~亜心(あしん)の悦び~(『夢時代』より)

天川裕司

~亜心(あしん)の悦び~(『夢時代』より)

~亜心(あしん)の悦び~

 …無造(むぞう)の果楽(からく)に落ち度が顕れ、未知の生憶(きおく)に精神(こころ)が飽くのは、未(いま)に訪ねる身欲の見地と芋の蔦(つた)との連鎖であった…。日々の幻覚(ゆめ)から固陋が誤り、無心が目に突く刻(とき)の空間(あいだ)は、手毬を保(も)ち往く気心(こころ)の安堵と俗世(このよ)の連鎖を酷く厭(きら)った…。

      *

 …俺は中学生の頃に戻って居り、面皰面(にきびづら)で性格が最悪の級友やアンパンマン顔した嫌らしい不良、不良漫画に出て来そうな不細工男、出来上がった顔の男、臆病な癖にとにかく性格が嫌らしい白豚男、リーゼントが型に嵌まった様(よう)に似合う一張羅の男、貪欲過ぎるほど嫌らしい背低(せびく)の男、他の不良共に途轍も無い怒りを燃やす事と成って居り、ポケットにナイフを忍ばせ、少年院に入る覚悟をして居た。

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 …過去(むかし)の気色が伝(つた)って独歩(ある)き、未知の涼風(かぜ)から表情(かお)が挙がった…。一人(ひと)の俗世(このよ)が既知を睨んで、児(こども)の情(こころ)を摘(つま)んで往った…。旧い気色の裏庭で、快適ばかりが涼んで在った…。白亜(しろ)く爛れる精神(こころ)の空間(すきま)に、情事(こと)を構える未完(みじゅく)が在った…。ぬらりと竦んだ純心(こころ)の奥義(おく)では、夜毎の気色が老齢とも成る…。旧びた上手(うわて)を浮気に観て取り、始終を潜(くぐ)れる情緒を編んだ…。幻覚(ゆめ)の身許に精神(こころ)が浮き立ち、光沢(ひかり)に絡めた神秘(しんぴ)を識(し)った…。白亜(しろ)く佇む向日の景色は見様見真似で奮起を養い、苦労仕立(じた)ての名高い従順(すなお)は理性(はどめ)を見知らぬ不解を識(し)った…。幻覚(ゆめ)と純心(こころ)の無憶(むおく)の最中(さなか)は、対岸(きし)に寄り付く故国を脱ぎ捨て、人間(ひと)の曖昧さに観る滑稽(おかし)な素面(すがお)を未知の生憶(きおく)に贈って行った…。一人(ひと)の一通(とおり)に精神(こころ)に羽根が生え出し、空虚に見積もる哀れの吐息を純心(こころ)に感じて放さなかった…。低い白雲(くも)から孤高が飛び立ち、不和の陰(かげ)から悲惨が往くのは、起草に名高い俗人(ひと)の行為の哀れを知らない暖かみを識(し)る…。不変の調子に精神(こころ)を許し、機密を知らない孤踏(ことう)の信仰(めいろ)は、不義の彼方に人間(ひと)を見詰める〝無駄〟の極致を離して在った…。白体(おのれ)の生憶(きおく)に天気が浮き立ち、幻(ゆめ)の会話のもどろの気色の許容(うち)には、旧来(むかし)の会話が心理を集める永久(とわ)の純情(こころ)と成功して活き、幻想(ゆめ)の身塵(みじん)に巨躯を高めた未活(みかつ)の輪舞曲(ロンド)を絵にして置いた…。一人(ひと)と現行(いま)との文言(ことば)の裏には矛盾と現行(いま)との秘密が拡がり、無知に息衝く無垢の四季(きせつ)は不純に脚色付(いろづ)く言(こと)の葉(は)だけ知り、未知と魅惑の輝きから成る不毛の輪舞曲(ロンド)を想定させ得た…。無垢の美声(こえ)から女性(おんな)が燃え立ち、一人(ひと)の旧巣(ふるす)を単色に見て、過去の一通(とおり)を体形(かたち)に続ける孤独の外気にその身をたえた…。身塵(みじん)の初歩(いろは)の聡明ながらに永久(とわ)の祈りは限界を知り、過去の身欲(よく)から白衣(ころも)を仕立てる夢想の吐息を快無(オルガ)に保(も)った…。

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 …結局、中学の頃に黙って虐められて居た理由は、事件を起こし、警察に捕まり、少年院に入って、進学出来なくなる事を恐れて居た為だったのだ。故に、俺は凄まじい勢いで奴等を睨んで居り、もう奴等を「持って居るナイフで刺すぞ」、と言う所まで来て居たが、中々刺せずに居た。中学校時にちらちら居た教師等の姿が散ら突いた。

