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 ワイバーンとはドラゴンの亜種で、ドラゴンとの違いの一つは角が無い事だ。角の様なものを持つ個体もいるが、これは正確には角ではなく、鱗が変化したものである。しかしそれが角か鱗かを瞬時に見分けることは難しいし、ドラゴンの中には角を持たない、もしくは鱗を変化させた角のみを持つ種も存在する。なので遠目に見た場合これは判断基準にはならない。

 もう一つの大きな違いは、脚が一対である、ということだ。これは一目で判断できる様に思われるが、しかしこの判別方法にも落とし穴は存在する。ドラゴンの中には飛行に特化した結果、前肢が退化してほとんどなくなってしまった様な種が存在するのだ。パッと見た竜種が四足であればそれは確実にドラゴンだが、二本脚だった場合、それが前肢の退化したドラゴンか、ワイバーンかという疑問が残ってしまう。とはいえこの脚の本数による分類はごく最近なされた事で、まだまだこの二種を混同している地域も多く、二種を見分ける必要のある仕事にでもつかない限りほとんど気にする必要はない。

 ざっくり金持ちが好むのがドラゴン、一般人にも馴染みがあるのがワイバーン、と認識しておけば大体事足りる。ワイバーンはドラゴンよりも人間の管理下の飼育が容易で、交配し品種改良した色鮮やかな小型種は比較的安価に手に入るためペットとして人気が高いためだ。またワイバーンライダーの人口は、ペガサスライダーには遠く及ばないものの実はヒポグリフライダーよりも多い。家畜化もドラゴンより早くから進んでおり、飛ぶ以外にも力仕事や畑仕事をやってもらったりと、人間の生活に欠かせない生き物となっている。

 そしてワイバーンが何より活躍しているのは今メルシアが乗っているこの、ワイバーン便と呼ばれる空の交通サービスだ。通常、飛行が可能な幻獣に乗って空を飛ぶのには免許が必要だが、背中に括りつけられた客席や、ぶら下げられた客席に乗る分には当然免許は必要ない。そしてワイバーンはペガサスやヒポグリフよりも飛行速度が速く、また体躯の大きさと翼力の強さ故にペガサスやヒポグリフより多くの人間を運べるためにこの航空サービスの需要はかなり高いのである。

 最大六人乗りだろう広めの座席に、ロキと向かい合わせで座っている。ワイバーンの頭の方には、風よけに半透明の板が座席を覆う様にしている。いま、このワイバーンはかなりの速度で飛んでいるから、この風よけが無ければ大変な事になるだろう。現に板の向こうの御者も防具を被っている。そう理屈では分かっていても、進行方向の視界が半透明の板に遮られているのはなんだか残念な気分だ。

「……新人、ええと、メルシアといったっけ? 君はネコマタについて、どれほど知っている?」

 それまでずっと無言だったロキに急に話しかけられ、メルシアは慌てて姿勢を正す。無口だし、なんだか近寄りがたいオーラ出てるし、めちゃくちゃ美人だし、上司だし、この人と二人というのは、なんだか必要以上に緊張する。

「はい! ええと、ネコマタは東国の島国に多く生息する幻獣の一種で見た目はほとんど猫と同じですが、尻尾が二股に分かれています。魔法によって幻術を操り、子供ほどの知能を持っています。幻術を操るその能力は現地では主に妖術と呼ばれています」

「なるほど。東国の幻獣はまだまだ有名ではなく入ってきている情報も少ないのに、よくそこまで知ってるね」

「あ、ありがとうございます!」

 だからこそ、だ。近年の急激な海上輸送ルートの発達によって、東国の幻獣の輸入は以前に比べると大幅に増えている。そういった所は試験やレポートで狙われやすいのだ。

「じゃあネコマタが好んで食べるものは?」

 言葉に詰まった。

 何かネコマタの餌について思い出せないかと必死に思考を巡らすが、カンッペキに記憶が真っ白だ。何にも浮かんでこない。せっかく褒めてもらえたのに情けない。メルシアは小さな声で、すみません、分からないです。と答えた。が、

「実は私も」

 ロキの薄い唇が微かに弧を描く。予想外の返事に思わず、はい? という声が口から洩れた。

「ちょっと意地の悪い質問だったな。ネコマタの好物と言えるようなものはまだこっちには正確な情報が来ていないんだ」

「そんな、それじゃ分かるはずがないじゃないですか」

 メルシアは少しの不満を込めてロキを見上げた。しかし、

「そう。でも、見当をつける事くらいは出来るだろう?」

 静かな声が、メルシアの耳朶を打つ。金の瞳に見つめられて、ハッとした。そうか、習ってないから分かりません。じゃあダメなんだ。

 メルシアは思わず唇を噛んだ。学校の試験は、習った事を完璧にしていればクリアできた。でも、仕事はそれだけじゃクリアできない。試験では習ってない事は出さないけれど、現実は習ってない事も、知らない事も容赦なく襲いかかってくる。それに対応する為には、自分の頭で考えなくてはいけないんだ。

