第11話 私達は変わりたい!

 エレベーターホールから続く通路には人の行き交いが無く、不気味な静けさを醸し出していた。耳に残るのは睦美みつみを含む三人が残した足音のみで、通路に反響したその小気味良い音は、周囲に彼女達が帰還したことを知らせる為に鳴らした警鐘のようだった。


(警鐘って……それだと私達がまるで災害みたいじゃないの!)


 そんな中、足を止めた睦美の目の前には営業部と記された室名札と無機質な扉が行く手を遮っていた。彼女は迷うことなく、その扉を開け中に入っていく……。


「お疲れ様です、今戻りました」


「あ、七瀬ななせさん! お疲れ様です、無理言ってすみませんでした……」


「いえいえ、問題ないですよ。後は引き継ぎますので湯浅ゆあさ君は気にせず先方のところへ向かってください」


「はい、ありがとうございます! では、後はよろしく……おねが……い……!!」


 この時湯浅は、言葉を交わした睦美の後ろから逢澤あいざわ柊木ひいらぎの二人が部屋に入って来るのを目にして、驚きのあまり言葉を詰まらせながら目を見開いていた。

 あの睦美が一人ではなく誰かと共に行動しているだけでも驚きなのに、今目の前にある状況はどう見ても睦美が二人を部屋に連れて来たとしか考えられなのだ。


「お、湯浅じゃん。お疲れー、お邪魔させてもらうよ!」


「し、失礼します……」


「……ど、どうしてお二人がここに? 何かご用向きでもありましたか?」


「ん? そんなんないよ? 睦美がここでお昼しようって誘ってくれただけ」


「――!! あ、あの七瀬さんが……お昼ご飯に人を誘った⁉」


(いや、驚くのも分かるけど、「クララが立った!」みたいに言わなくても……)

「はい、他に人も居ないと判断出来たのでこちらにお招きしました」


 今ある現実に湯浅は全てを忘れ固まってしまっている……その鳩が豆鉄砲を食ったような顔がすべてを物語っていた。きっと彼の頭の中では驚天動地の出来事として必死に処理しているところだろう。


(うん、君も相変わらず失礼だよね……驚天動地は流石に言いすぎでしょ)


 一方で逢澤は入り口の壁に寄りかかりながら、そんな湯浅の姿を見てクスクスと笑っていた……あの冷静な湯浅のめったに見れない貴重な姿が面白かったのだろう。


「――で、では後を宜しくお願いします」


 我に返った湯浅は、そう言い残し足早に部屋を出ていった。

 湯浅の様子が気になった睦美と、面白いもの見たさの逢澤が廊下までその姿を見に行ってみると、何かを確認するかのように何度か振り返りブツブツと独り言を言いながら歩いて行くのが見て取れた。


「あはは! そこまで衝撃的なことなんだねぇ、笑える!」


「だ、ダメですよ、逢澤さん! そんなに笑ったら失礼ですよ……」


 堪えれずに笑い出した逢澤を止めようと、必死に両手をバタつかせながらあたふたする柊木の姿が可愛くも面白い光景を生み出していた。

 睦美はその光景の片隅で、溜息をつきながら成り行きを見守るしかなかった。


「あー、面白かったわ。 湯浅もあんな顔や反応するんだねぇ」


「そろそろ中でお昼にしませんか? お話も気になりますし……」


「そうだね、笑いすぎてお腹もすいちゃったしねぇ」


「適当に開いてるデスク使ってください……あ、所長のデスクはダメですよ!」


 睦美は迷わず岸永のデスクに向かおうとした逢澤の足を見事に止めて見せた。

 行動を読まれた逢澤が睦美を見て驚きの表情を見せている。


「何で分かったのよ。この私を止めるなんて、睦美……高くつくわよ?」


「はいはい、覚悟しておきますね。それでお話って何なんでしょうか?」


「うわぁ、つれないねぇ。まぁ、そんな睦美も好きなんだけどね」


 睦美との会話を楽しんでいるのか、笑顔が絶えない逢澤もようやく開いてる席に座り昼食を取りだした。その横に並んで座った柊木は、両手でサンドイッチを持ちながら少しずつ食べている……そのハムスターが食事をしている姿にも似た動きが実に愛らしい。


