西晉統治下の交州①

 吳末から西晉に掛けて、交州(北ヴェトナム)の統治を担った人物に、陶璜(字世英、丹楊秣陵人)がいる。父の陶基も交州刺史であり、吳末に「使持節・都督交州諸軍事・前將軍・交州牧」と為り、武昌都督として召還される途上、晉の咸寧六年、吳の天紀四年(280)の「伐吳」を迎える。

 同年の吳滅亡後、晉(武帝)は陶璜を「其本職」、交州牧(刺史)に復せしめている。陶璜傳(『晉書』卷五十七)の末尾には以下の如く、彼以降の交州の情勢が述べられている。


 在南三十年、威恩著于殊俗。及卒、舉州號哭、如喪慈親。朝廷乃以員外散騎常侍吾彥代璜。彥卒、又以員外散騎常侍顧祕代彥。祕卒、州人逼祕子參領州事。參尋卒、參弟壽求領州、州人不聽、固求之、遂領州。壽乃殺長史胡肇等、又將殺帳下督梁碩、碩走得免、起兵討壽、禽之、付壽母、令鴆殺之。碩乃迎璜子蒼梧太守威領刺史、在職甚得百姓心、三年卒。威弟淑、子綏、後並爲交州。自基至綏四世、爲交州者五人。(陶璜傳)


 「在南三十年」で陶璜が卒すると、員外散騎常侍吾彥が代わり、吾彥の卒後、同じく員外散騎常侍顧祕がこれに代わる。その顧祕が卒すると、「州人」が顧祕の子顧參に逼って「領州事」とし、次いで、顧參が卒すると、その弟顧壽が「領州」を求め、その地位に就く。

 ところが、顧壽は長史胡肇等を殺し、帳下督梁碩も殺さんとしたが、逆に擒となり、鴆殺されている。梁碩は陶璜の子陶威を迎えて「領刺史」とし、陶威が「三年」に卒すると、その弟である陶淑、子である陶綏が、「後」に「交州」と為ったと云う。

 つまり、「交州」(刺史)は陶璜、吾彥、顧祕、顧參、顧壽、陶威、陶淑、陶綏と受け繼がれた事になる。但し、陶淑・陶綏に関しては、「後」とあるので、連続していない可能性もある。

 この八名のうち、『晉書』に傳があるのは陶璜と吾彥(共に卷五十七)のみであり、顧祕の子顧眾に傳(卷七十六)がある以外は、陶璜傳の記述のみが、断片的な記事を除いて、西晉治下の交州に関する唯一の記録となる。

 しかし、陶璜傳には記年が一切無く、太康(280~289)以降という以外は年次を確定できない。諸書から勘案してみたい。


 先ず、年代記とも言える帝紀に、関連する記述を見ると、交州に係わる記事は平吳以降は全く絶え、次に「交州」が見えるのは、東晉明帝の太寧元年(323)五月条の「梁碩攻陷交州、刺史王諒死之。」である。以後、成帝(咸和三年)、穆帝(永和九年・升平三年)、孝武帝(太元五年・六年)、安帝(義熙七年・九年)と断続的に見える。

 これは西晉から東晉、都が洛陽から、南方の建康に遷った事で、相対的に交州への関心、重要度が増した影響があるのだろう。ともあれ、太寧元年の交州刺史は王諒であり、上記の八名に含まれていないので、この年が、陶璜傳で総括されている記事の下限と見做せる。但し、当然ながら、王諒の就任はこれ以前であるから、更に数年繰り上がる。

 ここで交州を陷し、王諒を殺した梁碩は、顧壽に殺されかけ、陶威を迎立した人物である。この前年、元帝の永昌元年(322)十月に「新昌太守梁碩起兵反」とあり、その時点で「反」している事が確認できる。從って、既に刺史は王諒である筈で、下限は少なくとも一年繰り上がる。


 王諒の交州刺史就任時期を確定する為に、その傳(卷八十九忠義傳)を見たい。短文であるので全文引用する。


 王諒字幼成、丹楊人也。少有幹略、爲王敦所擢、參其府事、稍遷武昌太守。初、。諒將之任、敦謂曰:「修湛・梁碩皆國賊也、卿至、便收斬之。」諒既到境、湛退還九真。、諒敕從人不得入閤、既前、執之。碩時在坐、曰:「湛故州將之子、有罪可遣、不足殺也。」諒曰:「是君義故、無豫我事。」即斬之。碩怒而出。諒陰謀誅碩、使客刺之、弗克、遂率眾圍諒於龍編。陶侃遣軍救之、未至而諒敗。碩逼諒奪其節、諒固執不與、遂斷諒右臂。諒正色曰:「死且不畏、臂斷何有!」十餘日、憤恚而卒。碩據交州、凶暴酷虐、一境患之、竟爲侃軍所滅、傳首京都。(王諒傳)


 この記述によれば、「陶咸」の卒後、王敦が王機を刺史とするも、梁碩がこれを拒み、「前刺史修則子湛」を迎えて「行州事」としている。「陶咸」は字形の類似から「陶威」、或いは、陶璜傳の「陶威」が誤りと見るべきだろう。以下は、父である陶璜傳に從う。

 梁碩にとって、陶威に続く、二度目の迎立であり、「專威交土」と云う、交州に於ける彼の権勢が知れる。また、これにより、陶淑・陶綏が陶威から連続ではなく、「後」にである事が確認できる。

