第16話

 その怪異を間近に見たのはこれがはじめてのこと。いや、真っ赤な世界を爆走するゴミ収集車なんて、だれだってはじめて見るだろうけど。


 真っ黒なボディには、窓ガラスがついていなかった。少なくとも、ぼくから見えるところにはない。だから、後ろが見えてるんだろう。


 そう思ってたら、ものすごい勢いで、ゴミ収集車が走ってきた。バックとは思えない速度で!


『バックしますバックしますバックしますバックしますご注意ごちゅごちゅ……』


 突っ込んでくる車のどこかからか、そんなひび割れた放送が流れてくる。それをぼくは、聞きながらも動けなかった。


 ゴミ収集車の後ろが開いて、赤い――空よりも赤い口が見えた。


 なんで口だとわかったのか。


 ゴミを回収するための開いた場所には、無数のきばが生えていた。その口が今まさに、大きく開いたかと思えば、ぼくにかぶりつこうと近づいてくる……。


 ゆっくりゆっくりと牙がぼくへとやってくる。すべてはスローモーションなのに、ぼくのからだは固まっちゃったみたいに、1ミリも動かせない。


「あぶない!」


 気がつけば、ぼくは地面を転がっていた。ライオンの叫び声みたいなエンジン音とけむたいガスが、鼻をかすめて通りすぎた。


 隣をみれば、てんこちゃんがあらい息をついている。こっちを向いたその目は、ぼくをにらんでいた。


「なんで突っ立ってたのじゃ!!」


「えっと……」


 自分でもわからなかった。たぶん、ひかれそうになっているネコみたいなものだったんだろう。怖くて、動けなかった。


 てんこちゃんが、ぼくのからだをひきずるようにして立たせる。


「ほら動くのじゃっ」


「わかったから叩かないで!」


「動けるのじゃな、何かされたわけじゃないんじゃな!?」


「たぶん……」


「そこんところしっかりしてもらわないと、戦うとき困るのじゃ!」


 今まさにUターンしようとしている怪異を見つめていたぼくは、てんこちゃんの言葉に驚いてしまった。


「え!? 戦えるんですか」


「な、なんじゃ。そんなに驚いて……」


「だって、女の子だし」


 ぼくは2日ともにしたてんこちゃんという神様のことを、改めて観察する。どこからどう見たって女の子だ。変な服を着た女の子。神様だって言われてなければ、そうだとわからない。


「わらわは神様なのじゃっ。バカにするな、なのじゃ!」


「バカにはしてないんだけど、神様っぽいこともしてなかったし」


「それは力がなかったからで、今はあるのじゃから、見ておるとよい」


 力をたくわえる、とかなんとか言ってたのは、怪異と戦うための力、というわけだったらしい。それなら早く言ってくれたらよかったのに。


 いやそれどころじゃなくて。


 こっちを見ろと言わんばかりに、タイヤのきしむ音がした。エンジンがうぉんうぉん轟かせるのは、向こうにいるゴミ収集車のかたちをした怪異だ。


「なんか怒ってないかの……?」


「てんこちゃんが怖がらないからじゃないの」


「それを言ったらおぬしもじゃろうが!?」


 ぎゃあぎゃあとぼくたちは言いあいする。こんなあぶない状況で。


 ぼくたちを食べようとエンジンをふかし、牙をぎらつかせている怪異の前で。


 相手がどう思ったのかはわからない。でも、相当な怒りを感じているのは間違いない。


 怪異はクラクションを鳴らしながら、こっちへと突っ込んできた。






 ぼくはてんこちゃんに言われたように、ゴミ収集車から逃げようとした。竹林の中にでもにげこめば、どんなモンスターマシンでもなかなか入ってこれないだろうから。


 でも、てんこちゃんは逃げなかった。


 イノシシみたいに突進してくるゴミ収集車に向かって、じっとネコのような目を向けている。いや、黒くなっていく空のした、その目はまさしくネコのようにかがやいていた。


 頭には犬のような耳が生えていた。イヌ耳ヘッドホンでもつけたのだろうかと思ったけれど、違った。そのふさふさな金色の耳は、リアルだった。


 リアルなのは、腰のあたりから伸びるしっぽもそうだった。もふもふで、夕日を浴びて輝いている。


 まるで――。


「――キツネみたいだ」


 そういえば、てんこちゃんは油揚げが好きだと言っていた。今思うと、油揚げが好きな神様といったら、一人しかいない。


 その神様はお稲荷いなりさま、と呼ばれている。稲荷神社ってあるけど、そこでまつられている神様だ。


 マイナーどころか、めちゃくちゃ有名な神様じゃん――。


 そしてなにより、今のてんこちゃんは、ただの女の子ではなかった。女の子のかたちをした神様でもない。


 ぼくよりもずっと年上の、きれいな女の人だった。


 身長はさっきより頭2つくらいおおきいし、まっすぐな髪の毛もこしのあたりまで伸びている。


 変身したみたいに姿すがたが違った。


「これが、てんこちゃんの力……」


「怪異よ、覚悟かくごするがいい」


 鈴のような声が、不気味な世界に響きわたれば、赤くなっていた空が青にそまっていく。


 てんこちゃん――てんこは、どこからともなく青緑の剣を取りだしたかと思うと、つっこんでくる怪異めがけて、ふるった。


 瞬間、爆発が起きる。


 風が吹きあれ、竹林にいたぼくのからだがふきとばされていった。


 最後に見えたのは、揺れる竹と、白い光となって消えていく怪異と、消えつつある世界のまんなかで剣を地面に突きさす、大人びたてんこさんだった。

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