第16話

 ニーナの牧場経営は翌日から始まった。

 まずは王都のすぐ近くにある巨大な魔物牧場を買収。

 伯爵家の名を振りかざし、半ば強引に獲得した。


 牧場が手に入ると、魔牛と魔鶏以外の家畜を売り捌く。

 その牧場は魔羊の羊毛をウリにしていたが、そんなことは知らない。

 むしろウリにしていた分、一般的な相場よりも高く売り飛ばせた。


 こうして出来たスペースに魔牛を追加する。

 ペトラが魔牛で名を馳せている以上、自分も魔牛でのし上がるしかない。

 ニーナはそう考えていた。


 魔羊がウリだった牧場は、一夜にして魔牛のひしめく牧場に変わった。

 それに伴い、牛舎を突貫工事で拡大する。


「なんでよりにもよって魔牛なんですか? 魔鶏や魔羊の方がいいですよ」


 何度となくそう言われた。

 魔牛は特に気性が荒くて扱いにくいからだ。

 それでいて畜産物の質に与える影響が大きい。

 魔牛はベテランの酪農家が扱うものなのだ。


 そう説明されても、ニーナは考えを変えない。

 ペトラが魔牛を主力にしている以上、自分の主力も魔牛だ。


 自身の牧場が完成した時、ニーナは勝利を確信した。

 魔牛の数はペトラの牧場の数十倍で、牧場の規模も遥かに大きい。

 それに、自分の牧場では、ベテランの飼育員が魔牛の世話を行う。

 金と権力で引き抜いてきた各牧場のエース級だ。

 家畜の数、牧場の設備、飼育員の質、どれをとっても上回っている。


(ペトラ、貴方の評判がこの国まで及んだ時、既にこの国では私が魔物牧場の女王として君臨しているわ。一般人がどれだけ足掻こうと大貴族には敵わないってこと、思い知らせてあげる)


 ニーナは自身の牧場に運搬されてくる魔牛を見ながら豪快に高笑いした。


 ◇


 1週間後。

 ニーナは発狂していた。


「なんで! なんでなんで! なんでなのよ! どうして作れないの! 革新的な味をした牛乳を!」


「努力はしているのですが……」


 牧場内にニーナの怒声が響く。

 各地から集められた最高峰の酪農家達が、深々と頭を下げる。


 事はニーナの思惑通りに進んでいなかった。

 数多の人員を動員しても、〈デミグラス牛乳〉を超える物が作れないのだ。

 デミグラス牛乳とは、ペトラが売っているあのソース味牛乳のこと。

 いつの間にやら、ペトラはそのように名付けていた。


「おかしいじゃない! なんで真似をしたのに出来ないの!? ねぇ! なんで!? 最高の飼育環境で、同じ餌なんでしょ!? だったら同じ牛乳ができるはずでしょ! ペトラを上回れなくても、同等の物ができるはずでしょ!? 貴方達もそう言ったよね!? 私、間違ってる!? ねぇ!? 間違ってる!?」


 捲し立てるニーナ。

 酪農家達は困惑した表情で謝るしか出来ない。


「間違っていません」


「そう申しました」


「ですが出来ないのです」


「どういうわけかは分かりませんが……」


「申し訳ございません」


 牧場経営が始まって最初の2日は、ごり押しで勝てると踏んでいた。

 しかし、完成した牛乳はことごとく普通の味だった。

 そこでニーナは、迷うことなく禁じ手を使った。


 兵士をペトラの牧場に忍び込ませたのだ。

 そして、デミグラス牛乳のレシピを調べさせた。

 その結果、ペトラが魔牛に与えている餌について判明した。

 なんと牧草にデミグラスソースをかけていたのだ。


 これを知ったニーナは、すかさずそのレシピを模倣した。

 アレサンドロの王都支店で働く料理長を買収して同じソースを作らせたのだ。

 そして、ペトラが使っている物と同じ牧草を用意し、そこにソースをかけた。

 ソースのかける量も限りなくペトラに近づけた。


 だが結果は散々だった。

 出来上がった牛乳は、まるでデミグラスソースの味がしないのだ。

 微かにそのような香りがあるけれど、おおむね無味無臭と言える味。


「どうしてなのよ!」


 声を荒らげるニーナ。

 それに対する酪農家達の回答は「分かりません」の一点張り。


 本当に分からなかった。

 酪農家達もレシピを知った時は革命だと思った。

 牧草に味を付ければ、その味の牛乳ができるのだから。


 しかし、模倣をしても同じようにはいかない。

 何度となくその理由を分析するが、答えはでなかった。


「もしかすると環境のせいかもしれません……。あちらはここよりも湿度が低くカラッとしていますので……」


「そんなわけないでしょ! 馬鹿者! その理屈が通るなら雨の降った日はどうなるのよ! 雨が降れば湿度は大きく上昇する! 現に先日は大雨が降ったけれど、ペトラは普通に出荷しているじゃないの!」


 正論をぶちかますニーナ。

 酪農家は「たしかに……」と口をつぐむ。


「あんた達、それでも本当にプロなの!? この国で名を馳せている著名な酪農家なんでしょ!? つい最近までただの貴族だった女に負けてどうするのよ!」


「返す言葉もございません……」


「もういいわ! 模倣については私に任せて、貴方達は独自に研究しなさい」


「「「はい……」」」


 酪農家達がサササッと散っていく。

 ニーナは大きく鼻から息を吐いた。


「それにしても、何が違うっていうのよ」


 魔牛の種類から飼育環境まで、全てを模倣しても同じ味にならない。

 全てと思い込んでいるが、どこかにペトラとの違いがあるのだろう。

 そしてそれは、これまでの畜産理論では考えられていない箇所だ。


「魔物用の餌が途絶えてから、ペトラはずっと牛乳作りに苦労していた。それは確実。それがある日、急にデミグラス牛乳を開発した。普通は徐々に品質を上げて完成品に近づいていくものなのに、ペトラは一瞬で完成させた。つまり……誰かがペトラに入れ知恵をしたに違いない」


 ニーナの考え方は筋が通っている。

 筋は通っているが、正しくはなかった。

 そんなことを知る由もない彼女は、ある結論に至る。


「そうか! クライスだわ! クライスが何かを教えたんだ!」


 ニーナは自分の警護を担当している騎士に命じた。


「適当な兵士に命令して、ココイロタウンの〈アレサンドロ〉で料理長を務めるクライス・アレサンドロを呼びなさい。相手が渋るようなら伯爵命令と言ってくれてかまわないわ!」

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