空路サービス
1
「こんにちは! 今日もよろしくお願いします!」
幻獣事案総合統括部の部屋に入ると、パリパリお菓子を摘まんでいたライが目を丸くした。
「随分早いじゃないですか。そんな急いでくる事なかったのに」
「いえ……昨日のネコマタがこの後どうなるか気になっちゃって……」
飼い主の怠慢が原因とはいえ、貴族たちの住む特別区を混乱に陥れ、病院に送ってしまった人もいるのだ。一番重ければ処分という結果もあり得ると聞いた時は心底驚いた。
「で、どうなりましたか!」
「落ち着いて落ち着いて。そんなに乗り出されちゃ話せる事も話せなくなりますって」
メルシアがライに詰め寄ると、ライは困惑した様に眉をハの字にして身体を後ろに逸らせた。慌てて身を引いて、すみませんと頭を下げる。
「でね、」
「処、処分ですか?」
「話は最後まで聞きなさい」
勢い込んで身を乗り出すと、ぱし、と手に持った書類で頭を軽くはたかれる。
「はい息吸ってー」
「は?」
「いいから、ほら」
訳が分からないまま言われるがまま息を吸う。
「はい吐いてー」
「……」
「はいもっかい吸ってー。そんで吐くー。……どう? 落ち着いた?」
いたずらっぽく笑われて、メルシアは思わず顔を赤くした。深呼吸して一旦自分を落ち着かせると、さっきまでの焦り過ぎていた自分が少し恥ずかしく思える。
「……すみませんでした」
「うん。それで肝心の決定なんだけどまだ決まってないんですよねぇ」
「決まってないんですか?」
思わぬ言葉に肩の力が抜ける。
「ま、あの感じなら処分って事にはならないと思いますよ。飼い主の飼育状況にも随分と問題がありそうでしたし。安心してください」
「そう、ですか」
ひとまず処分はされないという事実に、ホッと胸を撫で下ろす。
「あ、ロキさん! 昨日はありがとうございました! 今日もよろしくお願いします」
昨日と同じ位置で本を読んでいたロキにそう言ってお辞儀をする。ロキは本から少し目を上げ、ん、と返事ともつかない声を漏らすとまた本に目を向けた。
「……」
「ロキー、新人さんにそんな態度とるもんじゃないでしょー」
呆れたように言って、ライは眉を下げて肩をすくめた。
「ほんと、愛想悪くて嫌んなっちゃいますよね。気にしないでください。昨日も言ったけど彼女、誰に対してもああなんで」
「いえ!」
メルシアは力強く被りを振ってライの言葉を否定する。
「ロキさん、言葉は厳しいけど、凄く優しくて素敵な人だと思います!」
何故か目の前でライが盛大に目を見開き、ロキを見やった。
「ロキ、良かったねぇ。メルちゃんがいい子で」
「いえ、本心です! 危険が無いようにとネックレスを貸してくださったし、それにただ怒るんじゃなくて何処が駄目だったのかをきちんと教えてくれて、それに」
「勘弁してくれ」
パタンと音を立てて本を閉じたロキがソファから立ち上がる。
「目の前でそう持ち上げられても困る」
おべっかじゃなくて全部本当に思ってるのに、とメルシアは眉をハの字に下げた。
ロキは無表情でつかつかと本の溢れた部屋を出て、デスクの上の書類の束と鞄を手に取る。視線を横に滑らせ、
「……なんだよ」
と何故か笑いを堪えている様に口元を歪ませたライを一睨みして、嫌そうな声を出した。
壁に掛かっていた上着を羽織るロキに、
「あっ、どこかに出かけるんですか。お邪魔でなければ私も!」
と声をかけたが、
「これは私の仕事だ。それに、君には別に重要な仕事がある」
「な、なんでしょうか!」
重要な仕事とは何だろうか、期待に目を輝かせるメルシアの目の前に、ロキはデスクの上から数枚の紙を取ってメルシアの前にかざした。
「ネコマタ保護の報告書に、景観が損なわれたという苦情に対する始末書。君の、重要な、仕事だ。デスクが届いていないから私の場所を使って構わない。では行ってくる」
書類を押し付けられ立ち尽くすメルシアを尻目に、ロキはさっさと部屋から出て行ってしまった。呆気にとられ、しばらく立ち尽くしていたが、渋々書類を持ってライの向かいの机に腰掛ける。が、デスクの上には山の様に書類が積み上がっていて、とてもまともに仕事が出来る環境ではなかった。書類の山をかき分けて何とかスペースを作りあげる。
「あ、あの、すみません。報告書とかの書き方教えてもらえませんか……?」
「あーはいはい。もー、二人で担当した事件なんだからロキがちゃんと教えてあげればいいのに、書類仕事嫌いもあそこまでいくと清々しいね」
ライはわざわざメルシアの隣に来て懇切丁寧に書き方を教えてくれる。色々と難しそうに見えたが、若干面倒なだけで思った程難しくも無い。
「恩着せがましく『私の場所を使っても構わない』って、使える状況に無いじゃないですか、これ。デスク片付けろって何度言っても聞かないんですよねぇ。もう床に置いちゃえ」
定期的に雪崩を起こす書類に業を煮やしたのか、書類の束をライがまとめて床に積み上げた。
「ロキさんってそんなに書類仕事嫌いなんですか?」
「この惨状見れば一目瞭然でしょ?」
「た、確かにそう、ですね……」
「逆に僕は中で仕事する方が好きなんでいいんですけどね。でも、ロキに一人で仕事されるとすーぐ無茶するから、メルちゃんが来てくれてよかった」
「無茶……するんですか?」
「そう。彼女色々あってちょーっと死生観が独特で、はた迷惑な事に危険上等無茶当然精神してて。でもメルちゃんといれば、メルちゃんを守らなくちゃいけないし、あんまり危険なことはしなくなると思うんですよねぇ」
