第6話 変態になってしまった王子の呟き
ベルヘンケ伯爵家の人間は化け物だと、皆が言っていた。
眉唾物だと思っていたが、違うらしい。確かに彼らは強い。以前の私であれば、一瞬で敗北していただろう。
愛おしい人の父親は、どんなに攻撃を当てても傷ひとつつかない。まるで鉄の塊を殴っているようだ。腹を殴ったら、こちらの拳から血が出た。どう鍛えればこうなるのか。皆目見当もつかない。
愛おしい人の上の兄も素晴らしい。剣筋は一切見えず、気が付くと服が切り裂かれた。うっすらと血が出ているのは薄皮一枚切られたからだ。しかもそれが計算のうちなのだから、とても怖い。
愛おしい人の下の兄の魔法技術には舌を巻く。しかも暗器の使い手で、予想外なところから武器が飛んでくる。背中を切り裂かれた時には驚いた。冷淡に笑う姿に、命の危機を感じ、寒気がした。
死なずにすんだのは、愛おしい人のお陰だろう。
皆、悪い人ではないのか、『軟弱な王子の割に少しはやるな。少しだけ認めてやろう』と言ってくれた。ライアには握手したと同時に暗器で手を貫かれたが……。
「だ……大丈夫ですか?」
心配そうな顔をするバルトに、問題ないと首を振る。
どんなにけがを負っても一瞬で治る。今の私にはそれだけの力がある。
愛おしい人に折られたろっ骨以外を魔法で治療し、ずきりと痛む腹を軽く抑える。
ああ、彼女の深いを愛を感じる。
心底気持ち悪いといった表情をするバルトを、責める気はない。自分でも気持ち悪いと思っている。だけど止められないのだ。彼女への想いが。
◇◇
毎年行われる、成人式と言う名の
そもそも
なのに王の子供と言う理由だけで、1カ月に渡るこの行事に出席しなければいけないなんて、我々が隅々まで人々を見るために、わざと長く演説をする父の声を聞き続けなければいけないなんて、苦行としか言いようがない。
しかも第三王子という微妙な立ち位置。さらにきょうだい達とちがい、後ろ盾のない私への風当たりは強い。
さっきも邪魔だと言われ、わざと肩をぶつけられた。舌打ちと同時に足も踏まれた。あからさまな嘲笑のもと、鳩尾に一発食らって倒れ込んでしまった。
彼らの強い力に、弱い私は対応できない。疼くまって必死に治す私に、唾が飛んできて礼服が汚れた。
だがそれももう少しの辛抱だ。
一番上の第一王子は今年で終わり。第二王子、第二王女は、来年で終わり。私も2年辛抱すれば、他所の家の入り婿になるだけだ。
そしてこの、つまらない人生を生きていくだけ。それだけだ。
ギラギラした目で子供たちを値踏みしている、きょうだいたちに聞こえないようにため息をつき、まっすぐに前を見る。
誰も彼もが王族の魔力に畏れ、声も出せないようだ。魔力を持つ貴族達でこれだ。魔力が少ない平民たちが気絶するのも無理がない。
その時、何かの気配を感じた。
早鐘のように鳴り響く心臓の音がうるさい。頭に靄がかかるように、思考が甘く痺れていく。指先は震え、背中は酷く寒いのに、頬は紅潮し、潤んだ瞳のせいで前が見えない。
ナニカガイル――頭の奥底で声が聞こえた。
アノヒトダ――続く声は弾んでいる。
アア、ウンメイノヒト――なんてことだ。見つけてしまった!
茶色の髪が緩やかに揺れ、ひろがるさまは極上のベルベットの様だ。
このくだらない世界を、優しく温かく包んでくれるだろう。
黒曜石の様な瞳は、キラキラと光り、このくだらない世界を照らしている。
ぷっくりとした唇は可愛らしく、彼女が歌えば、このくだらない世界は平和になるだろう。
隣の男……ああ、兄の様だ。と掛け合う声は可愛らしい。この世にこれほど可愛いらしい人がいるとは!