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 未知の郷(くに)から過去(むかし)が成り立ち、白亜(しろ)く凝(こご)れる無垢の芳香(かおり)は不通の気色に生育(そだ)って往って、普遍の活路と孤憶(こおく)の旧(むかし)は睦(むつ)の大涙(なみだ)に透って往った…。生育(そだ)つ現行(いま)から生憶(きおく)が素通り、不変と孤独の日々など概(おお)きく、無知に補う孤高の残骸(むくろ)は翌朝(あさ)には旧い気色が向かって往った…。葦(あし)に基づく幻覚(ゆめ)の自然(あるじ)は呼吸に基づく乱心(こころ)が降(お)り立ち、一幻(ゆめ)の陽光(ひかり)に無知が生くのは不変と現行(いま)との肢体(からだ)を射った…。無垢と未(いま)との個々の空間(あいだ)は愚昧に降(お)り立つ淡さを染め上げ、無垢に色立つ不幸の残骸(むくろ)は白亜(しろ)い泉に還って逝った…。無知と現行(いま)との往路の狭間は不純に始まる生録(きろく)に生い立ち、幻想(ゆめ)の脚色(いろ)との涼風(かぜ)の空間(あいだ)は過去に象る肢体(からだ)を保(も)った…。幻想(ゆめ)に色立つ不覚の明日(あす)には不乱に息衝く権幕だけ識(し)り、不変と脚色(いろ)との琥珀の脚色(いろ)には不和に彩る形象(かたち)を知った…。白亜(しろ)く成り立つ不変の色地(いろじ)は無垢に活き発(た)つ不信と象(と)られて、過去(むかし)に成り立つ神秘(ふしぎ)の形象(かたち)は陽光(ひかり)の輪(わ)に立つ恐ろしさを観た…。不和に見送る孤踏(ことう)の欲には不感と欲との哀しみを観て、幻覚(ゆめ)に色立つ陽(よう)の進みは過去と現行(いま)との無限を買った…。色地(いろじ)に集まる無憶(むおく)の一進(すすみ)は不和と現行(いま)との無刻(むこく)を見合せ、不幸に集まる旧さを観た儘、味気無いほど精神(こころ)の向きには自然(しぜん)の温度が浮(ふ)わ浮(ふ)わ沸いた…。翌朝(あさ)の静味(しずみ)に乱心(こころ)を見渡し、不信と現行(いま)との無心(こころ)の旧来(むかし)は暗黙(やみ)に息巻く夜毎を識(し)った…。不和の流行(ながれ)を身欲(よく)に見立てて、一人(ひと)の審議に過去が巻くのは不幸の幻覚(ゆめ)との理知を追い立て、不変に匿う無知の一透(とおり)は紅(あか)い陽(ひ)に発(た)つ神秘(ふしぎ)を発(た)った…。不装(ふそう)の朝日に人間(ひと)が発(た)ち生く過去と現行(いま)との残骸(むくろ)は過ぎ去り、一人(ひと)の空間(あいだ)に孤踏(ことう)が成り立つ無垢と現行(いま)との秩序を保(も)った…。陽光(ひかり)に成り立つ過去の夜半(よわ)には不遜に棚引く人山(やま)が観え活き、不死に活き発(た)つ神秘(ふしぎ)と色葉(いろは)は無視に色立つ不機嫌など有り、幻覚(ゆめ)の涼風(かぜ)から乱心(こころ)が生い立つ不和の翳りは未信に活き発(た)つ乱心(こころ)を買った…。人間(ひと)の文言(ことば)と人山(やま)に見果てる漆黒(くろ)い過去には無刻(むこく)が活き発(た)ち、白亜(しろ)い人山(やま)から生録(きろく)を見限る不倖と暗黙(やみ)との不彩が凌ぎ、一人(ひと)の明日(あす)から精神(こころ)が成り立つ無根の四季(きせつ)が涼風(かぜ)を抱(いだ)いた…。

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 …この少年院への不安が、結局俺を少年院へ行かせた様(よう)だ。少年院の中での生活に対しても俺は不安を覚えて居て、院内の房(ぼう)の中でリンチに遭った時は矢張りヤバイものだろう、そのヤバさを回避する為には、矢張り房(ぼう)の中の奴等を悉く服従させねば成らんのだろうな、等と真剣に考えて居た。しかし結局、そのリンチの場面迄は俺に訪れなかった。

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 不惑の身元(もと)から純心(こころ)を落ち着け、一人(ひと)の小界(かぎり)を暗(やみ)に放つは意味を解(かい)さぬ真理(まこと)の成就で、一人(ひと)の仮説に活命(いのち)を保(も)ち浮く不能に盾突く小言を射った…。一人(ひと)に落ち着く暗路(やみじ)の果てには、孤高の気色が魅力を擡げて、一人(ひと)の肢体(からだ)に潜(こっそ)り息衝く退屈(ひま)を見付けた脆差(もろさ)を買った…。不安に駆られる孤独の小敗地(アジト)は不義の要(かなめ)と概(おお)くを観ながら、一人(ひと)の無録(むろく)に世渡りだけ観る自己(おのれ)の気色を突っ撥ね出した…。一人(ひと)の空慮(くうりょ)に活き活きして居る無音の景色は果実を詠みつつ、燃える陽(ひ)に立つ無刻(むこく)の夜半(よわ)に死太(しぶと)く寝起きしながら、一人(ひと)の生死を緩く見守る不正の淡路をこよなく愛した…。幻(ゆめ)の個録(ころく)に旧(むかし)を相(あい)して、一人(ひと)の世に立つ不可思議から得た純心(こころ)の果楽(からく)は温度を知りつつ、白亜(しろ)く塗られた既憶(きおく)の途次には活心(こころ)を看破(みやぶ)る明日(あす)など透り、退屈(ひま)を見分けて夜毎を過ごせる旧い気色に表意(ひょうい)を射止めた…。過去の日(ひ)に立つ旧来(むかし)の温度は既憶(きおく)を失くせる不甲斐を吟味(あじ)わい、猫の陰にて魅力を想わす旧(むかし)の続きの奈落を買った…。自己(おのれ)を信じた過憶(かおく)の許容(うち)には幻(ゆめ)の魅力と独気(オーラ)を眺めて、一人(ひとり)続きの太古の温味(ぬくみ)を得手にしながら絵面(えづら)を描(か)いた…。一人(ひと)の奈落を失いながらも今日(きょう)の魅惑は調度を想わせ、漆黒(くろ)い体形(かたち)を未完(みじゅく)に盛(も)るのは一女(おんな)の長寿の空間(あいだ)と成った…。一人(ひと)の狭間に精神(こころ)が降(お)り立ち、無垢の渇きに気心(こころ)が発(た)つのは、人山(やま)の目下(ふもと)の身笠(みかさ)を酔わせる旧来独語(むかしがたり)の口調を知った…。幻(ゆめ)の気色に見納め始める無垢の遊具は男女(ひと)を象(と)らずに、幻(ゆめ)と自己(おのれ)の暗黙(やみ)の空間(あいだ)は過去を忘れた温味(ぬくみ)を脱ぎ捨て、分厚(あつ)い価値から純心(こころ)を描(えが)ける疲労の小敗地(アジト)を揚々描(か)いた…。一幻(ゆめ)の日々から無刻(むこく)が二重(かさ)なる不和の魅力は宙(そら)へ零れて、奇怪に降(お)り立つ不思議の生果は過去を忘れた男・女(だんじょ)を持ち替え、一幻(ゆめ)の意味から乱心(こころ)を尋ねる微温(ぬる)い生義(せいぎ)に安心して居た…。一幻(ゆめ)の不和から乱心(こころ)を透らす粗悪の独理(ドグマ)は人形(かたち)を彩(と)らずに、意味の咲かない無根の花には人密(みつ)の甘味が透って行った…。退屈(ひま)を余せる故郷の透りは、不倖と現行(いま)とを正界(せいかい)に観て、人間(ひと)と欲との駒の足跡(あと)には無婚(むこん)の花など哀れに咲いた…。

