第9話

 翌日、左頬の痛みがどうしても我慢できず、おれは、学校を休んで朝から近くの整形外科に行った。いつぶりだ? ここまでひどく怪我をしたのは。中二のときの隣の中学との大げんかの時以来か?

 平日の朝ということだけあって、すぐに治療室に案内される。

「うわー、派手にやったね。打撲しちゃってるよ。なに、喧嘩?」

 医師はまるで嬉しそうにそういった。

「はあ、まあ」

 喧嘩で足ひっかけられて、すっころんだなんて、恥ずかしくて口がさけても言えない。男、西谷英二の名が腐る。

「いいなー。若いなぁ。ぼくもね、昔はやんちゃしてたんだよ。こうみえても」

「はあ」

 そのあと、散々医師に武勇伝を聞かされながら、看護婦に消毒と手当をしてもらった。


 少し痛みが引いていたので、次の日には学校に行くことにした。

「うわぁ、絶対なんか言われるよな」

 だって、自分で鏡見ても、痛々しいもん。

 教室に入ると、案の定すぐにクラス中の視線を集めた。

「どったの、英二、その怪我」

「西谷、どうしたの? それ」

 男子はもちろん

「英二くん、えっと、大丈夫?」

 普段は、おれに冷たい女子までもが、おれの心配してくれた。

 左頬の青たんは湿布で隠しているけど、裂けてはれあがった唇はむき出しでグロテスク。おまけに、鼻の頭の包帯が超目立つ。

「ぎゃはははっ、英二。朝からおもろーです」

 三上に爆笑された。

「三上君、サイテー」

「三上、それはひどいわ」

 などと三上アンチコメントが続出したが、

「おもろーだろ?」

 おれはニカっと笑ってやった。昨日の件は、言わないつもりだ。

「昨日、チャリ乗ってコンビニ行った途中によ、可愛い子がいてさ、そんでよそ見してたら、電柱にぶつかったんだよ」

 そういうと、女子は「やっぱ西谷って変態だわ」「さいてー」と心配の態度を改め、男子は「英二らしいわ」「ぎゃははははっ」と爆笑した。

 これでよし。

「ふぅ……」

 とりあえずでっち上げた怪我の原因を話すと、みんなおれの元から離れていった。

「ん?」 

 席に着こうとすると、視線を感じた。教室の廊下側。

 柚子がおれを見ていた。おれと目が合うと、柚子はひゅっと顔を前に向けた。

 なんだ、あいつ。

 ま、感謝してほしいぜ。昨日のおれの活躍で、少なからず川島に影響はあるはずだからよ。


 一限の英語の授業が終わり五分休み。

「つぎは、科学か」

 だりぃ。移動教室なんだよな。実験室遠いんだよ。三上と行くか。そう思って、教室に三上を探したが、すでに三上の姿はなかった。しょんべんか。

 しかたなく一人で実験室に向かう。

「あーいてー」

 大方痛みは引いたけど、たまに痛みが蘇る。

「ん?」

 だらだらと廊下を歩いていたところ、後ろから急に袖を引っ張られた。

 振り返ると、そこにいたのは、柚子。

「なんだ? 学校じゃ話しかけねえんじゃなかったっけ?」

 廊下から外れて階段の踊り場に連れていかれる。

「どうしたの? その怪我」

「だから、チャリで乗ってたら電柱に激突したんだって」

「あんた、チャリ乗るっけ?」

 ぎくっ。そういやこいつ、おれん家にチャリないの知ってたっけ。

「買った。最近」

「ふーん。そ」

 柚子はそっけない返事を返した。

「え、心配してくれてんの?」

「そ、そんなんじゃないっ!」

 あれ、やっぱりこいつ意外と可愛いとこあるかも。

「き、昨日どうして連絡つかなかったの?」

「連絡?」

「メール」

「あー、ケータイぶっ壊れた。ぶつかったときに落として」

 川島の浮気を伝えるなら、今だろう。でも、おれは言うつもりはなかった。ケータイを割られたせいで証拠は残せなかったけどあれで、川島も少しは懲りるはず。浮気をやめて柚子と元通りの関係に戻れば、これで事態は丸く収まる。おれなりの解決というわけさ。

「英二、意外と鈍くさいね」

「うっせ」

 ほんとは、電柱になんかぶつかってけどな! 

 足、引っかけられてこかされたんだけだぜ。あ、でも、そのほうがよほどダサいか。


 昼休み。

 柚子の怪訝な視線もなくなり、一安心していたおれ。

 おのおのが帰宅か部活かで教室を出ていく。

 おれも三上と購買に行こうとしたところ、教室の前方から一人の女子がちょこちょことおれのほうにやってきた。教室で向こうから話しかけてくるとは珍しい。美和ちゃんだ。

「西谷くん、大丈夫?」

 ああ、その話か。

「まあ、そんな大したことはねぇ」

 痛いけどね。

「良かったぁ。授業中、ずっと心配したよぉ。顔中、包帯だらけだしさぁ」

 美和ちゃん、天使すぎる。ぜひ、おれの将来の伴侶に。あ、彼氏持ちか。

「大丈夫大丈夫。おれ野生動物なみに回復早いから」

 なんだよ。野生動物なみって。でも、そういうと美和ちゃんはホっとした顔をしてくれた。

「良かったぁ。だって、あんなひどいこけかたしてたもん」

「…………え?」

 え、あれ? あれれれれれれ?

 『ひどいこけかたしてたもん』

 美和ちゃんは、机に身を乗り出しておれに、耳打ちした。

「一昨日の夜、たまたま池袋通ったんだけどね──」

「え?」

 おととい。夜。おれが川島とやりあったとき。

 美和ちゃんは一昨日の夜、サスカの集会には参加せず、彼氏と飯に行くと言って、練習から先に帰った。

「見ちゃった」

「あ、ちょっ──」

 そのとき、浮気の件を黙っていた天罰が下ったのか、

「……え?」

 ちょうど、目の前を一番聞いてはいけない人物が、美和ちゃんの話に足を止めてしまった。

 美和ちゃんを、止める暇はなかった。

「喧嘩、してたよね?────三年の川島先輩と」

 美和ちゃんはだれにも聞こえないよう、コソコソとそういった。でも、間近くを通ったのは、ことに大きく関わる柚子。柚子には聞こえてしまった。

「それって……」

 その声で、美和ちゃんがバっと顔を上げる。

「……っ! あ、え、ええっと」

 どない、しましょ。

「どういう、こと?」

 三人の空気が凍る。


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