第10話

 帰り道の途中のこと。


 ぼくは、この神様と夜をともにしないといけないと考えると、気が重たかった。両親が仕事でいなくてよかったと、不謹慎ふきんしんだけどそう思わずにはいられなかった。おとうさんとおかあさんになんて言えばいいのやら。


 じぶんちじゃないくせに、てんこちゃんは楽しそうにしている。そんな彼女を見ないようにしながら、ぼくは歩いていた。


 夕暮れまぐれの街はごった返していた。土曜だというのに仕事をしていたらしいサラリーマン(おつかれさまです)、買い物帰りの女性、じゅく帰りの高校生……。もちろん、道路にはゴミ収集車やら普通の車やらでいっぱいだ。


 そんな中に、おばあちゃんのすがたがあった。


 どうして、その人に目がいったのかはわからない。その人はこしを大きく曲げて、重たそうなバケツをはこんでいた。ちょっと歩いては止まり、汗をぬぐい、また歩きだす。かなり大変そう。


「てんこちゃん」


「なんじゃ。いまさら、とめてあーげない、とはいわせないぞ」


「いやそうじゃなくて。あのおばあちゃんを手伝うから」


 ぼくは家のカギをてんこちゃんにわたす。知らない人にわたしたらダメだってお母さんは言ってた。

 でも、てんこちゃんは知らない人じゃない。そもそも人じゃなくて神様だから、お母さんもゆるしてくれるだろう、たぶん。


「先帰ってて」


「ふうん」


 てんこちゃんはカギをくるくる回していたけれど。


「わらわも手伝うのじゃ」


「え、神様が?」


「なんじゃ、驚きよってからに。わらわだって人の子の手助けくらいする」


「……ぼくのときはお菓子とか命とかねだったくせに」


 ボソッとつぶやいたぼくの言葉に、てんこちゃんが笑った。


「おぬしのやることだから、手伝うのじゃ。おばあさんを助けたいから助けるわけじゃない」


「?」


 首をかしげたら、またてんこちゃんが笑った。神様の考えることはよくわからない。


 考えている間にも、おばあちゃんは大変そう。なので、考えるのはそれくらいにして、かけだした。


「もしよかったら、もちますよ」


 ぼくがいうと、おばあちゃんは目をぱちくりとさせていた。

 さいきんはなにかと危ないから(ってお父さんもお母さんもため息をしていた)、いきなりやってきたぼくたちをあやしんでるのかも。片方は、変なかっこうしてるしね。


「なんじゃ、わらわのせいだと言いたいのか」


「べつにー?」


「むむむっ」


 てんこちゃんが頬をふくらませる。


「こやつはあやしいやつじゃないのじゃ。ご老人」


 てんこちゃんがいえば、おばあちゃんはうなづいた。え、なんで。


「じゃあ、重いかもしれないけれど」


 ほれみろ、といわんばかりにふんぞりかえっているてんこちゃん。ぼくはなにも言わずにおばあちゃんの荷物を持つ。


 大きな青いバケツの中には、キクの花束とサイダー(ビー玉が入ってるやつ)、お菓子などなど、いろいろなものが入ってる。あおちゃんのバックの中くらい、ごちゃごちゃだ。


「どこまで行きます?」


「言いにくいのだけれど、よろしいかしら」


「え、まあ」


 おばあちゃんの口が開くよりも前に、てんこちゃんが。


「おぬし、この方がどこに行かれようとしているのか、わからないのか?」


「……わからないです」


「ブラシとバケツは掃除のため、お菓子やらキクの花は、供えるためじゃ。ここまで言えばわかるじゃよね?」


 てんこちゃんがぼくのことを見てくる。


 ぼくはちょっと考えて。


「神様にお供え物をするため……?」


 てんこちゃんが怪獣かいじゅうみたいなため息をついた。ハズレだったらしい。てんこちゃんみたいな神様にお祈りに行く途中なんだって、本気で思ったんだけどなあ。


「お墓まいりじゃよ――じゃよな?」


 てんこちゃんが言えば、おばあちゃんがおおきく目を開く。そして、ゆっくりとうなづいた。






 神谷木墓地かみやぎぼちは、神谷木川ぞいにある共同墓地だ。おじいちゃんのお墓があって、なんどか行ったことがある。


 黒かったり灰色だったりする墓石はかいしが、夕日と同じ色に染まっている。


 その間を伸びる道を、ぼくたちはゆっくりゆっくりのぼっていく。


「てんこちゃん」


 ぼくはちいさい声でてんこちゃんに話しかける。神様だなんて、おばあちゃんは信じてくれないだろうし、ふざけていると思われたくないからね。


「なんじゃ」


「神様ってお墓のあるところに来てもいいんですか」


「神様じゃからな」


「……神様って言ってればなんでもすむと思ってませんか?」


 そんな気がしたので言ってみたけれど、てんこちゃんは首をゆるゆる振った。


 先を歩いているおばあちゃんが、ひとつのお墓の前でたちどまった。


 お墓には、田中、とほりこまれている。ほかのお墓とは違って、金色じゃない。


 ぼくはおばあちゃんの横にバケツを置く。


「ありがとうね」


「ほかにできることってあります? 水とか、くんできますけど……」


 おばあちゃんが首を振った。


「これは、私のつぐないだから……」


 しわくれたその目は、どこか遠くの過去をみつめているみたいだった。その過去は、たぶんいいものじゃない。


 だって、そのしわくちゃのほっぺには涙が伝っているんだから。


「どういうことなのじゃ?」


 このときばかりは、てんこちゃんの空気の読めなさがありがたかった。ぼくだったら、ぜったいに聞けていない。


 おばあちゃんはてんこちゃんのことをしばらく見ていた。


 ふいに、ため息をついた。


「息子がね、くなったの」


 おばあちゃんのほそい指が、お墓の横の四角い石をなぞる。たてにたくさんの文字がきざみこまれていたけども、むずかしい漢字ばかりでぜんぜん読めなかった。たぶん、人の名前なのかなあ。


「あれはちょうど50年前のことかしら」


「というと昭和の中ごろじゃの」


「はやっ。計算したの?」


 てんこちゃんはあいまいに笑うだけで、答えてくれなかった。


「私は仕事でいそがしくて、旦那だんなもだったのだけれど。息子をひとりぼっちにさせていてね」


「ひとり……」


「わすれもしないその日、息子はひとりで遊んでいたの。庭先でサッカーボールをっていたら、ゴミ収集車に巻きこまれた」


「それで、その子は」


 てんこちゃんの質問に、おばあちゃんは首を振った。


 それだけで、十分だった。


「それは――たいへんじゃったの」


 しぼりだすようなてんこちゃんの声が、日がかたむいて、すずしくなりはじめた墓地に重くひびいた。


 ぼくはなにも言えなかった。なんて言えばいいのかわからなかったんだ。


「ごめんなさいね」


 とつぜん、おばあちゃんが言った。


「手伝ってもらったのに、こんな話をしちゃって」


「いえ、ぼくはその」


「わらわも気にしていないが――」


 てんこちゃんは、そこで言葉を区切った。


 あれ。


 彼女の方を見たら、ちょっと迷っているみたいなふうだった。


 でもすぐに。


「話したくないならそれでもいいのじゃが、その息子さんが亡くなられた場所を教えてもらってもよろしいか。――なに、花をあげたいだけじゃから」

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