お尻ふりふり不倫不倫!
@shiromizakana0117
第1話
「────英二。わたしと不倫してくんない?」
「え……?」
「不倫。わたしと」
「はああああああ?」
池袋駅、西口。夜十時半。夜中というのに、西口は昼間以上に騒がしい。西口公園に備え付けられたベンチでは大学生が路上飲みしているし、コンビニ前では酔い潰れたサラリーマンが歌っている。交差点では昼間以上に人が行き交い、水商売の宣伝車が爆音で通過していく。
そんな喧噪のなか、柚子が、耳を疑う発言をした。
不倫? おれと? わけが分からん。
「だってだって、くやしいじゃん。わたしが告白したんだったら、分かるよ? でも、向こうが告白してきたんだよ? それなのに、向こうが不倫って……」
メソメソメソ。
「うん、とりあえず、不倫ってのやめよーぜ。生々しくなっちゃうから」
どうなんの? おれ。どうなっちゃうのーっ!
*
二限と三限の間の昼休み。第二食堂、通称『二食』前の広場にあまたの男子学生が集結していた。
「「「野球部が抑えた! 交代だ!」」」
「うわーおもしれー」
「さすがに野球部が勝つだろ!」
年に一度行われる北高の伝統行事、部活対抗キャップ野球大会の決勝。
キャップ野球とはその名の通り、ペットボトルのキャップで行う野球だ。例年、決勝戦は、普段からキャップ野球を嗜む『卓球部』VS単純に野球の得意な『野球部』になるのが恒例だった。しかし、今年は番狂わせが起こった。
決勝戦には優勝候補の野球部。しかし、その対戦相手は、卓球部ではなく、サッカーサークル『サスカ』となった。『サスカ』は、いわくつきのサークルだ。もともと部活でサッカー部だったらしいけど、五年前に部からサークルに降格したらしい。
今年のサスカは新星のバッテリーがいると校内では持ちきりだった。
「一点差だ!」
最終回、先攻サスカはピッチャーフライでアウトを取られ、攻守交代。次は野球部の攻撃だ。この最終回をしのぎきればサスカの優勝だ。
「拓人くん! 頑張って!」
「拓人先輩! ファイト!」
背の高い、野球部の三年がバッターボックスに入った。
野球部の出会い目的女子──失礼、女マネから黄色い歓声が飛ぶ。
「へへっ。おれがでりゃ余裕っしょ」
川島拓人。金髪にピアス。顔はむかつくほどにイケメン。某アイドル事務所からも何度か声がかかったらしい。学年はおれの一つ上の三年だ。
ただでさえ、女子にモテモテでむかつくのに、特進クラスの首席ときたもんだから、発狂ものだ。親は医者で、川島自身も超がつくほど頭がいいらしい。
「英二さん、野球しない野球部になんざ絶対負けられないっすよ! 空振り三振頼みます」
キャッチャーの位置についた宮下が堂々と言い放った。
宮下清太。おれ、西谷英二の一つ下の学年の一年。こいつを一言でいうならば人間のクズである。無類の女好きで、ルックスだけはいいことを武器に女子を食い散らかしているカスだ。
「おう!」
宮下の言う通り、野球部は全然野球をしていない。よく部員が川島が買ってきた高級バットを磨いているのを見かける。あれが、野球なんだってよ。ちなみにそのバットは川島以外使ったらダメらしい。
とたん野球部側からブーイングが起こる。
「てめーらだってカラオケしか行ってねーだろ!」
「おまえら週一しか練習してねーだろ!」
そう言われるとなにも言い返せないのが、サスカだ。うちは、ほんとに練習というものを週一しない。まあ、それがサークルに降下した理由らしい。
ベンチのサスカの先輩たちは、がははと笑っていた。
「てか、なんで向こうのギャラリーには一杯女子いるのに、サスカには全然いないんですか!」
