第4話 不倫は一度やったらやめられません。

 池袋西口、午後十時ゲーセン。

 サスカの面々が集まり、対人格闘ゲームに熱狂していた。この前矢沢副生徒会長に見つかり、夜十時になると高校生は帰されるので、今日はみな制服から一度着替えて集合している。集まったメンバーはサスカの幹部の面々とおれと宮下、そのほか数人のメンバーだった。三輪ちゃんは今日は彼氏とデートがあるらしく来ないらしい。

「おまえら、ほんとクズになりそうだよな」

 先輩方が格闘ゲームに熱狂するなか、おれと宮下はただ静かに、とあるゲーム機のハンドルを握っていた。

 銀色の球が釘の森を通り抜け、筐体中央のへそと呼ばれる部分に吸い込まれていく。

『リーチっ!』

 おれのデジタル画面一杯にカラフルな魚がたくさんあらわれた。

「しゃあ! 魚群だ!」

 ぱちんこ、海物語3R2。

 ぱちんこはパチ屋にしかないと思われがちだが、意外にもゲーセンにおいてある。もちろん景品交換はできないけど。

「しゃあ、おれも魚群!」

 宮下がガッツポーズを決めている。

 後ろを振り返ると、苦笑いのよしさんがいた。

「いやぁ、おまえらほんと将来クズになりそうだな」


 その日の帰り。

「うんじゃ、おつかれー」

「お疲れさまです」

 先輩とも別れ、出玉勝負でギリギリのところで負けて駅に入る階段前ではげしく落ち込んでいる宮下を放置し、おれは東上線の改札を目指した。

「……ん?」

 東上線構内に目カップルらしき、男女。

 あれは、うちの制服。

「川島……」

 川島と、その浮気相手が手をつないで、ホームに向かおうとしていた。

 五本の指をからめた恋人つなぎ。

「……あいつ」

 ふと、胸に何かがこみあげてきた。

 おれは、気づけば、川島のもとに走っていた。


「おい、あんた!」

 自分でも何がしたいのか分からなかった。

 ただ衝動的に身体が動いたのだ。

 川島とその浮気相手が振り返った。

「あれ、おまえ。この前のキャップ野球の」

「拓君、知り合い?」

 浮気相手の女がねっとりと川島に腕をからめた。

「その女の人はどなたで?」

「ん? ああ、柚子ちゃんと同じ一年だっけ。お前」

 川島はおれのいわんとすること分かったらしい。

「あれか? お前も柚子ちゃんのこと好きなのか?」

 川島は薄く笑みを浮かべた。

「あの子、可愛いし、話しててもおもしろいんだけど、あっち方面がこれっきりでよ」

 浮気相手の女は、川島のあっち方面の相手というわけらしい。

「て、てめぇ!」

「まあ、いくら柚子ちゃんの子と好きでも、おまえにはあの子無理だと思うぜ。おれも柚子ちゃんを手放す気はさらさらない。あんだけ可愛い子なかなかいないからな。柚子ちゃんもおれにゾッコンだからさ。今日のこと言っても絶対信じないと思うぜ」

