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「昨日の初仕事はどうだった? メル」
春の暖かい日差しが差し込んでくる大学のカフェテラス。メルシアの向かい側に腰かけたリーリャ・エルフウッドがメルシアにグッと顔を近づけた。
「うーん、まだ分かんないよ。入ったばっかだもん」
メルシアは苦笑する。彼女はメルシアの親友で、いつも一緒につるんでいる人の一人だ。普段はメルシア、リーリャと、ダイアナ・フランチェスカというもう一人の親友と共に三人でよく一緒にいるのだが、生憎今日のこの時間、ダイアナは授業が入っている。
「でもさー、幻獣事案総合総合統括部? だっけ。そこってかなり大変って聞くけど? 暴れてる幻獣の保護とか原因究明とか、幻獣の密輸の捜査とか、あと幻獣園の衛生管理とか視察とか、ほとんど何でも屋みたいだって先生言ってたじゃん? 大丈夫? ただでさえメルは頑張り過ぎる節があるからアタシ心配よ?」
「心配しないでって! なんかね、そこの下に密輸入専門だったり幻獣園専門だったり細分化された課が幾つかあって、基本的にそこで仕事を割り振ってるんだって。だから、そんな世間のイメージ程何でも屋ではないらしいの」
……まあ、その説明の後に、どの部署も慢性的な人手不足。扱いきれない仕事は全部上に戻ってくるので基本僕達が殆どを請け負いますね。と笑顔でライは言っていたが。
「ふーん。ならいいんだけどさ。で? どう?」
「うーん……」
メルシアはカフェラテを吸い上げながら視線を泳がせる。
「……一回本気で死ぬかと思った」
「はあ? 何それどういうこと?」
眉間に皺を寄せて食い下がるリーリャをまあまあ、と手で制し、メルシアは昨日の記憶を思い返そうと視線を空中に漂わせた。
「えーっとそれで、ああ、制服はありませんが腕章をお渡しするのでそれを勤務中は着けてください。それとすみません、本来なら昨日の内にあなたのデスクを此処に運び込んでおく筈だったんですけど、倉庫にあったのが壊れてしまっていて新しいのが届くのにどうも一週間ほどかかってしまうらしく……」
申し訳なさそうにライが言った。
「あ、いえいえ! 大丈夫です! ……ここの職員は、ライさんと、ロキさんと、あとどんな人が居ますか?」
メルシアの問いに、ライの指が無言でスッとメルシアに向けられる。きょろきょろとあたりを見渡しても、自分以外には特に誰も見当たらない。
「えっ、と?」
「あとあなた。この三人だけです。いわば少数精鋭ですね」
「あの、あまりにも少なくないですか?」
「下の課にはもう少し居ますよ。先月まではもう一人居たんですけどねー。辞めてっちゃって。昔は更にもっと居たんですけど、皆あまりの大変さに辞めちゃって。安心安定の公務員だって言うのにねぇ」
大変だとは聞いていたけど、それほどなのか。いやいや、きっと辞めた人は熱意だか覚悟だか、よく分かんないけどそういった何か足りなかったんだ、きっと。そう無理矢理自分に言い聞かせる。
「それであなたの仕事なんですけど、うーん……目下仕事らしき仕事は報告書とか始末書の作成くらいなんですよね」
「えっ」
「新聞にも載ってたでしょ? この前の線路にヒポグリフが迷い込んだ事件。それの報告書と、怪我が治るまで幻獣園で保護してくれないかっていう要請書の作成、あとあれだ、カーバンクルの密輸事件……で頭に来ちゃったどっかの短気な方が、主犯格の男を蹴り飛ばして全治一カ月の怪我を負わせちゃったのの始末書とか」
「……」
わざとらしくぼかしてはいるけど、主犯格の男を蹴り飛ばしたというのは十中八九後ろで本を読んでいる彼女だろう。ライとの会話は聞こえているだろうに、全く気にするそぶりを見せず本を読みふけっている。
「でも、ここの仕事ってすごい忙しいって聞いたんですけど」
