第6話 新見ニィナ
少女たちは各々が別の教室で眠りについた。ひとつの教室を一人で占有するのは贅沢というよりも寂しい気もする。だが、誰も「一緒に寝よう」と提案しなかったのは信頼が築けていない証だ。
こうして夜が明けた。夜といっても太陽が沈んだわけでもなく、校舎の内部は常に『壁』の放つ薄らとした明かりに照らされている。そのせいで時間感覚が希薄になっていた。時計も動いていなかったので時刻に確信を持てない。
並べた机の上で寝ていたハルカは目を擦る。眠りは浅く、わずかな物音にも反応してしまう始末だった。そもそも無人の教室に寝泊まりした経験なんて無い。妙な緊張感で身体が強張っている。
上体を起こすのが億劫なのはそれだけが理由では無かった。昨日、ミカに痛めつけられた身体は回復していない。腹部の痣は拳で触れられたままのような不快感を抱えている。
ハルカは教壇に隠しておいた食糧に手を付けた。マリアとの探索の際、小分けにして教室に残したのだ。
寝ている間に盗まれる可能性も捨てきれなかったので、教室にはちゃんと内側から鍵をかけている。
だが、どれだけ節約しても食い意地の張ったカラテ女が狙っている。机を踏み台にして、一番栄養価のありそうなチョコバーは時計の裏に隠した。
異変発生二日目の廊下に出たハルカは白衣の少女に出会す。新見ニィナも睡眠が浅かったのか眠そうだった。小さな手に持っている手提げ袋からは菓子のパッケージがはみ出している。盗難対策なのだろう。
「おはよう、羽川さん」
「おはよう」
「これから、みんなを起こして回るんだ。一緒に来てくれるかな?」
「あのカラテ女も?」
「いや。三戸部さんと葛川さんは東校舎の校長室に陣取っているよ。朝一番に声をかけたら、追い返されちゃってね」
残るは江崎エリ、真壁マリアの2人だ。
マリアは教室に鍵をかけたまま出てこない。中を覗き込んでみると、かなり疲れているのか机に突っ伏して寝ていた。
起こすのも悪いから放っておく。
エリも万全とは言えなさそうだ。声をかけるとすぐに教室から出てきたが、目の下にはクマができている。こちらも殆ど眠れなかったに違いない。
「江崎さん。ボクたち、図書室で調べ物をするんだ。よかったら手伝ってもらえるかな?」
「私、体調が悪いから休みたい……」
「分かった。無理しないでね」
結局、ハルカとニィナの2人だけで図書室に入った。当然、食糧なんて無い。あるのは埃っぽい本だけである。
ニィナは「現状を何とかする情報を探したい」と口にしたものの、具体的にどんなことを調べるのかまでは言及しなかった。そのため、ハルカは手近にあった本を適当に調べていく。
もしも『壁』と似たような現象が載っていれば、参考になるかもしれない。
「羽川さん、傷はまだ痛む?」
ちょうど本棚の反対側からニィナが声を上げた。
隙間から覗く彼女の顔は曇っている。
「……少し」
「そっか。ところで、昨日の葛川さんが言ったことは覚えているよね」
忘れるわけもない。気弱そうな雰囲気が一変し、食糧を差し出せと要求してきた。
あの豹変具合から察するに、どちらに味方するのが得なのか判断したのだろう。食糧の巻き上げを狙うミカの子分に成り下がるなんて実に愚かしい。
思い出すだけで胃がムカムカしてきた。ハルカの顔にはクッキリと怒りが浮かんでしまう。
「食糧を差し出すつもり?」
「まさか。ここで暴力に屈したら終わりだよ」
「ケンカじゃ、あの女に勝てない」
ハルカの脳裏にはミカの鋭い蹴りが焼き付いている。あれを避けて攻撃に転じるというイメージは全く湧いてこない。
積極的に暴力を使われたら勝ち目など無かった。
「だからボクたちには武器が必要だ」
本を抱えたニィナが裏側から回ってきた。ハルカの横に立つ彼女は自分の言葉に確信が持てない様子である。
「武器は、やり過ぎ」
「もちろん、殺傷力を求めるわけじゃない。ただ三戸部さんと対等に渡り合えるか、あるいはボクたちに手を出すと痛い目を見ると思わせるだけでいいんだ」
「武器よりも必要なものがある」
「分かっている。食べ物も水も残り少ないからね。なんとかしないと」
「そうじゃない。必要なのは出口」
ここに留まること自体、マイナスなのだ。校舎に閉じ込められて出られないことが問題であり、食糧と水はあくまで目先の話である。ハルカの指摘を聞いたニィナは俯いてしまった。
「仮に——そう、これは仮の話だ。『壁』に隙間があって校舎から出られたとしよう。外はどうなっていると思う?」
「言いたいことが分からない」
「この際、どうやって『壁』が造られたのかは置いておくよ。何かの意図を持って造ったとして、それ以外の人たちが見過ごすと思う? ましてやここは学校なんだ。こんな非常識なことには誰かしら反対するだろう。だって、意味不明だもの。それにボクたちがいなくなったことにも家族や友達が気付くに違いない。そうなったら外から『壁』を壊そうとする動きがあってもおかしくはないんだ」
確かにニィナの言う通りだ。この不自然な状況に置かれてから丸一日以上が経過している。