ライはさらっと言ったけど、かなり衝撃の発言である。死生観が独特って、もしかしたらリーリャの勘は案外的外れでも無いのかもしれない。その『色々』の内容は気になるけれど、でもこういう言い方でぼかしたっていう事はあまり話したくないんだろうなと思い、敢えて聞かない事にした。
「この前のネコマタだって、一人だったら絶対ライラプス呼ばずに一人で片つけようとしたと思いますよ。この万年筆にかけて、断言します」
「……東国幻獣は危険って、あんなに私に言ってたのに」
「ホント、サポートする方の気持ちにもなれって話ですよねぇ。あ、そこ違います」
「すみません!」
喋りながら書いていたらしくじってしまったようだ。しばらくおしゃべりは控えようと、黙々と作業に没頭する。
「……」
報告書を書き終えて、始末書に手をつける。でも、元はといえば十人が逃がしたネコマタを捕獲する為だったのに景観について抗議を受けるなんて、なんだか納得いかない。
「それ、心の底から反省とかせずにテンプレ通り書いておけばいいですから。こんな抗議いちいち真に受けてたら持ちませんよ」
「……そんなに顔に出てましたか」
「出てましたねぇ」
そんなに私って分かりやすいだろうか。メルシアは少しむくれて唇を尖らせた。
「にしても、メルちゃん貴女随分とロキに気に入られたみたいですね。一安心です」
「はいぃ?」
ライの思いがけない発言に、思わず相手が上司というのも忘れ思い切り顔を顰めてしまった。幸運な事にあからさまに嫌われている訳でも、邪険にされている訳でもないけれど、でも何をどう贔屓目に見ても、気にいられているとは到底思えない。
「いや……さすがに気に入られては無いですよ。親しく接してくれてる訳でもないし、それにまだ二日目ですし」
「彼女、嫌いな人は一日で見切りますよ、平気で。あの愛想の無さもあれがデフォです。メルちゃん、ネコマタの好物聞かれた時に分からないなりに考えて、自力で推論を導き出したんでしょ? 昨日メルちゃんが帰った後、『期待できそうな新人だ』って、随分楽しそうに話してましたよ」
「そ、そんな事を」
何とも言えない感情で胸がいっぱいになる。ずっとそっけない態度だったし、ヘマも一杯したし、成績優秀だと聞いていたのに、と幻滅されてもおかしくないと思っていたのに。
「その顔、やーっぱちゃんと伝えてなかったなあロキのやつ。褒め言葉なんて出し惜しみするもんじゃないっていつも言ってるのに」
「い、いえ、昨日、褒めてももらいました!」
言ってから、何か自慢の様になってしまったかな、と少し焦るが、ライはおや、と目を丸くして表情を和らげた。
「優秀な生徒、っていう学校側の文言は本当みたいですね」
「ありがとう、ございます……!」
「僕にお礼を言うのはお門違いですよ。僕のメルちゃんに対する評価はこれからなので。……彼女、愛想は無いし、表情筋は常に休暇中だし、態度も冷たく見えますけど、嫌いな人には分かりやすく嫌いって全身全霊で示しますから安心して下さい」
「それはそれで安心出来ない気がします」
「あはは、それもそうだ。ロキがそんなだから人が中々居付いてくれないんですよねぇ。しばーらく前にいた職員、ロキに泣かされてましたからね」
……あの切れ長の目で睨まれて、冷たい声で非を詰められたらあまりの情けなさにここの窓から飛び降りたくなりそうだ。鋭すぎる言葉に、ロキの整った容姿のコンボは完全にオーバーキルな気がする。と、いうか、私だっていつ無能の烙印を押されるか分からないんだからあまり脅さないでほしい、と少し思った。
「そういえば今日はロキさん、何の仕事だったんですか?」
「幻獣研究センターでの情報共有だったと思いますよ。まだまだ謎が多い幻獣も沢山いますし、定期的に仕事の中で発見した幻獣の生態とか特性とかのデータを提出しに行ってるんです。幻獣の研究は中々進んでいないですからねぇ」
確かに幻獣について真面目に研究が進められ始めたのはここ数十年の事だし、更に幻獣は捕獲や飼育が難しいので研究が大変だと授業で言っていた。こうやってこまめに情報を交換することで少しでも研究を進めようとしているのだろう。
「そうそう、僕もこの後出かける仕事があるんですけど、着いてきますか? もれなくお昼は遅くなりますけど」
「い、いいんですか!」
思わずライの方に身を乗り出してしまった。仕事に参加できるのであれば出来る限り積極的に関わっていきたい。
「昨日あんな目にあったのに懲りませんねぇ」
「昔の事を引きずらないのが私の長所なんです」
胸を張るメルシアに、それは中々素敵な長所だ、とライが笑う。
「本当は電話番に一人残しておいた方がいいんですけど、メルちゃん残してったって電話対応の仕方とか分からないでしょ? かといって今から教えるのも面倒だし」
「……本当に電話、大丈夫なんですか?」
「ここにかかってきた電話は別の課に繋がるよう設定しておくのでご心配なく。さ、一緒に来たいんなら始末書の作成頑張ってください。もしここを出る時間までに終わらないようなら容赦なく置いてきますからね」
「えっ、嘘、分かりました。頑張ります!」
メルシアは慌てて机に覆いかぶさって、猛烈なスピードで始末書を書き始めた。
幻獣事案総合統括部の事件ファイル ウヅキサク @aprilfoool
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