第3話 霹 靂 3  ( 七 月 )

           

 残されたキーホルダー


 布団から飛び出した両手を布団に絡めて寝返りを打つ、しばらくすると居心地が悪くてまた寝返りを打つ、そしてついには眠い目をこすりながら、昨夜からそのままのコーヒーカップに探り手を伸ばす。 時計を見ると九時だ。 (小正との待ち合わせに遅れる)とりあえずみずくろいを整え、本棚に必要な本とノートを探したが無い。 こめかみを押さえて、大久保病院で佐藤にあったときのことを思い起こす。 置き放しにしていた鞄を思い出した。 (そうだ・・ボルジュのロッカーだ)めんどうくさくてぶち込んだままだ、記憶の明快さに気分を新たにしてスニーカーをつっかけてアパートを飛び出した。 ボルジュで鞄をピックアップすると駅へ急いだ。


「おはよう‥」

 挨拶を交わすと小正が珍しいものでも見るようにヒロの顔をのぞき込んでいる。

「おまえ、その頭どうした‥歌舞伎役者みたいにして」

「えー‥そんなにおかしいーか」

 ヒロは髪の毛を押さえながらトイレに直行した。

 小正がトイレの入り口で待っていた。二人は空いている中央線の特快に乗りこんだ。大学生協の食堂では久保がテーブルでノートを開いている。 ヒロと小正はテーブルに近づくと湯飲みを軽く置いた。

「なんだ、遅いじゃないか」

「わりぃ、わりぃ・・何読んでのよ」

「珠代のノート、あいつはしっかり授業に出てノート取ってるからな」

「ちょっと、独りじめはだめですよ・・俺らにもお裾分けを・・」

「後でコピー取っておくよ」

 三人顔を合わせて座ると、小正が言いずらそうな顔をして話し出した。

「ごめん、忘れかけているいやなことなんだけど・・」

「あれか・・」

 久保が納得顔で頷いた。ためらいながら小正が話し出した。

「昨日の夜さ、あの佐藤さんから電話があったのさ『あれ以後、君には何か変わったことは無かったか』だってさ・・ヒロお前何があったんだって・・」

「あったよ・・バイト先で変な奴が近づいてきたよ・・でもよ、佐藤さんには電話を入れたけど、特に何もなかったし・・それに、このことには触れないことになってたから、あえてみんなには何も言わなかっただけさ」

「ふーん、小正は何かあったか」

「何もないよ・・まああえて言うならアパートの向かいの部屋にかわいい女の子が引っ越してきたことくらいかな」

「うそでしょう・・あの汚いアパートを女の子が選ぶ?」

「俺もそう思うよ、だから変なことって言ってるじゃん」

「確かに、そうだ」

「佐藤さんがもう一つ言っていたことがある・・『あの拾った封筒に入っていたものはあれで全部か』って」

「お前らも一緒にいたじゃんか、見てたよな」

 久保がヒロに同調して。

「そうだよ・・あの時全部、封筒ごと渡したじゃん、だって自分たちの仲間の封筒だろう中身なんか十分に分かっているんだろう」

 小正が久保の言葉を遮るようにして。

「違うらしいんだよ・・実はあの封筒は刺された金のもので・・だから金が俺たちを追っかけたのさ」

「すると、金(きん)は佐藤さんの仲間から鞄を奪って、俺らの阻止行動にあって奪いきれなくて、さらには自分の持っていたものを落としたってことか」

 ヒロが。

「久保ちゃんわるい。俺、佐藤さんから先日そのこと聞いていたよ。まあ、小正の言う通りそういうこったね・・だから佐藤さんには中身が分からないということさ」

 すると小正が続けて。

「佐藤さんは、パスポートのことは言っていたけど、鍵については言っていなかったよ・・ヒロ、本当に鍵も渡したのか」

「どれ・・あの時の鞄はこれだったよな」

 ヒロは、そう言いながら鞄の中から本やノートをテーブルの上に出した。

「ほら・・このとおり何も無いじゃんか」

 と空の鞄を逆さにして振った・・その時、鞄の奥の方でカチャと音がした。鞄の奥に手を突っ込みまさぐると、布の折り返しの小さな隙間に何かかが引っかかっている。 指の先でこそぐと鍵が出てきた。 それを見て久保と小正は大きく目を見開いた。

