第13話 それでも進み続ける③

走る。まだ葵の足跡は残っている。恐らく家の方向に向かっているのだろう。


「葵っ…」


身体中が冷たい。雪の中傘も指さずに走っているのだから当然だろう。

少し冷静になろうと走るスピードを落とす。その瞬間─首に鋭い痛みがほとばしる。

見ると、鋭利なナイフで切ったような。もしくは爪で引っ掻いたような跡が残り、どくどくと血が溢れていた。


「っ!な、なんだ!?」


気配を感じ、後ろを振り向く。

腐った匂いがする。歪な球体を中心に持ち、8本の腕を自在に動かしている。顔はまるで悪魔のようで、身体中から黒い煙を発している。

そこには、さっきまで正道が戦っていたであろう異形の化け物が立っていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


姿を認識した瞬間、再び走り出す。あれは駄目だ、人間が戦って良いものじゃない。そう本能が告げていた。


「な、なんなんだあいつ!…そういえば父さんがもう一体いるって…こいつかっ!」


冷静に状況を判断し、異形の正体を探る。

奏斗は昔正道が言っていたことを思い出していた。


─どんな状況でもまずは観察だ。何が得意で何が苦手か、スピードはどうか、攻撃の威力はどうか、弱点はどこか、まずはそれを探るんだ。


(足は…遅い?攻撃のスピードは速め。弱点は複雑過ぎてわからないな。あの黒い煙は母さんからも出ていたし、多分触れない方が良さそうだ。あとは─)


奏斗は近くの森に入り、葵の足跡を見失わないようにチェイスする。たまに石を拾い、相手に投げつけてみるが、当たる前に弾かれてしまった。


(ふぅ、反応速度と攻撃への対処から見て、あまり頭が良いタイプではない?少なくとも人間には劣ると考えて良さそうかな)


森を疾走する。だが一向に異形との距離は開かない。その時、進行方向に鹿を見つけた。

奏斗はその鹿を避けようとしたが…


ぶぉぉん


という風切り音が聴こえたかと思えば、一瞬にして鹿がグチャグチャにされてしまった。

奏斗は思わず─


「─は?」


という言葉を漏らした。

鹿を一瞬の内に殺してしまった。たしかに中型の動物を一瞬で殺す力も驚愕だが、それ以上に考えることがあった。殺された鹿が奏斗の進行方向に居たことである。これはつまり─


(手加減されてた?いや、いたぶられてたのか。)


心の底から腹が立つ。今までの観察はなんだったのか。こいつはいつでも奏斗を殺せる力を持っていながらそれを使わず、ただ逃げ回る奏斗を見て楽しんでいたのだ。

ふつふつと湧く怒りを堪えきれず、ギリギリと拳を握りしめる。奏斗は冷静さを忘れ、殴りかかろうとした。ただ一発その化け物に拳を入れることしか考えれなかった。だがそんな考えは次に起こったことで、消えてしまう。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「っ─この声は!葵!!」


近くで葵の叫び声が聴こえた瞬間。奏斗は怒りを忘れて走り出した。


「葵!どこだ葵!!」


走る。父さんと約束したから。一生葵を守れと言われたから。

そして、見つけた。開けた森の中で、痛みに耐えるようにのたうち回る葵の姿を。


その瞬間。プツんと自分の中で何かが弾けた。さっきまで感じていた怒りも罪悪感も、今は全てがどうでも良いとさえ思った。

人間として開けちゃいけない扉を、1周回って感じないほどの怒りがノックしてくる。

ただ一つ心の中にあったのは、追ってきているであろう化け物を殺してやりたいという強い意志。

その時、奏斗の体を何かが駆け巡った。瞬間、湧き上がってくる全能感に万能感。自分が今この世界で一番強いのではないかと思うほどの力を感じた。

─なんで今更

ギリギリと握る手には、いつの間にか刀が握られてあった。


─瞬間。頭の中に流れ込んでくる。目の前の化けザコの弱点。どこを狙えば一撃で殺せるか。


(球体の中に核…ね)


奏斗は刀を、ただ横薙ぎに振るう。


そして化け物の身体が、まるでそうなる事が決まっていたかのように


(あぁ、弱)