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 …そして、その少年院の中で、『はだしのゲン』の相原に会った。相原は、俺が入る前に入って居て、院での先輩だった。相原はやはり野球が好きで、不良共と喧嘩して勝った後、いつも自分が壁当てをして居る、結構広いが、人っ子一人居ない寂しい場所へ行き、それ迄と同じ様(よう)に壁当てをして居た。壁から相原の居る位置(詰りピッチャーマウンド)迄は、可成りの距離が在った。余裕で二十メートル以上在り、こんな所からよう的確に投げられるなぁ、等と、俺は相原を少々尊敬しながら見て居た。カーブ、ストレート、フォーク、スライダー、シンカー、他の(最近に結構増えた)あらゆる球種を相原は投げて居た。

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 一人(ひと)の過去から生憶(きおく)が仕上がり、古都への手向けが過度を置いては、自己(おのれ)の生果へすんなり安転(ころ)がる私欲(よく)の翳りは基礎を象り、白亜(しろ)い四季(きせつ)に千夜(とばり)が二重(かさ)なる不審の調子は小言を打った…。幻覚(ゆめ)の逆行(もどり)は生憶(きおく)を忍ばせ、一人(ひと)の木霊と野放図(のほうず)だけ識(し)り、奇妙の塒に過去を立て生く生録(きろく)と悪夢の調子を好く見て、気味の果実は吃(ども)りを識(し)らない愚痴の用途を概(おお)きく掌(て)に取り、不和の最中(さなか)へ奇妙を見兼ねる不信の孤独に通(とお)って往った…。過去の人波(なみ)から生録(きろく)が細切れ、淡い人形(かたち)の悪夢は出戻り、明日(あす)の孤欲(こよく)に四季(きせつ)を好く観る無毛の合図に透って往った…。男女(ひと)の人象(かたち)は素面(すがお)を観るうち幻(ゆめ)の生録(きろく)に絶頂だけ買い、幻覚(ゆめ)に按じる孤高の寝室(ねむろ)は既憶(きおく)ばかりを齧って行った…。

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 …俺はゲンがやってた様な、原爆症の相原を励ます役をして居た。相原はまだ原爆症の症状が出る前だった。

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 一人(ひと)の美声(こえ)から気楼が零れて、低い小宙(そら)への遣り取りばかりが呼吸を取り添え無口を着せ替え、白亜(しろ)く煙れる未知への夕べは未来(さき)を識(し)らない佳日を詠み取り、日々の淡さを可笑しく辿れる不法の温度と挙って往った…。退屈(ひま)を余せる孤高の勇気が未知を含めて逆行(もどり)が顕れ、過去の傍(そば)から生憶(きおく)を匂わす旧い自然(あるじ)の背中へ乗った…。幻(ゆめ)の卑屈に児(こども)が現れ、未来(さき)へ阿る未解おの輪舞曲(ロンド)は空(くう)を根回し孤独を切り裂き、男女(ひと)の許容(なか)から孤憶(こおく)が発(た)つのは、私欲(よく)の界(かぎり)に不悶(ふもん)を許せる気楼の宮(みやこ)の縁者と成った…。白亜(しろ)い四季(きせつ)に身欲が成り立ち、気楼の宮(みやこ)と空虚が産むのは細(こま)やかさに発(た)つ未開の輪舞曲(ロンド)で、苦労に絶えない一女(おんな)の千夜(とばり)は、真昼の最中(さなか)に規矩が成り立つ不穏と愛との精気を買った…。男女(ひと)の千夜(とばり)が孤独を保(も)つのは、人間(ひと)の暗黙(やみ)から空虚を拡がる〝未覚の杜…〟への夢中に在った…。

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 …舞台は、被爆直後の広島市の(おそらく)中学校と、少年院の中の様(よう)で、その二つの場所を俺は行ったり来たりしつつ、自分のするべき事をして居る。

