第3話 真壁マリア
その後、江崎エリの指示で2人一組となって校内を探索することになった。開始前に新見ニィナが念押ししてきた目的は二つ。ひとつは『壁』の切れ目を探し、外に出られるルートを発見すること。もうひとつは食糧や水などを見つけること。
ハルカは真壁マリアと組み、校舎西側の一般教室を見て回ることになった。
まずは『壁』を近くで観察してみる。窓を開ければ数センチ先にあるのだから触るのも簡単だった。やはり曇りガラスのような質感で仄かに光っている。どれほどの厚さがあるのか全く分からないが均質で、内部に汚れや傷のようなものは見当たらない。視線を上げてみると『壁』は地面から遥か上空まで続いているようだった。
すぐ目の前にあるとはいえ、得体の知れない物質である。『壁』に直接触る気は起きない。ハルカは黒板からチョークを持ってきてバツ印を書いてみた。白墨を介した感触はごくごく普通のコンクリートと変わらない。
机を投げつけて『壁』を壊せないかと逡巡するも、指先に感じた硬さから察するに徒労となるだろう。
深い溜息を吐いたハルカは仕方なく、教室の机の中を漁る作業を始めた。
大抵の机には教科書が置き去りにされていて、たまにティッシュで包まれたビスケットや飴が見つかる。ハルカはそれらを自分の制服のポケットへと捩じ込んだ。
「あの、やはり泥棒のような真似は……」
近くで眺めていたマリアはロザリオを握り締めたまま、不安そうな顔を浮かべている。
一瞥したハルカは構わずロッカーの中を調べ始めた。大半は鍵がかかっていない。強烈に臭う体操服やタオルが出てくることもあった。それらは確かに人がいたことを示している。
ひとつの教室から食糧を探すのに要した時間は三十分ほど。ハルカが隣の教室に向かうと、マリアもついて来た。廊下に出て背後を振り返ったハルカは眉根を寄せる。
「手伝わないつもり?」
「人のものを盗むのは抵抗があります……」
これが初めてハルカとマリアが交わした言葉である。
ジッと互いの目を見ることになった。意外にもマリアは視線を逸らさない。ハルカの眼力をしっかりと受け止めている。
面倒を避けるための台詞を考えなければならない。ここでの面倒とは、ハルカがひとりで出口や食糧を探すことだった。エリの言いなりになったつもりはないが、何かを探すなら2人でやれば効率は二倍となる。その程度の分別はついた。
「これは泥棒じゃない。一時的に借りる。ここから脱出できたら返す」
「本当に出られるでしょうか?」
「確証は無いけど、何もしないで餓死を待つよりはずっといい」
目と目が合い、ハルカは不思議な感覚に囚われた。
こうやって他人と向き合うのはいつ以来だろう?
方便で丸め込もうと考えていたのに、いつの間にかマリアの真剣さに惹かれている。
彼女は自分の筋を通そうとしていた。その芯の強さを肌で感じる。
「私も…… 手伝います」
「大丈夫なの?」
「えぇ、このような異常事態では致し方ないのでしょう」
二つ目の教室も同じように窓の外の『壁』に通れそうな隙間がないかを確認した。
そちらは徒労に終わったので、次に机の中を調べる。収穫は最初の教室と大して変わらない。今度は拝借した布バックに菓子を入れていく。
「少し、質問してもいいですか? 黙っていると怖くて……」
「好きにして」
「ありがとうございます。羽川さん、何かをすごく警戒していますよね」
「状況が分からないから当然」
そんな風に見えてしまったのだろうか。確かに、ハルカは距離を置いて状況を他のメンバーを観察していた。意味深な態度に思われていたのなら次からは注意しなければならない。
「もしかして、羽川さんも実は顔見知りがいたのですか?」
「どういう意味?」
「あ、いえ…… それは……」
手を止めてマリアを一瞥する。ロザリオを親指で擦って、何やら考えていた。
話してもいいものかという躊躇いが伝わってくる。少し背中を押してやれば喋りそうだった。
「他の誰にも話さない」
「約束していただけますか?」
「約束する」
「知り合いがいます。けれど相手は私と初対面のように振る舞っていました。もしかしたら、羽川さんにもそういう相手がいて警戒しているのかなと勘繰ってしまいました」
「あの中に知り合いはいない。気のせいではなく本当に顔見知りなの?」
「はい」
さっき、調理実習室では「互いに知り合いはいない」という話になっていたが、マリアは咄嗟に言い出せなかったらしい。しかも相手というのはマリアのことをまるで覚えていない様子だという。
「その相手は誰?」
「ごめんなさい。そこまではお話できません。あまりよい関係ではなかったのです……」
クラス委員のエリ。
科学部員のニィナ。
ギャルのミカ。
怯えているクミ。
「どうして話したの? 他に話せそうな人もいるのに」
「なんとなく…… 羽川さんは信用できそうな気がしました。もし話しても黙っていてくれるんじゃないかなって」
「約束したから大丈夫」
マリアの告げた内容を誰かに伝えたとして、それで事態が好転するようにも思えない。
むしろ別の疑惑が生まれた。実は顔見知りなのに黙っている。あるいはどちらか一方が忘れていて黙っている。
この影響は未知数だ。事態を好転させもするし、悪化もさせる。だから今は触れないでおいたほうがいい。ハルカはそう判断する。
「聞いてくれてありがとうございます」
「別に、大したことじゃない」
「おかげで気持ちが軽くなりました。心ばかりのお礼をさせて下さい」
微笑んだマリアは、ハルカの前で十字を切って祈りを捧げた。「あなたに神のご加護ありますように」と。それからロザリオを手渡してきた。
古びたもので少し傷が入っている。大切にされてきたもののようだ。
これにはハルカも戸惑う。マリアから邪気は感じないが、初対面の相手から何かを貰う経験なんて無かった。
「神様は信じていない。だから効果は無いと思う」
「ふふふっ、正直なのですね」
「受け取れない。大事なものなんでしょ?」
「では、ここから脱出したときに返して下さい。それまでのお守りということでどうでしょう?」
お礼を無碍に断るのも気が引けた。
ハルカはロザリオを受け取って「わかった」と小さく返事する。
「そういえば、何かを探していなかった?」
「ポーチのことでしょうか」
「それも探そう」
「いえ、大丈夫です。見つからないのは…… きっと、そういう運命なのでしょう」
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