第8話

 その日の夜。

「どうしましょ」

 あれから二時間。おれは、悩みに悩んでいた。

 まさか、ほんとに浮気していたなんて。

 と思ったけれど、もともと状況証拠を見ればたしかに、黒ではあったんだよな。デートもなければ、連絡も減る。クラスメイトによる浮気の目撃情報。それだけ情報がそろっていれば、限りなく黒だったのに、体育祭の借り物競走といい、一昨日のデートの誘いといい、完全におれは白だと思っちゃっていたわけだ。

 ケータイの画面に書き出した、川島の浮気を伝えるメール。送信ボタンに触れたまま、そのボタンを押せない。

「うわー、迷う」

 柚子に、今日のことを言うべきか。いやまあ、言うべきなんでしょうけど。浮気調査なんてしていたぐらいだし。でも、この前の宮下の言葉が脳裏にちらついた。

『知らなきゃ幸せってこともあるんです』

 柚子はもう川島への詮索をやめるといった。つまり、おれが言わなければ、柚子は知らなくて済むのである。川島の浮気を。

 ま、浮気されていたって改めて知れば、覚悟していたとはいえ、結構傷つくんじゃないかと思う。川島が告白してきた側とはいっても、柚子も相当川島のことは気に入っていたみたいだし。復讐するどころか、より戻すって言ってたぐらいだし。

「えー、どうすんの、これ」

 言わないと、柚子は川島にだまされ続けたままつきあうことになる。でも、言えば言えばで。

 うーむ。

 ま、明日考えるか。明日。


 翌日。

 安定の遅刻気味で教室に入ると、いつも通りたくさんの女子に囲まれた柚子が目に入る。今日は昨日と違って元気そう。いつもの柚子だ。

「ねえ、柚子ちゃん、明日一緒に駅前のモール行かない?」

「うん、もちろん!」

「ねえ、柚子ちゃん、ここの問題教えて」

「もう、冴子ったら。ここはね───」

 今日は柚子に直接昨日のことを言おうと思っていたけど。

「ま、無理か」

  あんなに囲まれてるし。このクラスでおれと柚子が同中だと知っているやつはいない。いつも柚子親衛隊の女子からあしらわれるおれがいきなり、話しかけにいってもな。

 そのまま何も言えないまま一日が流れていった。

 で、気づけば放課後に。

「柚子。部活行くよー」

「うん、ちょっと待ってー!」

 いつも通り、みんなに囲まれて部活に向かう柚子。

 まさか、昨日浮気されていたなんてつゆにも思っていないだろう。

「あ……」

 話しかけるつもりだったのに、柚子はすでに、柚子は部活仲間と一緒に教室を出て行ってしまった。

「ま、明日でいっか」

 そうだ。明日。明日。


 この明日言おうっていうのが、良くなかった。明日やれば良いって言う奴は、一生やらないというのは本当で、おれもその一人だった。

 おれは引き延ばしに引き延ばして、結局柚子に川島の浮気を言えずじまいでいた。

 ほんとはすぐに言うべきってのは分かっている。でも、一日一日が過ぎるにつれて、ますます言いにくくなった。

 そんな、ある日の放課後。

 校庭には秋の風が吹き、敷地の隅に生えた広葉樹から落ち葉が舞っていた。

「よおし、今日も張り切っていくぞ!」

 ユニフォームに着替えて集まったサスカの面々。それにマネージャーの美和ちゃん。

「「「おうっ!」」」

 今日はサスカで、週に一回のちゃんとサッカーをする日だ。

「ん? 浮かない顔してるな? 英二。やっぱりゲーセンのほうが良かったか?」

 工藤さんがおれの顔をのぞき込んでくる。

「い、いえ。もちろんサッカーがいいっす!」

 最近どうも柚子の浮かれた顔が脳裏に浮かぶ。あの屈託ない笑顔に、おれは多少なり罪悪感を感じちゃっていた。

「がはは! そういうと思ったぜ。よし、走り込みから始めるぞ!」

「「「おう!」」」

 だめだ。考えていても仕方がない。気分を切り替えよう。サッカーは一人では出来ない。みんなでやるからサッカーだ。せっかくの機会だ。目一杯やろう。


「はあはあはあ」

「はあはあはあ」

 走り込み、ドリブル練、シュート練を終え、いよいよ次はゲーム。一度休憩が挟まれたので、おれは宮下と冷水機に水筒の水をくみに行った。

「宮下、おまえ、ばてすぎな」

「はい? 英二さんも汗だらっだらじゃないすか」

「ああ? これ、汗じゃねーし。水かぶっただけだし」

 サスカのいいところは、練習はちゃんと真面目にやること。とにかくきつい練習だ。会長の工藤先輩が鬼コーチとなり、みんなをしごいてくれる。おかげでみんな満身創痍になるが、マネージャーが一人しかいないので、当然美和ちゃんは三年の世話をする。下の学年の水くみはセルフサービスだ。