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 …一人(ひと)の脆さを小宙(そら)に預けて過去の空間(あいだ)に一通(とおり)を得るのは、旧来独語(むかしがたり)の過保護の人間(あいだ)の浮遊に働く身近を追い駆け、無知に流離う感覚(いしき)の擦(ず)れから敵(てき)を相(あい)する故録(ころく)を射った…。自己(おのれ)の姿勢(すがた)を独理(ドグマ)に見出し、無知の陰から生録(きろく)を観るのは、不明に働く未完(みじゅく)の人陰(かげ)への空想(おもい)の夜半(よわ)など無痛に置き去り、幻覚(ゆめ)の身重に気色を観て居る不通と未(いま)との長者を保(も)った…。過去の既録(きろく)に自己(おのれ)を観たまま不能の感覚(いしき)を小言に化(か)え出し、現行(いま)に消え往く自己(おのれ)の兜は我(われ)を信じて躰を乗っ取り、幻覚(ゆめ)の人陰(かげ)から平(たい)らを見て居る無垢の景色にその視(め)を得て居た…。無己(むこ)の体形(かたち)が自己(おのれ)に訪れ旧い佳日は陽(よう)を追い駆け、夢心(むしん)に気取れる夜半(よわ)の旧巣(ふるす)は反証さえ無い過録(かろく)に溶け込み、無知を信じて児(こども)を愛する不能の一夜(とばり)を過失に保(も)った…。大器を忘れた幻覚(ゆめ)の無形(かたち)は一人(ひと)の途切れを小宙(そら)へ引き摺(ず)り、一人(ひと)の幻(ゆめ)から琥珀を吟じる無憶(むおく)おn辛(つら)さに禍根を観て居た…。一人(ひと)に寄り付く精神(こころ)の効果は不審に寄り立つ純心(こころ)を置き去り、無心の生憶(きおく)に正味を観て居る不和の俚諺を明日(あす)に観て居る…。一女(おんな)の過去から未憶(みおく)が蹴上(えあ)がり、安い楼気(ろうき)が身重を知る頃、無機の調子に自己(おのれ)が近付く人物(もの)の哀れを淑やかにもして、過大に纏わる不思議の動機は理知に盛(さか)える箴言すら観た…。人間(ひと)の景色に淡路を観たまま生様(きよう)に見定(さだ)めた滑稽(おかし)な生憶(きおく)は、人物(もの)の始めに孤独を感じる不毛と現行(いま)との小界(かぎり)を観た後(のち)、人物(もの)の哀れを空虚に統(たば)ねる未覚の八性(おろち)に心酔して居た…。不信に降(お)り立つ過去の許容(うち)から幻(ゆめ)と乱心(こころ)に未活(みかつ)を追うのは、一人(ひと)に交えた生憶(きおく)の小宙(そら)への禍根に基づく四季(きせつ)に訴え、一人(ひと)の空間(あいだ)に生録(きろく)を見限る夜半(よわ)の理郷(くに)への追想(おもい)を睨(ね)めては、広い景色の孤独を見兼ねる無様(むよう)の果実にその瞳(め)を遣った…。明日(あす)の活路へその実(み)を追い駆け、未知と現行(いま)との神秘(ふしぎ)を突いては、一人(ひと)の経過に淡さを好く観る無縁の気色に人形(かたち)を仕立てて、五月蠅(あわ)い佳日を理婚(りこん)に集める未憶(みおく)の神秘(ふしぎ)に自己(おのれ)を観て居た…。緩く昇れる生録(きろく)の長(ちょう)には旧い自然(あるじ)が孤独を忘れて、過去に培う未覚の小敗地(アジト)を幻(ゆめ)の故録(ころく)に暗算した儘、旧い佳日と自己(おのれ)の過度には艶器(えんき)に見紛う脆差(よわさ)が在った…。

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 …中学校には相原のほかにもう四~五人の、野球選手に憧れる少年らが居た。そして相原に野球を教えた先生の様(よう)な男が出て来て、相原に野球を教えるついでに、俺を含める皆にも、野球を教えてくれて居た。年齢はもしかすると初老かも知れなかった。上背(うわぜ)が可成り高かったので、俺は余り男の顔を真面々(まじまじ)と見る事が出来なかった。その男は元々相原の野球の指導をして居た様(よう)で、今でもピッチングコーチとして時々相原に稽古を付けて居る様(よう)だった。この男も、相原がこれから原爆症に罹る事を知って居るらしい。

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 無謀の学(がく)から思春を跳び越え、無知の生録(きろく)を過去(むかし)に延ばせば、紺(あお)く拡がる夜宙(よぞら)の空間(あいだ)は無知に集める純心(こころ)を解(と)かせて、旧い自覚(かくご)に自己(おのれ)を描ける無重の進歩の欠伸を識(し)った…。厚手の上着に体形(かたち)を観るまま不義の片目を小宙(そら)へと這わせ、無駄に仕留めた女性(おんな)の残骸(むくろ)は江戸を見棄てて阪(さか)を逆上(のぼ)って、幻(ゆめ)の生憶(きおく)と淡路の孤独を旧い故縁(えにし)に見惚れて居ながら、過去(むかし)に酔い散る憐れの吐息は無言を掌(て)にして悦んで居た。一人(ひと)の気色に過去(むかし)が寄り添い、重い歩影(ほかげ)に一女(おんな)を観た時、朗(あか)るい景色が見様見真似で〝気楼…〟を呼び込む無知を絵にして、一人(ひと)の欲から言霊(こだま)を手にする旧来独語(むかしがたり)の温味(ぬくみ)を盛(も)った…。一人(ひと)の移りに独語(かたり)を利かせて白亜(しろ)い佳日を脚色(いろ)に睨(ね)めては、自体(おのれのからだ)を無憶(むおく)に与(あず)ける無頼の小敗地(アジト)へその実(み)を任せて、気球に寄り添う無言の弾みは故縁(えにし)を観たまま如述(にょじゅつ)を描(か)いた…。一女(おんな)の嫉妬は呼吸を忘れて惨い気節(きせつ)の振りを観た儘、人猿(さる)の許容(なか)まで気楼を併せる〝旧い気質…〟を華麗に観ながら、自己(おのれ)の齢(とし)から個録(ころく)を忘れる無謀の自主(あるじ)を疎遠にして居た…。無機の生憶(きおく)に酔った儘にて、疎遠の空気は人間(ひと)を流行(なが)れて、明日(あす)を問えない小言(ことば)の概(おお)くは不審と現行(いま)との気述(きじゅつ)を考え、暗黙(やみ)に認(みと)めた無謀の思乱(あらし)は四季(きせつ)に飛び込む浮沈を従え、無根の形象(かたち)に自体(おのれ)を相(あい)する不惑の回路を予生(よせい)に識(し)った…。未知に掲げる無謀の孤独は、一人(ひと)の感覚(いしき)と純心(こころ)を見渡せ、小宙(そら)の内から見様見真似で〝男女(ひと)の景色…〟を遁(とん)と堕とした…。無謀の気(こ)の端(は)に巻き付きながらも「自由の意図」には記憶が成り立ち、幻覚(ゆめ)の感覚(いしき)に芯が呆れる自己(おのれ)の進化は途方に暮れた…。初老の商人(ひと)から生憶(きおく)が成り立つ無垢の気持ちは進度(しんど)を気にして、非道(ひど)い仕打ちの自己(おのれ)の過渡には孤業(こぎょう)を画(え)に取る旧来(むかし)の名残と男・女(だんじょ)を彩り、白亜(しろ)い気憶(きおく)に忘念(おもい)が窄める身欲の深化は孤業(こぎょう)を射止めて…、未知に呼び込む人の姿勢(すがた)は〝過去…〟を仕留めて怯まなかった…。

