【本編】第一章

第8話

 ポンドが死んだ時、ペトラは牧場経営のことを何も知らなかった。

 知っているのは家畜である魔物の世話についてのみ。


 しかし、独りになった彼女が苦労することはなかった。

 ポンドが必要な作業を紙にまとめていたからだ。

 葬儀の手配、畜産物の販売、税金、エトセトラ……。

 何枚にも分けて記されたその紙を見れば、困らずに済んだ。


 紙には他のことも書いてあった。

 その中でもペトラの人生に役だったのは会話のアドバイスだ。

 宮廷の言葉遣いは嫌われると基本的なことから粋な返し方まで。


「まさかポンドさんにこれほど可愛い養女がいたとはなぁ」


「あまりに可愛いから独り占めしたいと言っていました」


「だっはっは! お嬢ちゃん、言うねぇ! よっしゃ、香典代わりに普段の三割増しで買い取らせてもらうよ!」


 今までのペトラなら思いつかない返事だ。

 牧場の経営者は商売人でもあり、商売人は良い子ちゃんではいけない。

 冗談でもかっ飛ばしながら常に明るく振る舞うように。

 それがポンドの教えだった。


(今日の販売はこれでおしまいっと!)


 商品運搬用に使っている馬車の荷台を空にして、ペトラは牧場に戻る。

 馬は既に老いており、卸売業者と牧場を往来するだけで息を切らせていた。


「よーしよし、待たせたねぇ!」


 牧場に到着すると、まずは家畜の世話を行う。

 餌をあげ、体を撫で、時には一方通行の会話をする。

 何を言っているかは分からずとも楽しむことができた。


 それらが終わると施設の状態を確認する。

 牛舎と鶏舎は共に老朽化しているものの、補修するほどではなかった。


 これで外の作業は終了だ。

 だが、ペトラの仕事はまだ終わらない。

 館に入って、本日の売り上げを帳簿に記録する。


(私が来てから右肩上がりというのは本当ね)


 帳簿を見ると、ペトラはにこやかな気分になれた。

 ここしばらくの間、牧場の収益は常に右肩上がりで推移している。


 ポンドが死んでから初の取り引きとなる今日も絶好調だ。

 買い取り額を三割も上乗せしてもらえたので、最高記録を大幅に更新した。


 執務室の窓から牧場の様子を見渡す。

 開きっぱなしの牛舎から魔牛がのそのそと出ていた。

 柵で囲まれた広大なフィールドの中でのほほんとしている。

 逃げることはない。


 その姿を見てペトラは思った。


(魔物牧場でよかったぁ)


 一般牧場と魔物牧場の最も大きな違いが屠殺だ。

 一般牧場だと、家畜の末路は屠殺と決まっていた。


 例えば乳牛の場合。

 乳量が低下したり繁殖が不可になったりすると屠殺される。

 そして、食肉や肥料、革製品に利用されるのが宿命だ。


 屠殺は胸の痛む行為だ。

 屠殺のショックで酪農家の道を諦める若者は多い。

 大事に育てた家畜が殺されるのは辛い。


 一方、魔牛は屠殺されることがない。

 魔物は老衰することがない為、屠殺の出番がないのだ。

 乳量については、寿命ではなく、餌や飼育者との相性で決まる。


 屠殺がないということで、食肉になることもなかった。

 それに、魔物の肉はどんな料理人も降参するほど不味くて固い。


(もう少し作業に慣れたら家畜の数を増やそうかなぁ)


 牧場経営は順調だ。

 この調子なら緩やかに拡大していけるだろう。

 設備自体は整っているので、拡大するなら数を増やすだけでいい。


 ――そんな折、ペトラの考えを一変させる大問題が起きた。


 きっかけはバーランド王国を襲った強烈な暴風雨だ。

 一部では建物が倒壊するなどしたが、牧場は無事だった。

 ココイロタウン自体もそれほど大きな被害は受けていない。


 ただ、この暴風雨は数日にわたって続いた。

 当然ながら、その間、対外向けの作業がストップしていた。

 魔物牧場の場合、畜産物の販売がそれにあたる。

 暴風雨の中を馬車で売りに行くことなどできない。


 しかし、この点も問題なかった。

 牧場内で保管すればいいだけのことだから。

 ここでもポンドの置き手紙が役に立った。


 問題が発覚したのは、暴風雨が落ち着いた後。

 契約している魔物の餌の販売業者がいつまで経っても来ないのだ。

 牧場を畳むつもりだったポンドは、それほど餌を備蓄していなかった。


(このままだと一週間もしない内に餌がなくなっちゃう)


 ペトラは不安だった。

 だからといって、彼女にできることは何もない。

 他の業者から買おうにも、この町には餌を売っている業者がいないのだ。

 ペトラの牧場以外には牧場がないので、他所の業者が来ることもない。


 現状を把握するべく調べた結果、業者にトラブルが発生していると分かった。

 店は倒壊し、運搬用の馬は脱走。商品である餌も嵐で吹き飛んでいった。

 業者の店がある都市は、ペトラの町よりも遥かに被害を受けていたのだ。


 では、餌はどうなってしまうのか?

 役所を通じて尋ねた結果、業者の回答は「しばらく販売できない」だった。

 事実上の契約打ち切りである。


 この回答を得た日、ペトラの牧場では餌の備蓄が底を尽いた。

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