お尻ふりふり不倫不倫!
@shiromizakana0117
第一章:北野柚子の場合
第1話 IWGP
「────英二。わたしと不倫してよ」
池袋駅、西口近く。夜十時半。夜中というのに、西口は昼間以上に騒がしい。西口公園の備え付けられたベンチでは大学生が路上飲みをしてはしゃいでいるし、公園前のコンビニでは酔い潰れたサラリーマンが歌っている。まさにカオス。
そんな喧噪のなか、柚子が、思わず耳を疑う発言をした。
「ねえ、いいでしょ?」
柚子が上目遣いで俺を見てくる。
「不倫?」
「もう一回拓人先輩に追っかけてほしいわけ。カップルクラッシャーなんでしょ、あんた。拓人先輩とあのゲス女、引き離してよ」
どうなってんの、これ! どうなっちゃうの、おれ!
*
二限と三限の間の昼休み。第二食堂、通称『二食』前の広場にあまたの男子学生が集結していた。
「「「うおおお、野球部がおさえた! 交代だ!」」」
「どうなるかわかんないな!」
「さすがに野球部だろ!」
年に一度行われる北高の伝統行事、部活対抗キャップ野球大会の決勝。
キャップ野球とはその名の通り、ペットボールのキャップで行う野球だ。例年決勝戦は『卓球部』対『野球部』が恒例だった。しかし、今年は野球部と、二年前から部活からサークルに降格しているサッカーサークル『サスカ』による番狂わせの試合となっていた。
今年のサスカは新星のバッテリーがいると校内では持ちきりである。
番狂わせが最終回まで続き、なんと現在サスカが一点のリード。ピッチャーフライで攻守交代し、次は野球部の攻撃だ。この最終回をしのぎきればサスカの優勝である。
「拓人ぉくん! 頑張って!」
「拓人先輩! ファイト!」
背の高い野球部の三年がバッターボックスに入った。
野球部の出会い目的女子──失礼、女マネから黄色い歓声が飛ぶ。
「へへっ。おれがでりゃ余裕っしょ」
川島拓人、三年。一言でいえば、ちゃらい男だ。金髪にピアス。
学年はおれの二つ上だ。特進クラスの首席。親は医者で、川島自身も超がつくほど頭がいいらしい。
「英二さん、野球しない野球部になんざ絶対負けられないっすよ! 空振り三振頼みます」
キャッチャーの位置についた宮下が堂々と言い放った。
宮下清太。おれ、西谷英二の一つ下の学年の一年。こいつを一言でいうならば人間のクズである。無類の女好きでルックスだけはいいことを武器に女子を食い散らかしているカスだ。
「おう!」
宮下の言う通り、野球部は全然野球をしていない。よく部員が川島が買ってきた高級バットを磨いているのを見かける。あれが、野球なんだってよ。
とたん野球部側からブーイングが起こる。
「てめーらだってカラオケしか行ってねーだろ!」
「おまえら週一しか練習してねーだろ!」
知らねーよ。まあ、それがサークルに降下した理由らしい。
ベンチのサスカの先輩たちは、がははと笑っていた。
「てか、なんで向こうのギャラリーには一杯女子いるのに、サスカには全然いないんですか!」
おれはファーストを務めるサスカの会長の工藤先輩を問い詰めてみた。
「ガハハ、なんでだろうな」
ライオンみたいな顔面でライオンのごとく大きく口を開けて笑う工藤先輩。
くそ、入るサークルを間違えた。
「さあ、やっちゃってください、ピッチャー!」
宮下の声でおれは、キャップを中指と親指に挟んだ。キャップ野球は変化球が命だ。カーブにチェンジアップにフォーク。あらゆる変化球を再現できる。
おれが構えるとギャラリーが一気に静まる。軽い向かい風がおれの頬をなでた。
宮下のサインを見て、変化球を決める。
一投目。