      *

 …舞台は、被爆直後の広島市である。昭和二十二年~二十五年頃だろう。もしかすると昭和二十年~二十二年頃かも知れない。俺も「自分が原爆症に罹らないか…?」と本当に心配だった。おそらく周りに居た皆がそうだったろう。

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 …無知の茂味(しげみ)に憶えが在りつつ、不和の調子は精神(こころ)を養え、不満の独創(こごと)を余所に立たせる無頼の境地は瞬く間に失(き)え、幻覚(ゆめ)の夜伽に想いを問えない自己(おのれ)の精華は安みを採った…。不幸の千夜(とばり)に自己(おのれ)を舞いつつ、幻覚(ゆめ)の畔は俚諺を吐きつつ、自由を睨(ね)めては未来(さき)を詠み取る向日の八性(おろち)にその実(み)を養い、不義の許容(なか)から乱心(こころ)を装う自体(おのれのからだ)は不作法(ぶさほう)から成る…。過去の許容(うち)から孤独が成り立ち、信頼して生く孤踏(ことう)は未(いま)でも、白亜(しろ)い四季(きせつ)に安みが見得ない自己(おのれ)の途切りに未来(さき)を詠み取り、不和の境地に身分が隠れる無刻(むこく)の故縁(えにし)にその身を売った…。分厚(あつ)く高鳴る小言の連鎖は生憶(きおく)の様子を時間に見積もり、不夜(ふや)を信じた児(こども)の灯(あかり)は人物(もの)の見事に淡手(あわで)を尽(き)った…。自己(おのれ)の空間(すきま)に不安が成り立つ幻(ゆめ)と夜毎の弛緩は未だに、一人(ひと)を信じて孤独を迷わす所々の起草を投げ掛け、不満に牛耳る無刻(むこく)の独歩(あゆみ)は時間に相(あい)せる過酷を射った…。過去に降(お)り立つ不幸の寝床は未(いま)を忘れて女性(おんな)を採り添え、不従に見上げて生憶(きおく)を積むのは人間(ひと)を信じた怪楽(けらく)を射った…。一人(ひと)を現行(いま)との無刻(むこく)の自主(あるじ)は今日(きょう)を観ながら化身を崇めて、自己(おのれ)の揺蕩(ゆらぎ)に人密(みつ)を問い往く〝不毛と哀れ…〟の欲望を観た…。一人(ひと)に蔓延る無垢の哀れは過去の眼(め)をした奇妙に憑かれて、淡い生歴(れきし)を未完(みじゅく)に紐解く脆弱(よわ)い気色に大袈裟を観る…。不動の宮(みやこ)に文句が発(た)つ最中(うち)、自由の牙城(とりで)は生準(きじゅん)を見忘れ、人間(ひと)の同調(シンパ)を故縁(えにし)に見限る「自己(おのれ)の目下(ふもと)」を立ち位置に見た…。自由を愛する我が名の牙城(とりで)は、一人(ひと)の生気に身重を持ち上げ、自由の肴(さかな)を無心に紐解く旧来凌(むかししの)ぎの人形(かたち)に添わせて、選り取り見取りに過去(むかし)を相(あい)する疲労の昼夜(ちゅうや)は敏(びん)に焦がれて、自由を保(も)てない自己(おのれ)の安堵は独創(こごと)を秘め生く朗(あか)るみを見た…。一人(ひと)の深化と孤独の連鎖は〝自由〟を忘れて奇妙を負かせて、幻(ゆめ)の生憶(きおく)に未来(さき)を信じた孤独の人陰(かげ)など自由と知った…。詠(うた)い続けた自己(おのれ)の安堵は奇妙に巻かれて気憶(きおく)を消し去り、一人(ひと)の視(め)に見た自由の傘下は無力を忘れて詩(うた)を吟(うた)った…。白亜(しろ)く澄ませる誇張の主宴(うたげ)は鐘の鳴る音(ね)を気憶(きおく)に任せて、自由を射止めぬ淡い人形(かたち)に篩を掛け出す堕ち度を得る内、黄泉の一宮(みやこ)に急を見限る孤独の暗歩(あんぽ)を聡明にも見た…。幻覚(ゆめ)の生憶(きおく)は自由を保(も)ち出す「自己(おのれ)の過去」との結託から観て、一人(ひと)の孤独に故縁(えにし)を見守る一女(おんな)の手向けにおっとり構えた…。

      *

 …こうやってこの被爆直後の広島市では、皆、いつ自分に原爆症の症状が出るか知れないなんて恐怖しながら、毎日を送って来たんだろうなぁ…、と俺は実感する事が出来て居た。俺は、中学校に備え付けられてあった水道の蛇口を捻った。すると、真っ黒い、炭が思い切り混じった様な水が流れ出て来た。皆、こんなの飲んで居るのか…、これでも飲めるのか…?と俺は疑問に思って居た。