曇りガラスのような『壁』の向こう側は様子がまるで分からないが、動きらしきものは感じられない。
「もしかして、外も似たような状況なんじゃないかな? これは人為的なものじゃないとしよう。学校に限らず、他の建物も『壁』に囲われて脱出できない。冷えたら固まるゼリーのような物質をイメージしてみてくれ。本当に、何の前触れもなく空からゼリーが降ってきた。あるいは地底から沸いて出てきたんだけど。街全体にそのゼリーで固められて建物の周りに『壁』ができた。中にいる人は誰も外に出られない。街のさらに外の人たちはボクらを助けようとしているがあまりに規模が大きい。だから時間がかかっている」
「あなたはもっと科学的に考えるタイプだと思っていた」
「ボクだってそうしたいよ。でも『壁』の材質も、建造方法も、まるで見当がつかないんだ。現状から推測するしかない」
「つまり、出口を探すよりも助けを待った方がいいということ?」
「そういうこと。羽川さんは頭がいいんだね」
果たして褒めているのだろうか。言葉の棘を感じながらもハルカは黙っていた。
ニィナの発言の意図を当てたが、出口は絶対に必要である。内部には三戸部ミカのような狼藉者がいるのだ。このまま校舎に留まり続けたらいずれ破綻が待っているだろう。
「助けを待っていたら最初の問題に戻ってしまう。食糧と水が無い」
「豊富なタンパク源ならば校内にもあるよ。それを食べるかは別の話だけどね」
「?」
「……気にしないでくれ。世迷言だ」
結局、どうするべきか結論は出なかった。閉じ込められた6人のうち2人しかこの場にいない。そのおかげか出された意見は幾分か建設的ではある。解決に至るほどではないが、少なくとも考え方の差異は噛み締めた。
床に座り込んだニィナは掻き集めた本を積んでパラパラと目を通し始める。郷土史の本もあればサバイバル知識の本、数学にSF小説に……この状況でどう役立てるのか分からないものまで。ハルカは最初の疑問に立ち戻る。
「本当に武器を作るつもり?」
「そうするべきだと思う」
「わざわざ作らなくても職員室に使えるものがある。不審者が入ってきたときのアレを……」
「アレ?」
「防災訓練で使っているのを見た。名前が分からない」
「でも、職員室は校長室よりも東側にある。部屋の前を通ったら三戸部さん達に気付かれるだろうし、何をしているかバレたらどうなることやら…… 昨日の真壁さんみたいに素直に謝っても許してもらえるか分からないよ」
あのときのマリアの姿を思い出すと、ハルカの胸は強く締め付けられた。
彼女はハルカを助けるために食糧を差し、土下座までさせられている。
(あんなことは二度とさせない……)
ここはニィナの言う通り、武器を用意するべきだろう。
「モップみたいに長いものなら武器になる。あのカラテ女を近づけさせない」
「いいアイデアだね。それなら階段下の掃除用具入れで見掛けたよ。早速、取りに行こう」
「本はもういいの?」
「うん。参考になりそうなものがないね。郷土史までチェックはしてみたけどオカルトの範疇だった。この現象を呪いだの祟りだのに分類したくない。だから先に対処しなくちゃいけないのは三戸部さんの暴力の方だよ」
一緒に図書室を出て階段下に行くと、に目的の品はすぐ見つかった。ハルカがモップを振ってみると小気味よく空気を切る音がする。適度に先端が重いので当たればかなり痛いだろう。
「そろそろマリアを起こそう」
「あれ? 真壁さんのこと、名前で呼ぶようになったの?」
「……」
ハルカは黙ったままモップを持ち、真壁マリアの寝ている教室を訪ねる。
だが、ドアを叩いても反応がない。覗き込むとマリアは授業を受けているかのように着席し、机の天板に顔を伏せている。一見すると勉強中に居眠りしているようだった。
「すごく疲れているみたいだね」
「おかしい」
「何が?」
「今朝と全く同じ姿勢。呼吸もしていないように見える」
マリアの身体は全く動いていなかった。息を吸えば肺が膨らみ、僅かに背中が膨らむ筈だ。
顔を見合わせた2人はモップをテコ代わりにして扉を壊し、教室内に入る。
昨日よりもさらに甘い香りが鼻を突くが、その中には不快な死臭が混じっていた。
「マリア!」
ハルカがマリアの身体を揺さぶると、脱力した腕がだらんと垂れ下がる。その指先からシャープペンシルが落ちた。
マリアの青白い手首を掴んだニィナはゆっくりと首を振って「脈がない」と絶望的に呟く。
「死んでいる? なんで?」
「羽川さん、机の上を見て。手紙だ」
誰かのノートから1ページだけ拝借したらしい。
そこには綺麗な字が綴られていた。
手紙に目を通したハルカの顔がクシャクシャに歪む。ニィナもやるせなさそうに硬く目を瞑った。
「そんな……」
膝から崩れたハルカは嗚咽を漏らした。
マリアは1型糖尿病の患者だった。
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