 そんなことくらい分かっていた筈なのに、いざそれを目の前に突きつけられるとまったく対応が出来なかった。自己嫌悪に肩を落とす。

「……すみません」

「うん。それで、どんなものが考えられる?」

 メルシアは必死で東国幻獣について習った時の事を思い出す。あの時見た文献や絵の資料、東国の生活や文化。それらを自分なりに組み合わせて、仮説を構築しなくてはいけない。見た物を見たまま捉えるだけじゃだめだ。それが意味する事を考えて、想像力を働かせなければ。

「東国の猫は生魚を主食とする、という記述があったので魚が好きかもしれません。ただ、えっ、と、東国に猫が持ち込まれたのは、大切な書物をネズミから守るためで、つまり、元々は肉食で、魚を食べる様になったのは現地の人間の影響を受けての事なので、一慨に魚だけを食べるとは言い切れません。普通の肉も試した方がいいと、思い、ます」

「他には?」

「ええと、東国のバケネコと呼ばれる幻獣が起こした事件の資料の中で、灯りをつける油を舐めている描写がありました。授業ではバケネコはネコマタよりも大きく凶暴で危険だ、とされていましたが、二股の尻尾を持つ猫型幻獣という共通点から近しい種族と考えられます。もしかしたらネコマタも油を好むかもしれません」

「ふうん」

 淡々としたその声に思わず身がすくむ。何か見当外れの事を言ってしまったのだろうか。まだ考えが足りない? いきなり失望はされたくない。しかし焦るメルシアの心持ちに反し、ロキは穏やかに答える。

「悪くない。ひとまず油、鮮魚を何種類か用意している。それから猫と特性はあまり変わらないという生態から、またたびとマウスも用意した。ただ……ネコマタは普通の猫と比べ著しく知能が高いという話もある。好物で吊る作戦に素直に引っ掛かってくれないようなら、逆に苦手とされる犬をけしかけて追い込む方法も検討中だ。ライラプス――幻獣狩り専門の猟犬グループ派遣所に連絡を入れてある」

 メルシアが今脳味噌をフル回転させて絞り出した仮説を、どうもこの人はライから話を聞いた時点で既に考えついていたらしい。バックの中から取り出された油の瓶と、何種類かの魚が入った容器、またたび、マウスを見てメルシアは肩を落とした。就任初日とはいえ、メルシアは今まで学校ではそこそこの秀才で通っていたのだ。でも、この人にとってその程度の事は当たり前どころか初歩の初歩だったようだ。情けない。

「そう落ち込む事は無い。この仕事が難しく大変だと言われる所以は、まさにこういう所なのだから」

 慰めるようなトーンの声に、メルシアは顔を上げる。

「要請を受けたらすぐ現地に向かわなくてはいけない事例も多く、事前に調べるという事が難しい。だから幻獣に対するある程度の知識は常に頭の中に蓄えておかなくてはいけない、個体によって違いも当然あるため臨機応変な対応が必要だ。当然幻獣は生きている動物だから、教科書や図鑑に書いてある通りの行動を取ってくれるわけでもない。知識が無くては始まらないが、知識だけでは務まらない。求められる技能は恐ろしく高いのに、貰えるのはとんだ薄給だ。おかげで慢性的な人手不足だよ」

 ロキがそう言って軽く口の端を上げて笑う。話としては聞いていたけど、改めて現場の人からそう言われると説得力が違う。今のままの私じゃあ全然ダメだ。まるで話にならない、と痛感する。とりあえず今日帰ったら、寝ないで今まで習った幻獣について総復習しよう。主要なデータだけ覚えていれば問題ないかと思っていたけど、それじゃ全然足りない。

「とはいえ私だって全ての幻獣のデータを完璧に記憶している訳じゃない。そんなこと出来るのは一部の超人くらいだ。だから、くれぐれも今日徹夜して習った幻獣全部覚えなおそうとかするなよ? 睡眠不足でロクに回らない頭のまま出勤されるのが一番タチが悪い」

「えっ」

 見事なまでに考えていた事を言い当てられ、釘を刺された。メルシアは目を丸くする。この人、私の頭の中を覗く力でも持っているのか? とつい思ってしまった。

「君みたいないかにも素直で真面目といった風な人間の考えている事を当てるくらい難しい事でもない。分かりやすく顔にも出ている考えているぞ」

「そんなに顔に出てました?」

 慌てて顔を両手で挟む。

「まあな。友人に言われないか? 分かりやすいって」

「……まあ、たまに」

 図星である。リーリャにもダイアナにも言われた事がある。もういい大人なんだし、顔に出さない様に気をつけなきゃ、と心の中で一人ごちる。

「何事も経験と慣れだ。その為にこの制度があるんだから」

 もしかして、これは彼女なりに慰めてくれたのだろうか。とっつきにくそうな人だと思ったけれど、案外いい人なのかもしれない。

「そろそろ目的地に到着しますよぉ。急降下しますんで、気をつけてくださぁい」

 御者の声が伝声管を通して響いた。

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