      *

 一人(ひと)の陰から乱心(こころ)が蹴上(けあ)がり、有頂を究(きわ)めたmorgueの果(さ)きには、夢中を識(し)らずに孤独を培う不利の要(かなめ)に表情(かお)を好く観て、人間(ひと)の欲から人形(かたち)に費やす無己(むこ)の景色は散々だった…。未信の目下(ふもと)へ自己(おのれ)を振り見て青空(そら)の彼方へ身欲を買うのは、旧い夜伽の蟲毒に統(たば)ねる未活の小敗地(アジト)へ羞恥を投げ遣り、櫃(ひつ)に飼われた惨い男女(ひと)への欲の微温味(ぬるみ)は孤独を仰ぎ見、一人(ひと)の小敗地(アジト)に糧を呼ぶのは感覚(いしき)に繋がる蛇女石(メドゥーサ)だった…。幻(ゆめ)の生憶(きおく)と文言(ことば)の吟味(あじ)には女性(おんな)の目下(ふもと)が哀れを乞う内、退屈(ひま)を捨て去る孤独の淡路は表情(かお)を知らない化粧の快無(オルガ)で、日々の裾から文言(ことば)を迷わす〝幻覚(ゆめ)の故録(ころく)〟と文言(ことば)を仰ぎ見、安い形見を活命(いのち)に与(あず)ける無垢の便りは穏便でもある。自己(おのれ)の意欲に孤独が報され不毛に生け捕る故録(ころく)は成り立ち、御幸(みゆき)の空間(すきま)へ可細(かぼそ)く立つのは暗黙(やみ)の概(おお)さの無断と同じく、清く正しく文言(ことば)を保(も)つのは〝幻覚(ゆめ)の絡み…〟の盲者(もうじゃ)であった…。日々の頭上(うえ)から文言(ことば)が捕われ自己(おのれ)の大口(くち)から日蓋(ひぶた)が退(の)くのは、暗黙(やみ)の四季(きせつ)に身近を按じる自己(おのれ)の苦力(くりょく)の荒んだ貌(かお)にて、無知を信じて孤独を交せる暗(やみ)と業者の人間(あいだ)の往(い)き来(き)は、しどろもどろに可笑しく論じる幻(ゆめ)の宮(みやこ)の姿勢(すがた)で在った…。過去の許容(なか)から独理(ドグマ)が訪れ、幻(ゆめ)の日々へと闊歩するのは、白亜(しろ)い千夜(とばり)の無穏(むおん)の交響(ひびき)と一人(ひと)に按じた孤独に見上げて、気取り始めた快無(オルガ)の宮(みやこ)の女性(おんな)に産れた煩悩(なやみ)は概(おお)きく…、一人(ひと)の枯渇に身欲(よく)を眺めた「自由の生憶(きおく)…」に巣立って在った…。幻覚(ゆめ)の生憶(きおく)に素通りして生く精神(こころ)と現行(いま)との身欲(よく)の並びは、一人(ひと)の生憶(きおく)へずんずん仕上がる無垢の間延びの呼吸を好く観て、一人(ひと)の四季(きせつ)に明日(あす)を信じる透明色した自己(おのれ)の脚色(いろ)には、暗黙(やみ)を信じて夢限(むげん)を按じる双六ばかりの人生だった…。人間(ひと)の貌(かお)から乱心(こころ)が降(お)り立ち、不毛の生憶(きおく)に純心(こころ)が跳ぶのは、暗(やみ)の宮(みやこ)の大口(くち)に転じる実しやかな偽りでもあり、過去の日々から旧(むかし)を好く観た一人(ひと)と現行(いま)との小敗地(アジト)は固まり、無心に転じて既憶(きおく)を幻見(ゆめみ)る〝大通りに立つ自主(あるじ)〟であった…。一人(ひと)の生憶(きおく)に孤独が相乗り、未知の夕べに気分が乗るのは、暗黙(やみ)の彼方へすんなり透れる孤業(こぎょう)と銀河の自主(あるじ)の緑(ろく)にて、安い平(ひら)から一人(ひと)を按じる不毛の幻見(ゆめみ)は遠退きながらも、低い雲間に未知を授ける自己(おのれ)の生憶(きおく)の情安(じょうあん)とも成る…。

      *

 …俺は絶対飲みたくなかった。これ等の原理・被爆に纏わる長過ぎる恐怖・悲惨の末路を実感すると、全く当時の日本政府から天皇に掛けての好い気な連中への「怒り」と言う感情(もの)が込み上げて来た。この様な計り知れない恐怖の地獄絵を「あっそう」で片付けた殆ど能無しの昭和天皇に対して先ず腹が立った。同じ苦しみを味わわせよう、と思った。他の戦争を仕掛けて好い気になっていた幹部連中皆に対しても同様である。

      *

 …過去の生憶(きおく)に轆轤が生い立ち、不遇の境地に虚空を観るのは無言に等しく、無類の過去から個録(ころく)を射止める無機の仕種に孤踏(ことう)を蹴った…。幻(ゆめ)と現行(いま)との明日(あす)の盛(さか)りは加減を識(し)らない呼吸を見て取り、白亜(しろ)い刹那の独房から観た明日(あす)と未(いま)との盛(さか)りの末(すえ)には、一人(ひと)に懐ける自由の水面(みなも)の暗(やみ0を信じた淡味(あわみ)を保(も)った…。過去の許容(なか)から苦力(くりょく)を消し去る無能の日々には禍根を巡らせ、自由を掌(て)に採る人並(なみ)の宮(みやこ)は気楼と未(いま)との惨さを引き立て、安い人間力(ちから)に自由が立つのは自論と小界(かぎり)の紐を保(も)ち合い、一人(ひと)を審(しん)じて孤独を消し去る夢想の轆轤を見詰めて在った…。自由に流行(なが)れる孤独の恋慕は生憶(きろく)ばかりの温度を添わせて、漆黒(くろ)く光れる自由の千切(ちぎ)りと淡い気色の淀味(よどみ)を見合せ、一人(ひと)の活命(いのち)に宿る千夜(とばり)は未知に憐れむ美宙(みそら)を識(し)った…。自己(おのれ)の肢体(からだ)は四肢(てあし)を忘れて自由を欲し、幻(ゆめ)の一形(かたち)に枕を並べる旧来独語(むかしがたり)の信仰(まよい)を片手に、自在に活き発(た)つ故録(ころく)の空間(あいだ)は〝死地〟を見付けて荒んで往った…。変化して往く俗世の暗(やみ)から呼吸の生跡(あと)には流言(るげん)が忍び、明日(あす)に好く似た純心(こころ)の既憶(きおく)は明朗ながらに過保護を育て、自己(おのれ)の千夜(とばり)に明日(あす)が跳ぶのは人山(やま)の目下(ふもと)の空手であった…。人足(じんそく)から観た精神(こころ)の逆には未知の生憶(きおく)が遠退き始めて、未来(さき)へ堕ち往く個録(ころく)の欠片(かけら)は無根と空虚の一宮(みやこ)を求め…、淡い佳憶(かおく)に男・女(だんじょ)が織り成す〝物憂い明日…〟には連想(ドラマ)が照った…。灯(ひ)から成り生く純心(こころ)の旧(むかし)は陽光(ひかり)に佇む怪理須魔(カリスマ)を差し、過去に織り成す空虚の宮(みやこ)は順序を知らずに聡明でもある…。白亜(しろ)く成り立つ純心(こころ)の旧(むかし)は化粧を見定(さだ)める旧来(むかし)を観た儘、無類と一人(ひと)との暗黙(やみ)の繁味(しげみ)を空虚に見合せ夜伽を乞うた…。一人(ひと)の繁味(しげみ)は純心(こころ)を透す…。

