魔王と勇者と勇者らしさ④
挨拶もそこそこに、部屋の真ん中に置いてあるテーブルにエリスを座らせる。
この部屋は【魔王の間】なんて格好いい名前がついてはいるが、実際には何の変哲もないただちょっと広いだけの部屋だったりする。
真ん中に円形のテーブル、二人分の椅子、壁際の棚には暇つぶしのための物語系を中心とした百冊くらいの本がぎっしりと詰め込まれており、小腹が空いた時には軽食を作れるよう調理場も完備だ。
居心地がいいので、エリスと会わない日もたまに休憩室として使っている。
「いつも悪いな。遠い所から来てもらって」
俺の言葉に、エリスはふんわりとした笑顔を浮かべながら首を振った。
「気にしないでください。旅をするの好きですから。それに、魔族の方々の住む土地は見たことがないものがたくさんあるので、来るたびに新しい発見があってとても楽しいです」
「ちょっとした観光みたいな感じか」
「そうですね。こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれませんが、そういう気持ちがあることは否定できません」
誰に咎められるでもないのに控えめに言うところがなんともエリスらしい。
「別にいいんじゃないか?ただでさえ勇者なんて重苦しい肩書を背負わされているんだ。少しくらい息抜きしたって罰は当たらない。せっかくだ。エリスさえよければ、あとで見応えのある景色が見れる場所をいくつか教えよう。人族の領地では間違いなく見れないものだろうから、きっと気に入ってくれると思う」
「いいんですか?魔王様おすすめの場所なんて絶対すごいに決まってます!楽しみだなぁ……!」
そう言って目を輝かせるエリス。
余程楽しみなのか、両手をぐっと握り込んで体を揺らしていた。
その姿は年相応で、見ていてなんとも微笑ましいものがある。
ここまで喜んでくれるのなら手を抜くわけにはいくまい。
あとで軽く百か所くらい見繕っておこう。
クク、危険な場所は事前に整備もしに行かないとな……!
そんな話をしていると、昼時を知らせる鐘の音が城内に鳴り響いた。
「もうこんな時間か。エリス、腹は減っていないか?」
「いえ、特に減っては――」
その言葉と共に、微かに『くぅ』と可愛らしい腹の虫の鳴き声が聞こえて来る。
「いません、ので、お気遣い、なく……」
尻すぼみで言ったあと、エリスは頬を赤く染めて俯いてしまった。
突っ込むのはさすがに野暮なので聞こえなかったことにして、「少し待っていてくれ」と言うと、俺は部屋に備え付けてある調理場に向かう。
鉄を叩いて椀型に加工した調理器具(人族はフライパンと呼んでいる)を釜戸の上に置いて、釜の中の木材に火魔法で火をつける。
トリから抽出した油をフライパンに敷き、温まってきた頃合いで溶いた卵を回し入れ、木を細長く加工した一対の棒(人族はハシと呼んでいる)を使ってかき混ぜる。
この時、海水を蒸発させて作ったシオとトリの骨を煮詰めて作ったダシを固めたものを一緒に混ぜ入れると美味しく出来上がる。
焼いている面がある程度硬くなってきたらフライパンを揺らしながらハシで形を整え、皿に盛り付ければ卵の素焼き(人族はオムレツと呼んでいる)の完成だ。
食事用のハシと一緒に、熱々のオムレツの載った皿をエリスの前に差し出す。
それを見たエリスは驚いた様子を見せた。
「これって……オムレツですよね?」
「一応そのつもりだ。前にエリスから聞いたのを参考にして作っただけだから、うまくできているかどうかはわからないが」
魔族は食事に頓着しないため、当然料理なんてものもしない。
食べられればなんでもオーケーの精神を持った奴がほとんどだ。
肉も魚も野菜も基本的に生で食べられるというのが主な理由だが、そもそも魔族は食べ物を味わう味覚が人族に比べると非常に弱い。
なので、わざわざ面倒な手順を踏んでまで料理をする意味が無いのだ。
ただ、俺はこの料理と言うものに可能性を感じている。
味云々は正直今なおよくわからないが、同じ手順で作っても使う材料が少し違うだけで全く別の物が出来上がったりするところなんかは実に興味深い。
これをうまく応用できれば、料理の腕次第で野菜嫌いの子供達にも気付かずに食べさせられるようになるだろう。
俺が作ったオムレツを様々な方向から眺めながら、エリスが感嘆の声を上げる。
「わぁ、凄い。形も色艶も完璧です。話に聞いただけなのに、こんな完璧に再現できるなんて。ガロンさんはとっても器用なんですね」
「ま、まぁな」
まるで自分事のように嬉しそうに話すエリスの反応に、照れくさいような、恥ずかしいような妙な気持ちが湧いてきて、自然とこめかみのあたりを指で掻いていた。
ちなみに俺はまったく器用ではない。
焼くだけの工程しかないはずのオムレツでさえも一か月以上の練習期間を経てようやく人前に出せる形になったくらいだ。
不格好な形の黄色いナニカが量産されていく様を見ては何度めげそうになったことか……。
だが、ここまで褒めてもらえるのなら頑張った甲斐もあるというものだ。
わざわざ他人に料理をふるまう人族の気持ちが少しだけわかったような気がする。
クク、次はチャーハンとやらに挑戦してみようか……!