「おらっ」
カーブ。ストライクゾーンから大きくそれたキャップを川島は顔色一つかえず見送った。
「やりますね。部長さん」
「ふん、そっちこそ」
続く二投目。宮下のサインは超高速ストレート。
「おらっ」
川島が思いっきりバッドを振った。
コン、と軽い音。キャップは後ろにとんだ。ファールだ。危ない。
「惜しいぃ!」
野球部の女マネが歓声をあげる。
三投目。
今度は低めのストレート。ギリギリストライクゾーンに入ったが、川島はそれを見送った。
「ナイスです! 英二さん!」
「おう」
さて、舞台は整った
おれの視線を見て、宮下がうなづく。
「さて、あれを出すか」
今に見てろ。チャラ男。
消える魔球。
「おらっ!」
三球目。
少し姿勢を低くして投げた球速の遅いキャップは上昇し、
「なっ──!」
バッターボックスに届く手前で、ピッチャー側に折り返した。
ど真ん中になげられ、川島は当然バットを振っていた。バッドは空を切った。勢いよくスイングしすぎた川島が前につんのめって顔面から転んだ。
コンクリートに倒れ込む鈍い音。
「ストライーク!」
審判の声。
ひとときの静寂。そして、
「ぶはは、だっせーっ!」
宮下の爆笑。
「ぎゃははははっ!」
サスカの面々も爆笑した。
「な、なんだんだよ。今の球は!」
川島は顔を真っ赤していた。
おれはにやりと笑う。ここまで隠してきた必殺技。これがサスカを決勝戦まで導いたといって過言ではない。
「そういや部長さん。今日はいい風が吹いてますね」
「な……」
超低速で上向きに向いたキャップは風に流され……。
名付けてブーメラン。消える魔球だ。
そして、このあとサスカは野球部の攻撃を無事守り抜き、見事優勝した。
昼休みのあと、教室に戻ると、試合を見ていた男子たちがおれをかついだ。
「おまえ、やっぱすげーわ」
真っ先にかけつけてきたのは、悪友の山崎。
「あの川島をぶったおすなんてよ」
わっしょいわっしょい。おれは胴上げされながら、教室を一周した。
「ほんと男子ってバカよね」
「てか、西谷、ひきょー」
「もっと正々堂々戦いなさいよ!」
教室の中央には、女子の群れができていた。女子はみんな、野球部部長川島の味方らしい。
「ね、ひどくない? 柚子ちゃん?」
「ほんと最低だよねー。柚子ちゃん、かわいそう」
その女子の中心にいるのは、北野柚子。
ポニーテールの黒髪。どちらかというと童顔だが、身長は普通。しかし、その愛嬌ある顔で二年男子からは絶大な人気を誇る。人気なのは、顔だけではない。それは、太ももだ。太もも評論家の山崎いわく、柚子の太ももは、太ももの完成形だという。『ふっ。あーれは、すごいぜ。柔肉が靴下にせき止められて、ふんわりというよりむっちりした印象。それが、いい! 素晴らしい! 芸術だ!』らしい。
女バスの部長で成績も優秀。女子からも人気が高く、先公からの信頼も厚い。生徒会にも書記として入っていて、いたってまじめな生徒。まさに優等生。みんながあこがれの存在。教室ではいつも女子に囲まれている。
「ええっと……西谷くんも頑張ってたから。わたし、全然気にしてないよ」
北野柚子は女子からの問いかけに戸惑いながらもそう答えた。なぜ、女子がおれをさげすみ、北野柚子をかわいそうと言っているのか。それは、北野柚子の彼氏が、あの野球部部長の川島だからだ。三年男子一のモテ男と、二年女子一のモテ女。まさに理想のカップル。
「優しい。やっぱり柚子ちゃん優しすぎ!」
「柚子ちゃんまじ天使―っ!」
「そ、そんなことないよぉ」
つまるところ、公衆の面前でおれが川島をコケにしたとして、女子はみな怒っているのだ。
