第2話 揺れる尻 

「まだ、七時だと……」

 あと三十分は寝れる。

 今日はやけに目が早く覚めてしまった。仕方あるまい。あんなことがあった昨日の今日だ。

「ん?」

 ケータイが震えている。

 電話が来ていた。

「もしもし?」

 電話の相手は、

「早く取ってよ!」

 柚子だった。

「なんだよ、こんな朝っぱらから」

「早く出てきなさい! 今あんたの家の前にいるから!」

「は?」

 おれの部屋は二階にある。両親は出張で、海外に行っていた年がら年中のおれの教育というものをほっぽり出している。だから、家にはおれ一人しかいない。

 カーテンを開けると、確かに玄関先に柚子が貧乏揺すりをしながら、立っていた。


「遅い!」

 いつもより二十分も早く家を出たというのに、おれは理不尽も柚子に説教を喰らった。

 まだ、出勤時間でもない早朝だ。通りには、柚子以外だれもいなかった。

 早朝のおいしい空気が鼻をすぅっと通り抜けた。

 柚子は制服姿。靴下にせきとめられた、柔肉につい、目がとまってしまう。

「おまえ、まさかもういきなり一緒に登校とかする気か?」

 早速川島にいちゃラブ浮気現場を見せつけようというわけか?

「いきなりやるわけないでしょ。まだ拓人先輩が浮気してるって確証がもてたわけじゃないの」

「ん?」

 どういうことだ。

「わたしの友達でたまたま拓人先輩がうちの制服を着た女子と拓人先輩の家から出てきたとこを見たって子がいるの」

 なるほど。自分で見たわけではないのか。

 でも、その事実を柚子に教えるのはなかなか酷だな。

「でもその子の見間違いかもしれないし、なにか事情があったのかもしれない。とりあえず私は確証を持ちたい」

「えーと、じゃあ、おれ、いらなくね?」

「あんたも協力するの!」

 理不尽だ。なぜ、こんな朝っぱらから他人の色恋沙汰などに。 

「さて、じゃあ目に焼き付けときなさい」

「ん?」

 柚子がいきなり尻をおれに向かって突き出した。

「なにしてんだ。おまえ」

「あ、あんたがやれって言ったんでしょ!」

「あ、ああ」

 ほんとにやってくれるんだ。

「ほ、ほら。ふーりふり」

 柚子が尻を本当に振り始めた。

 スカートがゆらゆら、尻肉もゆらゆら。

 太もももゆらゆら。

 風なんか吹いて、パンツがちらりなんてことは起きないが、なにこれ、めちゃちゃいい。すごいいい。

 おれは徐々に自分の視線が、いや、体勢が下がってきていることを自覚した。

「な、なにしゃがんでのぞき込んでんのよ!」

 スクールバックで思いっきり叩かれました。



「いてー」

 バックでぶたれた頬をなでながら、おれは弱音を吐いた。

「だれもパンツ見てもいいとは言ってない」

 見ようとはしていない。身体が勝手に動いたんだ。つまり、おれのせいでは、ある。あるんかい。

「じゃあ、ここで見張ってて。わたしはあっち見張るから」

 電車で数駅。学校には行かず、柚子はおれをとあるドデカいタワマンの前まで連れてきた。ここに川島は一人暮らしをしているという。なるほど、ここが目撃現場か。柚子はマンションの、駅側の入り口、おれはその反対の入り口を少し離れたところから見張ることになった。

 柚子の情報によれば、浮気相手の個人の特定はできていないが、黒髪の長髪でうちの高校の女子かもしれないという。

「おまえ、ここ泊まったことあるのか?」

「な、なんてこと聞くのよ! ないに決まってるでしょ。まだ付き合って半年だし」

 ほお。左様ですか。我ながら凄まじい質問をしてしまったような気もするが。

「なんつーか、生々しいな。朝っぱらからマンションから出てくる女を見張るなんて」

「つべこべ言わないでちゃんと見張ってて。でないと、朝のあれ、痴漢で訴えてやるんだから」

「へいへい」

 

 *


 柚子と別れて二十分が立った。おれは茂みに隠れて、川島のタワマンをずっと監視していた。

 そろそろ学校に行かないと間に合わない時間だ。

 柚子に電話をしてみる。

「サラリーマンにおばさんしか出てこねーぞ」

「こっちも」

 やはり闇雲に張っても仕方がない気がするが。

「あっ──」

 柚子がなにか見つけたようだ。

「拓人先輩が出てきた」

「だれか一緒か?」

「ううん、一人」

「そうか」

 結局その朝、川島の浮気現場を目撃することはなく、そのまま学校に行くこととなった。まだ確信が持てないとのことで少し時間をずらして別々に登校した。



「英二、昨日はよくも!」

 教室に入ると早速宮下がおれの胸ぐらをつかんできた。宮下、それに柚子とは同じクラスだ。

「おまえがわるいんだ」

 昨日宮下は、つきあっていた女の子二人、二人? にどこかに引きづられていった。宮下の顔を見れば、猫がつけたような、ひっかき傷が両頬にあった。

「ふん、まあいい。あれは他校の女の子だからな。おれにはストックがまだ五人いる」

 こいつ、いつか刺されるぞ。伊藤くんになっちゃうぞ。

 柚子はすでに教室にいた。柚子は学校内ではわりと猫を被っている。人の悪口など絶対に言わないし、口調もおだやか。いわゆる優等生というものを演じている。女バス所属で成績優秀、先公からの信頼も厚い。交友関係も広く、女子みんなから慕われている。おれや宮下のような下品な奴とはけっして付き合わない。

