16 思わぬ登場


「あのー……ゆずりはさん」


「うおっ」


 ルナの部屋を出て、廊下を歩いていると突然声を掛けられる。

 廊下の隅で隠れるように現れるものだから、思わずのけ反ってしまった。

 上目遣いであたしの様子を伺うのは小日向明璃こひなたあかりちゃんだった。


「だ、大丈夫ですか、楪さん」


「えっと……大丈夫っていうのは?」


「う、噂に聞きました。何だか大変な事になってるみたいですね……」


 明璃あかりちゃんの耳にも届いてたらしく、あたしを心配してくれているようだ。


「ちょっと大変な事にはなったけど、何とかするよ」


 と言うより、するしかないと言った方が適切か。

 とにかく千冬ちふゆさんの副会長当選は絶対に達成しなければならない。


「す、すごいですね……」


「何が?」


「あんな大舞台で、良く言わない人もいるのに。よく立ち向かおうと思えますね」


 確かに、こんな舞台はあたしにとって大袈裟すぎるし今すぐ逃げ出したい気持ちもゼロじゃない。

 だけど、涼風千冬すずかぜちふゆというヒロイン、そしてフルリスの物語の為なら話は別だ。

 これくらいの逆境は乗り越えなければ、作品のファンとして面目を保てない。

 そういう覚悟なのだ。


 それに……。


小日向こひなただって出来るよ」


「い、いえいえっ、わたしには無理ですよっ」


 慌てたように手を振る明璃ちゃんだが、原作シナリオ通りであれば君がやってた事だからね。

 嘘は言っていない。

 とは言え、今回はあたしがやると決めた事だ。


「出来る事は少ないですけど、応援はしてますからっ」


 そう言って、明璃ちゃんは両手で握りこぶしを作る。


「あ……ありがとう」


 主人公のイベントを奪っている悪女が、その本人に応援されている構図は本来シュールでしかないけど。

 それでも、素直にその言葉は受け取ろうと思えた。




        ◇◇◇




「……それで、私を呼び出してどういうつもり?」


 翌日の休み時間、あたしは千冬ちふゆさんを人通りの少ない廊下へと呼び出した。

 昨日のルナとの出来事があったので、表情はいつになく硬い。


「いや、ちゃんと伝えておこうと思って」


「何よ、改めて言われなくても承知しているわ。今、他の責任者を探して……」


「あたしは最後まで責任者をやるから」


「……って、え?」


 意表を突かれたのか、千冬さんのツンケンとした空気が驚きに変わる。


「ルナはああ言ってたけど、あの状況を作ったのはあたしだから。だから、ちゃんと自分の手で千冬さんを副会長に押し上げたいんだ」


「……本気で言っているの?」


 確かめるように千冬さんが問いかけてくる。


「本気だよ、ルナにもちゃんと説明してるし。覚悟は決まってる」

 

 お互いに目を見つめ合って、その真意に偽りがない事を伝える。

 数泊の間を置いて、千冬さんは小さく息を吐いた。


「……そう。推薦したのは私だからね、貴女がやると言うのならお願いするのが私の立場よ」


「……えっと、お願いなんてされてましたっけ?」


 “責任者に推薦してあげてもいいけど?”みたいな立ち位置にしか感じられなかったのですが。

 いえ、それに不満はないんですがね。


「ええ、そうよ。何か間違った事を言ったかしら?」


 今までの空気に元通りになる。


「いいえ、仰る通りです。誠心誠意、務めさせて頂きます」


「ええ、お願いね」


 やはり、むしろあたしからお願いしているような構図になっている気がするが……。

 気のせいだね、うん、きっと気のせい。

 兎にも角にも、共に意志は固まったのだから後は今後の生徒会選挙をどう戦うかを考えていくだけだ。




「いいね、君たちにはお互いの信頼を感じるよ」




 そこに、第三者の声が届く。

 クラスメイトの者ではない。

 今のあたしに声を掛ける学院の生徒はほとんどいないはずだが……。

 