      *

 …俺と相原は友達の様(よう)だったが、出会ってまだ日が浅かった事もあってか中々面と向かって話をする事が出来ず、唯、二人で同じ場所に居ながら、一つのスポーツ(野球)に熱中する事を大事とした。相原はどうだったか知らないが、俺はそうだった。空は殆ど黒色(こくしょく)だったが、少々碧(あお)みが勝った明(あか)るみも表して居た。そう、又、ケルベロス(FFⅧ)が出て来そうな黄昏時だった。

      *

 …過去(むかし)に小躍(おど)れる小言の周囲(まわり)は白亜(しろ)さに統(たば)ねた明日(あす)を信じて、無限の陽光(ひかり)に千夜(とばり)が片付く無根の気色を統(たば)ねて居た…。自由に透れる独理(ドグマ)の果てには無垢に辿らす孤独が遠退き、自由と現行(いま)との孤録(ころく)の暗(やみ)には不幸の懊悩(なやみ)がどんどん気流(きなが)れ、翌朝(あさ)に過ごせる〝昨日(きのう)の発狂(くるい)…〟が意味に眺める透りを識(し)った…。意味を拗らす不解(ふかい)の一通(とおり)は難関さえ無い孤独を想わせ、不自由から成る孤録(ころく)の譲渡は無心に始まる感覚(いしき)に呑まれて、白亜(しろ)く途切れる無口の両刃(やいば)は欠片(かけら)を識(し)らない人間(ひと)を想わせ、白亜(しろ)く翳らす小鳥の島には無言の朝陽が背中を打った…。明日(あす)の愛露(エロス)が活命(エロス)が無口を了(おわ)らす惨めに蔓延る惨さを湿らせ、人間(ひと)の背後に絶望して生く不能と未(いま)との道標(しるべ)を想わせ、拙い導(しるべ)に桁を忘れる道具に相(あい)する個録(ころく)に打った…。暗黙(やみ)に息衝く旧来(むかし)の傀儡(どうぐ)は館(たち)に宜しく囲いが崩され、囲いの許容(うち)から魅力を凍らす一人(ひと)と欲との身忙(みぼう)に気流(きなが)れ、一人(ひと)と未(いま)との個録(ころく)の空間(すきま)は不悶(ふもん)に始まる活命(いのち)を保(も)った…。女性(おんな)の旧さに失望した儘〝悪魔の夜伽…〟は現行(いま)でも続き、白亜(しろ)く途切れた孤独の自主(あるじ)は無垢に忍べる安堵を観た儘、「自由と現行(いま)との孤独の純(うぶ)…」には破格の人道(みち)から児(こども)を保(も)った…。幻(ゆめ)の合図を児(こども)に保(たも)たせ、不義理(ふぎり)に悩める無口は根転(ねころ)び、一人(ひと)の気儘に八性(おろち)が安める無根の傀儡(どうぐ)は自在を観る内、退屈(ひま)を識(し)らない過度の一人(ひと)には無口に投げ発(た)つ感覚(いしき)を保(も)った…。意味に近付く孤独の無口は流行(ながれ)に呑まれる孤独に近付き、不沈と精神(こころ)に孤録(ころく)の暗黙(やみ)には不幸と文句(ことば)の活命(いのち)に立った…。人間(ひと)の不敗に脚色付(いろづ)く人山(やま)には小宙(そら)が象る精神(こころ)と同じく、無心と一人(ひと)との相撲の空間(すきま)は過去(むかし)に息衝く連想(ドラマ)を彩(と)った…。人山(やま)の目下(ふもと)で河原(かわら)が遠退き、白亜(しろ)く辿れる四季(きせつ)は優しく、無暗(むやみ)に象る不法の宮(みやこ)は孤独と未(いま)との自主(あるじ)を途切らせ、不本(ふほん)と人智の余所の繁味(しげみ)は〝日々〟に迷わす朗(あか)るさを識(し)り、不意に破れる枯渇の辿りは幹(みき)に保(も)たせる孤録(ころく)を彩(と)った…。日々に膨れる淋しさばかりが自己(おのれ)の立場を月夜に折らせて、日々の乱心(こころ)に無謀が発(た)たせる精神(こころ)の形(なり)には過信が在った…。日々の明日(あす)から無口が素通り、明日(あす)に活き発(た)つ不審が佇み、理審(りしん)に固まる無刻(むこく)の教唆は意味を知らない翳りを追った…。

      *

 …場末のコメディアンが死んだ。俺は新聞かネットの記事かで、それに就いて読んだ。死因は過労死との事だった。(俺は寝る前、ネットで、場末のコメディアンのバカ殿の番組で、美人を裸にさせて馬鹿みたいに戯れて居る画像を見て居た)。あんだけゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク、調子に乗って酒ばっかり呑んでたら、そら死んでも可笑しくないやろうなぁ、等と思って居り、故に「過労死」と言うのが意外だった。酒の飲み過ぎによる何等かの症状により死亡なら話は分かる、等と思って居た。