おれは、ファーストを務めるサスカ会長の工藤先輩を問い詰めてみた。
「ガハハ、なんでだろうな」
ライオンみたいな顔面で、ライオンのごとく大きく口を開けて笑う工藤先輩。
くそ、入るサークルを間違えた。
おれの思い描いていた高校生活とは、まさに野球部だ。たくさんの女マネに囲まれて、練習はそこそこ、たまに試合もあって。青春だ。
でも、サスカといえば。
むさくるしい男オンリー。唯一の女子はマネージャーの美和ちゃん。ちなみに彼氏持ち。
「さあ、やっちゃってください、ピッチャー!」
いやいや、悪態をついてる場合じゃない。今は試合に集中。あのむかつく面をゆがませてやるよ。
キャップを中指と親指に挟む。
キャップ野球は変化球が命だ。カーブにチェンジアップにフォーク。本物の野球にあるあらゆる変化球を再現できる。
おれが構えるとギャラリーが一気に静まる。
「すぅ……」
小さく息を吐く。軽い向かい風がおれの頬をなでた。
宮下のサインを見て、変化球を決める。
一投目。
「おらっ」
カーブ。ストライクゾーンから大きくそれたキャップを、川島は顔色一つかえず見送った。
「やりますね。部長さん」
「ふん、こんな弾でおれに勝てると思ってんのか?」
続く二投目。宮下のサインは超高速ストレート。
「おらっ」
ストレートボールに、川島が思いっきりバッドを振った。
コン、と軽い音。キャップは後ろにとんだ。ファールだ。危ない。
「惜しいぃ!」
野球部の女マネが黄色い歓声をあげる。対して、うちのベンチからは「なにやってんだ! 英二!」「とっとと決めろよ!」と罵詈雑言が飛んでくる。
三投目。
今度は低めのストレート。ギリギリストライクゾーンに入ったが、川島はそれを見送った。
「ナイスです! 英二さん!」
「おう」
さて、舞台は整った
おれの視線を見て、宮下がうなづく。
「さて、あれを出すか」
今に見てろ。チャラ男。
名付けて、消える魔球。
「おらっ!」
三球目。
少し姿勢を低くして投げた、球速の遅いキャップは、ふわりと上昇し、
「なっ──!」
バッターボックスに届く手前で、ピッチャー側に折り返した。
ど真ん中になげられ、川島は当然バットを振っている。バッドは空を切った。勢いよくスイングしすぎた川島が前につんのめって、ドスッと派手な音を立てて、地面に転んだ。
「ストライーク!」
審判の声。
ひとときの静寂。そして、
「ぶはは、だっせーっ!」
宮下の爆笑。
「ぎゃははははっ!」
サスカの面々も川島をあざけわらった。
「な、なんだんだよ。今の球は!」
あわてて起き上がった川島は顔を真っ赤していた。
おれはにやりと笑う。ここまで隠してきた必殺技。これがサスカを決勝戦まで導いたといって過言ではない。
「そういや部長さん。今日はいい風が吹いてますね」
「な……」
超低速で上向きに向いたキャップは風に流され……。ブーメランの要領で投手のほうへわずかに戻る。名付けて、消える魔球だ。
強敵の川島さえ倒せばうちに勝ちは間違いない。そして、このあとサスカは野球部の攻撃を無事守り抜き、見事優勝した。
「英雄の凱旋だ!」
昼休みのあと、教室に戻ると、試合を見ていた男子たちがすぐさまおれの周りに集まった。
「おまえ、やっぱすげーわ!」
「だろ?」
真っ先にかけつけてきたのは、悪友の三上。ロン毛の眼鏡でいかにも奇才天才をにおわせる見た目だけど、正真正銘のただの馬鹿である。いつもおれと試験で最下位争いをしている。
「あの川島をぶったおすなんてよ」
「よーし、胴上げだ!」
三上がそんなことをいうと、
「うぇっ?」
すぐに多数の男子に、腕、太もも、膝、首をつかまれて。そのまま身体を持ち上げられた。