男子にとっては、二年一の美少女を奪った川島を打倒したおれを英雄扱いしているわけだ。
「そうだ。わたし、先生に授業準備手伝ってって言われてたんだ」
そういって、北野柚子が席をたった。
「あ、じゃあわたしも手伝う」
「わたしも」「わたしも!」「わたしもー」
「うん、みんなありがとう!」
北野柚子は、優等生で、人気者だ。
放課後。池袋。西口公園前のカラオケ。広いパーティールームにむさ苦しい男が約二十名。
「よーくやったぞ英二! 清太も!」
マイクを持った会長の工藤先輩が、馬鹿でかい声で叫ぶ。当たり前のようにマイクが割れる。
「ぎゃははははっ! 今日は歌うぞ! 打ち上げだ!」
いつもカラオケじゃねーかよ、というツッコミはさておき宴会が始まった。
次々に運ばれてくるポテトに唐揚げ。もちろんジュースとアイスは取り放題なのですぐに机がうまっていく。
「ぎゃははははっ! よくやった! 清太! 英二!」
三年の先輩が超絶音痴な歌を繰り広げるなか、サークル会長の工藤先輩が今日の主役のおれと宮下のもとによってきた。工藤会長を一言でたとえるなら、それはライオンだ。とにかく顔が濃い。家系ラーメンの濃いめ以上に濃い。あと毛深い。そんな男がおれと宮下の首根っこを捕まえた。
「お、おい宮下」
「英二さん、まずいっす!」
工藤先輩がにやにや笑っている。
「ちゅうもーく!」
三年の先輩が歌い終えたところで、会長の工藤先輩が大声を張り上げた。
「今年、サスカを優勝に導いたのは紛れもないこのアホ二人のおかげだ」
ひゅーひゅーと口笛がなる。
「おまえらにはそのバッテリーの絆をもう一度ここで示してほしい!」
「へ……?」
おれはわけがわからず首をかしげるものの、宮下はまるで殺人現場をみたような顔をしている。
「英二さん、まずい。まずいっす!」
宮下はなにか知っているらしい。
工藤会長がポケットからなにかを取り出した。
「名付けて────」
「「「「ポッキーゲーム!」」」」
全員の息がぴったりとあった。
工藤先輩がうんうんとうなづく。
「な、なんですか! それ! 罰ゲームじゃないですか!」
おれは必死に抵抗の声を上げた。
「そうですよ、工藤先輩。なんでこんなアホと」
「ああ? だれがアホだと? 宮下! てめぇ、先輩に向かって」
ていうかどうして活躍したのに罰ゲームを受けるんだ。
「だまれ、清太、英二。とっととやれ」
「ふごごごごごっ」
工藤に首根っこをつかまれて、宮下と顔面をつきあわされた。
宮下の嫌味なほど整った顔面が間近にある。
「今日はこのポッキーをお前ら二人でひとかけらも残さず食い切るまでお前らを帰さん」
「絶対無理じゃないですか! それって絶対キス必須じゃないですか! いやですよ! 宮下なんて。だれがこんなクズと!」
「ああ? だれがクズですって?」
そんなおれと宮下を先輩たちはなぜか微笑ましく見ている。
「ほんと仲いいな。お前ら」
「じゃあ、もうやらなくていいでしょ!」
なんでおれが罰ゲームを受けなきゃいかんのだ。
「いや、やれ!」
「ポッキーゲームって女子とやるから面白いんじゃないですか!」
とはいってもうちのサークルの女子といえば一人。
「だってよ、美和ちゃん? やるか? 英二と」
パーティールームの奥の方でちょこんと座るサスカ唯一の女子、マネージャーの美和ちゃん。おしとやかでどこかぬけてておっとりしてて。栗色のふんわりした髪が可愛いおれの同じ二年。サスカは去年、新歓に悉く失敗し、二年生はおれと三輪ちゃんの二人だけだ。
「え、えーと、わたしはその……」