「話ってのはね、柊木のことなのよ。睦美も詳しくは知らないでしょ?」


「はい、今朝のことで初めて知りました」


「私から話しても良かったんだけど、どうせなら本人から直接聞いてもらおうと思ってさ。ねぇ、柊木……睦美になら自分で話せるでしょ?」


「は、はい! お話聞いて頂けますか?」


 食事をしていた手を止め、緊張した面持ちで睦美を見据える柊木……その表情を見た睦美には、今の彼女の姿が槇本に向き合い心の内を語った時の自分自身と重なり、彼女が伝えようとする覚悟の意味をすぐに理解した。


「もちろんですよ! 私でよければお聞かせ願えますか?」


「ありがとうございます! も、もうご存じだと思いますが、あの……私はコミュ障なんです。今に始まったことではなく、その……小さい時からずっと……。それが原因とは言いたくないですが、イジメ……の対象にされたこともありました」


(思ってた以上に辛い思いしてきたんだなぁ、柊木ちゃん……)


「私は自己主張が苦手で人見知りも相まって……えっと……話かけられても上手く対応できなくて……。でも……でも、七瀬さんは違ったんです! 自分でも不思議でしたが普通に接することが出来たんです!」


「――! 私ですか? 逢澤さんはそうじゃなかったんですか?」


「……はい、逢澤さんのことは最初怖かったです。けど、周りに馴染めない私を気遣ってくれてるうちに、自然と話せるようになってました。そのこともあって、コミュ障を直したいって思うようになったんです!」


(一緒だ……柊木ちゃんも変わりたいんだ、今の自分から)


 さっきまでの恐る恐る話す柊木ではなく、しっかりと自己主張する彼女の姿は本気でコミュ障を何とかしたいというのが伝わってくる。そして、その為に睦美の協力が必要なんだと本人は本能的に感じていたようだった。


「何をどうすればいいのかは正直分かりません。それでも普通に話せる数少ない一人なんです、七瀬さんは……だから……だから! 私のコミュ障を直すのに協力して頂けないでしょうか!」


「まぁ、そういうことなのよ。私からもお願いするわ、だから睦美も協力してよ」


 微動だにせず睦美を見つめる柊木のその真剣な眼差しを前に、断る理由など微塵も無かった……伝えることで関係性が変わるかもしれないという恐怖を胸に、覚悟をもって打ち明けてくれたのだから。


「はい! 私でよければ是非ご協力させてください!」


「ほらね、私の言ったとおりでしょ? 睦美は絶対に断らないって!」


「はい! 本当にありがとうございます!」


 お礼の言葉を言うと同時に緊張の糸が切れたのか、下を向いて安堵の溜息をつく柊木の姿を睦美と逢澤が優しく見守っていた。 二人の気持ちは同じなのだろう……お互いに顔を見合わせた際に見せた笑顔には温かさが滲み出ていた。


「さてと、それじゃ次は睦美の番だねぇ」


「――えっ? 私の番? どういうことですか?」


 今度は睦美と柊木が顔を見合わせて困惑した表情を見せている。逢澤はそんな二人を交互に見た後に、睦美に対して柊木に見せたのと同じ笑顔を向けていた。


「睦美もそろそろ話してくれてもいいんじゃない? 過去に何があったのか……それによって今がどういう状況にあるのか。私達に話すつもりだったんでしょ?」


(――! やっぱり逢澤さんには敵わないなぁ、全部見通されてる気がするよ)

「はい、私も柊木さんと一緒で変わりたいんです! 聞いてもらえますか、私の事」


 睦美は一抹の不安を払拭するかのように一度大きな深呼吸をすると、覚悟を決めた眼差しで二人に向き合っていた。

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