わっしょいわっしょい。わっしゃいわっしょい。
「わあ、ちょ、揺れる」
あ、でも。
うわぁ、なにこれ、気持ちいい。がはは。
「ほんと男子ってバカよね」
「てか、西谷、ひきょー」
「もっと正々堂々戦いなさいよ!」
冷たい視線と、冷たい声。
教室の中央には、女子の群れができていた。同じクラスだというのに、女子はみんな、野球部部長川島の味方らしい。
「ね、ひどくない? 柚子ちゃん?」
「ほんと最低だよねー。柚子ちゃん、かわいそう」
その女子の中心にいるのは、北野柚子。
ポニーテールの黒髪。どちらかというと童顔だが、身長は普通。しかし、その愛嬌ある顔で二年男子からは絶大な人気を誇る。人気なのは、顔だけではない。それは、尻だ。美尻評論家の三上いわく、柚子の尻は、美尻の頂点だという。
『あーれは、すごいぜ。ふんわりというよりむっちりした印象だがそれがいい。尻の頂点だ!』らしい。
二年なのに女バスの副部長で成績も優秀。女子からも人気が高く、先公からの信頼も厚い。生徒会にも書記として入っていて、いたってまじめな生徒。まさに優等生。みんながあこがれの存在。教室ではいつも女子に囲まれている。下世話なおれと一切の交わりがない存在。
「ええっと……西谷くんも頑張ってたから。わたし、全然気にしてないよ」
北野柚子は女子からの問いかけに戸惑いながらもそう答えた。なぜ、女子がおれをさげすみ、北野柚子をかわいそうと言っているのか。それは、北野柚子の彼氏が、あの野球部部長の川島だからだ。三年男子一のモテ男と、二年女子一のモテ女。まさに理想のカップル。
「優しい。やっぱり柚子ちゃん優しすぎ!」
「柚子ちゃんまじ天使―っ!」
「そんなことないよぉ」
つまるところ、公衆の面前でおれが川島をコケにしたとして、女子はみな怒っているのだ。ま、男子にとっては、二年一の可愛い子を奪った川島を打倒したおれを英雄扱いしてるわけだけど。
「そうだ。わたし、先生に授業準備手伝ってって言われてたんだ」
そういって、北野柚子が席をたった。
「あ、じゃあわたしも手伝う」
「わたしも」「わたしも!」「わたしもー」
「うん、みんなありがとう!」
いやぁ、人気者だね。人望あるっていいよね。ま、おれもあるけど。胴上げもしてくれるし。と、思いきや、北野柚子その他女子の敵になりたくない男子は、
「うん、やっぱこいつ卑怯だな」
「おれもそう思う」
おれへの心配一切なしで、
「うわっ!」
そのままぽいと、おれを地面に落としやがった。
「いってぇえええ!」
放課後。
池袋。西口公園前のカラオケ。広いパーティールームにむさ苦しい男が約二十名。暑い。これ、クーラー暖房になってんの、と思ってリモコンを見てみれば、なんと冷房十八度。あんたら、代謝良すぎだろ。
「よーくやったぞ英二! 清太も!」
マイクを持った会長の工藤先輩が、馬鹿でかい声で叫ぶ。当たり前のようにマイクが割れる。「よくやったー!」「いや、おれの活躍だ」「英二、清太―、ナイスだ!」次々と先輩たちがそう叫ぶ。
「ぎゃははははっ! 今日は歌うぞ! 打ち上げだ!」
いつもカラオケじゃねーかよ、というツッコミはさておき宴会が始まった。『キャップ野球優勝祝い』らしい。
次々に運ばれてくるポテトに唐揚げ。もちろんジュースとアイスは取り放題なのですぐに机がうまっていく。
おれもジュースをとって、宮下の隣に座った。
「どうしたんすか? 英二さん、さっきから自分の尻ばっかり触って。いくら、彼女がいないからって、自分の尻にまで欲情しないでくださいよ?」
「してねーよ!」
ケツ、いてー。さっき、結構うっちゃったな。よし、明日あいつら殴ろう。
