02 挨拶は程々に


 ――ヴェリテ女学院

 

 丘の上の森の奥を抜けた先にある、人里離れた俗世とは隔絶された世界。

 そこには名家の令嬢達が集い、淑女になるための教養を身につける。

 今日も少女たちはこの学び舎でそれぞれの夢を思い描く。


「……という設定だったなぁ」


 いよいよ足を踏み入れる事になった白一色の校舎を前に息を呑む。

 いざ目の前にするとその清廉とした空気に圧倒された。


 どうにも落ち着かないあたしは身なりを軽く整える。

 制服は黒のセーラーに白のスカーフ。

 華美な装飾もないシンプルな見た目だが、それは当然だ。

 百合という大輪の花が咲くのに、過剰なデコレーションは必要ないからだ。

 そうに決まっている。※個人の意見です。


ゆずりは柚稀ゆずきになってしまったのは残念だけど、それでもフルリスの世界を追体験できるなんて……すごすぎ……」


 覚悟を決めて、あたしは乙女の園へと足を踏み入れた。







 楪柚稀は一年生であり、季節は夏を迎えている。

 新学期から慣れ始め、人間関係も出来上がってくる時期だ。

 前世のプレイ済みの記憶か、楪柚希の記憶かははっきりしないが、教室の場所も把握出来ている。

 扉の前で、足を止める。


「この先にいるのよね、ヒロインが」


 心臓の拍動が増していくのが分かる。

 期待と緊張、そのどちらもがあたしの鼓動を高鳴らせる。

 決意を固め、扉を開けて踏み入れた。


「……!?」


 教室には女の子しかいない。

 当然の事ではあるが、ここは女学院で乙女の園。

 その生徒の誰もが清廉とした佇まいをしている。

 クラスメイトの子と目が合った。

 あたしはすかさず口を開く。


「ごきげんよう」


 ふふっ、挨拶も完璧だ。

 お嬢様学校では挨拶は“ごきげんよう”なのだ。

 百合で女学院と言えば相場が決まっている。理由はさっぱり分からないが。

 一度は言ってみたいセリフ個人的トップ10には入っていたので念願が叶った。

 嬉しい。


「え、あ、うん……?」


 あたしの完璧な挨拶にクラスメイトの子も動揺を隠せていないようだ。

 この滲み出る品性に尻込みしているのかもしれない。


「どうかなされました?」


 こういう時、お嬢様は優雅に問いかけるのだ。

 戸惑う女の子を優しく誘う。

 うん、正しい百合像である。


「いえ、あの、楪さんの方から挨拶して下さるのが珍しいなと思いまして……」


「ん?」


 なんですと?


「そんなに珍しいですか?」


「はい、それに……いつも朝はかたくなに“おはよう”と返されてましたし」


「……そんな事もあったような、なかったような」


「“挨拶にごきげんようとか日本でここだけ、マジ異常、普通に喋れ”なんて言われたことも」


「お、おほほっ!!」


 うん、そうだよね。

 結局は楪柚稀だもんね、悪女だもん。

 流れを壊すのが役目だもん。

 普段の生活からぶっ壊れているキャラなのだ。

 こんな付け焼刃のお嬢様キャラなど、もうとっくに通用しないくらい、その個性は浸透してしまっている。

 このタイミングでキャラ変を始めた痛いヤツと思われる方が致命傷だ。

 今後の学院生活に間違いなく悪影響を及ぼす


 よって慣れない言葉遣いはやめる事にする。

 あたしの憧れのお嬢様キャラは数秒でお別れとなった。

 悲しい。


「……ここね」


 楪柚稀の席は、最後尾の窓際の右隣である。

 そして窓際の席……あたしの左隣の席は空白である。

 こんな最高の立地条件がどうして空いているのか?