心のどこかで声が聞こえる。
平凡に生きるのです。
敵を作ってはいけません。
弱い私達は耐える事でしか生きられないの。
だからひっそりと、目立たないように生きるのよ。
それは無理だ。
これほどまでの相手に出会ってしまったら、求めずにいられない。
それは砂漠で水を求める旅人のように。
それは食料を求め、空を渡る鳥のように。
それは卵を産むため、命がけで川を逆流する魚のように。
彼女なしでは生きられない。
彼女に嫌われたら死んでしまう。
彼女が他の男に微笑むなら、その男を殺してしまうだろう。
彼女のそばに居られるなら、なんだってする。
道化でも、奴隷でも、なんだって良いのだ!
自然と足が向かったその先で、聞こえた彼女の笑い声に鳥肌が立った。
きっと私は、彼女に会うために生まれて来たのだ!
名前は何というのだろう。彼女から名前を聞けたら、きっとそれは天にも昇る心地だろう。
「お名前を教えていただけますでしょうか?」
声が震えてしまった。こんなこと、一度だってないのに。
「ほえ?」と不思議なつぶやきと共に、彼女の視線をとらえることができた。
ああ、なんと美しい瞳だろう。吸い込まれそうだ。
このまま吸い込まれて果てるなら、それでもかまわない。
だが私の思いとは裏腹に、愛おしい人の利き足が、逃走準備と言わんばかりにピクリと動いた。
それは困る!私はまだ名前も聞いていない。
慌てて彼女の両手を包み込むようにして、捕らえる。
ああ、手を握っただけなのに、心臓が大きく飛び跳ねる。ドクンドクンと心臓がうるさく音を立て、目を見開く愛おしい人に聞かれそうだ。
欲望の赴くままに手に口づけを落とすと、身体の奥底に何かが宿る気配がした。
「かわいらしいお方……あなた様のお名前を恋に囚われた哀れな私に教えてください」
こんなことしか言えない自分が情けない。
彼女の名前は分かっている。横にいるのがトゥーチェ・ベルヘンケ。
ベルヘンケ伯爵家の長男なのだから、彼女の名前はリュエナ・ベルヘンケ伯爵令嬢だ。
だが彼女の口から聞きたい。そして、ご尊名を呼ぶ許可を頂くのだ。彼女以外は見えないのだから!
しかし、彼女を包んでいた両手は力任せに外されてしまった。柔らかい小さな手が、もう自分の手の中にないことが悲しい。
メリッと横腹にほっそりとした小さな足がめり込んだ。痛みから身体が悲鳴を上げる。ろっ骨が折れる音が聞こえた。彼女が与えてくれた痛みだ!
今、彼女は私を蹴ることに集中している。私だけを見ている!
きりっとした瞳が美しい。蹴ることに集中して引き結んだ唇は、花の様だ。
これほどまでの人が存在するとは!世界のすべてに感謝する!
その後、壁にめり込んだ私は、わざと彼女の痛みを残すことにした。
それが彼女と私を結ぶ赤い糸のように思えたからだ。
◇◇
「ベルヘンケ伯爵家の皆さまは異常なまでの強さでしたね」
バルトが探りを入れてくる。
そうだろう。少し前までの私では、ベルヘンケ伯爵家の人たちと対峙するなどできなかった。ましてや、戦うことなど。
「それも……
頷くことで返事をする。
これは彼女がくれた力。彼女の為に使う力だ。
「だが、あの男には通じなかった……」
ぐっと手を握ると、爪が深く刺さった。
「だけどまさか――」
あの人からまで向けられるとは思わなかった。
信じていた自分がなさない。
準王族の彼の力は強い。少し遅く生まれただけで、王になれなかった存在。
今いる王族の誰よりも強い力。優れた能力。残忍なこころ。
愛おしい人を守るために、ここを離れるべきだとは分かっている。
でも離れらない。彼女の気配が感じられない世界で生きていく事はもう出来ない。
「――――――!」
そのとき、温かい気配を感じた。
愛おしい人……いつか名前を教えて欲しい。恋に囚われた哀れな男の為に。
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