「そうだ、美和ちゃんには彼氏がいるんだ。諦めろ、英二」
サスカ唯一の花には悲しいことに男がいた。
「ていうかいい加減サッカーやりましょうよ! サッカー! おれサッカーやりたくてこのサークル入ったンですよ! 今からでも練習しましょうよ!」
サッカー練習はたったの週一回。それ以外はオフで、連日カラオケかゲーセン。まじでなんなのこのサークル。
そんなおれの抗議に工藤先輩はなに寝ぼけたことをという顔を向けてくる。
「あれ、言ってなかったか? サスカはだな」
「『サッカーするか』の略なんですよね!」
サッカー部がサークルに降格する際に名付けられたサークル名。
「ああ、だからな、『するか』って意気込んでいるだけで『する』ってわけじゃないぞ」
「はぁあああああ?」
先輩たちはみんなガハハと笑っていた。
「さぁ、やれ!」
「「ふごごごごごごっ!」」
そして、おれと宮下はキスするまで永遠とポッキーを食べさせ続けられた。
夜十時。結局、おれと宮下がポッキーゲームをやりとげたのは、高校生が退店しなければいけない夜十時ぎりぎりだった。
先輩たちにつれてられてぞろぞろとブクロの駅に向かう。最後尾を歩くおれと宮下と美和ちゃん。
「美和ちゃんはどこ住みだっけ?」
「駒込です」
美和ちゃんはだれに対しても敬語を使う、かしこまった子だ。
「じゃあ、山の手ですぐか。宮下、送ってやれよ。お前も山の手だろ?」
「……」
「おーい、宮下くん?」
「な、なんすか」
あれ、宮下の様子がおかしいぞ。
視線をあわせてくれないぞ。
「なんかこいつキモくねーか。美和ちゃん」
「ええと宮下くんは西谷君と、えっと、そのチュ、チューして緊張しているのだと思います」
なんてこと言うんだ美和ちゃん。この子、天然だから、たまにぶっ飛んだこと言うんだよな。名付けて『美和ちゃん砲』。
「そうなのか? 宮下」
「違いますよ!」
宮下がこっそりとおれに耳打ちしてきた。
「やばいんすよ。駅の階段の前に今おれと付き合っている子がいるんです」
「ん? あってくればいいだろ」
「それが、二人いるんですよ。あー、あいつら知り合いだったのかよ……」
なにいってんだこいつ。
宮下の指さした先には確かに二人の女子がいた。
ああなるほど。そういうこと。やっぱクズだな。こいつ。
おれが一つ咳払いし、
「いやぁ、今日はありがとうな。宮下!」
『宮下』を強調して、大声で言ってやった。周りの通行人も不意をつかれたみたいだが、当然宮下の彼女だという女の子二人も振り返った。そして、女の子たちは、慌てふためる宮下に気が付いた。
「「うわ、清太くんじゃん」」
二人の声が、完璧に重なった。
「「え、あんた清太くんの知り合いなの?」」
また重なった。
「な、なにするんすか!」
宮下が発狂しながら、おれの首をしめてきた。
「がははっ。顔がいいからって好き放題してるからだ」
詰め寄ってくる二人の女の子。
「どういうこと、清太くん!」
「どういうことなの! 清太くん」
一方の美和ちゃんはなんとか場を納めようとしてくれて、
「あわわわわわっ。ど、どうしましょ。西谷くん。修羅場、修羅場ですーっ!」
でももちろんできなくて、ただ一人であたふたとしていた。
「本当なんですね。西谷くんのあだ名」
「あだ名?」
「『カップルクラッシャー』、ですよね?」
そう、おれ、につけられた数多くの侮辱的あだ名のうち、最も広まっているもの、それは『カップルクラッシャー』というあだ名だった。
「わたしも気をつけないと」
「いやいや大丈夫だからね。美和ちゃんにはそんなことしないからね」