三年の坊主の先輩が超絶音痴な歌を繰り広げるなか、サークル会長の工藤先輩が今日の主役のおれと宮下のもとによってきた。工藤会長を一言でたとえるなら、ライオンだ。とにかく顔が濃い。家系ラーメンの濃いめ以上に濃い。あと毛深い。そんな男がおれと宮下の首根っこを捕まえた。
「楽しんでるか?」
にっこりと微笑む工藤先輩。
「え、はい」
そういうと、工藤先輩は「そうかそうか」と奇妙な笑みを浮かべた。
「英二さん、まずいっす!」
「ん?」
工藤先輩がなにやらにやにや笑っている。
「ちゅうもーく!」
三年の先輩がカスみたいな歌を終えたところで、会長の工藤先輩が大声を張り上げた。
「今年、サスカを優勝に導いたのは紛れもないこのアホ二人のおかげだ」
ひゅーひゅーと口笛。
「おまえらにはそのバッテリーの絆をもう一度ここで示してほしい!」
「へ……?」
おれはわけがわからず首をかしげるものの、宮下はまるで殺人現場をみたような顔をしている。
「英二さん、まずい。まずいっす!」
宮下はなにか知っているらしい。
工藤会長がポケットからなにかを取り出した。
「名付けて────」
「「「「ポッキーゲーム!」」」」
全員の息がぴったりとあった。
工藤先輩がうんうんとうなづく。
え、ええええ? ポッキーゲームって、あのポッキーゲームだよな。まさか、それを宮下と。
「な、なんですか! それ! 罰ゲームじゃないですか!」
おれは必死に抵抗の声を上げた。
「そうですよ、工藤先輩。なんでこんなアホと」
「ああ? だれがアホだと? 宮下! てめぇ、先輩に向かって」
ていうかどうして活躍したのに罰ゲームを受けるんだ。
「だまれ、清太、英二。とっととやれ」
「「ふごごごごごっ」」
工藤に首根っこをつかまれて、宮下と顔面をつきあわされた。
宮下の嫌味なほど整った顔面が間近に。
「今日はこのポッキーをお前ら二人でひとかけらも残さず食い切るまでお前らを帰さん」
「絶対無理じゃないですか! それって絶対キス必須じゃないですか! いやですよ! 宮下なんて。だれがこんなクズと!」
パワハラだ。
「ああ? だれがクズですって?」
そんなおれと宮下を先輩たちはなぜか微笑ましく見ている。
「ほんと仲いいな。お前ら」
「じゃあ、もうやらなくていいでしょ!」
なんでおれが罰ゲームを受けなきゃだめなんだ。
「なんでもいいから、早くやれ!」
「ポッキーゲームって女子とやるから面白いんじゃないですか!」
とはいってもうちのサークルの女子といえば一人。
「だってよ、美和ちゃん? やるか? 英二と」
パーティールームの奥の方でちょこんと座るサスカ唯一の女子、マネージャーの美和ちゃん。おしとやかでどこかぬけてておっとりしてて。栗色のふんわりした髪が可愛いおれの同じ二年。サスカは去年、新歓に悉く失敗し、二年生はおれと三輪ちゃんの二人だけだ。一年も宮下をいれて、三人しかいない。
「え、えーと、わたしはその……」
「そうだ、美和ちゃんには彼氏がいるんだ。諦めろ、英二」
サスカ唯一の花には悲しいことに男がいた。
「ていうかいい加減サッカーやりましょうよ! サッカー! おれサッカーやりたくてこのサークル入ったンですよ! 今からでも練習しましょうよ!」
サッカー練習はたったの週一回。それ以外は基本オフで、連日カラオケかゲーセン。まじで何サークルなの。ここ。
そんなおれの抗議に工藤先輩はなに寝ぼけたことをという顔を向けてくる。
「あれ、言ってなかったか? サスカはだな」
「『サッカーするか』の略なんですよね!」
サッカー部がサークルに降格する際に名付けられたサークル名。
「ああ、だからな、『するか』って意気込んでいるだけで『する』ってわけじゃないぞ」
