもりはないさ。ただ、もうちょっとだけ待って欲しいとお願いしているだけじゃないかっ」


「キリがないですよねっ」


「だから、あとちょっとだけ」


「それがキリないんですよっ」


 この調子で、あたしがリアンを解消してくれるのには同意してくれても今すぐ別れる踏ん切りはつかないようなのだ。

 そんな名残惜しそうな態度を見せられると、あたしも二の足を踏んでしまうのが良くないのだろうけど……。


「はいはい、そんな事だろうと思ったのよ……ほら会長、往生際が悪いですよ」


 すると間に入った千冬さんが、先輩の腕を引きはがす。

 その態度に先輩が唇を尖らせていた。


「なんだい涼風すずかぜ君、私の邪魔をしないでくれるかな」


「会長が楪の邪魔をしているからですよ」


「リアンの別れを悲しむのは当然の事だと思うけどね」


「そう仰るなら、新しいリアンをもっと歓迎して欲しいのですが」


 あたしとのリアンを解消し、先輩とのリアンになったのは千冬さんなのだ。

 これで伝統を守った形に収まり、千冬さんがこの部屋を訪れたのはその為なのだ。


「いや……正直な話、涼風君が部屋に来るとこの空間まで生徒会室になったようで息が詰まるような気がしているんだ」


「思った事言い過ぎですから、私だって公私混同は避けますよ」


「果たしてそうかな……?」


「何が言いたいんですか?」


 何やらお互いの腹を探り合う二人。

 生徒会室でもいつもこんな感じなのだろうか。


「私の恋人を奪おうとするためにリアンを受け入れ、この部屋にも足早に訪れたんじゃないのかい?」


 先輩が千冬さんの、リアンという“公的な”の行動の裏に、恋人という“私的な”感情を読み取っていたのだ。


「残念ながら私の恋人でもありますから楪を優先するのは当然で、先輩のリアンは二の次です」


 対して千冬さんは、恋人という私的な関係を優先はしているが、リアンという公的な関係は完全に別件で混同はしていないと発する。

 あれだけ怒りを露わにしていたリアンの事よりも、あたしの事の方が大事だと言ってくれているのだ……。

 は、ハートを持ってかれちゃう。


「ふふっ、君は楪君ファーストに考えているのだろうけれど。残念ながら私との関係値の方が上だと思うよ」


「それは何を根拠に言っているんですか?」


「だって私と楪君はついさっきまで抱擁とキスを交わしたばか――」


「ぬああああああああっ!! ちょっと、何言ってるんですか先輩!!」


 すごいシームレスな会話の流れで変な話題ぶっこむじゃんっ!!

 そういうのってあんまり共有しない方がいいんじゃないですかねぇっ!!

 ほら、今って一触即発状態ですからねっ。


「ああ、キスくらいなら私だってしていますから。今さらですね」


「……え、そうなの?」


 うおおおおっ。

 や、やめてよ、あたしとのキスでマウント合戦しないでよ。

 どう反応したらいいか分からないじゃないですかっ。

 こ、こうなったら――。


「じゃ、じゃあ……あたしはこれで失礼するね。お二人はリアンとして親睦を深めて頂きたく……」


 もうよく分かんないから退散する事にする。

 こういう時は逃げるが勝ちだ。


「待ちなさい」「待ってくれるかな」


「ぐえっ」


 二人共があたしを捕まえて、行く手を阻まれてしまう。

 何でだっ。


「じゃあ、どちらのキスの方がより官能的だったか聞かせてもらおうかな」


「か、官能的……!?」


 先輩は何を仰っているんですかねっ。


「そうね。“粘膜接触の抵抗感が少ない方が、より親密度が高い”と相対的な評価をしてもいいんじゃないかしら」


「ね、粘膜接触……!?」


 や、やべー。

 二人とも真顔で頭おかしい事を言っている。

 これが恋人同士の争いというやつなのか……!

 幸せだけど、これはこれでツラい……優劣なんてつけられないのにっ!!