おれ、西谷英二は生涯『カップルの片方の浮気現場』であったり、『カップルの片方の以外な一面』ってやつに遭遇しやすい体質だった。そして、『カップルクラッシャー』と言われた所以は実際にその『見てはいけない』ものをさらしあげる、歩く『週刊文春』ってところから来ている。
宮下が二人の女の子にぼこぼこにされていた。
「えっと、それじゃあ私はこれで……」
どうしようもないなと見限った美和ちゃん。意外と冷血。
宮下は女子二人にどこかにひきづられていった。
先輩たちはもう先に行ってしまったみたいだ。
さて、おれも帰るか。おれは駅の階段を下りて、切符を買おうと、ポケットの財布を探した。
「ん?」
おかしい。
ない。
財布が、ない。
ポケットにいれていたはずなのに。
「やべーっ!」
見渡してもすでに宮下と美和ちゃんの姿がない。
「絶対カラオケだ」
おれは急いでカラオケ屋に戻ることにした。赤信号も待ちきれず、車がいないことを確認して通りを走って渡る。猛ダッシュで来た道を戻り、そのままカラオケ屋に突っ込んだ。
「五〇一だったはず」
部屋番号は覚えている。あとは、見つかるかどうかだ。
「……まじでだるい」
ええ、結論、紛失しました。ありませんでした。どうやって帰るの、おれ。カラオケの店員いわく、次にルームに入ったお客さんに聞いてみたけど、なかったらしい。
間違いなくそいつらにパクられた。財布の中にはそこそこの値段が入っていたはずだ。
「ちっ……」
あんなことしたあとだから、宮下は呼んでも絶対来ないし、美和ちゃん呼ぶのもアレだし。
「じゃあ、アイツ呼ぶか」
二十分後。
「で、なんでわたしが呼び出されるわけ?」
西口に、ジャージ姿の、頼れる御方が来た。
おれが呼んだのは、『クラスの人気者で優等生』の北野柚子である。
「おまえだっていっつもおれを呼びつけるじゃねぇかよ」
「それはべつにいいじゃない。どうせ、あんた暇でしょ」
こいつは、学校を出ると、『性格』が変わる。いや正しくは、彼女の過去を知るおれの前では性格が変わるである。おれと柚子は中学が同じだった。
「はぁ……。普通こんな夜遅くに女のコ呼び出すかな? それも彼氏持ちの」
柚子は、今日おれと宮下が戦った野球部部長、川島拓人とつきあっている。
「どの口が言ってんだ。おまえ、いっつも夜中に呼び出すじゃねぇかよ」
「ふんっ」
みんなの憧れの『柚子ちゃん』は、はっきり言えば性格が悪い。夜中におれを呼びつけては、教室であったあれやこれやの悪口と愚痴を永遠とおれに聞かせるのである。こいつは元々おしとやかな性格なんかじゃない。中学ではおれと同じちょい悪グループに属して、散々反省文を書いてきた元悪ガキなのだ。なにを思ってか高校からはまるきり表の顔を変えたが、人の根性は変わらないのである。
「ほんとサイテー。超特急っていうからスッピンで来させられたんですけど。英二、何回目? 財布なくしてわたし呼び出すの」
柚子はわりとお怒りだった。
「四回、いや五回?」
「はぁ……あきれる」
「で、とにかく金貸してくんね? 交通費」
「ほんと馬鹿なんだから」
柚子がピンクの明るい財布を取り出し、おれに少々お金をめぐんでくれた。
「ん?」
「なによ?」
「柚子、またメイク濃くなった?」
「なによ? 失礼ね。さっきも言ったじゃない。スッピンですけど!」
お怒りの柚子。
「いやそれにしては目の下が黒いっつーか」
ゲーセンの電子公告のおかげで、駅前は全く暗くない。
「こ、これは寝不足!」
「そっか。ちゃんと寝ろよ」
「英二のせいでさらに睡眠が削られてます!」
「すんませんね……。まあとにかく、サンキュー! 明日返すわ。行こうぜ」