      *

 …無類の記憶に頭(あたま)を擡げて旧く積もれる孤独の王者は「価値」を見知らず卑怯を掌(て)にして、活命(いのち)に繋がる無償の自覚(かくご)は暗黙(やみ)を枕に素通りして活き、無知の自覚(かくご)を孤独に射止める不法の自然(あるじ)は瞬時に逝った…。陰府(よみ)の景色と夢中を識(し)りつつ不毛に見果てぬ宿りは何時(いつ)でも、一女(おんな)の無頼を過去に置き去る精神(こころ)の許容(うち)から華欲(かよく)を誂え、一人(ひと)に捕(と)られた相撲の焦りは過度に仕立てた無類を識(し)った…。退屈(ひま)を睨(ね)めては過去(むかし)を仕立てて、退屈(ひま)と欲との試心(こころ)の頭上(うえ)には女性(おんな)が蹴上(けあ)がり、白亜(しろ)い四季(きせつ)と現行(いま)を割いては既知に好く似た試心(こころ)を置き去り…、女体(からだ)を過ぎ去る孤踏(ことう)の頭上(うえ)には選り取り見取りの無法を識(し)った…。化身に見紛う夢中の快無(オルガ)は未知に擦(ず)れ往く秩序を正して、一人(ひと)の初めに翌朝(あさ)が蔓延る幻覚(ゆめ)の夜半(よわ)から翳りを見知らず…、一人(ひと)の背後(うしろ)に端正(きれい)に忍ぶは未来の孤独と栄華であった…。厚い日々から既憶(きおく)を誤魔化し、無知の還りは傀儡(どうぐ)に大きく、明日(あす)と現行(いま)との身欲(みよく)の高みは退屈(ひま)を愛する髑髏に雄々しく、一人(ひと)と律儀に淡味(あわみ)を保(も)つのは旧い形の朝日であった…。紅(あか)く照るのは人間(ひと)の過去にて、生憶(きおく)の箍には思乱(あらし)が過ぎ去り、日々と現行(いま)との暗(やみ)の人見(ひとみ)は要(かなめ)を忘れて冒険し始め、自由に割かない自由の空転(まろび)は夢中を紐解く淡路と成った…。幻(ゆめ)の仮託に安みが屹立(きりた)ち、人間(ひと)の背後は自由に宜しく、自己(おのれ)の空間(すきま)に身欲を隠すは理知に劈く要(かなめ)と見て取り、幻覚(ゆめ)の始めと淡さの内(なか)には過去の人形(かたち)が自在を見送り…、自己(おのれ)の白亜(しろ)さに不幸が飛び立つ無刻ばかりの葛藤が立つ…。幻覚(ゆめ)の人扉(とびら)が文言(ことば)を跳び越え無地の四季(きせつ)に千夜(とばり)を識(し)る頃、文言(ことば)の無欲が試心(こころ)を観るのは普遍の明日(あす)から傘を寄り添え、翌朝(あす)の傀儡(どうぐ)と無知を気取れる〝欲の成る気(き)〟を純心(こころ)に置いた…。女性(おんな)の効果を世襲に繋げて生憶(きおく)の明度と無限を観るのは、明日(あす)の人形(かたち)に無価値を見送る不頼(ふらい)の朝陽の勝手と成った…。一人(ひと)の自覚(かくご)は自由を紐解き、退屈(ひま)を弄(あそ)べる無心と観た儘、過渡のmorgueと生憶(きおく)の内実(なかみ)を〝自由〟に紐解き引き付けながらも、自由を愛して自由を憎める人間(ひと)の躰は蝦夷地を知った…。人間(ひと)の愛露(エロス)は孤踏(エロス)を識(し)らずに幻覚(ゆめ)と未(いま)とを交互に見定め、旧い夜(よ)に立つ神秘(ふしぎ)の気(こ)の端(は)を絵具(えのぐ)に認(したた)め未来を尊(たっと)び、明日(あす)の伝来(うわさ)に幾様(きよう)を眺めた人密(みつ)の文言(ことば)は盛(さか)りを識(し)った…。一人(ひと)の白亜(しろ)さに身悶えしながら過度の生憶(きおく)は無心を紐解き、自由を相(あい)せる不義理(ふぎり)の夜伽を心の絵に発(た)つ苦しみから観て、端正(きれい)に流行(なが)れる明日(あす)への孤欲(こよく)は身忙(みぼう)に嵩(かさ)なる夜伽と成った…。分厚(あつ)い意欲に未来(さき)を知りつつ、不審に想える未来の人扉(とびら)は苦行に耐え貫(ぬ)き構図を報せる〝旧い小敗地(アジト)…〟の版画を眼(め)にして、過去の人扉(とびら)を感覚(いしき)に翻(かえ)せる孤独の千夜(とばり)と浮沈とを観た。一人(ひと)に彩(と)られた孤独の脆さは明日(あす)に繋げる活気を得た儘、一幻(ゆめ)の活命(いのち)の一夜(とばり)を仕立てる〝朗(あか)るい無色(いろ)…〟から行李を見分けて、素通りして生く試心(こころ)の誤算は企図に懐ける浮惑(ふわく)を目にして…、明日(あす)に燃え立つ自己(おのれ)の生義(せいぎ)は〝過去〟を知らずに論破を待った…。自由に汲み取る試心(こころ)の諸刃(やいば)は幻覚(ゆめ)の生憶(きおく)と化身を見限る児(こども)の画(え)に発(た)つ不義利(ふぎり)の合図は、幻覚(ゆめ)の夜伽に自己(おのれ)を燃やせる過去の相図(あいず)と二重(かさ)なり始める…。二重(ふたえ)に好く似た文言(ことば)のmorgueは不変に成り立つ不業(ふぎょう)を執り持ち、不倖に奏でる未来(さき)の末(すえ)には身悶えして往く過渡期が過ぎ去り、一人(ひと)を過ぎ往く純心(こころ)の序(つい)では〝幻想(ゆめ)の小敗地(アジト)…〟に募って行った…。雪の白亜差(しろさ)に白壁(かべ)を観た儘、不幸に準ずる孤独は留(とど)まり「幻想(ゆめ)の八性(おろち)…」に静まり返れる無憶(むおく)の自主(あるじ)と交転(まろび)を買いつつ、不届き成る哉、一人(ひと)に好く似た自己(おのれ)の人扉(とびら)は過度の生憶(きおく)と愛露(エロス)を葬り、一人(ひと)に隔てた無力の小敗地(アジト)は人陰(かげ)に幻見(ゆめみ)た提灯(あかり)を保(も)った…。…生憶(きおく)の空間(すきま)に自活(かて)が送れる旧い一宮(みやこ)の情緒は優しく、不義利(ふぎり)を酔わせる自己(おのれ)の脆差(もろさ)は生憶(きおく)に懐ける夜伽を追った…。幻想(ゆめ)の理知から文言(ことば)が成るのは不問を抱(いだ)いた幽霊でもある…。

      *

 その辺りで目が覚めた。


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~亜心(あしん)の悦び~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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