第17話

「こんな所まで呼びつけたんだ。つまらない用件だったら笑えねぇぞ?」


 クライスがニーナの牧場にやってきた。

 本当は来たくなかったが、伯爵の名を出されたら無碍には出来ない。

 大貴族に嫌われると、ポロネイア王国内の商売に支障を来すからだ。


 クライスはニーナのことがそれほど好きではなかった。

 容姿はペトラに劣らぬ美しさだが、貴族特有の雰囲気が気にくわない。

 彼は仕事の都合で貴族と懇意にしているが、内心では貴族を嫌っている。

 ペトラのことが気に入ったのも、彼女に貴族のオーラを感じなかったからだ。


「用件はただ1つ。貴方がペトラに授けた秘伝のレシピを教えて頂きたいのです」


「秘伝のレシピって、デミグラスソースのことか?」


 あれは別に秘伝でもなんでもないが、と思うクライス。

 実際、彼は入って間もない見習いの料理人にもレシピを教えていた。

 かつては秘中の秘だったが、それは何年も前の話だ。

 今では誰でも自由にご利用下さいとばかりに教えている。


「その通りですわ」


 ニーナは勘違いしていた。

 クライスの言う「デミグラスソース」を、デミグラス牛乳のことだと。


「別にいいけど、あんた、料理に興味ないんじゃねぇの?」


「たしかに興味はありませんが、私も牧場を経営する身としては、デミグラス牛乳のような物を生み出したいのです。そこで今、デミグラス牛乳について研究しています」


「わざわざ国外に追放したというのに、まだペトラのことを調べていて、更には奴の牛乳を研究していると言うのだから、貴族の考えることはよう分からんな――で?」


「で? とは?」


「デミグラス牛乳について研究しているのは分かったよ。たしかにあの牛乳は俺の作ったソースの味がする。でも、あれはソースじゃなくて牛乳だぜ? 俺からソースのレシピを教わったところであの牛乳は作れないぞ?」


 ニーナとクライスは、互いに引っかかっていた。

 どことなく互いの話がズレているぞ、と。


「えっと……」


 ニーナが考え込む。

 クライスとの会話を振り返った。


「もしかして、秘伝のレシピとして私が言ったデミグラスソースのことを、クライスさんが料理で使っているデミグラスソースのことだと勘違いしていませんか?」


「えっ、違うの?」


「違います。私が申しているのは、デミグラス牛乳に関する秘伝のレシピです」


「……というと?」


 クライスはまたしても頭がこんがらがる。

 貴族特有の言い回しなのだろうか、などと考えていた。


「腹を割って話しますと、私はデミグラス牛乳のレシピ自体は把握しているのです。牧草に貴方のデミグラスソースをかけて魔牛に食べさせると、牛乳の味がソースと同じ味になる」


「たしかにその通りだ」


 知っているなら隠す必要はない。

 そう判断したクライスは、素直に頷いた。


「ただ、同じ物を作ろうと模倣した結果、どうやっても上手くいきません」


「ソースが違うんじゃねぇの?」


「いえ、たしかに貴方のソースです。アレサンドロの王都支店で働く料理長を買収して同じソースを作らせました。間違いありません」


「なるほど、たしかにそれなら同じソースだな」


 料理長を買収したと聞いても、クライスは何も思わなかった。

 貴族との揉め事を嫌う彼は、前もってスタッフ全員に言っていたのだ。

 貴族が何かを提案してきたら基本的には受けてやれ、と。


「牧草にソース、さらには牛乳機まで同じにしました。しかし、出来上がった牛乳はまるで違う味がします」


「へぇ、そうなんだ」


「そうなんだ、じゃないでしょう。貴方にはその理由が分かっているはずです。今日ここにお呼びしたのは、そのことを教えていただきたいからです。貴方がペトラに教えた秘伝を私にも教えて下さい。もちろん、タダでとは言いません。相応の見返りを用意いたします」


 クライスの頭の中がスッキリした。

 今になってようやく全てを把握したのだ。


「あんた、勘違いしてるぜ」


「勘違いですって?」


「そうさ。俺は牛乳の製造に何も関わっていねぇ。デミグラス牛乳で使う餌について知っていたのも、ペトラが数日前に教えてくれたからだ。一緒に開発したわけじゃねぇ。だから協力することはできねぇよ」


「そんな! ありえませんわ!」


「それがありえるんだって」


 クライスは本当に何も知らない。

 ニーナが信じなくとも、それが事実なのだ。

 もっとも、仮に知っていたとしても、知らないで通している。

 レシピを開発することの過酷さは、料理人の彼が誰よりも知っているから。

 それを簡単に模倣しようなどという根性が気にくわない。

 平静を装っているが、クライスは今にもキレそうだった。


「……どうしてそこまでしてペトラをかばうのです?」


「かばう? 俺がか?」


「だってそうでしょう。あなたは前々からペトラに好意を抱いていた。だからかばっているのです。知っているであろう牛乳の製法を隠しています」


「いや、だからだな」


「だまらっしゃい! あなたがそうやってペトラをかばったとしても、ペトラがあなたに振り向くことはありません。それなのにかばいつづける……実に愚かなことです」


「信じてくれねぇようだな」


 クライスは呆れたようにため息をつく。


「俺は本当に知らないのだが、この際、本当のことなんてどうでもいいよな? 俺があんたに何も教えない、という結果に変わりはないのだから」


「そうですわね」


「ならこの話はここでおしまいだ」


「ですね。お手数をお掛けいたしました。関所まで騎士に送らせます。ご足労頂いたお礼に多少の金品もお渡しいたします。もう帰って下さって結構ですよ」


「ああ、帰らせてもらうよ。だが、その前に1ついいかい?」


「なんです?」


 クライスはニッと白い歯を見せた。


「あんたは未だにペトラのことを気にしているようだが、ペトラはあんたのことなんざ気にしちゃいねぇよ」


「……なんですって?」


「別にあんただけじゃない。この国のことを気にしちゃいねぇ。公爵家に戻りたいなどとも考えちゃいねぇ。あいつはただ愚直に、養父から受け継いだ牧場を経営しているんだ。その為に今を必死に生きているんだ」


「…………」


「あんたとペトラじゃ“格”が違うぜ」


 クライスはニーナに背を向け「じゃあな」と去っていく。

 クライスが消えた後、ニーナは発狂した。

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