 おれはべつに柚子のことを好きというわけではない。

 ただ、少しばかり長いつきあいの友達。

 その友達が傷つけられるというのは、やはり見過ごせない。

 おれは柚子の泣いた顔を知っている。

 柚子が不安になってストーカーまがいに張り込みまでしたことを知っている。

 柚子がだれにも相談できず、一人で抱えていたことを知っている。

「ああ? やる気か?」

 浮気相手の女はわけがわからず、いったん川島から離れていた。

「川島ぁ!」

 気づいたときには、おれは川島に殴りかかっていた。

 元々悪をやっていたときから、喧嘩は強かったほうだ。

 拳を突き出す。

「なっ……っ!」

 川島の顔は笑っていた。

 おれの拳は軽々とかわされ、

「ごほっ……」

 お返しに強烈な拳をみぞおちにぶちこまれ、床に転がされた。

「かはっ。かはっ」

 胃の内容物が逆流し、口の中に酸っぱい味が広がった。

「きゃーっ!」

 周りの客が悲鳴をあげて逃げていく。

 痛い。苦しい。

 でも、許せない。

「はあはあはあ」

 おれは、ゆっくりと立ち上がった。

「やめたほうがいいぜ。これでも空手をやってたんだ」

「川島ぁ!」

 おれはもう一度、川島に殴りかかった。

 しかし、川島は軽くおれの足を払い、体勢をくずしたおれの顔面を思いっきりぶん殴った。

 地面に転がったおれの鼻からは、大量の血が流れ出ていた。

 視界が揺らいでいる。

「やめなさい! やめなさい!」

 だれかが駅員を呼んだみたいだ。

「おまえが殴りかかってきたんだ。先公にチクってもしゃーねぇぞ。じゃあな」

 川島は女を連れて人混みに消えていく。

「くそっ」

 おれは、思いっきり自分の拳を地面にうちつけた。

「き、君大丈夫かい? 警察は呼ぶから」

 かけつけてきた駅員。

「いや、いいです」

「え……」 

 おれはふらふらと立ち上がり、電車の来るホームに向かった。



 翌日、学校に行くとおれはすぐにクラス中の生徒に囲まれた。

「え、英二、その怪我……」

「西谷くん、どうしたの? それ……」

「英二くん、大丈夫?」

 両親は二人とも長期の出張に出かけており、家に帰っても一人。昨日は怪我を放置したまま、そのまま眠ってしまった。おかげで、顔面の左半分がふくれあがり、目下が青くなっていた。腫れ上がった顔面は湿布と包帯で隠せるものでもなく、

「ぎゃはははっ、英二。朝からおもろーです」

 宮下に爆笑された。

「宮下君、サイテー」

「宮下、それはひどいわ」

 などと宮下アンチコメントが続出したが、

「おもろーだろ?」

 おれはニカっと笑ってやった。

「昨日、チャリ乗ってコンビニ行った途中によ、転んだんだよ。まあどうせすぐ治るぜ」

 とりあえず心配を笑いに変えると、みんなおれの元から離れていったが、一つ気になる視線があった。

 教室の奥から、柚子がおれを凝視していた。

 ケータイの着メロがなる。

『どうしたの? その怪我』

 柚子からだった。

『自転車で転んだんだよ。おもろーだろ?』

 あわてて返信する。

『ふーん』

 柚子はそっけない返事を返した。なにか気になることでもあるのだろうか。

 おれは、昨日のことを柚子に言うつもりもなければ、殴られたと先公にチクるつもりもなかった。本当のことをいうと、柚子を傷つけることになるから。

 そう思っていたのに。


 昼休み。

 おのおのが学食か購買に行き、教室を離れる。

 おれも宮下と購買に行こうとしたところ、教室の戸が静かに開き、他クラスの女子、三輪ちゃんが入ってきた。怪我の心配をしてきてくれたのだろうか。

「英二くん、大丈夫ですか?」

 こそこそとおれに近づき、おれに耳打ちした。

「昨日、たまたま池袋通ったんですけど、見ました! 西谷くんが喧嘩してるとこ」

「あ、ちょっ──」

 そのときたまたま教室から出ようとしていた柚子が前を通りかかった。

 三輪ちゃんを止める暇はなかった。

「昨日、喧嘩してましたよね、三年の川島先輩と」


「えっ……」


 *



「説明して」

 昼休み、屋上。

 柚子はおれをメールで呼び出した。

「……」

 幸い、三輪ちゃんの話はほかのやつに聞かれてはいない。

 おれは、簡単には口を開けなかった。川島と喧嘩した。それは、どういうことを意味するか。

「言えねー」

 柚子ももう気づいているだろう。浮気現場を目撃したおれが、それを指摘して喧嘩になったことを。

「ねえ、言ってよ!」

 でも、言ったら終わりだ。

 それを知ったら、柚子はどんな気持ちになるだろう。

「言えねー」

「言ってよ!」

 柚子の目には、涙がたまっていた。

「わたしを……ラクにしてよ」

「柚子……」

「わたしをラクにして」

 そう言われるともうどうしようもなかった。


「川島はやっぱり浮気していた」

 おれは、すべてをぶちまけた。



「く、くやしいな」

 柚子は泣いていた。

 やっぱり川島への気持ちは本物だったらしい。

「くやしいの。べつに自分を責めてるわけじゃないの。でも、くやしいな」

「……すまん、余計なことをした」

「ううん、ありがと。わたしのために」

 柚子は、ニヘっと涙ながらに笑った。

「ねえ、くやしいからさ」

「ああ」

「このままだとむかつくから」

「ああ」

「私と浮気して。それで、もう一回……拓人先輩を振り向かせてみせる!」

 そういう返答か。

 柚子にはどうやら川島と別れるという選択はないようだ。

「いいぜ。やってやるよ」

「今度はちゃんとやってやるの。拓人先輩の前でいちゃついてやって、思い知らせてやるの」

「ああ。やられたら、やりかえす、だな」

「それは、なんか違うなぁ」

 柚子は涙を拭いて笑った。


 この日、おれと柚子の浮気関係が再結成された。







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