第9話 選択

 校舎に閉じ込められて四日目には食糧と水の殆どが尽きてしまった。

 内部の探索で探すべきものは残っておらず『壁』の隙間も未だに発見できていない。外に出られなくとも、2階に登れれば物資は手に入りそうだが階段も『壁』で塞がれていて1階部分でしか移動できなかった。


 図書室に陣取った新見ニィナはやるべきことを整理する。まずは人間関係だが、状態は最悪に近い。真壁マリアの遺体を巡ってハルカとミカが派手な喧嘩となってしまった。負けたハルカはかなりの怪我を負ってしまい、今も痛む身体を引き摺っている。初日はリーダーのように振る舞っていた江崎エリもマリアが死んでからは様子がおかしくなり、体調不良を訴えて教室の外へ出なくなってしまった。


 文字通りの餓鬼であるミカは予告通り食糧を巻き上げ、校長室を我が物顔で占領している。その腰巾着と化したクミも同様だ。

 次に自分たちの置かれている状況。外から助けが来る気配もなく、電気や水道も復旧しない。そのような気配も全くなく、『壁』に変化も見当たらない。もしやと思って中庭を確認してはいるものの、新しく誰かが現れると言うこともなかった。

 これらの要因からニィナは「」という結論に達する。


(どうすればいいんだ……)


 本を読んで気持ちを落ち着けようとするも、意味は頭に入ってこない。少しでも気分を変えようと廊下に出た。ヒントになるものが無いかと校内を彷徨くも、薄明るい『壁』にどこまでも覆われた景色は気が滅入るだけだった。

 校舎の西端まで歩いたニィナは機械室の前で足を止める。扉の前には茶色い点々があった。ミカとの喧嘩でハルカが流した血だ。掃除に使う水が無く、雑巾の乾拭きだけなので生々しい跡が残っている。


(羽川さんもよくやるもんだ…… ケンカじゃ勝てないって分かっていたのに。いや、ボクが武器の話なんかしたから悪かったのかな……)


 ハルカの気性の荒さが羨ましくなる。自分を譲らず、納得いかないことにはとことん噛み付く。

 亡くなったマリアも凄まじい。あんなにあっさりと死ぬ覚悟が決まるものだろうか。普通なら最期は見苦しく足掻きそうなものである。あれは強さに由来する決断なのか、それとも弱さによる諦めなのか……


「ん?」


 ふと、ニィナは違和感を覚えた。

 機械室の扉を挟んだ向こう側にはマリアの遺体が安置されている。死後3日も経てば腐敗している。しかし、それらしい臭いは嗅ぎ取れなかった。

 ニィナは死体に対して嫌悪感を持っていない。人間はいずれそうなるのだから怖がる必要なんてないと考えている。腐敗して崩れたのなら多少は顔を顰めてしまうだろうが、本質は変わらない筈だ。


(埋められる場所がなくて仕方なくここに安置した。けれど……)


 ニィナはドアノブに手を掛け、静かに中へと入った。小さな窓からは『壁』の光が漏れて室内を薄明るく照らしている。息を呑み、視線を落とした。

 亡くなった時と同じ姿の真壁マリアがいる。

 手を組んで寝かされ、静かに目を瞑ったままだ。

 ニィナは片膝を床に突く。そのとき、白い造花が落ちていることに気付いた。造花には上履きで踏んだ痕跡が残っている。こんなことをするのはミカかクミのどちらかだろう。

 その花を供えたのはハルカだと知っている。汚れを払ってマリアの手に持たせてやる。

 肌に触れて気付く。生前と何ら変わらない柔らかな感触だった。


「……まさか」


 念の為、首筋に触れて脈をとった。勿論、心臓は動いていない。

 けれど妙だ。遺体に変化が無さすぎる。蝿が卵を産みつけて蛆虫が沸いていてもおかしくはない。

 試しに腕を掴んでみるとスーッと持ち上がる。力は要らなかった。


(死後硬直していない? そんなバカな……)


 知識だけは頭の中に入っている。どういったメカニズムで死んだ人間の筋肉が固まるのかも理解していた。けれどもマリアの遺体はしなやかで柔らかい。


(腐敗していない? まさか『壁』のせい?)


 マリアの身体を起こして念入りに調べてみる。

 心臓が止まっているから血液は循環していない。重力によって背中側に血液が溜まって死斑になる筈だが、制服をめくっても瑞々しい肌が露わになるだけだった。


(間違いなく死んでいる。でも腐敗は進まない。どうして?)


 思考を巡らせるも、それらしい理由には行き当たらなかった。

 代わりに全く別のことを思い付く。

 ニィナの理性は「実に悍ましい!」と訴えてきて、悪寒で身体が震えた。一方、ニィナの本能は「それしかない」と背中を押してくる。


 もう一度、マリアの遺体を見下ろした。

 


『豊富なタンパク源ならば校内にもあるよ。それを食べるかは別の話だけどね』


 図書館でハルカに告げた言葉が頭の中を反射し、ニィナは目を瞑る。

 2人のニィナは内面でぶつかり、どちらかが倒れるまで葛藤が続いた。

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