第8話 造花
ハルカは無地のノートを正方形に切って花を折った。校内には生花が無かったのだ。
一輪の造花をマリアの遺体に添えて手を合わせる。
場所は校舎西端にある薄暗い機械室。見慣れぬ機械が奥に鎮座し、無数のパイプが壁を這っている。電気が通っていないから当然、動いていない。耳が痛いほどに静かである。
最初にこの部屋に入ったとき、ハルカは黙って掃除をした。それから遺体を運び込んだのである。マリアの身体は華奢で軽かった。
剥ぎ取ったカーテンを敷物にし、その上にマリアを横たえてやる。それから胸の上で手を組ませた。
死に顔はとても穏やかである。手紙にあった通り、望んだ結末だったのだろう。
病気や注射の苦痛——それらを揶揄う生徒から解放された。
ハルカは、マリアを運ぶときにニィナからかけられた言葉を思い出す。
『死亡した後、数時間で身体が硬直する。循環器系も止まるから背中に血が溜まって死斑ができる。そのあとは腐敗が始まる。だから、その、気を付けて』
既に遺体発見から数時間が経過していた。正確な時間は分からないが正午になった頃だろう。ニィナの知識に思うところはあれど、綺麗なマリアの顔を拝むのはこれが最後になりそうだ。
マリアの傍に手持ちの菓子を起き、ハルカは名残惜しそうに機械室の扉を閉める。
だが、すぐ外の廊下には大柄なカラテ女がニヤニヤ笑いながら待っていた。
「へぇ〜 ホントに死んじゃったんだぁ? クラス委員が騒いでいるからまさかとは思ったけどぉ」
「私は機嫌が悪い。消えろ」
「うわっ、ひどい言い草ぁ? また痛い目に遭いたいの?」
「……」
「でも、すっごいよねぇ。死ぬ覚悟ができてたんでしょ? あーしには絶対ムリ。死にたくないし〜」
「黙れ」
「ねぇ、そこ退いて? あーし、死体って間近で見たことないんだよねぇ? どんな感じなの?」
もう言葉を交わすつもりはなかった。体内で血が沸騰し、時間の流れが圧縮される。
ハルカは素早く手を伸ばし、機械室の入り口に立てかけておいたモップを掴んで鋭い突きを繰り出す。狙ったのはミカの顔だった。
反射的に身を捻ったミカは攻撃をかわし、短く安堵の息を吐いた。その隙を見逃さない。突きを手元に戻し、モップの先端でミカの脇腹を薙ぎ払う。
「ぐはっ!?」
棒は大きくしなり、蓄えたエネルギーがミカの内臓を潰した。唾液が飛ぶのをスローモーションで眺め、ハルカは畳み込むため次の一撃を振りかぶる。
「痛ぅ…… 女の子のお腹狙うなんてサイアク!!」
「どの口が言うの」
鳩尾に青痣の残るハルカは呆れるあまり侮蔑の眼差しを飛ばした。
今度は顔面を狙ってモップを振る。ダメージで動きの鈍っているミカだが、容易く身体ごと避けてしまった。
「っ!?」
「何度も同じワザ見せるなっつーの」
あっという間にモップを掴まれ、ハルカは身体ごと引き寄せられた。腕力の差を見せつけられても武器は手放さない。
ここで素手になったところで昨日の二の舞である。
そして、その選択は誤りだった。勢いよく引き寄せていた手をミカがパッと離すと、拮抗しようとしていたハルカが後ろに倒れそうになる。
バランスはすぐには戻らず、しかし床に倒れるよりも早くミカの強烈な蹴りに脇腹を抉られた。ドスンと衝撃が突き抜け、ハルカの体が横に折れる。
動きが止まると、そこからは一方的だった。
「お仕置きタイムだよ?」
ミカが打ち下ろした拳がハルカの顎を的確に捉える。
衝撃に脳を揺らされ、平衡感覚を失ったハルカはその場に倒れ込んでしまった。
あとのことはよく覚えていない。倒れたまま何度も踏まれ、痛みがどんどん重なっていく。
微睡んだ視界がミカの爪先を捉えていた。顔を上げることもできず、床の冷たさに熱を奪われる。
ミカが大声で呼びつけると子分のクミが現れた。彼女に何かを指示したミカは校舎の東の方へと歩いていく。根城にしている校長室へ戻っていったのだろう。
クミは怯えた顔でこちらを一瞥し、それから機械室の中へと入っていった。
しばらくしてクミが出てくる。その手にはマリアにお供えした筈の菓子が握られていた。
「あんた……!!」
最後の怒りを振り絞り、クミを睨みつける。ただでさえ小さい身体を縮めた彼女は悲鳴を上げると、校長室の方へと走り去っていった。
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