03 ファーストネーム


「……ふぅ」


 何とか前途多難なHRをやり終えた。

 まさかの主人公との接触をしてしまったけれど、追放されるような嫌な印象は与えてないだろう。

 まあ、セーフでしょう。

 そう自分に言い聞かせ、あたしはフルリスの物語を応援する事に専念する。


「はい、皆さん授業を始めますよ」


 なんて一息ついている間に授業が始まった。







「あの、すいません、ゆずりはさん?」


「……」


 しかし、どういうわけか隣の明璃ちゃんが声を掛けてくる。

 これ以上、絡むつもりはないと言うのに……。


「なに?」


 無視しようかとも思ったが、さっきのように名前を連呼されても困る。

 あたしは渋々返事をした。


「教科書、見せてもらえませんか……?」


「……はい?」


 明璃ちゃんはもじもじと照れくさそうに頬を染めていた。

 その机の上には何も置かれておらず、さっぱりとしていた。


「すいません、急な転入だったので勉強道具の用意が出来てなくてですね……」


 いや、この展開自体は知っている。

 だが明璃ちゃんが借りるべき相手は間違っても悪女の楪柚稀ではない。

 主人公がおかしな行動を始めているので、ここはあたしが修正しなければならない。


「前の席の方から借りたらどう?」

 

「ま、まだ、話した事もないので難しいですよ……」


 ……やめて欲しい。

 【ゆずりは柚希ゆずき>見知らぬクラスメイト】という好感度になってしまっている。

 本来であれば、明璃ちゃんは楪柚稀を怖がり、前の席の少女に教科書を借りる場面なのだ。

 お願いですから原作準拠の行動を意識してもらいたい。


「借してくれるって教科書くらい」


「前の人から借りるのって難しいですよねっ」


 明璃ちゃんは隣の楪柚稀から見せあいっこする想定なのだろう。

 しかしそれでは色んな意味で距離が縮まってしまう。

 それは非常によろしくない。


「大丈夫、前の人はそれでも貸してくれる」


「いけませんって、申し訳ないですよっ」


「それなら、あたしも申し訳ないと思ってよ」


「申し訳ないです。なのでお隣同士の縁で見せてくださいっ」


 絶対思ってない速度で間髪入れずに催促される。

 そんなご近所同士のような親近感を持たれても困る。


「悪いけど、あたしとあなたとの間には見えない壁がそびえ立っているから」


「見えないので問題ありませんね」


 ポジティブすぎる。

 何でこの拒否り方で問題にしないんだ。


「いいから教科書、ほら借りなっ」


 あたしはもう指差して借りるよう指示する。

 明璃ちゃんはあわあわしつつも、あたしの方のガン見をやめない。

 何でだ。


「……教科書、必要なの?」


 すると、明璃ちゃんの前の席の少女が振り返る。


 ――ルナ・マリーローズ


 銀白色の艶やかな髪に、アイスブルーの瞳。

 透けるような白い肌に、モデルのような小さな顔に細長い肢体の黄金比。

 ヒロインの一人である。


「いいよ、貸してあげても。ルナ、全部頭に入ってるから」


 ルナ・マリーローズは才女である。

 英国人である彼女は去年から日本に移り住み、この学院に入学している。

 日本語も堪能で、教科書も丸々その頭脳にインプット済みという秀才ぶり。


 ……それはいいのだけれど。


「はい、どうぞ」


 教科書を渡してくる。

 ……あたしに。


 何度も言うが、本来はこれは明璃ちゃんが借りるはずの場面。

 そして初ヒロインとの接触でもある。

 なのに、なんであたしとの触れ合いになっちゃってんだ。


「あれ、教科書ある?」


 あたしの机の上を見て首を傾げるルナ。

 あたしは持ってるよ、ないのは明璃ちゃんですからね。

 あたしが“教科書教科書”と連呼するから勘違いさせてしまったらしい。

 だがまだ間に合う、ルートを修正せねば。


「転入生のその子、まだ教科書ないんだって」


 明璃ちゃんを指差し、ルナは視線を移す。

 見つめられた明璃ちゃんは背筋を伸ばしてガチガチに固まっていた。

 おい、美人すぎて引くのは分かるけど、あたしと反応違いすぎだろ。

 悪女とヒロインで反応が異なるのは百も承知だが、目の前でされると案外気になる。


「そうなんだ、どうぞ?」


 ルナは教科書をひらひらと上下させる。


「いえ、楪さんが見せてくれるそうなので、大丈夫ですっ」


 どうして断る主人公!?


