古代中国・家族用語の基礎知識―⑤「世孫」 下

 『梁書』・『陳書』・『(北)齊書』が編纂された唐初には、初代を「一世」とする数え方とは異なる、初代の子を「一世」とした数え方がある程度広まっていたと考えられる。


 但し、『梁書』卷七太祖張皇后の「父穆之、字思靜、晉司空華六世孫。」、同卷二十七陸倕傳の「陸倕字佐公、吳郡吳人也。晉太尉玩六世孫。」、『陳書』卷二十七江總傳の「江總字總持、濟陽考城人也、晉散騎常侍統之十世孫。」などは、従来の数え方がなされている。これ等はそうした記録・傳承が有り、それをその儘に載録したと考えられ、『魏書』(崔玄伯傳)などもその可能性はある。

 なお、上の三書と同時期に編纂された『周書』には、中途が不明な系譜が多く、適当な事例が得られない。また、同じく唐初の編纂である『晉書』も同様だが、卷七十劉超傳で劉超の遠祖「臨沂縣慈鄉侯」が「(漢城陽景王)章七世孫」である事や、卷八十七李玄盛(李暠)傳の李暠が「漢前將軍廣之十六世孫」である事は、『漢書』王子侯表や『新唐書』宰相世系から、従来の数え方である事が確認できる。これも、唐初以前、『晉書』の原史料などにそうした記録があり、それを踏襲したと考えられる。


 また、『後漢書』卷十二劉永傳には「劉永者、梁郡睢陽人、梁孝王八世孫也。傳國至父立。」と、劉永が「梁孝王八世孫」で、國を伝えて、「父立」に至ったとあるが、『漢書』諸侯王表には「八世 陽朔元年、王立嗣」とあり、「梁孝王八世」は「王立」であり、劉永がその子ならば九世孫となる筈である。これは「八」が「九」の誤記であるのか、劉永の出自に何らかの誤りがあるのではないか。

 上記三書の事例についても、誤記という可能性はあるが、『晉書』以下の諸書以降に編纂された『北史』・『南史』には誤記とはし得ない、明らかな齟齬が見受けられる。


 先ず、『北史』卷二十四崔逞傳に「崔逞字叔祖、清河東武城人、魏中尉琰之五世孫也。曾祖諒、晉中書令。祖遇、仕石氏、爲特進。父瑜、黃門郎。」に、崔逞が「魏中尉琰之五世孫」とする。

 しかし、『魏書』卷三十二の崔逞傳では「崔逞字叔祖、清河東武城人也、魏中尉琰之六世孫。曾祖諒、晉中書令。祖遇、仕石虎、爲特進。父瑜、黃門郎。」と、ほぼ同文でありながら、崔逞は「魏中尉琰之六世孫」とする。

 これは『魏書』が崔琰を、『北史』が崔琰の子を、それぞれ「一世」と数えていなければ有り得ない事態である。

 なお、崔逞の曾祖崔諒は『三國志』卷十二崔琰傳の裴注に『世語』を引いて「琰兄孫諒」、荀綽『冀州記』を引いて「諒即琰之孫也。」と、崔琰の「兄孫」・「孫」という齟齬はあるが、孫排であるのは確かであるので、①崔琰、②崔琰子(兄子)、③崔諒、④崔遇、⑤崔瑜、⑥崔逞となる。


 『南史』では卷六十殷鈞傳に「殷鈞字季和、陳郡長平人、晉荊州刺史仲堪五世孫也。曾祖元素、宋南康相、……生子寧早卒、寧遺腹生子叡、……」とあるので、この「遺腹生子叡」の子が殷鈞である。

 殷鈞については『梁書』卷二十七殷鈞傳で「殷鈞字季和、陳郡長平人也。晉太常融八世孫。」、その父殷叡については『(南)齊書』卷四十九王奐傳に附して「殷叡字文子、陳郡人。晉太常融七世孫也。」とある。

 殷鈞がその五世孫である殷仲堪については『晉書』卷八十四殷仲堪傳に「殷仲堪、陳郡人也。祖融、太常・吏部尚書。父師、……」とあり、殷叡・殷鈞がその七世孫・八世孫である殷融が祖父である。従って、①殷融、②殷師、③殷仲堪、④(仲堪子)、⑤殷元素、⑥殷寧、⑦殷叡、⑧殷鈞となる筈である。

 しかし、殷仲堪の五世孫は①殷仲堪、②(仲堪子)、③殷元素、④殷寧、⑤殷叡と、殷叡になってしまい、殷仲堪の子を「一世」としなければ、殷鈞が五世孫とはならない。これは「五世」が「六世」の誤記とも考えられるが、敢えて殷仲堪を起点としている以上、『南史』(の撰者李大師・李延寿)がその世系から五世孫と判断したと見做したい。


 この様に、『南史』では未確定だが、『北史』では明らかに初代の子を「一世」とする数え方が見える。そして、それは唐高宗の太子李賢(章懐太子)が施した『後漢書』の注に顕著である。なお、李賢注では太宗李世民への避諱から、「世」は「代」と、乃ち「世孫」は「代孫」とされている。


