第12話

 ペトラが向かったのは自身の牧場だった。

 クライスが超の付く有名人なので、静かに話せる場所が他になかった。

 牧場に到着した瞬間、無言だったクライスが口を開く。


「ここはポンドの牧場だろ」


「今は私の家です」


「おいおい、あのおっさんから牧場を奪ったのか!? だとしたらいくらマイハニーでも容赦しねぇぞ!? あのおっさんには世話になったんだ」


「いえ、そうではありません。そのことも含めてお話しいたします」


「いいだろう」


 2人は館に入った。

 ペトラに案内され、食堂のダイニングテーブルに座るクライス。


「本題より先に、現在に至る経緯をご説明いたします」


「そうしてくれ。ポンドのおっさんが気になって仕方ねぇんだ」


「ポンドさん、いえ、お父さんは……亡くなりました」


「なんだって!?」


 ペトラは包み隠さずに全てを話した。

 ポロネイア王国を追放された日のことから今日に至るまでのことを。

 話している途中で、彼女は堪えきれずに泣いてしまった。

 ポンドの死について語っていた時のことだ。

 自分に関することでは、目を潤ませることもなかった。

 しかし、ポンドの死に関する話だけは耐えられなかった。


 クライスは口を挟むことなく最後まで聞いた。

「ふむ」「それで?」「なるほど」と短い相槌を打ちながら。

 外見に反して、彼は大人の器を備えている。

 伊達に二つの国の王都で支店を構えてはいない。


「――以上となります」


「なるほど。ポンドのおっさんがペトラと出会ったのはまさに運命だな。あのおっさんは俺にも良くしてくれたし、本当に見る目があるぜ。最近はすっかり店に来なくなったからどうしているのかと思ったが、まさか死んでいたとはな」


 クライスは以前、ポンドに助けられていた。

 店が軌道に乗り始めてすぐの頃だ。

 税務及び法務に関する業務を、ポンドが無償で引き受けた。

 君の料理は世界で最も美味しいから、というのが理由だ。

 ポンドが居たからこそ、問題なく店を拡大することが出来た。

 だからクライスは、ポンドに深く感謝している。


「それでここからが本題です。実は少し前の暴風雨で、魔物用の餌を仕入れることが不可能になりました。それで、代替となる魔牛の餌を考えていたところ、このような物が出来上がりました」


 ペトラが1枚の皿をクライスの前に置く。

 中にはデミグラスソース味の牛乳が入っていた。


「これは……牛乳のようだが?」


「たしかに見た目は牛乳です。しかし、味は違います」


「ほう」


 クライスは興味津々といった様子で皿を見つめる。


「その舌で確かめて下さい」


「よかろう。ふざけた味なら怒るぞ」


「おそらく満足していただけるかと」


 クライスはスプーンを手に取り、それで牛乳を飲んだ。

 口に含んだ瞬間、彼はかちこちに固まった。

 次に動き出した時、彼は叫んだ。


「これは……俺のデミグラスソースじゃねぇか!」


「その通りです」


 ペトラが作るデミグラスソースは、クライスが教えたものだ。


 ポロネイア支店のプレオープンの際、ルークがクライスの料理に感動した。

 これほど美味しいデミグラスハンバーグは食べたことがない、と。

 それを見たペトラは、ルークを喜ばせるべく、クライスに師事した。


 クライスがペトラに惚れたのもその時だ。

 容姿もさることながら、料理の腕にも魅了された。

 ペトラは他の誰よりも出来がよく、すぐに技術を習得したのだ。

 前世で料理を嗜んでいた経験が役に立ったのだろう。

 しかし、クライスがペトラに惚れた最大の理由は別にある。

 容姿でも、料理の腕でもない。それは――。


「流石のクライス様にもレシピは教えられないのですが、私はこの味の牛乳を量産することに成功しました。しかも、デミグラスソースを普通に作るよりも遥かに低コストです。純白なので品がありますし、見た目もご覧の通り斬新です。味だって申し分ありません。クライス様であれば、この牛乳を使いこなすことができるのではないでしょうか?」


「魂胆は分かったぞ。ウチの店で使わせて箔を付けようってわけだな?」


 隠しても意味がない。

 ペトラは「その通りです」と素直に認めた。

 認めた上で、こう続ける。


「たしかにデミグラスソースは味の肝となる部分。しかし、これだけで全てが決まるわけではありません。仮に他店がこれを使ったとしても、〈アレサンドロ〉には敵わないでしょう。クライス様が何のアレンジもしないでコレを使うとは思いませんから」


「ふっ、相変わらず俺のことをよく理解してらぁ」


 クライスが嬉しそうに笑った。

 彼がペトラに惚れた最大の理由が、自分を理解してくれていることだ。

 自分がどういう人間であるのか、ペトラは誰よりもよく分かっている。

 クライスにとって、ペトラは絵に描いたような理想の女性だった。


「いいだろう。ポンドのおっさんに対する恩返しって意味でも、今あるデミグラスソース味の牛乳は全て買い取ろう。価格はペトラの言い値でかまわない。ただし、これは定期購入ではない。今後も継続的に使うかどうかは様子を見て判断する。それでもいいな?」


「もちろんです。ありがとうございます、クライス様」


「礼を言われることではない。これはただのビジネスさ。俺がこの牛乳を買い取るのは、買うに値する品質だったからだ。もしも粗末な代物だったら、たとえペトラが相手でも断っていた」


 ペトラとクライスは席を立ち、握手を交わす。


「大変だろうけど頑張れよ、ペトラ」


「はい!」


 かくしてペトラはソース味の牛乳を捌いた。

 クライスの店で使われたというだけで箔が付く。

 今後は他にも買い手が現れるだろう。


 魔物用の餌がなくなったピンチを、ペトラはチャンスに変えたのだ。

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