第6話


<北野柚子の悩み>

 公園のベンチに座って、英二とコーヒーをすする。

 もう十一月。夜の公園は結構寒い。

 体育祭が終わって有頂天だったわたしは日に日に焦りと疑問を抱き始めた。本当なら今頃、拓人先輩とまたラブラブな日常に戻ってるはずなのに。いくら待っても拓人先輩からデートの誘いが来ないのだ。毎日のメールのやりとりはおはようお休みとちょっとした雑談だけ。あれだけ体育祭のときは良い感じだったのに。

 そんなに忙しいのかな。受験。拓人先輩、成績いいらしいのに。それとも、紫苑ちゃんの話が──いやいや、そんなわけないよね。もし仮に新しく好きな人が出来ても、拓人先輩が二股かけるわけないし。

 こっちから誘うのも、あれだし。そんなわけで鬱憤を晴らすために英二と遊んでもらったわけだけど。


「────あれ、あれれれれれれー?」

 英二と別れる直前、メールが届いた。差し出し人は、なんと拓人先輩。

「見て、これ、見て!」

 内容はデートの誘い。

『夜遅くにごめん、もう寝ちゃってるかな? 明日良かったら午後、デートしない? 急でごめんだけど』

 一ヶ月ぶり。でも、やっぱり拓人先輩、忙しかっただけじゃん。思わず顔がとろける。英二は呆れた目で見てきたけど。

 よおおし。明日は柚子ちゃん、おしゃれしちゃうぞ! 

 

  * 


 そして、翌日の午後。

「お待たせ、柚子ちゃん」

 池フクロウの前で待っていると、拓人先輩が山手線のほうから走ってきた。

「いえ、わたしも今来たばっかなので」

 嘘だけどね。ほんとは二十分も前からいたけどね。

 いつもの池袋駅前での待ち合わせ。拓斗先輩は今日も清楚なシャツにシュッとしたズボン。シンプルでかっこいい。通りかかる女のコたちも、ちらっと拓斗先輩を横目に見ていくコがいる。やっぱり、背の高いし服がきまってみえるよね。

 今日は映画館とお食事という定番コースだ。デートのプランはいっつも、拓人先輩が組んでくれる。拓人先輩忙しいらしいし、遠出はできなくて池袋だけど、昨日はワクワクであんまり寝られなかった。

「あれ、またネイル変わった?」

「分かりますか?」

「うん、前よりもっと可愛くなってる」

「ほんとですか? うれしいです」

 拓人先輩はこういう細かいところ気づいてくれるんだよね。女心がわかっているっていうか。

「拓人先輩も、今日もオシャレですね」

 髪のセットとか、もう大学生みたい。セットしてるけど、自然っていうか。美容師さんがやったみたい。

「そ? ありがと」

 あー、笑顔が爽やか。

 拓斗先輩は自然にわたしの手を握った。

「じゃ、行こっか」

 映画館までの道のりは、つもりにつもった話で盛り上がった。だって、メールだけだったもん。いっぱい話したいことあるし。


 映画館に到着。拓人先輩が観る映画を決めてくれた。土曜日の夕方だから、親子連れで混んでいる。

 拓人先輩が選んだのは、大人向けのラブストーリー。ちょっとエッチなシーンもありそうな映画。じつをいうと新作のホラー映画を観たかったけど、やっぱりこうやって引っ張ってくれる彼氏っていいよね。今日の行き先も全部拓斗先輩が決めてくれたし。

 ポップコーンとジュースを買って、指定のスクリーンに向かった。

「すいているね」

 大人向けなせいかあまりお客さんはいない。お客さんはみんな二人組のカップルだ。

「あ、ありました」

 席を見つけて並んで座る。

 映画の始まる時間にはなっているが、まだ番宣が続くようだ。

 また拓人先輩とのおしゃべりが始まる。

 拓人先輩はまたさりげなく、わたしの手を握った。ごつごつした、大きな手。

「ごめんね、最近忙しくてあんまりデートとかできなくて」

 拓人先輩は静かな声でそういった。

「いえ。先輩、忙しそうですし」

「一緒にデートするの、一ヶ月ぶりだっけ?」

「それくらい、かな?」

 そう一ヶ月。まあ、しょうがないよね。

 でも、よかった。最近、連絡さえ少なかったから、ほんとに、興味なくされたのかもしれないなんて思っちゃった。

「拓斗先輩、受験生だし……」

「うん、今ちょうど山場だからね」

「がんばってくださいね」

「柚子ちゃんも頑張ってよ。学部は違うけど、同じ大学受けてくれるんでしょ?」

「はい。でも、拓人先輩の大学難しいから頑張らないと」

「ははっ。来年は、おれがつきっきりで柚子ちゃん教えてあげるよ」

「ほんとですか?」

「もちろん」

 そうこうしているうちに、映画が始まった。大人の映画だ。ストーリーは重め。はなっからエッチなシーンが多い。わたしはそれを見るのが、ちょっと苦痛で、そのときだけ、目を閉じようとした。


 *


「柚子ちゃん、柚子ちゃん」

 うん?