弱い。さっきまでの怒りと絶望が嘘のように、胸中はスッキリとした思いで溢れていた。


すぐに踵を返し、葵のところまで走っていく。その間も奏斗はいたって冷静で、叫び続ける葵の体にそっと触れた。


─再び、頭の中に流れ込んでくる。なぜ葵が苦しんでいるのか。治し方は…


(う〜ん。体の中がグチャグチャだな。っと、"俺"の力と馴染ませて─)


頭の中の…さしずめ攻略本を頼りに、奏斗は葵の体を治していく。攻略本によるとこの症状は【不老】。身体中のホルモンを破壊し体の成長を止める奇病である。適切な治療をしないと全身を巡る激痛でいずれショック死してしまう。対処法は体中の細胞に魔力を適応させ、ホルモンと魔力が置き換わるのを防げば良いらしい。もし適応出来なかった場合は2パターンあり、一つがショック死、もう一つが痛みを感じない化け物に成り下がり永遠を過ごす。【不老】というのはこの患者が成り下がった化け物から付けられた名前で、老いが止まる変わりに醜い化け物になるという、なんとも皮肉な名前だ。


「すぅ…すぅ…」

「流石に気絶したか。ってあれ、髪が白くなってる…これは悪いことしたな。後で謝らなきゃ。…さて、これからどうしようか。父さんには街に行けって言われてたけど」


奏斗は気絶した葵の頭を膝に乗せながら、手をグーパーさせてさっきの力について考えていた。


(さっきの…頭に流れ込んできたアレはなんだったんだ?まるで未来が分かったような…それにこの刀と力…あの化け物も…一体何が起こってる?)


と、考えていたその瞬間。再び頭の中に何かが流れ込んできた。


(これは──)


それは今世界で起こっていることだった。

─突如謎の遺跡が出現。それと同時に異形の化け物も各地に出現

─魔力の出現。謎の力を人間が得る。特に奏斗は魔力との相性が良く、一瞬で力を得た。


数時間前までだったら絶対に信じないような、空想を語っているだけに過ぎないような情報が、今はすんなりと理解することが出来た。

だが理解は出来ても納得は出来ない。奏斗は思わず近くの木を殴り倒した。


「ふざけんなよ…何が魔力だ、何が…」


冷静になったことで改めて、母親が死んだこと、父親を見殺しにしたことが怒りとなって自分自身に振りかかって来た。


もう愛する母親はいない。あの料理を食べることも、晴れ舞台で騒ぐことも、軽口で言い合うことも出来ない。


もう愛する父親はいない。刀の稽古をしてくれることも、一緒に倉庫の整理をすることも、褒めてくれることも出来ない。


全部。全部することが出来ない。奏斗はこの一夜で、一緒に笑い合える家族も、帰る場所も無くなってしまった。


「あ…あぁぁぁぁ…」


涙が止まらない。止めようとすら思っていない。ただこの悲しみの感情を吐き出して、いっそこのまま死んでしまいたい。


「おとうさ…おかあさっ…」


あぁ─眩しい。目を潰れば楽しい思い出が蘇ってくる。このまま、この絶望に満ちた世界で生きるくらいなら、この先の見えない世界でもがくくらいなら。このまま─止めどなく降る雪の中で眠って──


「かな…と?…」

「っ!?」

「だいじょうぶだよ…わたしがついてる。…だから、なかないで?」

「………」


目を覚ました葵が頬に手を当てて慰めてくる。

あぁ─この子は優しいな。自分に苦しいことがあっても他者を気遣える子だ。


「っ…ごめん、葵。」

「うぅん、い〜よ。げんきになった?」

「あぁ…元気になった。ありがとう。」

「えへへ、どういたしまして」


気付くと辺りはより暗さを増しており、増していた雪の勢いも少し穏やかになっていた。

まるで奏斗の心情を表しているようだ。


「葵、このまま街に行こう。家には…もう戻れないから」

「うん…かなとがきめたならそうする」

「絶対に葵だけは守ってみせるからな」

「わたしも、かなとといっしょにいるよ」


力のない声でそう言った葵の言葉には、ずっと一緒にいるという強い意志が確かに込められていた。

奏斗は葵に自分の防寒具を被せ、そのまま背負った。

そして一歩一歩。街への道を歩き始めた。


「かなとのせなか、あったかい」

「それは良かった。寒かったら言えよ?」

「うん、わかった」



僕は─いや、俺は振り返らず歩き続ける。あの選択を、両親を見捨てた選択を、後悔したくはない。葵を救った英断だったと、両親に伝えたいから。



────────────────────

……

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