 水くみは体育館の前に一つある。

「ん?」

「あ?」

 宮下が先に水をくもうとしやがった。先輩をさしおいて。

「宮下くーん、そんなにバテてんの?」

「なんですって? いいですよ。譲りますよ。英二さん、意外と体力ないんすね」

「いやいや、おれ、まだまだ余裕だからどうぞお先に」

「はああ? おれのほうがもっと余裕です。お先にどうぞ。英二さん」

 なんだよ。もっと余裕って。

「ああ? おれなんか呼吸一つも乱れてないぞ。どうぞ、お先に宮下くん」

「ああああ?」

「はあああ?」

「「どうぞ、どうぞ!」」

 と、そこへ

「……なにやってんの、あんた」

 なじみのある声が聞こえてきた。

「え?」

 柚子。

 驚いたことに、柚子がおれに声をかけてきたのだ。

 そういえば、今日は女バスが体育館使ってるんだっけ。

「水くみたいから、どいて」

「「あ、はい」」

 冷水機前からいそいそと退くおれと宮下。

「え、英二さん、北野先輩、なんかイメージと違うんですけど。もっと優しい先輩って聞いてたんですけど」

 宮下が耳打ちしてきた。

 たしかに、みんなの憧れの柚子ちゃんは「どいて」なんて言わないよな。

「おーい、柚子。素が出てるぞ」

「え……? あっ……」

 柚子と宮下の視線があった。

 柚子の顔がポッと赤くに染まる。

「だ、だから学校では話しかけないでって言ったでしょ。調子狂うから」

「話しかけてきたの、おまえな」

「ご、ごめんね。え、えっと……」

「あ、一年の宮下っす! えっと自分、電話番号は────」

「すぐに連絡先を交換しようとするな」

 こいつ、とんでもないプレイボーイだ。まさか、人妻にも手を出そうなんて。 

「え、ええとじゃあ私行くから」

「あ、ちょっ──」

 おれは、柚子を呼び止めようとした。例の件を伝えようと。

「ん? どしたの?」

「あ、いやなんでも……」

 でも、できなかった。

「……そ?」

 柚子はおれに怪訝な顔を向けて、体育館へと消えていった。

「英二さんって北野先輩と仲いいんですか?」

「……」

 水くみ場に残された残された宮下とおれ。

「まあ、一応中学からの知り合い」

「へー。それにしちゃ、妙に仲いいっすね」

「そうか?」

「二人だけの秘密の関係、的な?」

「そんなもんねーよ」


 その日の夜。

 池袋西口、午後九時ゲーセン。

 練習後、そのままみんなでゲーセンに。先輩たちは、対人格闘ゲームに熱狂していた。美和ちゃんは、彼氏が待ってるからといって帰っちゃった。一緒にご飯に行くらしい。ラブラブだな。

「おまえら、ほんとクズになりそうだよな」

 先輩方が格闘ゲームに熱狂するなか、おれと宮下はただ静かに、とあるゲーム機のハンドルを握っていた。

 銀色の球が釘の森を通り抜け、筐体中央のへそと呼ばれる部分に吸い込まれていく。

『リーチっ!』

 おれのデジタル画面一杯にカラフルな魚がたくさんあらわれた。

「しゃあ! 魚群!」

 ぱちんこ、新海物語。

 ぱちんこはパチ屋にしかないと思われがちだが、意外にもゲーセンにおいてある。もちろん景品交換はできないけどね。

「しゃあ、おれも魚群!」

 宮下がガッツポーズを決めている。

 後ろを振り返ると、苦笑いの工藤先輩がいた。

「いやぁ、おまえらほんと将来クズになりそうだな」

 

 夜十時には、集まりはお開きとなった。

「うんじゃ、おつかれー」

「お疲れさまですー」

 先輩とも別れ、出玉勝負でわずかにおれに負けて駅に入る階段前ではげしく落ち込んでいる宮下を放置し、おれは東上線の改札を目指した。

 東上線の改札を超えて、準急のホームに並ぶ。

「ふわぁぁあ」

 眠い。

 目をこすりながら、昼間のことを思い出す。

 今日は絶対言えたよな。タイミング的に。でもなぁ、もう今更感がすげーし。今更、言ったら、ちょー怒りそうじゃん。

「……ん?」

 あれ? 