「はあああああ?」
先輩たちはみんなガハハと笑っていた。
「さぁ、やれ!」
「「ふごごごごごごっ!」」
美和ちゃんがきゃっと目を隠すのが横目に見えた。目の毒だ。男二人がポッキーゲームなんて。
「「ぎゃーっ!」」
そして、おれと宮下はキスするまで永遠とポッキーを食べさせ続けられた。
夜十時。結局、おれと宮下がポッキーゲームをやりとげたのは、カラオケ店から高校生が退店しなければいけない夜十時ぎりぎりだった。
先輩たちにつれてられてぞろぞろとブクロの駅に向かう。最後尾を歩くおれと宮下と美和ちゃん。美和ちゃんは基本的に、週一回のグラウンドでの練習日にしか来ないので、夜遅くに一緒にいることは新鮮だ。
「美和ちゃんはどこ住みだっけ?」
「鶯谷だよぉ」
ちょっとおねむな美和ちゃん。
「じゃあ、山の手か。宮下、送ってやれよ。お前もおんなじ方面だろ?」
「……」
返事をしない宮下。
「おーい、宮下くん?」
「な、なんすか」
あれ、宮下の様子がおかしいぞ。目をきょろきょろさせてやがる。
視線をあわせてくれないぞ。
「なんかこいつキモくねーか。美和ちゃん」
挙動がキモいのに、顔がイケメンだから、なおさらむかつきます。
「ええと宮下くんは西谷君と、えっと、そのチュ、チューして照れちゃってるのかなぁ」
なんてこと言うんだ美和ちゃん。この子、天然だから、たまにぶっ飛んだこと言うんだよな。名付けて『美和ちゃん砲』。
「そうなのか? 宮下」
「違いますよ!」
宮下がこっそりとおれに耳打ちしてきた。
「やばいんすよ。駅の階段の前に今おれと付き合っている子がいるんです」
「ん? あってくればいいだろ」
なにをそんなにあせってるんだ。こいつ。
「それが、二人いるんですよ。あー、あいつら知り合いだったのかよ……」
なにいってんだこいつ。
宮下の指さした先には確かに二人の女子がいた。
あー、なるほど。そういうこと。やっぱクズだな。こいつ。
おれが一つ咳払いし、
「いやぁ、今日はありがとうな。宮下!」
『宮下』をことさら強調して、大声で言ってやった。周りの通行人が突然の大声にぎょっと振り返る。当然宮下の彼女だという女の子二人もこっちを見た。
そして、宮下は見つかった。
「「あれ、清太くんじゃん!」」
二人の声が、完璧に重なった。シンクロ。完全なるシンクロ。
「「え、あんた清太くんの知り合いなの?」」
また重なった。双子かよ。
「な、なにするんすか! あんた!」
宮下が発狂しながら、おれの首をしめてきた。
「がははっ。顔がいいからって好き放題してるからだ」
詰め寄ってくる二人の女の子。
「どういうこと、清太くん!」
「どういうことなの! 清太くん」
一方の美和ちゃんはなんとか場を納めようとしてくれて、
「あわわわわわっ。ど、どうしよぉ。西谷くん。修羅場、修羅場だよぉーっ!」
でももちろんできなくて、ただ一人であたふたとしていた。
「ぎゃーっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
逃げ惑う宮下が、すぐに女の子二人に捕まった。
よし、退散、退散。事態の回収をあきらめた美和ちゃんもトコトコとおれのもとに戻ってくる。
「本当なんだぁ。西谷くんのあだ名」
「あだ名?」
「『カップルクラッシャー』、だよねぇ?」
そう、おれ、につけられた数多くの侮辱的あだ名のうち、最も広まっているもの、それは『カップルクラッシャー』というあだ名だった。
「わたしも気をつけないと」
「いやいや大丈夫だからね。美和ちゃんにはそんなことしないからね」
おれ、西谷英二は異常な体質を持っている。