「……? そう、分かった」


 前を向き直すルナ。


 え、ヒロインとの邂逅終わり?

 しかも拒否る方向で?


「お願いします、楪さん」


 机を動かして、あたしの机と連結させる明璃ちゃん。

 その行動力というか意志力をどうしてルナに発揮させない。


「……いや、もう教科書そのまま貸してあげるから机繋げなくていいよ」


 さすがに机を繋げるとか、仲良し感満載すぎる。

 そんな距離感で接するつもりはない。


「それだと楪さんが授業を受けるのに困りますよね?」


「……あたしも教科書の中身、全部覚えてるから」


 仕方ないからあたしもルナの才女設定を借りる事にした。

 転入初日の彼女が、あたしの成績を知るはずもない。


「あはは、面白い冗談ですね」


「おい、ルナと反応違いすぎだろ!?」


 なんで軽くスルーされてんのかなっ。

 見た目か、見た目で判断してんのかっ!?


「……呼んだ?」


 ルナが反応してしまう、あたしに。


「呼んでないっ」


「でも名前、呼んだよね」


「いや、用はないというか……」


「用もないのに人の名前を呼び捨てにしたりしない。なに? 何でも聞くよ?」


 う、うおおお……。

 ルナがあたしにグイグイくるぅ。


 このルナ・マリーローズという少女。

 美少女で才女で英国人という設定盛り盛りの子なのだが。

 それゆえ孤独なのだ。


 圧倒的な資質を持つがゆえに、他人からは距離をとられ寂しい思いをしている。

 そのため、突然接してくる明璃に心を開いていくというストーリーだったのだが……。

 あたしが不用意に名前を呼んでしまったせいで、あたしがルナに興味があるみたいになってしまっている。

 ルナは現状孤立しているので、明璃ちゃんと一緒で“楪柚稀”の悪評を未だ知らないのだ。

 無知とは恐ろしい。心を開く相手を間違えてはいけない。


「だから何でもないって」


「日本では親しい間柄にしか呼び捨てにしない事は把握済み。ルナ、こっちに来てから名前で呼ばれるのママ以外では初めて」


「……ぐはっ」


 や、やめて……。

 そんな微妙な日本知識でドヤりながら、悲しいエピソード引っ張り出してこないで……。

 こっちは色々知ってるから涙誘っちゃうのよ。


「ふ、ふんっ。知らないかもしれないけどね、日本では格下と思っている相手を呼び捨てにする時もあるのよ。あたしのはそれよルナ・マリーローズ」


 ど、どうだっ。

 この嫌われ者の悪女ムーブ。

 本来、楪柚稀は基本的に明璃ちゃんにしかイジワルしないので、ヒロインの場合はどうなるのかよく分からないのだけど。

 それでもこの返事を聞いて快く思う人はいないだろう。


「格下……? 何を基準にそう考えたの?」


「え」


 成績:ボロ負け。

 外見:ヒロイン補正に勝ち目なし。

 育ち:マリーローズ家は英国の大手企業を束ねる名家なので、太刀打ちできない。


「……魂の重さ?」


 なんせこっちは人生二つ分の魂がある。

 これなら勝ってる(?)でしょ


「魂……つまり心。なるほど、ユズキは心が大きくて広いのね」


「え、おい、ちょっと……」


 なんかすげぇポジティブ変換されて友好的な解釈されてる気がしてならない。


「とってもユニーク」


 優しい微笑みをこちらに向けるルナ。

 そんなヒロインスマイルを見せないで。


「わ、わたしも“明璃”で大丈夫ですよっ?」


 隣の主人公は空気を読まずに距離縮めようとしてくるしぃ……!


「小日向、教科書見せてあげるから黙ってて」


「苗字!? ……あ、あれ、という事は楪さん理論ではわたしの方が格上という事ですか?」


 ちがぁぁあああうっ。


「苗字呼びは他人の証でしょ」


「ええっ、そんなぁ……」


 肩を落とす明璃ちゃん。

 ま、まあ、可哀想だけど仕方ない。


「ルナの方がフレンドリーな関係」


 ちげええぇぇぇ。


「で、でもっ、わたしは隣で教科書を見せてもらってますからっ」


 あたしの教科書を勝手に広げて、ルナを前にドヤる明璃ちゃん。

 え、なにこの敵対構図。

 おかしくない?

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