「柚子ちゃん、柚子ちゃん」

 目を覚ますと、そこは、少し暗い空間。目の前には、え、拓人先輩?

「あ、ごめんなさい! 私、寝ちゃってたみたい」

 口元のぬるっとした感触。

 え、わたしよだれ垂らしてたの。あわてて、気づかれないように手でぬぐった。もう、最悪。気づかないうちに寝ちゃっていたみたい。拓斗先輩、怒っていないかな。拓斗先輩が決めてくれた映画なのに。

「あははっ。柚子ちゃん、おもしろいよ。やっぱり」

「ごめんなさい。ほんと」   

「いいよ。おれもあんまりこの映画つまんなかったし。ちょっと話が難しくて」

 

 映画館を出るともう日が落ち始めていていて、池袋はすっかり橙色に染まっていた。

「ごはん、行こっか。予約してあるんだ」

 拓人先輩はショッピングビルのディナーに連れて行ってくれるらしい。

 普通の高校生ではいけないようなお高いディナーにわたしは、なんどか拓人先輩につれていってもらったことがある。

 私も今日はある程度ドレスコーデで来ていた。最上階についたときには、もうすっかり日は落ちていた。

 ウェイターに席に案内される。客層はほとんど大人でときおり、ちらほら背伸びしてきているような大学生もいる。でも、拓斗先輩の気品には、背伸びが感じられない。これが、大人の余裕ってやつかな?

「うわー、すごい景色」

 窓ガラスからは池袋の夜景を一望出来た。

「ここも、よく家族で来るんだ」

 いつも食事代は拓人先輩持ちだ。わたしは遠慮がちにお安めのコースに決めると、拓人先輩はなにくわく顔でお高いコースとワインを頼んだ。

「ワイン、飲むんですか」

「うん、ほんとはだめだけど。柚子ちゃんも飲む?」

「わたしは……やめときます」

「あははっ」

 コースがまもなく運ばれてくる。前菜からして、家では絶対作れないような、名前も知らないような、サラダだった。テーブルマナーというものは、先輩と何度も食事を重ねてすでに身についている。

 拓人先輩とのおしゃべりも始まる。基本的に会話の主導権は拓人先輩だ。

「この前の借物競争は───」

「さっきの映画────」

「柚子ちゃんは受験勉強────」

 こっちが話しやすいように、いっつも気遣ってくれる。会話が自然と弾む。

 やっぱり理想的な彼氏。

「あははははっ」

 わたしの拓人先輩の話に、わたしは愛想良く笑って返事を返す。完璧な会話のキャッチボール。


 そう思っていたのに、

「柚子ちゃん?」

「……」

「柚子ちゃん?」

「え、あ……!」

「どうしたの? 急にぼぉーってしちゃって」

「あ、あれ? わたし寝不足なのかも」

「あははっ。さっきも寝ちゃったもんね。ちゃんと寝ないとだめだよー」

「気を付けます」

 どうしてだろ。

 ふと、心の中に得たいの知れない感情が浮かび上がった。


 ディナーを終えて拓斗先輩と別れるころには、もう二十時を回っていた。

「じゃあ。またすぐ誘うから」

「はい」

 わたしは、拓斗先輩にやさしく抱きしめられた。

 拓斗先輩がわたしが、あっち方面でウブなのを知っている。だから、まだキスもしたことがない。

 そして、この時、得たいの知れないさっきの感情が明らかになった。

 いつもなら、抱きしめられたわたしは、心臓が爆発しそうなほど、身体がカッカしちゃうのに。

 なぜか、今日は、なんの気持ちも起きなかった。


 家に帰ったわたしは、

「はあああ! 楽しかった!」

 そういって、服も着替えずベッドに倒れこんだ。

 疲れた。とにかく、疲れた。

 拓斗先輩と一緒にいると、やっぱり気が張っちゃう。

「楽し、かったよね?」

 ってなんで疑問形。楽しかったに決まってるでしょ。だって、一ヶ月ぶりのデートだよ? 超高級ディナーだよ。

「あれ、あれれ?」

 なんでだろ。

 なんでそんなこと考えちゃうんだろ。

 机にあった、捨てるのを忘れてたコーヒーの缶が視界に入った。英二が買ってくれた微糖のコーヒー。

 昨日の公園の光景が目に浮かぶ。

「え……」

 そんな、わけ、ないじゃん。

 わたし、今は拓人先輩の彼女なのに。

 わたし、昔のわたしとは違うのに。

 だってカラオケ行ってバスケしてコーヒー飲んだだけじゃん。それなのに。それなのに。どうして。


 英二と遊んだ昨日のほうが、楽しかった。


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