階段を下りようとしたおれ。
「ちょっと待って」
柚子が突然呼び止めた。
「なんだよ」
「あんたってほんとすごいよね」
「へ?」
なにいってんだ。
「あれ」
柚子が指さすそのさきには、
「じゃあそろそろ帰りましょう。マーくん」
「うん、ママ!」
仲睦まじい、いや睦まじすぎて、もはやドン引きするほど、べたべたしている親子がいた。いい年した男子が母親と恋人つなぎをして歩いていた。
そして、その男をおれと柚子は知っていた。
「え、まじ? あれ、矢沢じゃん」
うちの高校の特進コース所属副生徒会長、三年の矢沢正夫だ。クールで頭脳明晰、先公からの信頼も厚く、そして女子にもモテる。当然のごとく彼女持ちの男。矢沢と三年のマドンナ女子のカップルは校内でも有名だ。
「……っ」
矢沢が、柚子のジャージ、つまり、うちの高校のジャージに気づく。すぐにおれも矢沢と目があった。
「あっ……」
矢沢はあわてて母親から離れようとするも、母親が矢沢の手を強くからめていたのか、無理矢理振りほどく形となってしまった。
「マ、マーくん? どうしたの?」
「マ、ママちょっと黙ってて」
おれはこの副会長さんに少々恨みがあった。この前、夜十一時以降サスカの面子とゲーセンで遊んでいるところを塾帰りのこの男に見つかり、次見かけたら、教師陣の報告すると長々と説教されたのである。
「き、きみたち、こんな夜中にどうしてこんな場所にいるのかな? きみはたしか西谷くんだっけ? また悪さをしようとしているのかい? それとも不純異性交遊でもしようというのかい?」
矢沢あくまで、副会長を演じる気らしい。
「いえいえ財布を落としましてね。困り果てていたところ、友達が駆けつけてくれたんですよ」
「そ、そうか。早く帰ることだな。では、ぼくはこれで」
きびすを返そうとする矢沢に、おれはケータイを向ける。
「なっ……」
柚子がとなりでクスクスと笑っている。
画面に映りだされたのは矢沢とその母親の仲睦まじいお写真。
「矢沢先輩にはいつもお世話になっていて。いやぁ仲いいっすね。まるで恋人みたいだ」
「あら、やだ? 恋人だって。マー君」
矢沢の腕に絡みつく母親。矢沢はふりほどこうにも振りほどけず、一人で葛藤している。
「いやぁ、こんな仲睦まじい姿を彼女さんが見たら大変ですね」
「……お、おまえ、まさか……」
母親のほうはおれが盗撮したことなど全く気付いていなかったが、矢沢は事態を把握したらしく、顔が青ざめていた。
「嫉妬されちゃうわ。うふふ」
母親はまったく事情が分かっていないらしく、相変わらず矢沢にベタベタしている。
「わ、わかった。例の件は不問にしよう。それでどうだな?」
「分かりました」
矢沢と別れてもなお柚子はクスクスと笑っていた。
「柚子も大概性格わりーな」
「だ、だって。あんな大男がママって」
柚子は腹を抱えて、笑っていた。あーこりゃ、つぼに入ったな。
やっぱりこいつ、性格わりぃな。
「やっぱり、すごいね。カップルクラッシャー西谷くん?」
「やめろ、その呼び方」
全くもって嬉しくなる才能である。
階段に足を向ける。
「帰ろうぜ」
「待って」
また、柚子がおれを呼び止めた。
「ん?」
「……」
柚子は少し、間を置いて口を開いた。
「ねえ、英二に、カップルクラッシャー西谷に頼みたいことがあるの」
「は?」
「これ、なんの跡だと思う?」
そういって、柚子は先ほどおれが指摘した目元を指さした。
「寝不足じゃねーのか?」
「涙。泣いたの、わたし」
「……?」
「私と付き合ってる拓人先輩、多分、浮気してる」
「え……」
