第3話




「まだ七時か」

 寝ぼけなまこで壁の時計を見る。

 あと三十分は寝られる。

 今日はやけに目が早く覚めてしまった。あんまり寝付けなかったんだよな。あんなことあったし。

『英二、わたしと不倫してくんない?』

 あれ、おれ、なんかすんげー約束交わしちゃった?

「ふわあああ」

 あくびしながら、ベッドから起き上がり、学校に行く支度を始める。

 現在、西谷家にはおれしかいない。大学教員の両親二人は海外出張中。兄弟がいるわけでもないので、完全な一人暮らしだ。

『英二、べつに一人で生きていけんでしょ。わたしたち、今度おフランスだから。それじゃあ、お土産楽しみにしといてね。じゃねー』。両親は絶賛育児放棄中だ。

 着替えていると、ケータイが鳴った。

「ん?」

 着信。

 なんだ、朝っぱらから。

「もしもし?」

 電話の相手は、

「早く取ってよ」

 柚子だった。見ると、履歴にはすでに三件の電話。

「なんだよ、こんな朝早くに」

「早く出てきて。今、家の前にいるから」

「は?」

 おれの部屋は一軒家の二階にある。

 カーテンを開けて下を見ると、たしかに玄関先に柚子がいた。貧乏揺すりをしていて、鍵さえ開いていれば突っ込んできそう。

 慌てて準備をして、外に出る。早朝のおいしい空気が鼻をすぅっと通り抜けた。

「遅い」

 いつもより三十分も早く家を出たというのに、おれは理不尽も柚子に説教を喰らった。まだ、サラリーマンの出勤時間でもない早朝だ。通りには、柚子以外だれもいなかった。昨日のラフなジャージ姿とは違って今日はちゃんと戦闘モード。先公にばれないギリギリのラインでメイクをしていた。

「え、おれいまから一緒に登校させられる感じ?」

 早速川島にいちゃラブ浮気現場を見せつけようってか?

「ううん。まだ拓人先輩が浮気してるって確証がもてたわけじゃないから」

「ん?」

 あれ?

 どういうことだ。川島は浮気しているんじゃないのか。

「クラスの紫苑ちゃんがたまたま、近所の同じ高校の女子の家から川島先輩が出てきたっていうからさ」

 え、あんな泣いてたわりに疑惑なの。自分で見たわけでは、ない?

「それも夜中に!」

 うわー、ほんとの話なら破廉恥だな。紫苑ちゃんといえば、クラスの佐藤紫苑か。

佐藤ちゃん、そのこと柚子に直接言っちゃったのかー。なかなかすんごいことしたな。カップルクラッシャーのおれでもさすがに『浮気されてるよ』って言っちゃったことは……あるな。あるんかい。

「でも、拓人先輩にもなにか事情があったのかもしれないし」

 いやいや、男が女の家から夜中に出てくるっていえばなぁ。

「紫苑ちゃんの見間違いかもしれないし。でもでも、わたしも心当たりがあるっていうか……」

「心当たり?」

「そう。最近、最近さぁ!」

「お、おい」

 柚子の瞳に、また涙が。

「泣くなよ?」

「最近さあ!」

「最近?」

 そして、決壊した。

 うええええん。うおおおおん。

「はあ」

 まだ、朝七時だから。ご近所さん寝ているから。

「最近、デート行けてないの!」

「何ヶ月?」

「一か月!」

「い、一ヶ月?」

 あーそりゃ、わりと。高校生カップルなら、週に一度はデートするものだろう。川島が受験期だからってのも考慮してもなぁ。一ヶ月って。

「しかも、昼休みの一緒のご飯もなくなったし、ラインもおはようお休みだけだし!」

 うわぁ。で、そのわりに振られることもなく宙ぶらりん。まあ、確かに気になるわな。

「とにかく私は確証を持ちたいの! だから、今日から拓人先輩浮気調査を決行します!」

「え、じゃあ、おれ、いらなくね?」

 よし。もうちょい、寝られる。川島の浮気のなんて、毛ほども興味ないぜ。

「英二も協力するの!」

「はああああ?」

「え、だって昨日言ったじゃん。絶対協力するって」

「それはそういう話じゃ……」

「ああもうわかった。わかったよ。目に焼き付けてね」

 柚子はそう言って、なぜかカバンを地面に置いて、後ろを振り返った。

 そして、そのまま

「……?」

 尻を突き出し

「……え?」

 一、二、一、二と小さく、振り出した。

「え……?」

 顔が真っ赤の柚子。恥ずかしげに、目を潤ましている。

 な、なにこれ。

 めちゃめちゃ、ぐっとくるんですけど。

「あ、あんたがやれって言ったんでしょ!」

 あ、そっか。昨日、そんなこと、言ったわ。

 いやぁほんとにやってくれるとは。

「英二、来てくれないと、一生ここで振ってるから!」

「それはやめてください!」

 うれしいけどやめてください。ご近所さんに見られたら大変なことになります。


 あれ、おれ、すんげーめんどいことになってね?

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