 だが、答えないと離してくれなさそうな雰囲気だし……。


「ふ、二人とも最高っ!」


 サムズアップしてみる。


「逃げないで」「逃げないでくれるかな」


 ……ですよねぇ。




        ◇◇◇




「これで全部かしら」


 そんなこんなで先輩からの拘束から解き放たれたあたしは現在、千冬さんの部屋である。

 彼女の荷物を先輩の部屋に搬入するのを手伝う為に、あたしは荷造りされた衣装ケースを運んでいた。

 ちなみに千冬さんのリアンは明璃あかりちゃんの部屋へと向かい、入れ替わりのようだった。


「そうだね、もう荷物はないと思うよ」


 寝室を確認しても置かれているのは備え付けのベッドとサイドテールのみ、クローゼットも空になっている。


「会長にも困ったものね、なかなか貴女を離さないからいつまで経っても私の荷物を搬入出来なかったわ」


「……あはは、面目ない」


 それは同時にあたしが原因でもあるので、千冬さんには頭が上がらない。


「嫌ね、会長に言っているのであって貴女には言っていないのだから謝らないでちょうだい」


「とは言ってもあたしのせいでもあるから……」


「まぁ、私を待たせている間にキスをしていたと言うのには少し苛立ちを覚えたのは事実だけれど」


「げほっ、ごほっ」


 そ、それにツッコんできますか……千冬さん……。

 もうその話題は終わったものだとばかり……。


「違うんだよ、そうでもしないと離してくれなさそうだったから」


「……それ、羽金会長からの寵愛をアピールしているだけに聞こえるけど?」


「そ、そんな嫌味な女のつもりでは!」


「少なくとも恋人を前にするべき話ではないわね」


 そ、その通りなんですが……でもあたしからすると先輩も恋人なわけで……。

 でも千冬さんからしたら現状はライバルなわけで……。

 ど、どうしたらいいんですかねっ。


「それで、どっちからしたの?」


「……はい?」


「どっちからキスをしたのと聞いているのよ」


「……あー」


 千冬さんが真っすぐな瞳で問いかける。

 まるで生徒会選挙の演説前の時のような曇りない眼と精悍な顔つきで。

 しかし、忘れてはならない。彼女はあたしのキス事情について聞いている。

 情緒がどうにかなってしまいそうだ。


「恋人に嘘はつかないわよね?」


「……あ、そ、そうだけど」


「なら答えなさい」


「あたしからしましたっ」


 ひー。

 あたしは一体何を答えさせられているんだっ。


「……そう」


 すっと部屋の温度が下がる。

 千冬さんの目つきが鋭利になっている事が恐らく原因だろう。

 恐ろしいっ。


「私はまだ貴女の方からキスをされていないわね?」


「そ、そうだけどっ」


「それって恋人に優劣をつけている事になるんじゃない? 貴女の言ってる事と矛盾していると思うけど」


「そ、そうかなっ?」


 それが優劣かどうかは、もはや判断基準が分からないんですがっ。

 あたしの方からキスする方がプライオリティが高いってこと?

 いやいやっ、あたしってそんな大したもんじゃ……。


「恋人が不満を抱いているのだからそうなのよ、問題の是非は私がどう感じるかじゃないっ」


「千冬さんにしては感情的な論理になってるよっ!?」


「じゃあ貴女は、私のこの不満を放っておくのね?」


 千冬さんは腕を組んで、トントンと自分の腕を指で何度か叩く。


「そ、そういうわけじゃないけど……」


「そう、そのつもりなら結構よ」


 ふん、と鼻をならして千冬さんは振り返って玄関へと歩き出してしまう。

 まずいまずい、あたしが煮え切らないばかりに千冬さんを怒らせてしまった。

 あたしのせいで大事な千冬さんのご機嫌を損ねたままにはしておけないっ。


「ち、千冬さん、ちょっと待って」


 ええい、言葉では上手く説明できないのだから行動あるのみだっ。

 あたしは千冬さんの背中を追いかけ、その肩に触れる。


「何よ、言い訳なら結構――」


 振り返った千冬さんの唇を、こちらから迎え入れる。

 重なった唇の感触を確かめるように這わせて、数舜の時が過ぎる。

 お互いに息をするのを忘れていて、酸素を求めるように唇を離す。

 この空白の時間を、どう過ごせばいいのかまだ今一つ分からないのだけど……。


「え、えっと、あたしは千冬さんの事を本当に大事に想ってるから、これで許して欲しいと言うか……」


 でも正直こんなのあたしからするとご褒美のようなものなので、果たしてこれでいいのかは甚だ疑問ではあるのだけど……。


「……まぁ、合格点ね」


 その頬に熱が灯るように、紅潮した赤色が差していた。

 千冬さんのこんな表情が見られたのだから、間違ってはいなかったと思いたい。

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