柚子からそんな話をされるとは思いも寄らなかった。
「わたし、悔しい。向こうが告白してきて付き合った。でも、多分浮気された」
柚子とは、たしかに中学からほどよく仲は良かった。同じちょい悪グループに属し、よく先公に一緒に叱られていた。でも、そんな込み入った話はしたことはない。高校に入ってもちょくちょく夜中に遊んでいるが、いつもカラオケや公園でする話は他愛もない世間話か柚子の愚痴。『なんでいっつもわたしが代表してやらないといけないの!』。『わたしは結婚相談所でもなんでもないの! なんで恋愛相談なんかされなきゃいけないの!』。
そんな、愚痴を聞かされるくらいだ。だから、おれは驚いていた。
「ねえ、英二……」
柚子の瞳が潤んでいた。
「わたし、別れさせたいの。あの二人を。だから協力してくれない?」
「協力?」
「そう、協力」
柚子は一息ついて、こういった。
「────英二、私と不倫してよ」
柚子が、思わず耳を疑う発言をした。
「ねえ、いいでしょ?」
「不倫?」
「私、もう一回拓人先輩に追っかけてほしいわけ。 カップルクラッシャーなんでしょ、あんた。拓人先輩とあのゲス女、引き離してよ」
どうやら柚子は川島の浮気相手をすでに知っているようだ。
柚子はおれと浮気しているところを川島に見せつけて、再び川島を振り向かせようという作戦らしい。なるほど、人というのは自分の選択肢を奪われるのが嫌いな生き物だ。タイムセールで残り五個と言われれば買ってしまう。もし五個がなくなったときには、商品を買うという選択を奪われてしまうのだ。つまり、なくなりそうな選択肢ほど魅力的に見える。
その心理を柚子は利用しようとしているわけだ。
「なんでそんなことおれがするんだ。おれに全く得がない。ってかその不倫って言い方、生々しいからやめろ」
普通、不倫じゃなくて、浮気だろ。高校生なんだから。
べつに柚子のことを好きでもないし、他人の女を寝取ったゲス野郎というレッテルが貼られるのもごめんである。
「あるよ。いいこと」
「い、いいこと?」
「英二のお願い、なんでも聞いたげる」
なんでも。なんでもってなんだよ。まさかあーんなことやこーんなことも?
「なんでも? エッチぃのでも」
柚子といえば尻。尻といえば柚子。冀わくはそのデカ尻をおすそわけしていただきたくそうろう。
「だ、だめに決まってるでしょ! 何言ってんの変態!」
「ぶへっ」
ぶたれた。思いっきりぶたれた。柚子は顔を真っ赤にしていた。
「お、親父にだってぶたれたことないのに!」
「うるさい!」
定番の返しを一蹴され、
「そういえば、わたし、毎回あんたにシケプリ回してあげているよね?」
「ま、まさか……」
『シケプリ』。それは、『試験対策プリント』の略だ。授業をわかりやすくかみ砕いてあったり、試験の予想問題なんかが載っている。頭の不出来なおれは、いつもそれを試験前に、お勉強は確かにできる柚子がもらっていた。なお、柚子のシケプリは評判が良くて、おれが売りさばいていたのは、内緒である。
「あんた、しかもそれを売りさばいていたんだって?」
「ひ、ひぃっ」
ばれてた。ばれてたのかよ。
「協力してくんないと、つぎのシケプリあげないから」
「お、おい、それはひどいぜ」
「ふん、たまには自分で勉強しろってこと」
「わ、わかった。やる。やります。やらせてくださいっ!」
「あーら、本当? よ、ろ、し、くね? 英二くん」
こういうわけで、おれは北野柚子の不倫相手(嘘)になってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます