雀
暫くすると舌が延びた。自分の体を嘗め回すことができるようになっても喜ばしい点は特段無い。けれども伸びた分味蕾もまた増えたらしい。
血の味が苦痛でなくなったのは、唯一の進歩と言えた。
次の使いは雀だった。ちんまい毛玉の塊は泳ぐように、チッチッチッチっト笑う。
彼もまた母からの言伝を頼まれたようだった。背丈の差は千倍ほどもあったが、それでも雀は喉を膨らませてカチカチ転がる。
しかし私の頭の中は随分と冷静だった。それはまるで深淵な洞窟に潜むような心地である。なに故かと問われればそう、何時でもこの小さきものを歯の隙間のくずにできると理解していたからである。
私は傲慢にも力を以てして自分を納得させていたのだ。
けれども蛮なる思考を携えて、しかし冴えていた頭は雀の言葉をちっちっち、
そうして理解した。
獣心に支配された者にしか理解できない過酷な言語があることに私は気付いたのである。
元気にしているか、今斯様な生活を送っているか、飯は食えているか、寒くはないか。
お前が幸せであることが私の望みだ。
母は私の心配をしていた。
【ハ】と漏れ出た息が雀を転がした。
私の脳内の深淵な洞窟はいともたやすく崩壊した。火勢は激しくなって全身の毛を逆立ててゆく。視界は真ッ赤に染まりだして、それが何物の含有する色ガラスであるのか考えたくはなかった。陀羅と毛根から抜け落ちてゆく幻想が汗の線を引いてゆく。
母は私を心配している。
絶縁の帳を一方的に下ろしておいて、母は私の身を、こんな身を
雀は続けた。
一目貴方の姿を見たい、と
私はじっくりと自分の姿を眺めた。
青白い毛皮は全身の体表を支配していた。それら全てが、ざわざわと嵐の森のように逆立って、そのまま燐の気を生み出す。伸びた舌は這いずる蛇のように雀を目指していた。爪は伸びていて、同時に厚みがあった。これではまるで、いや事実として
狂獣ではないか──
肉を剥がれる想いだった。微かに残っていたはずの血の気のその全てが地の獄へと降りて行って、見上げる事すらしようとしない。
猫の額は汗をかいた。水っぽい困惑が滴となって床を泡立てた。
私の舌が言った。唆す、蛇のように。
(小さな頭から串を刺して乾かすように炙ってやれば、香ばしい骨の出汁が肉にまで沁みてゆくことだろう)
(それを一息に呑み込んで仕舞えば血の味の悪夢に魘されることもない。ただ私が満足して腹を鳴らさずにいられるのではないか)
(また鳩を喰らう落ち目に下ることもないのではなかろうか)
それは破綻した理論である。
けれども私は納得した。納得することが事実よりも優先された。この力が、毛が舌が爪が、この境界の心が、もう何物も目指すことも諦めて楽になろうと嘯いた。私に反逆する者は天下に一人だっていやしなかった。私もまた例外なく──
大鍋の面積を持つ足を持ち上げた。生臭い風が勢いになって埃を巻き上げた。雀は慌てふためいて小さく翼を振る。
けれど空しく、音もなく。
雀は不味かった。ほとんどが骨でこんなものは何千と喰らっても腹は満たされない。
雀の毒が効いて来た。
視界が紫に傾くと、それを契機としたように頭が激しく痛んだ。万力で嵌め殺すような圧力に絶叫する。頭の冷静な片隅でどうやら声まで獣に堕ちたと視線を刺す。
頭骨の形が歪んでゆく。上へ上へ、目指せぬ方向へと細長くなってゆく。生木を曲げるような音、めり、ばりと。頭の中で無限の反響を繰り返す。深淵の洞穴の中身は命の気配などないほどに空っぽだから、よく響いて帰ってこない。
涙と血と汗。そして獣の流す謎めいた脂が滝のように私の体毛を満遍なく濡らした時、頭に手を添えて気づくのは角の存在。
山羊の角が生えていた。二対のそれは螺子のように傷は深い。
まるで元から私に生えていたかのようにそれはぴったりと、足りない部分を満たしてくれた。私は頭の上が不安だったのだ。自分より小さき者しか存在しない世界に安寧を抱く者にとって、見越し入道は死の権化とも相違ない。
二角が天を突いた。だぷだぷと揺れる夜の膜を破ると闇の時雨が降り注いだ。私を避けるように東西に堕ちるそれは、まるで帳のように不規則に揺れた。
水面を覗くと恐ろしい怪物がいた。私はその様に泣きそうになって飛び退くと、どうやら怪物も鏡面から退いた。
私は歯を鳴らした。活、活と虚勢に啼いて、臼歯は肉を磨り潰した。
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