「ヒロ、お前どんな手品使ったのよ・・」

「えっ」

 身に覚えのないことに焦った、ヒロは鍵をテーブルの上に放り出してうろたえた。

「こんなの知らないよ」

「何、言ってるんだよ・・お前の鞄じゃんか」

「どうする」

「佐藤さんに渡したら」

「そうだよ、小正の言うとおりだよ、渡せ・・」

「それしかないな・・」

 三人は大事な授業に出席すると、珠代のノートのコピーを久保からひったくると、小正が佐藤さんへ電話を入れた。

「はい」

 コールが三度鳴り、例の乾いた声が流れてきた。

「もしもし小正です。あのーすみません、まだお渡しするものがありました。どのようにいたしましょうか」

「そうですか。やはりありましたか。・・それは何ですか」

「鍵です。たぶんコインロッカーのもののようです」

「そうでしたか分かりました。では、五分後にまわりを見渡すと君たちが新宿で見た黒子(ほくろ)の男がいると思いますから、彼に渡してください」

「分かりました。黒子の男ですね」

 返事をする前に電話は切れた。

「おい・・何だって・・」

「五分後に、あの新宿で出会った黒子の男が来るってさ、そいつに渡せってさ」

「本当に・・近くに居るのかよ・・」

 三号館と五号館を結ぶ通路にいると、間もなく黒子の男が一号館の広い通路を通り、中庭に抜けたのが見えた。 黒子の男が三人の方へ近づいてくる、ヒロは鞄から鍵をつかむと握りしめて男が近づいてくるのを待った。

 二十メートルほどに近づいたところで、突然ヒロの後ろの五号館の通路から黒い影が飛び出してきた。 その影はヒロに激しくぶつかって、同時に背後から鍵を持つ腕を絡めて押さえ込み鍵を奪おうとした。 とっさに腕に力をこめて体ごと振り払った時に、目の前に黒子の男が速度を上げて迫っていた。 背後にいる影は、ヒロの手から鍵を引きちぎった。

 ヒロは、体を押さえられていた圧力が抜け腕が自由になった。 その瞬間、ヒロたち三人を蹴散らすようにして、黒子の男が、ウサギのように飛び跳ねて逃げていく白いTシャツの男の後を追った。 三人はその後ろ姿を呆然として眺めていた。 一瞬のできごとにしばらく三人は人ごみに消えていく二人の後を追うだけだった。

 気が付くとヒロの手にはキーが引きちぎられてE25のプラスチックのキーホルダーだけが握られていた。 キーはもう影も形もない、遠のいていくTシャツの男と黒子の残像が行き交う学生に消されていった。

 三人は帰ってこない黒子の男を待つことをあきらめ、佐藤さんに電話を入れた、相変わらず冷静な声で「新宿のキーホルダーの示すコインロッカーの前に来るように」という指示があった。 三人は最寄りの駅に向かった、電車で小正が妙に分かったようなことを言った。

「よかったよ、キーホルダーだけでも守って・・だってキーだけじゃ場所が分からないじゃんかよー」

「うん・・ということは、このホルダーを持っているとまた狙われるわけってことか・・」

「だから、早めに佐藤さんにわたそうぜ」

 ヒロはさっきの奪われたときの強烈な恐怖心が押さえつけられた腕によみがえってきた。

 みんなも、この得体の知れない恐怖から逃れたかった。 そして病院ですべてを佐藤さんに渡せなかったことが後悔となって心に広がった。

新宿に着くと西口のコインロッカーに急いだ。 Eのロッカーを探していると、その前にスーツ姿の佐藤さんと背の高い白人がたたずんで、なにやら話し込んでいた。 しかも、妙にEのロッカーを誰も使おうとしないし、やはり規制線が貼られており、誰も通り過ぎようともしないし、ロッカーがガードされている。 佐藤さんがヒロ達を見つけて手招きした。 ヒロ達はゆっくり近づくと、すでにロッカーは開けられ中から取りだしたと思える封筒が佐藤さんの手に握られていた、ヒロたちが近づくと。  

「ごくろうさんでした。ロッカーの中のものはこれでした・・わたしが欲しかったのは、実はこれでした」

 ヒロは佐藤さんが握っている茶封筒と佐藤さんの隣にいる背の高い白人を見返した。

「こちらはアメリカの方で仕事の仲間です。 君たちはもうこの件からは開放されるはずですから一連のことはどうか忘れてください。 ただ君たちがいなかったらこの件は、こうもうまくはいかなかったと思います」

 佐藤さんは首をちょっとひねると、体勢を立て直して。ヒロたちの後ろにいる野次馬の中の何人かに焦点を当てて話し出した。

「ほら、ヒロ君たちはちゃんと必要な人を引き連れてきてくれました・・ではこの封筒の中身をみなさんの前で確認したいと思います」

 佐藤さんの近くにいた野次馬をロッカーの影に移動させ、通りから隔絶した。 さらに野次馬の中から関係があると思われる人をピックアップした。 いつの間にか佐藤さんの仲間による見えない規制がかけられた。 それから、佐藤さんは封筒の中身を開いて、集まってきた人たちをさらに近くによんだ。

「このとおり君たちと我々の敵対関係は、実は去年の8月のあの事件を境に終わっています。あの時、君たちの作戦は失敗し、終わったのです」

「しかし、あの時の関係者を含め、君たちは今でもお国の盲目的な命令に従っています。 しかし、お国は今後もさらにこのような体制が続く状況にあります」

 佐藤は目を輝かせて聞いている者たちを見まわした。すると、いつの間にか新宿で死亡したはずの三原ジロウ(韓国籍の 金 △□)が佐藤の隣にいた。 そして今度は三原が話し出した。

「このメモは、私が我が国の機関から命令を受けたものです。 そしてわたしにはこれをみんなに知らせる義務があった。 しかし、私はそこにいる佐藤さんとジェームスに本当のことを教えられた。 もし君たちが、このメモにはある、暗号のⅯ81215Nの意味する通りに行動すれば、命令通りにみんなが乗せる船は、日本海で事故を起こし沈む予定です。 そして本部は、去年の八、八の大事な歴史の生き証人である君たちを、自分の保身のため、対外的な体裁のために 口封じをすることを考えていました。 世界情勢の中で国の大統領は犯罪者ではいけないからです・・しかし、わたしは君たちのリーダーとして、みすみす君たちを死なせるわけにはいきません。 生きている証人をしっかりと残し、国の歴史を歪めずに守り通すことが必要だと思います」

「だからめんどくさいことでしたが、私が死んだことにして、このような一連の流れをつくりみなさんを呼びました、さんをはじめ、日本の反社会的勢力に近い人たちは今後どのように行動するかは分かりません、ここからは、みんな個人の問題です」

 これを受けて、今度は佐藤さんが話し出した。

「みなさんが、今後どのような処遇を希望しようともできるだけ皆様の希望を叶えるようにしたいと思います。ゆっくり考えてください、私どもに通じる連絡先を教えますのでいつでも連絡ください。できるだけ早めにご連絡いただけるとスムースな対応ができると思います」 また、金さんが話した。

「みんな、命を大切にして、賢明な選択をお願いします、ちなみにわたしは渡米することにしました」


 ヒロたちは黒子の男から、この場を離れるように促されてゆっくり新宿の雑踏に消えた。

 人間の自由を奪うことを何とも思わず、多くの国やその人民の不幸は、憎むべき個の独断と欺瞞の上にできている。 そのプロセスの中で指導者のエゴが炸裂し、まことしやかに偽のいいわけを作り上げる。 歴史の中で時と共に常に崩壊してきたカリスマは、つい二〇数年前には日本でもみられた。 僕たちの中では、もう思い出したくない出来事の一つだ・・。


 数日後、学食で久保と小正とヒロは、ノートを広げて珠代からレクチャーを受けていた。 レクチャー代は、野菜サラダ・スープ付きスパゲッティ&アイスコーヒーだ、ちょっと高い感じがするけれど、あの小難しい「産業何とか論」の講義に比べれば・・と思える。

 いい加減レクチャーも終わると、自然と先日のあの時の話になる。 小正がいきなり。

「俺の部屋の前のかわいい子、突然いなくなったよ・・あの言っていたことだよな・・」

 ヒロも促されるように言い出した。

「俺のバイト先の奴も急に来なくなって、分からない状況みたいだ・・久保のところはどうよ」

「おれんとこは、何もないね・・はじめから何もないしな・・、しいて言えば、新聞配達のお兄ちゃんが、たった一週間くらいでやめたことかな・・こんな事何でもないだろう」

「いや、大ありだと思うぞ・・なんでお前の地区の配達員なんだ」

「・・・・」

「佐藤さんも変わったことが周りで起きるけど心配するなって言っていたじゃないか」

「そうそう、そうするしかないね」

「もしかしたら小正のところの向かいの部屋の女も外国人かもな」

「わかんねぇー・・もう忘れようぜー」

「そうそう、そうしようぜー」

 三人は、悪い夢を見たこととして心にフタをした。




    八月八日の大統領



 その日ヒロは、新宿の地下街を駅に向かって歩きながら、見覚えのあるような白いポロシャツを着た男とすれちがった。 サングラスをかけてはいるが、その全体の雰囲気に最近感じた薄いが記憶がよみがえってきた。 紀伊国屋近くの出口から表通りに出ると駅方面に向かってごったがえす通りを足早に移動した。 突然女の子にぶつかって一回転すると、真後ろが見えた。 さっきの男が追いかけてきている、思い出した奴は楊だ。 何で奴がここにいるんだ、そう思って急ごうとしたとたん信号が変わって止まってしまった、楊はヒロの隣に来ると、ヒロの左腕をつかみ強引にビルの隙間に引っ張り込んだ。