『カップルの片方の浮気現場』であったり、『カップルの片方の以外な一面』ってやつに遭遇しやすかったり、あるいは意図してなくてもおれのせいでカップルに喧嘩させちゃったりと、とにかく関わったカップルを粉砕させちゃう体質だった。 おれのせいで、わかれたカップルで今まで通算二十を超える。
「うわー、ひどいなー」
宮下が二人の女の子にぼこぼこにされていた。
「えっと、それじゃあ私はこれで……」
どうしようもないなと見限った美和ちゃん。意外と冷血。
「うぎゃーっ!」
宮下は女子二人にどこかにひきづられていった。
先輩たちはもう先に行ってしまったみたいだ。
さて、おれも帰るか。
駅の階段を下りて、切符売り場へ。
ポケットの財布を探した。
「ん?」
おかしい。
ない。
財布が、ない。ポケットにいれていたはずなのに。
「マジ……?」
あわてて、階段をかけのぼり、さっきいた場所に戻った。
「最悪」
もうすでに、宮下と美和ちゃんの姿はなかった。
どうやって、帰んの。おれ。お金がなければ、当然電車に乗れない。
「絶対カラオケだ」
おれは急いでカラオケ屋に戻ることにした。赤信号も待ちきれず、車がいないことを確認して通りを走って渡る。猛ダッシュで来た道を戻り、そのままカラオケ屋に突っ込んだ。
「五〇一だったはず」
部屋番号は覚えている。あとは、見つかるかどうかだ。
「……はあ」
ええ、結論、紛失しました。ありませんでした。
どうやって帰んの。
カラオケの店員いわく、次にルームに入ったお客さんに聞いてみたけど、なかったらしい。正直に答えるわけないだろ! 間違いなくそいつらにパクられた。財布の中にはそこそこの値段が入っていたはずだ。
「ちっ……」
あんなことしたあとだから、宮下は呼んでも絶対来ないし、こんな時間に彼氏持ちで女の子の美和ちゃん呼び戻すのもアレだし。クラスの三上はくそ野郎だから、絶対来ないし。
「じゃあ、アイツ呼ぶか」
二十分後。
「で、なんでわたしが呼び出されるのかな? 普通こんな夜遅くに女のコ呼び出すかな? それも彼氏持ちの」
西口に、ジャージ姿の、頼れる御方が来た。
おれが呼んだのは、『クラスの人気者で優等生』の北野柚子。あの野球部川島拓人と付き合っている北野柚子だ。
「いやぁ、同中のよしみで」
こいつは、学校を出ると、『性格』が変わる。いや正しくは、彼女の過去を知るおれの前では性格が変わる。おれと柚子は家が近くて、中学が同じ。それに、中学からそこそこ仲がいい。
「もう信じらんない」
みんなの憧れの『柚子ちゃん』は、じつは裏の顔を持っている。なにを思ってか、高校から表のまるきり変えたが、こいつは、中学では、反省文すら書いてきた悪ガキだったのだ。クラスで見せる、みんなに慕われる『柚子ちゃん』はじつは嘘で、意外と性格はゲスい。帰りの電車でおんなじになったときには、教室であったあれやこれやの悪口愚痴を永遠とおれに聞かせるのだ。『ねえ、聞いてよ。なんで私が委員になんなきゃいけないの』『なんで、いっつも私に恋愛相談が来るのかな。結婚相談所じゃないっつーの』。おれはそれに対し、基本『へいへい』と相づちを打つだけわけだ。柚子はそれで満足らしい。むしろ口を挟むと怖い。
「おまえ、ほんっと学校と外で変わるよな」
女って怖いよね。
「ほんとサイテー。超特急っていうからスッピンで来させられたんですけど。英二、何回目? 財布なくしてわたし呼び出すの」
わりとお怒りの柚子。
「四回、いや五回?」
「もう……あきれる」
「で、とにかく金貸してくんね? 交通費」
「ほんと馬鹿なんだから」
柚子がピンクの明るい財布を取り出し、おれに少々お金をめぐんでくれた。