 中学校の頃、おれと一緒に所属していたちょい悪グループにいたころとは打って変わってしまった。

 おれも『うんうん、○○だよね』『あはは、○○だよ』なんて口調の柚子と話すと鳥肌が立ちかねないので、学校では決して話しかけない。

「……?」

 席に着こうとすると、柚子と目が合った。

 なにやら目配せしてきた。

 ふむふむ、携帯を見ろと。

 柚子からメールがあった。

 『放課後も張り込みするから。今度は拓人先輩の塾帰りね。夜十一時、タワマン前集合で。来なかったら、殺す』

 へいへい。


 夜十一時。

 ちょうどサスカのカラオケパーティーがあったので、その帰りに寄る形となった。

「よう」

「来ないと思っていた。意外と協力的」

 尻のためですよ。

「じゃあ、朝と同じで。私こっち張り込むからあんたはあっちで」

「へいへい」 

 学校でもその強情さを突き通してもらいところだ。

 夜中の張り込みは、完全に変態のする所業だ。道行く通行人に不審な目を向けられる。制服さえ着ていなければすでにポリ公のごやっかいになっていただろう。


 張り込み開始から十分。

 早くも柚子から電話があった。

「拓人先輩、帰ってきた」

「だれか一緒か?」

「ううん、一人」

「そうか」



 それから何日も、朝と放課後に川島のタワマンを張りこむ謎の習慣ができた。

 茂みに隠れてひたすら川島の出入りを見張る。

 放課後は川島が塾に行く日は、深夜に張り込むことになる。おれはただ尻のためだけに毎日約一時間柚子につきあった。たまーにサボることもあるが、それでもおれは揺れる太もものために頑張った。


 しかしながら、おれとしてもそろそろ面倒になってきた。

「おーい、いつまでこんなこと続けんだ」

 放課後、タワマンから駅へと向かう道中。今日も川島は一人でタワマンに帰ってきた。

「浮気してるとこ見つけるまで」

「直接聞いてみりゃいいじゃねぇか」

「聞けるわけないでしょ。そんなこと。そもそも最近連絡だってろくに出来てないし」

 最近、柚子はあまり川島と会えていないらしい。川島は三年なので、受験学年。仕方あるまいがそれも柚子を不安にさせる原因の一つか。

 ところで、今日はやけに柚子が暗い。

「おまえ、また泣いたのか?」

「……ん」

 柚子はこのところよく家で一人泣いているという。

「昨日ね、拓人先輩とね、会ったの。学校で一緒に屋上でご飯食べたの。会うとね、すっごく楽しいの。でもね、家に帰ると私ってやっぱり浮気されてるのかぁ、拓人先輩今日見せたくれた笑顔って偽物なのかなぁって。そんなこと考えちゃうとすっごく切なくなるの」

「そっか」

「で、そんなこと考えちゃう私も嫌い」

 川島のことは好き。でも、川島のことを疑ってしまう。そんな自分が嫌い。

「……」

 おれにはなんにも言えることがない。

「ごめんね、こんなこと相談しちゃって」

「いいや、べつにおれは聞いているだけだ」

「やっぱりもうやめよっか。こんなこと」

「え?」

「やっぱり英二のいうとおりこんなことしても意味ないかも」

「……」

「私もう一回拓人先輩のこと、信じてみる」

「いいのか?」

「うん。だから、もうお尻振ってやんない」

 柚子がニカっと笑った。

「やっぱり英二だけだなぁ」

「え?」

「なんか高校での私って、ほら、優等生で通っちゃってるじゃん」

「まあそうだな」

「あんまりそういう話も人に相談できないっていうか。その、うわべだけの友達が多いって言うか」

 女バス所属で成績も優秀。先公も気に入られていて、女子みんなから慕われている。

「素の自分をさらけだせてないから、ちゃんとした友達もできない」

「まあ今お前が素のおまえをさらけだしたら、パニックになるだろうな」

 なんせこの北野柚子という女は、おれのいたちょい悪グループの面子と一緒に中学では通算六枚の窓ガラスを割り、通算十七回教頭のはげ頭の落書きを検挙され、通算五枚の反省文を書いた悪ガキだったのである。ただ成績とコミュ力だけは圧倒的だった。それが今の彼女を作った。

「なーんか、いつまでもこんなことしてられないなって思ってそれで高校ではちゃんとしよって思って優等生を演じてきたんだけど。いまはちょっと英二がうらやましい」

 素の自分をさらけ出せるのは、中学時代からの悪友であるおれだけというわけだ。

「とにかく! 今日で張り込みは終わり! カップルクラッシャー西谷の遭遇率をもってしても、出くわさないってことはやっぱり拓人先輩は浮気なんかしてないんだ。ごめんね、変なことに付き合わせちゃって」

 柚子はうーんと、背伸びをしてみせた。


 そして、その日、おれは





 ───川島の浮気現場を目撃した。

 タワマンからの帰り無性にトイレに行きたくなったおれは柚子と別れ、コンビニに寄った。

「うんこうんこ」

 大便をかまし、なにも買わないでコンビニから出て、そのまま駅に向かった。駅につき、切符を購入。

「ん?」

 改札前に、さきほど家に帰ったはずの川島がいた。

「ごめんね、拓くん、待った?」

「いいや今来たとこ」

 黒髪のロング。それにうちの制服。柚子の言っていた女だろうか。

「もう会いたかったぁ」

「おれも」

 川島が女の唇をうばった。

 身体のなかが、ぞわりとした。

「もうこんなとこでしないでよ」

「行こーぜ」

「うん」

 二人は手をつないで、川島のタワマンのほうへと消えていった。














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