魔王と勇者と勇者らしさ⑫

 使う魔法は『燃え盛る大火球』をさらに大きくした『獄炎巨大火球』。

 直径はおおよそ五十メートルにも及び、放った方も放たれた方もあまりの大きさに視界はほとんどきかなくなる。

 当然大きくなった分威力も桁外れ。

 騎士達には十分、魔王の切り札だと思ってもらえる規模だろう。


 巨大火球を発生させた瞬間、一気に気温が上昇し、汗が噴き出る程の熱風が周囲に広がった。

 使った俺自身でさえ体中の水分が汗になると同時に蒸発していくのを肌で感じる。


 あまり長く発生させていると魔族も人族も熱中症になりかねないため、間髪入れずにエリスに向かって撃ち込む。


 エリスは躊躇うことなく巨大火球へと突進すると、今日見た中で最も強い光を剣に発生させ、裂帛の気合と共に火球を粉々に切り刻んだ。


 細かくなった火球はあちらこちらで大爆発を引き起こし、その爆風の勢いを利用して俺の元まで一瞬で辿り着いたエリスは、剣の柄を体に引き寄せ、突きの構えを取る。


 打ち合わせではエリスが放った突きを間一髪で躱した俺が剣を折って引き分けにするという流れだが、何もせずに受け入れるつもりだった。

 当然痛いだろうが、急所は外すように調整するので致命傷にはならないだろう。


 魔王が血を流して膝をついていれば、騎士達の中にエリスの勝利を疑う者はいまい。

 あとは『今日のところはこれくらいで勘弁しといてやる!覚えてろよ!』と捨て台詞を吐いて逃げ帰れば作戦完了だ。


 エリスが目前にまで迫る。

 とてつもない速さだ。

 避ける避けないの判断をする時間すら与えてもらえない。


 だが、近づいてくるエリスの顔を間近で見た瞬間――俺はまた、間違ってしまったのだと気付いた。


 胸の辺りに強い衝撃を受けたあと、そのままの勢いで大きく後ろに倒れ込む。

 痛みはなかった。

 ただ、胸の辺りから聞こえてくる嗚咽は、剣で貫かれる以上の痛みを俺の心にもたらした。


「無理、ですよ……!ガロンさんを切るなんて、そんなの、できないですよぉ……!」


 それ以上は声にならず、エリスは俺の胸に顔を埋めて泣き始めてしまった。


 まるで幼い子供のように泣きじゃくるエリスの姿に、俺も、魔族も、そして騎士達すらも、何も言うことができなかった。

 何が起きているのかわからなかったと言った方が正しいかもしれない。


 このままではまずい。

 勇者が魔王の胸の中で泣いているなんて言う状況は絶対に許されないのだから。


 だが、そう頭ではわかっているはずなのに、動くことができなかった。


 その時間は数秒か、はたまた数十秒くらいだったろうか。


 最初に気を取り直したのは他でもないエリスだった。


 がばっと顔を上げて周囲を見渡す。


 魔族達、そして騎士達から向けられる数十万の瞳がエリス一人に向けられているのを見て、自分が何をしているのか、そして何をしてしまったのかを理解する。


 両手で自らの顔を抑え、俺を見ながら震えた声を出した。


「ガロン、さん……!わたし……!」


 勘違いしていた。


 いや、エリスに相談をもちかけられたあのときからずっと間違っていたのだろう。


 何をしたら勇者らしいのかとか、どんな容姿なら勇者らしいのかとか、その質問に対する正しい答えなんて最初からなかったのだ。

 なんなら、相談する内容自体、エリスにとってはなんだってよかったのかもしれない。


 ただ相談して、一緒に悩んで、それなりの答えを見つけ出す。


 エリスが求めていたのはきっと、そんなどこにでもあるような普通の会話だったのだろう。

 それこそ、普通の友達とするような――。


 エリスが勇者らしくないと言われて悩んでいることは事実だろう。

 だが、助けてほしいと言われたわけではない。


 それなのに、俺はエリスが喜ぶだろうと決めつけて勝手に解決しようと考えてしまった。


 今思えば、俺の作戦を聞いた時のエリスはあまり乗り気ではなかった気がする。

 そもそもエリスは戦うこと自体好きではないのだ。いくら口裏を合わせているからと言っても、傷つけあうという行為に違いはない。

 それでも、俺がエリスのために考えた作戦だからと、無理に付き合ってくれたんだろう。


 そんな優しいエリスに、友達だと言ってくれたエリスに、俺は自分のことを斬れと言った。言ってしまった。


 エリスのことを考えているようで、自分の事しか考えていなかったのだ。


 エリスのことをおざなりに扱う人族達と同じように――。


「勇者エリス……!魔王様に向かって一体何をしているのですか……!?」


 ルルヴィゴールの底冷えのするような声が聞こえたかと思うと、それに続くように他の魔族達からも次々と困惑の声が上がる。


 それを皮切りに、騎士達からも耳を塞ぎたくなるような汚い罵詈雑言を含む怒号が聞こえてきていた。


 本当に、何をやっているんだろうな、俺は。

 勇者らしさを知らしめるどころか、これじゃあただエリスの立場を貶めただけじゃないか。


「エリス、俺は――」


 思わず漏れた声。

 だが、それをエリスが止めた。


「すみません、ガロンさん。でも、必ずわたしが何とかしますから」


 優しい声音でそう言ったエリスは、気を落ち着けるように深呼吸をすると気丈に立ち上がる。

 背筋を伸ばし、前を見据えて、毅然と振る舞おうとする。


 場違いかもしれないが、格好いいと思ってしまった。


 だが、同時にとても寂しそうにも見えた。


 初めて魔王城で相対したあの時と……争いを止めるために自分の命を差し出そうとしたあの時と同じように――。

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