「サンキュー! 明日返すわ。行こうぜ」
中学が同じ学区だったおれと柚子は当然最寄り駅は一緒だ。
階段を下りようとしたおれ。
「ちょっと待って」
柚子が突然呼び止めた。
「なんだよ」
「あんたってほんとすごいよね」
「へ?」
なにいってんだ。
「あれ」
柚子が指さすそのさきには、
「じゃあそろそろ帰りましょう。マーくん」
「うん、ママ!」
仲睦まじい、いや睦まじすぎて、もはやドン引きするほど、べたべたしている親子がいた。いい年した男子が母親と恋人つなぎをして歩いていた。
そして、その男をおれは知っていた。
「……あれ、もしかして矢沢?」
うちの高校の副生徒会長、三年の矢沢正夫だ。クールで頭脳明晰、先公からの信頼も厚く、そして女子にもモテる。当然のごとく彼女持ちの男。矢沢と三年のマドンナ女子のカップルは校内でも有名だ。
「あっ」
矢沢が、柚子のジャージ、つまり、うちの高校のジャージに気づく。すぐにおれも矢沢と目があった。
矢沢はあわてて母親から離れようとするも、母親が矢沢の手を強くからめていたのか、無理矢理振りほどく形となってしまった。
「マーくん? どうしたの?」
「マ、ママちょっと黙ってて!」
おれはこの副会長さんにちょうど最近、少々恨みがあった。この前、夜十時にサスカの面子とゲーセンで遊んでいるところを塾帰りのこの男に見つかり、今度の部活会で先公にチクると言ってきやがったのだ。タラコ一かけで飯一杯を食べられるように、しょーもないことで二時間も説教できるのが、先公という生き物だ。話が伝われば、すでに目をつけられているサスカに処分が下されるかもしれない。
「き、きみたち、こんな夜中にどうしてこんな場所にいるのかな? きみはたしかサスカの部員だっけ? また悪さをしようとしているのかい? それとも不純異性交遊でもしようというのかい?」
矢沢あくまで、副会長を演じる気らしい。
「いえいえ財布を落としましてね。困り果てていたところ、友達が駆けつけてくれたんですよ」
「そ、そうか。早く帰ることだな。では、ぼくはこれで」
きびすを返そうとする矢沢に、おれはケータイを向ける。カシャリ。池袋の喧噪でシャッター音はかき消されて、矢沢とのもとには届いていないだろう。母親は全く気づいていなかった。でも、矢沢は振り向き際にちらつくケータイの光に気づいてしまった。
「なっ……」
柚子がとなりでクスクスと笑っている。こいつも、性格大概わりーな。
画面に映りだされたのは矢沢とその母親の仲睦まじいお写真。
「矢沢先輩にはいつもお世話になっていて。いやぁ仲いいっすね。まるで恋人みたいっすね」
「あら、やだ。恋人だって。マー君」
矢沢の腕に絡みつく母親。矢沢はふりほどこうにも振りほどけず、一人で葛藤している。
「いやぁ、こんな仲睦まじい姿を彼女さんが見たら大変ですね」
「……お、おまえ、まさか……」
母親のほうはおれが盗撮したことなど全く気付いていなかったが、矢沢は事態を把握したらしく、顔が青ざめていた。
「嫉妬されちゃうわ。うふふ」
母親はまったく事情が分かっていないらしく、相変わらず矢沢にベタベタしている。
「わ、わかった。例の件は不問にしよう。それでどうだ?」
「分かりました」
おれは、ケータイで写真を消去するフリをした。もちろん、消去はしない。保存保存。
矢沢と別れてもなお柚子はクスクスと笑っていた。
「おまえも大概性格ゲスいな」
「だって、あんな大男がママって」
柚子は腹を抱えて、笑っていた。あーこりゃ、つぼに入ったな。
「すごいね。カップルクラッシャー西谷」
「やめろ、その呼び方」
クールを気取ってる、矢沢の意外な一面。