「視察とかを除いて基本ウチの仕事は要請を受けて動きますからね。なんも要請来ない時は暇なんです。ま、と言っても要請が無い時の方が珍し――」
ライが言い終わるか言い終わらないかのうちに、電話のベルが鳴り響いた。ライがほらね? という顔をして電話を取る。
「はい、幻獣事案総合管理部のライです。――はい、はい、あー、逃げた? 何が? え、あ、はい……あーなるほどなるほど、はい、分かりましたー……」
何やらメモを取りながら電話を受けるライの後ろで、なんだか所在ない様な気分でメルシアは立ち尽くす。新人として、もしかしたら電話は自分が取るべきだったのかもしれない。でも、電話対応とかどうしていいか分からないし……。
「ロキ、仕事ー」
チン、と軽い音をさせて電話を置いたライが奥に向かって声をかける。ロキは本を無造作に本棚に戻して、ゆっくりと立ち上がった。優雅に組まれていた脚がずいぶん長いなとは思っていたけれど、実際立ち上がるとかなりの長身だ。ライも大柄だけど、多分ロキが高めのヒールを履いたらほとんど並んでしまうのではないだろうか。
「なんだって?」
「東国から輸入したばかりのネコマタが脱走したって。場所は隣町のサンリカルド特別地区」
「ああ、金持ち貴族共専用の住宅街か」
ライに質問しながら、ロキはリュック型の大きなバックに地図や、網の様に見えるモノだったり、何やら色々詰め込み始めている。私も何か手伝わなきゃ、と思っても、何が必要なもので何が必要でないものかさっぱり分からない。
「別に、その程度なら私が出張らなくても現地の警察か警備隊に任せればいいんじゃないか? ネコマタとはいえ魔力制御具をつけていれば、ただ尻尾が割れてるだけでほとんど猫と同じだろ」
魔力制御具。これは文字通り魔法を使える幻獣の魔力を封じるためのものである。魔封石と呼ばれる、銀と黒の混じり合った様な色の特殊な鉱物が使用されていて、この鉱物が触れている状態だと、幻獣の持つ魔力は完全に封じられてしまうのだ。その鉱物を粉末にしたものを混ぜ込んだ首輪や装飾具、拘束具一般を纏めて魔力制御具と称し、現在、魔法を使える種の幻獣を飼育する際はそれらを装着させる事が義務付けられている。
「それが……魔力制御具をつけてないらしい」
「……は?」
ロキの形よく整った眉が跳ね上がる。
「こんなに可愛い子が悪さする訳ないと思って外したんだってさ。結果、サンリカルドは現在全住民を避難させて封鎖中。何人かが病院送りになったとか」
「馬鹿じゃないのか?」
呆れた顔で溜息をついてロキがそう言い放ち、やれやれ、と首を振りながら、分厚そうなベストを手に取った。防刃ベストとか、防弾ベストとか、所謂そういうやつだろう。
「新人」
いきなりそう声をかけられて、咄嗟に反応出来なかった。一拍遅れて間抜けな声をあげて返事をする。
「その後ろのそれ、取ってくれないか」
「は、はい!」
慌てて振り向いて、ロキの指差すものに視線をやる。そこにあるのは一丁の猟銃で、メルシアは目を白黒させる。
「麻酔銃だからね、それ」
混乱しているメルシアの様子を見かねたのか、ライが後ろからそう囁いた。麻酔銃か、それなら納得である。本物の猟銃とかじゃなくてよかった、と胸を撫で下ろし、それをロキに手渡した。
「ライ、ワイバーン便の手配は――」
「今連絡したところ。多分停竜所に着く頃には到着してる筈」
「助かる。それと念の為ライラプスも呼んでおいてくれ」
ロキがライから紙を受け取って出入り口に向かい、途中でクルリと振り向いた。
「新人。初仕事、着いてくるか?」
口角を僅かに上げて笑みを作るロキの手には、彼女が来ているのと同じベストがぶら下がっている。
「はい!」
初仕事。なんて素敵な響きだろう。メルシアは目を輝かせ、ベストを受け取った。
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