「君たちが……だね?」


 金色の長髪に、利発的な顔立ち。

 上背も高く、豊かな曲線を描くシルエットは少女と言うよりも女性のそれ。

 腕を組みつつ、快活な笑みを見せるその立ち姿は力強い印象をもたらした。


「……羽金はがねうらら


 ぼそりと千冬さんが呟く。


 ――羽金麗


 ヒロインの一人であり、三年生の先輩で前生徒会長。

 そして今年も当選間違いなしとされる生徒会長立候補者だった。


「おやおや、先輩を呼び捨ては感心しないな涼風君。ヴェリテ女学院は節度を保った人間関係を尊ぶからね。敬語はしっかり使えるようにしないダメだよ」


「あ、はい、すいません……羽金先輩」


 あの千冬さんですら有無を言わせないこのヒロイン。

 それはただ先輩だからと言うわけではない。


「私のパートナーを目指すなら、それくらいは意識してもらいたいな」


 たしなめるようにさとす羽金先輩。

 それは普段、千冬さんがされる事がほとんどないであろう態度である。


「……お言葉ですが、羽金先輩はまだ上級生であって会長でありません。会長候補です」


 その意趣返しに羽金はがね先輩は目を丸くしたものの、すぐに吹き出した。


「あはは、そうだね。すっかり会長気分になっていた、私もダメだね。まだ前年度の気分が抜けていないようだ」


 そう、羽金麗は前年度……つまり彼女が二年生から生徒会長を務めていたのである。

 年功序列の意識が根強く、“伝統と格式”という柔軟性に欠けてしまう弊害も多いこの学院において、二年生から生徒会長を務めるという偉業。

 羽金麗は言わば最強ヒロインなのである。

 成績は首席、血筋も古くからの名家で、人となりも大らかで人望も厚く、野心家でもある。

 言ってしまえばルナと千冬さんのスペックを合わせて、リーダーシップを兼ね備えたような人物なのである。

 ヒロインと言うより、もはやボスかな?


「でも実際問題、私の牙城を切り崩せそうな候補者はいなさそうかな? 何でも例年にないほど会長候補は減り、代わりに副会長候補が増えたようだからね」


 それもこれも、この羽金麗がもたらした結果だろう。

 圧倒的カリスマ性で生徒会長としての実績を積み、三年生になった彼女を阻む要素はほとんどない。

 当選する可能性の低い会長よりも、まだ可能性のある副会長に立候補するのは自明の理とも言えた。


「かと言ってそれが慢心する理由にもならないからね。ありがとう涼風君、気が引き締まったよ」


「……そうですか」


 このように千冬さんの小言もプラスに変換してしまう器の大きさ。

 そして遠回りに“逆境なのは君たちの方だけどね?”とも聞こえてきそうな言い回し。

 圧倒的強者。

 原作の楪柚希ですら、“羽金麗は敵にしたくない”と言わしめた傑物である。


「でも本当に君たちの協力しあう気持ちは伝わってくるものがあったよ。かつて私も茨の道を進んだ同志だ、応援しているよ」


 茨の道とは“下級生でありながら最高位の役職に立候補”した事を指しているのだろう。

 少なくともそこに小馬鹿にするようなニュアンスは感じられない。


「そして君」


「へ?」


 すると、羽金先輩がぽんとあたしの肩を叩く。

 見上げるとニコニコと笑っていた。


「いや、笑わせてもらったよ。この学院で上級生に声を荒げる後輩を見るのは初めてだ。噂には聞いていたけど、本当に常識が通用しないみたいだね」


 あー……うーん……これは小馬鹿にされていると思っていいのだろうか?

 とは言え、間違った事も言ってないしなぁ。

 羽金麗ですら失笑させてしまう楪柚希、さすがだな。


「そのまま前進するといい。それが出来れば涼風君の当選を手繰り寄せるきっかけになるかもしれないよ」


「……へ?」


 何を言っているのかよく分からなかったが、それだけ言うと羽金先輩は“ごきげんよう”とだけ残してその場を颯爽と去っていくのだった。

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