全くもって嬉しくない才能だ。
階段に足を向ける。
「帰ろうぜ」
十月の終わり。もう夜は寒くなってきた。ようやく帰れる。
「待って」
また、柚子がおれを呼び止めた。
「ん?」
「良いこと、考えちゃったー」
なんだなんだ。
「ねえ、英二に、カップルクラッシャー西谷にお願いごとです」
「は?」
「まずは、重大な発表から」
こほんと一つ、間を開けて。
「このたび、わたしは、なんとなんと」
「なんとなんと?」
「えー、そのー、あのー」
「なんだよ」
「あんまり、言いたくないんだけどー」
うりうりと身体を振る柚子。身体が揺れる。尻も揺れる。
「じゃあ聞かん。帰ろうぜー」
「そ、それはダメ!」
「んだよ」
「分かった、じゃあ、言うよ? 言っちゃうからね!」
「へいへい」
早く言ってくれ。
「このたび、北野柚子は、なんとなんと」
「なんとなんと?」
「────不倫されましたーっ!」
不倫されました。不倫されました。不倫されました。不倫されました。不倫されました。
柚子が大声でそう、叫んだものだから、通行人がぎょっとおれのほうを向いた。
「ほえ……?」
いやいやいや、どゆこと?
柚子が不倫される? つまり、川島が不倫? そもそも不倫って違うだろ。高校生なら浮気な。生々しくなっちゃうから!
てか、この状況だと、おれが浮気男みたいになってるけど、違うから!
こっち、見ないでください!
「え、川島が?」
柚子の目に徐々に潤んで。
「うん」
涙の塊が大きくなって。
「あれ、向こうから告ってきたはずだよな?」
え、え。泣くなよ。
「マジ?」
「うん」
そして、堤防が崩壊した。
「うええええええんん。浮気されたーっ!」
「自分で言って自分で泣くなよ! ってか、おれが浮気したみたいになってるし!」
カオス。カオス。カオス。
「うおおおおおおん!」
柚子はそのまま、地面にへたりこみんだ。
「うええええん。うおおおおん」
「幼児か!」
てか、結構上手くいってたんじゃねーの。柚子と川島カップルって。
一緒に手つないで帰ってるとこみたことあるし。
「だから、泣くなって」
「うおおおん」
はあ。
「で、なんかお願いがあるんだろ」
そういうと、柚子は、すっと、顔を上げた。
「あ、そだった」
そういって、ケロっと柚子は泣き止むのを止めた。
「立ち直り早っ!」
こいつ、一瞬で涙止めやがった。
「英二さぁ、わたしにわりと借りあるよねー?」
「え、ま、まあ? 一応借りた金は大体返してるはず」
なんだかいやな予感がした。背中がぞわり。
「いやいや、お金もそだけどさー。ほら、こうやってなんども深夜に呼び出されたり?」
ぎくっ。
「心当たりは……あります」
「試験のたびに試験対策プリントせがんできたり? 次のテスト、どうしよっかなー。英二、おバカだもんね」
ぎくぎくっ。
「そ、それだけは!」
「中学のとき、英二の好きだったのぞみちゃん、斡旋してあげたのもわたしだったよねー? そういえば、わたしにラブレター書いたから見てみてくんねって言って、きっしょいラブレター推敲させてきたこともあったよね?」
ぎくぎくぎくっ。
「あれ、じつは、写真撮ってあるんだけど、どうしよっかなー? うちのクラスでばらまくー、あるいは、中学のやつらにー?」
「それだけは勘弁してくださいっ!」
もうやめて。おれのライフはゼロよ!
こいつ、一体、なにをおれにやらせるつもりだ。
「てなわけで、柚子ちゃんのお願いを一つ聞いてもらいます」
「……ぐっ」
「────英二、私と不倫してくんない?」
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