 先ず、卷一光武帝紀の「故廣陽王」に「廣陽王名嘉、武帝五代孫。」とあるが、廣陽王嘉は武帝の子燕剌王旦の子孫で、『漢書』諸侯王表から、①武帝、②燕剌王旦、③廣陽頃王建、④廣陽穆王舜、⑤廣陽思王璜、⑥廣陽王嘉となり、燕王旦の五世孫、武帝からならば六世孫である事が知れる。

 以下の検討は措くが、同じく光武帝紀の「真定王楊・臨邑侯讓」に「楊、景帝七代孫。讓即楊弟。」、卷九孝獻帝紀の「濟南王贇」に「河閒孝王五代孫。」などは何れも、本来より一代少なく、乃ち初代(起点)の子を「一世」(一代)として数えている。

 ただ、卷十光武郭皇后紀の「真定恭王女」への「恭王名普、景帝七代孫。」で、真定共(恭)王普は上記真定王楊の父であるので、景帝七世孫と本来の数え方となっている例などもある。これ等は数え間違いか、何らかの原史料に従ったのだろう。


 以上から、確定はできないが、唐初までに「世孫」(代孫)の数え方は、本来の初代を「一世」とするものから、その子を「一世」とするものに変化したと考える。その原因には、「世祖」の数え方との混同があったのではないか。


 なお、そもそもで言えば、五世孫は本来の数え方であれば玄孫であり、本文では魏書卷四十五杜銓傳の「杜銓、字士衡、京兆人。晉征南將軍預五世孫也。」以外では、『(北)齊書』・『周書』以降にしか見えない。また、本来なら曾孫である四世孫に至っては『新唐書』以降にしか見えない。これは数え方の変化により、四世孫が玄孫、五世孫がその子(來孫)に相当すると見做され、玄孫・來孫より世代が判別し易いと考えて、使われ出したのではないか。


 では、この数え方の変化はいつ頃から始まったのであろうか。その答えの一つとなるのが『史記集解』に見える徐廣の注である。『史記』卷百二十一儒林列傳の「於是孔甲爲陳涉博士」に注して、「集解徐廣曰:孔子八世孫、名鮒字甲也。」とある。

 孔鮒は孔光傳の世系からすれば、①孔子、②伯魚鯉、③子思伋、④子上帛、⑤子家求、⑥子真箕、⑦子高穿、⑧順、⑨鮒で、本来であれば孔子の九世孫である。それを八世孫としているので、孔子の世系に異説があるのでなければ、徐廣は孔子の子、孔鯉(伯魚)を「一世」としている事になる。これは同書卷百十匈奴列傳の「大王亶父」への注「集解徐廣曰:公劉九世孫。」でも同様である。

 『史記集解』は宋の裴駰(裴松之子)が作し、徐廣は『宋書』に傳が有る様に、東晉末から宋に掛けての人物である。従って、宋初には変化が始まっていたと考えられるが、徐廣・裴駰とほぼ同時代である范曄の『後漢書』(本文)や、後の蕭子顯『(南)齊書』では、少なくとも、明確な事例としては見えない事を鑑みれば、未だ一般的ではなかったと考えられる。


 この初代の子を「一世」とする数え方、唐代の用例から「代孫」とでも言うべきものが、その後も踏襲されたのか、それとも、唐初に一時的、或いは一部で行われただけなのかについては、『唐書』以降の検討が必要であり、不明である。

 一応、例を挙げれば『後漢書』卷十皇后紀に附された「皇女華」傳の「皇女華、延熹元年封陽安長公主、適不其侯輔國將軍伏完。」への注に「完、伏湛(五)〔七〕世孫。」、その校勘記に「據殿本考證引何焯說改。」とある。

 『後漢書』卷二十六伏湛傳から伏氏の世系を補えば、①伏湛、②伏翕、③伏光、④伏晨、⑤伏無忌、⑥伏質、⑦伏完となり、「何焯說」の云う如く伏完は伏湛の七世孫となる。

 何焯は清代の人であるから、当時、少なくとも何焯は「世孫」本来の数え方をしていたと言える。但し、同書獻帝伏皇后紀に「獻帝伏皇后諱壽、琅邪東武人、大司徒湛之八世孫也。父完、沈深有大度、襲爵不其侯、尚桓帝女陽安公主、爲侍中。」とあるので、八世孫たる伏皇后の父で七世孫としただけ、という可能性もある。

 同じく、『後漢書』卷五十五 河間孝王開傳の末尾、済南王贇の「子開嗣」に対する校勘記に「按:集解引惠棟說、謂開爲孝王六世孫、不應與始封之祖同諱、有誤。」と、済南王贇の子「開」が「河間孝王開」の六世孫だとある。

 同傳から済南王贇までの世系を補えば、①河間孝王開、②惠王政、③貞王建、④安王利、⑤濟南王康(河閒安王利子)、⑥王贇、⑦「子開」となり、「開」は七世孫である。惠棟も清代の人であるので、「代孫」としての数え方をしている。


 長々と雑駁な文を連ねてきたが、これは生没年不詳の人物の活動時期や、世系の確認などに資すると思えばである。

 「世孫」は基本的に系譜が遠祖に連なる事を示す為に使われていると考えられ、本来はその系譜の正しさを証明する為のものである。だが、世代が一代ずれる事で、世系が繋がらない、疑わしくなるという事例も考えられ、その正確な把握は重要だと考える。

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