 向かいの山の手線のホームに違和感。うちの制服を着たカップル。こんな時間に見かけるなんて、珍しいなぁと思って、よくよく顔を見ると、それは、知っている顔だった。

 一人は、黒髪ロングの女。そして、もう一人は金髪でピアスをしている背の高い男。

「あれって……」

 おれのカップルクラッシャーの才覚は本物らしい。

 向かいのホームにいるのは、川島。間違いない。川島拓人だ。川島と、その浮気相手が手をつないで電車を待っていたのだ。女は体育大会の夜に見た女。五本の指をからめた恋人つなぎをしているのが見えた。

「……あいつ」

 おれは、カップルクラッシャーだ。今までわかれさせてきたカップルは二十以上。直接柚子に直接は言えてないけど、おれは、おれなりの解決しよう。

 階段を下りて東上線の改札をでて、JRの改札に入り、山の手線のホームに登った。川島たちはすぐに見つかった。あの派手な金髪はすぐに目につく。

「あれ、部長さんじゃないっすか」

 おれは、背後から忍びよってそう話しかけた。

 不意をつかれた川島とその浮気相手がバっとと振り返った。

「お、おまえは……!」

「最近、よく会いますね」

 川島は少し動揺しておれを見た。

「たっくん、知り合い?」

 浮気相手の女がねっとりと川島に腕をからめた。

「あれー? 彼女さんっすか?」

「……お、おまえ」

「おかしいなぁ。おれの記憶だと、たしか北野柚子が彼女さんだったはずっすけど」

 川島は見るからにうろたえていた。

「ゆ、柚子ちゃんと同じ二年だっけ。お前。あれか? お前も柚子ちゃんのこと好きなのか?」

 川島は強がってニヘラっと性格の悪い笑みを浮かべた。

「やー、べつに単に同じ学年ってだけすけど」

 おれはあくまで淡々と答える。川島は徐々にいらつきを見せ始めた。

「た、たっくん、その子、あれじゃない? えっと、なんだったっけ? カップルクラッシャーだっけ?」

「カップルクラッシャー?」

「いろんなカップル別れさせてきた子だよ。あ、たっくん、その子、後ろでケータイ撮ってる!」

 あー、気づかれちまったか。

「へへっ」

 おれは、ケツの後ろでケータイを構えていた。一言は言ってやるがやることはやる。それがおれだ。

「て、てめえ!」

「これ、ばらまいたら、あんた終わりだな」

 もちろんばらまくつもりは毛頭ない。振られたはまだしも、浮気されたというのは、悲劇のヒロインじゃなくて完全にマイナスのレッテルだ。

 あくまで、これは、牽制。おれは、柚子に川島の浮気の件を言いたくないのだ。だから、これを機に浮気をやめさせようと思っていた。そうすれば、川島が浮気したという事実は残るけど、それはおれの記憶に残るだけで、事態は丸く収まる。

 おれは、少しずつ後さずりを始めた。

 このままこの場を立ち去れば。

 しかし、

「へへっ。ナイスタイミング」

 そこへ、山の手線が滑り込んできた。

 突如、川島が不敵な笑みを浮かべた。

 電車が速度を落として、ホームに停まった。水槽をひっくりかえしたようにドバっと人が下りてくる。身動きが取りにくくなる。

「貸せっ!」

 川島は、そういっておれのもとに駆け寄り、

「────っ!」

 おれのケータイをふんだくりやがった。

「ああああ!」

「へへへっ」

 ケータイを両手で持つ川島。

「ちょちょちょちょっとそーれは、やめませんか!」

「やなこった」

 そして、そのままおれのケータイを、お宝写真満載のおれのケータイを────真っ二つにおりやがった。

「ああああああ!」

 数々のカップルをクラッシュしてきた修羅場コレクションが。浮気現場コレクションが。そして、川島の浮気写真が。

 消し飛んだ。

 むざんに消し飛んだ。

「てめぇ!」

 殴りかかろうとするおれ。しかし、見切っていたのか川島はひょいと、足を出した。

「……っ!」

 おれはそれに無様にひっかかり、

「ぶへっ!」

 すっころんで、顔面をぶつけた。

 血の味。

 口切った。

 いってぇ。

「じゃあな」

 川島は、山手線から降りてきた雑踏に混じって、女をつれてそのまま消えていった。くそ、やられた。

「……いってぇ」

 起き上がるとめちゃめちゃ視線を感じた。 

 地面に投げ捨てられたケータイは見るも無残に真っ二つにされていた。なかの部品、はみでちゃってるよ。

 ケータイだけじゃなくて顔もどうやら、まずいことになっているみたいだ。乗客はおれが殴りかかった側だと思ってだれも助けてくれない。

 階段を下りて、トイレに行って自分の顔面の様子を確認すると、

「うわー、ひでー」

 思いっきり地面に打ちつけられた顔面の左の頬は青くそまり、切れた唇から血が出ていた。左頬が、結構、いやめちゃめちゃ痛い。

「あんの野郎……許さん」

 むきーっ!

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