 答え合わせは朝のHRにすぐに訪れた。







「はーい、それじゃあ今日から学院生活を共に送る転入生を紹介しますね」


 突然の転入生、こんなの物語が動くに決まっている展開だ。


「では、挨拶をお願いね?」


「は、はいっ」


 先生の隣には、委縮して肩に力が入りすぎている少女がいた。

 黒髪ボブにつぶらな瞳、小柄な体躯を更に小さくさせて怯えるように緊張している少女。


「こ……小日向明璃こひなたあかりと言います。よろしくお願い致します」


 そうしてぺこりと頭を下げる。


 ――小日向明璃


 彼女こそが、このフルリス世界においての主人公である。

 どうやらあたしはゲーム本編開始当日に前世の記憶を取り戻したようだ。


「それじゃ小日向さんは……あ、一番後ろ窓際の席が空いてるからそこ座って」


「は、はいっ」


 そうなのです。

 最後尾の窓際が空いていたのは、明璃あかりちゃんの席だったからなのです。

 小さな歩幅を早めながら席に辿り着いた明璃ちゃんは椅子に腰を下ろす。


 そうしてあたしは思案する。

 これからの展開をどうしようかと。


「あ、あの小日向明璃です……よろしくお願いします」


 すると明璃ちゃん自らあたしに話しかけてくる。

 人見知りの彼女が自分から知らない人に話しかけるなんて相当な勇気を振り絞っている。

 それだけ、この学院生活で自分を変えようという思いがあるのだ。


 しかし、楪柚稀はその彼女の勇気を一蹴してしまう。




        ◆◆◆




『は? 誰あんた?』


『……え、あの、こ、こひなた……』


『知らないわね、そんなヤツ』


『ですから、じ、自己紹介を……』


『あんたの親、事業で失敗したそうじゃない。なのに、この学院に入れたのは学院長との交友があったからなんでしょ?』


『ど、どうしてそれを……』


『あーあ、ヴェリテ女学院に庶民が入って来るなんて嘆かわしい。庶民が移るから話しかけないでもらえる?』


『……ううっ』




        ◆◆◆




 そうして、明璃ちゃんが振り絞った勇気は楪柚稀の心無い言葉によって粉々にされてしまう。

 自分がこの場に似つかわしくない存在だと感じている明璃ちゃんにとって、その言葉でハートがブレイクしてしまうのは必然。


「あ、あのー?」


 隣で明璃ちゃんは困惑していた。

 楪柚稀はどのエンディングを迎えても最終的には学校を追い出される破滅の道しか残されていない。

 どう考えてもそれは避けたい。

 そうなれば、あたしに出来る事は何か?


「……」


「え、えっと……?」


 無言を貫く。

 基本的にあたしは、主人公やヒロインと関わる気はない。

 接触を初めから無くし、安全な所から主人公とヒロインとの恋物語を応援する事に決めた。


「あ、あのっ」


「……」


「こ、小日向、明璃、ですっ」


「……」


「も、もしもーし?」


「……」


「あれ、わたしの声小さいかな? 聞こえてない?」


 いや、無視してんの……!

 気づいてよっ……!


「小日向明璃ですっ、あなたの名前を聞いてもいいですかっ」


「……」


「もしかして、返事してくれてるのかな? わたしが聞こえてないだけ?」


「……っ!?」


 何を思ったのか、明璃ちゃんは身を乗り出して耳を近づけてくる。

 やけに距離が近い。

 なんで、そっちから近づいてくるのかなぁ……!?


「小日向明璃です、あなたのお名前は?」


「……」


「え、何か言いました?」


 何も言ってない……! 完全に幻聴!

 この主人公、天然だったのを忘れていた……!

 ヒロインたちにはその天然ぶりが良い方向に作用するのだが、楪柚稀とは馬が合わず直接罵倒されるので明璃ちゃんも傷ついてしまうのだ。

 だが、放っておいたらこんなにもマイワールドを展開するキャラだったのか……!

 こっちサイドに立つと、強烈なんだけどっ。


「お、おはようございますっ。わたしは小日向明璃ですっ」


「……」


 こ、壊れたロボットなのか、この子は……!?

 え? もしかして返事するまでこの調子なの?

 主人公と絡まないと先に進まない仕様?

 あたしには破滅の道しか残されてないってこと?


「挨拶は……この学院では“ごきげんよう”……よ」


 とりあえず、これだけは伝えておく。

 大恥をかく前に直したらいいよ、さっきのあたしみたいになっちゃうからね。


「あ、ありがとうございますっ!」


「いえ、いいの……」


 頭をぶんぶん振ってお礼をしてくる明璃ちゃん。

 純粋すぎる。

 この明璃ちゃんの天然鈍感ぷりが、楪柚稀の暴言がストレートになっていく理由なのだと、この立場になって初めて理解する。


「それで、お名前は?」


 ……ま、もう答えるしかないか。

 答えて、この会話を終わらせよう。


ゆずりは柚稀ゆずき


「……ゆずゆず?」


 距離感バグりすぎ。

 誰か助けて。

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