 なお、「前刺史修則」というのは、泰始四年(268)十月条に「吳將顧容寇鬱林、太守毛炅大破之、斬其交州刺史劉俊・將軍修則。」と見える「修則」であろう。『三國志』三嗣主(孫晧)傳(以下吳志)には、寶鼎三年(268)条に「是歲、遣交州刺史劉俊・前部督脩則等入擊交阯、爲晉將毛炅等所破、皆死、兵散還合浦。」とある。

 どちらも、刺史は劉俊であり、修則(脩則)は「將軍」・「前部督」である。陶璜が武昌都督として召還された際、「以合浦太守脩允代之」とあり、脩允が交州刺史(牧)と為っている。彼はこれ以前に「脩則既爲毛炅所殺、則子允隨璜南征」とある様に脩則の子である。

 從って、「前刺史修則」というのは、「前刺史脩允」の誤り、或いは、脩則と脩允の混同であろう。陶璜の子である陶威の死後であり、泰始四年(268)からの隔たり(六十年前後)を思えば、修湛(脩湛)は修則の子と言うより、孫であり脩允の子とするのが妥当である。


 さて、この修湛の迎立により、王敦は改めて、王諒を交州刺史と為したとあり、それは永興三年(306)と明記されている。ところが、これは明らかな誤りである。

 と言うのも、永興三年は「八王の乱」の最中で、王敦は「出除廣武將軍・青州刺史。永嘉初、徵爲中書監。」であり、交州に関与する権限を有していない。

 また、「廣州刺史陶侃」として見える陶侃も、当時は荊州刺史劉弘麾下の將で、「江夏太守、加鷹揚將軍」である。永昌元年(322)との隔たりも大きく、類似した元号、建興(315)或いは太興(320)の誤りである。

 王諒傳の記述から、王諒は着任後程無く、修湛を斬り、梁碩の反抗を招いているので、太興三年(320)が妥当である。從って、陶威の死はこれ以前となる。


 然らば、陶威の死は太興三年(320)、或いはその前年かと言えば、王諒傳では王諒以前に王機が刺史と為っており、「咸卒」はそれ以前である。そこで、王機傳(卷百)の記述を確認する。(一部省略)


 、又屬杜弢所在發墓、而獨爲機守冢、機益自疑。、機遂將奴客門生千餘人入廣州、州部將溫邵率眾迎機。……郭訥聞邵之納機也、乃遣兵擊邵、反爲所破。訥又遣機父兄時吏距之、咸倒戈迎機、訥眾皆散、乃握節而避機。……

 。時杜弢餘黨杜弘奔臨賀、送金數千兩與機、求討桂林賊以自效。機爲列上、朝廷許之。。碩聞而遣子侯候機於鬱林、機怒其迎遲、……(碩)乃禁州人不許迎之。……碩恐諸僑人爲機、於是悉殺其良者、乃自領交阯太守。、遂往鬱林。時杜弘大破桂林賊還、遇機於道、機勸弘取交州。弘素有意、……機遂以節與之。

 尋而陶侃爲廣州、到始興、州人皆諫不可輕進、侃不聽。及至州、諸郡縣皆已迎機矣。侃先討溫邵・劉沈、皆殺之……遣督護許高、病死于道。高掘出其尸斬首、并殺其二子焉。(王機傳)


 「會澄遇害」とあるのは、前荊州刺史王澄の事で、永嘉五年(311)正月、長沙に反した杜弢の討伐に失敗し、軍諮祭酒として召される途上、「江州」と為っていた族兄王敦を侮蔑する態度をとった為に、殺されている。

 この王澄の殺害も、記年が無く、多々問題があるのだが、『資治通鑑』では永嘉六年(312)としている。翌建興元年(313)八月には後任の荊州刺史周顗が「弢別將王真」に敗れているので、同年以前に王澄が荊州刺史から召還されているのは確かである。

 王澄の死で「禍の及ぶを懼」れた王機は、廣州刺史と為る事を王敦に求めるが許されず、しかし、廣州刺史郭訥に背いた州部將溫邵等に迎えられて廣州に入る。

 独断で廣州を「簒」した事で、王敦に討たれる事を懼れた王機は「更に交州を求」め、王敦も王機の「制し難き」を以て、梁碩を討たしめる為にそれを認める。だが、王諒傳にもあった様に、梁碩は王機を拒み、王機自身も杜弘等に推されて反し、「廣州」と為った陶侃に討たれる事になる。


 王機と共に立った杜弘は、「時杜弢餘黨杜弘奔臨賀」とある様に、「杜弢別將」であり、「臨賀に奔」ったのは、建興三年(315)三月に「豫章內史周訪擊杜弘、走之、斬張彥於陳。」以降である。

 從って、王機が交州を求めたのも同年以降となる。陶侃が廣州刺史と為ったのも、同年八月の「荊州刺史陶侃攻杜弢、弢敗走、道死、湘州平。」以降であるので、矛盾はない。

 陶侃は太興元年(318)十月に「加廣州刺史陶侃平南將軍」とされ、その傳に依れば、「尋加都督交州軍事」とあるので、これ以前に王機等は平定されている。


 以上から、建興三年(315)、或いは、翌四年(316)、遅くとも建武元年(317)までには王機が交州を求め、当然、それ以前に陶威は卒している。

 從って、陶威が迎立されたのは、その「三年」前、建興元年(313)から三年(315)年頃となる。或いは、「三年卒」は就任から「三年」で卒したのではなく、建興三年の「建興」が脱落している可能性もある。

 何れにせよ、陶璜傳の下限は建興年間(313~317)、建興三年(315)前後となる。

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