「やあぁ久しぶり」

 楊は軽々しく

「楊、何をするんだ、はなせ・・」

「ヒロ、お前には騙されたよ・・油断したぜー・・もっと厳しく当たっていればよかったよ。 お前に情けなんかかけたばっかりにこんなことになって・・仲間だった金は、寝返ってしまったしな・・」

「お前も金と一緒に行動すればいいんじゃないか」

「ばかやろう・・俺には俺の事情ってものがあるのさ、どうにもなんないのさ・・決められたとおりに行動するだけだ・・」

 ヒロは咄嗟に佐藤達が話していた暗号のことを思い出した。

「楊、やめろ・・暗号のことか」

 楊はつかんでいた腕をはなすとヒロの顔をじっと見つめて。

「・・・・そうだ」

「楊、やめろ・・罠だ・・お前、殺されるぞ」

 楊はどうしようもないというそぶりをしていた

「俺たちは、73年の8.8の作戦に失敗した・・その後も日米の政治的圧力に不十分な動きしかできていない。 そして、その後世界の情勢は変わった。 俺たちに協力したこの国のE二等陸曹の別班の奴もすでに獄中だ。 74年の次の年の八月一五日は、いとこの兄ちゃんが心機一転大胆な動きをしたが、もう少しだった。 そして、何より事件を首謀した本国の親玉も、アメリカからの国賓級の招待を受ける道筋ができたとたん、手のひらを返したように、事件を起こしたのは過激な奴らが行ったこととして、自分の暗黒の部分の関与を無かったことにしようとしだした。 だから、暗号のように事件に関わった者達を処理しようとしている」

「楊、お前も逃げたらいいだろう」

「おれは世話になった、あのお兄ちゃんの事を考えると・・そうはいかないのよ。 この国の右翼の奴らに対して、誰かが責任を取らないことには、この事件は終わらないんだよ・・だから、裏切った金達は許せないくらい憎いが、同時に生き抜いて欲しいとも強く願っているよ」

 ヒロには楊の言っていることが理解できなかった。

「ヒロ、お前とは短い間の関係だった。 お前って、金(かね)で動かなかったり、変な奴らから信頼があったりと、なんだか不思議なところがある奴だよな・・ヒロ今日でお前には二度と会わない、いつか俺たちのことが新聞や週刊誌の片隅に出たら、そん時は目を閉じて思い出してくれ、俺らの一生なんて瞬きのようなものだからさ、最後にお前にあったら殴ろうと思っていたけど・・お前の顔を見ていたらそんな気持ちも失せてしまったよ。でも最後にこうして話せてよかったよ・・・・じゃな」

 楊はあっという間にいなくなった。 ヒロはその場に呆然として、ビルの壁に寄りかかった。 ヒロには、もっといろいろ聞きたいことがあった。 でも奴の出生に関わる何かに固執する姿を見ていると・・それ以上聞くことを躊躇してしまった。

それから、しばらくして週刊誌に、日本海で国籍不明の小さな船が嵐にあって沈没した記事が載った。その記事をとっかかりにしたようにお隣の国のここ数年の一連の不穏な事件の詳細がのっていた。

 一九七三年八月八日に都内のホテルから大統領候補が何者かに拉致された。 そして拉致被害者は、その五日後にソウルの自宅近くで解放された。 この事件は、すでに終わってから一年は過ぎているがいまだにこの人物を亡き者にしようとする動きは続いており、アメリカも日本もこの事件について日本で起きた事件ということからもいろいろと関与をしているようだ。

 そして、翌年の一九七四年、八月十五日、韓国で行われた記念行事で、出席していた韓国の大統領夫人が文光世という在日韓国人が放っの銃弾で倒れて亡くなった。 その後、北朝鮮の関与が明らかになり、この事件を受けて、当時の朝鮮半島と日本の関係は非常に微妙なものとなった。

 ヒロはなんとなくこれらの記事を読んで、自分たちがまきこまれたと思われる事件について、何となく触れてはならない概要が分かったような気がした。 佐藤さんが、黒子が、金が、楊がどの立場で何が行われたのかはわからない。 そして詳しく分かろうとも思わない。 何も知らずに名も知れぬ浮き草のような命が、新宿駅で出会った男によって、右に左に翻弄されていることだけはわかった。 記事にはこの事件はまだ真実はわからず、今後いつかの時点で真相が暴かれることが期待される。

 ヒロは週刊誌をテーブルの上に置くと、じっとして目を閉じた。



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