「これ、本当に食べてもいいんですか?」
「あぁ、もちろ――」
どうぞと言う風に手を差し出そうとしたとき、視界に自分の手が映り込んだ。
浅黒くごつごつとした手。
ところどころ過去に受けた傷跡が生々しく残っていて、綺麗とはとても言い難い。
もちろん料理する前にしっかりと洗ったので清潔ではある。
が、そんな邪悪な手をした自分が作った料理を純真無垢なエリスに食べさせるのがなんだかとても悪いことのような気がしてきた。
その時、ふと妙な不安が俺の心に押し寄せる。
エリスはとてもいい子だ。
誰かの悪口も、汚く罵るような言葉もこれまで一度として聞いたことはない。
常に相手を尊重し、気遣うことのできる優しい心を持っている。
だが、そんないい子だからこそ、嫌だと思っていても自分のためにしてくれたことだと思えば嫌だとは絶対に言わないだろう。
ハッとする。
本当は魔王が手ずから作ったものなんて食べたくないのではなかろうか。
エリスは一見すると嬉しそうに見えるが、愛想笑いをしているだけなのではなかろうか。
俺が喜び勇んで出した手前、気を使って言い出せずにいるだけなのではなかろうか……。
そこまで考えて再びハッとする。
もしかして、やっちゃった、か……?
頼んでないのに勝手に色々してくる『世話焼き厄介おじさん』になっちゃってた、か……?
そうだ。こういうところなんじゃないのかデスヘルガロン。
エリスが好物だと言っていたものを作って驚かせようという気持ちもわからないではない。
だが、魔王とかいう得体の知れないおっさんが作った料理を誰が食べたいと思うだろう。
作るにしてもせめて『オムレツを作ろうと思うのですが、よかったら食べてもらえませんか?』と事前に確認するべきだ。
よくよく思い返してみれば、さっきのエリスの言葉だって『え、これ、本当にわたしが食べなきゃ駄目なんですか……?キモ……』っていうニュアンスを含んでいた気がしないでもない。
そうだデスヘルガロン。
お前はただでさえ不器用で不愛想で不気味なんだから、そのくらいの慎重さがあって然るべきなんだ。
クク、危ない危ない。
あと少し気付くのが遅れていたら『世話焼き厄介おじさん』の仲間入りをするところだったな。
早く俺の誤りを正してエリスをほっとさせてあげるとしよう。
「あぁいや、待ってくれエリス。出しておいて何だが、やっぱり食べるのはよしてくれないか」
「え……?」
だが、俺の想像とは裏腹に、その言葉を聞いたエリスはまるで宝物を取り上げられた子供のように心許ない顔を浮かべた。
その顔を見て確信する。
やっちゃった……。
「あっ」と何かに気付いたような声を上げたエリスは、明らかに取り繕っているとわかるにへっとした笑顔を見せた。
「そ、そう、ですよね。作ったからって、わたしが食べていいわけじゃないですよね。ごめんなさい。わたしの大好物を、他でもないガロンさんが作ってくれたんだと思ったら凄く嬉しくて……それで、勝手に勘違いして……」
目の前に出しておいて食べるなと言うわけの分からないことを言っている俺がどう考えても悪いのだが、エリスはまるで自分が罪を犯してしまったかのように項垂れて元気を無くしてしまった。
なにこれ。心が痛い。すんごい痛い。
数百年前に心臓を剣で串刺しにされた時よりも痛い。
悲しそうなエリスを見て考えるよりも早く言葉が口から出て言った。
「ち、違うんだエリス。これはエリスのために作ったもので間違いない。ただ、よくよく考えたら魔王である俺が作ったものなんて食べたくないんじゃないかと思ってだな……」
しどろもどろになって弁明する。
魔王のくせに情けないことこの上ないが、今はエリスの笑顔を取り戻すことが最優先だ。
するとエリスはがばっと椅子から立ち上がり、躊躇うことなく俺の手を両手で包んで言った。
「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
言葉の勢いに呆気にとられていると、無意識の行動だったのかエリスはあわあわと視線をさ迷わせる。
だが、すぐに頭を振ると俺を真っ直ぐに見つめて言った。
「ガロンさんはわたしの大切なお友達です。そんなガロンさんがわたしのために作ってくれたものを嫌だと思うわけがありません。むしろ、前に少し話しただけの好物を覚えていてくれて、こうしてわざわざ作ってくれたと言うことが、わたしは何よりも嬉しいんです」
そう言って、エリスは聖母のような顔をして穏やかに俺に笑いかける。
「わたしが嫌がるかもしれないなんて思わないでください。ガロンさんがしてくれることなら、わたしは何をしてもらっても、絶対に喜んでしまうと思いますから」
なんなんだろうこの子。いい子すぎる。
いい子すぎて今すぐにでも魔王軍に引き抜いてしまいたいくらいだ。
聞きようによってはかなり危うい発言だが、それくらい俺のことを信頼してくれていると言うことだろう。
だというのに俺ときたら愛想笑いだの気を使っているだのとくだらないことばかり考えて……。
さっきまで死ぬほど心が痛かったというのに、今は陽の光に当てられたような暖かさで満ちている。
この全幅の信頼に応えねばならないという使命感に燃えている。
エリスのためなら何でもしてあげたいという気持ちが溢れて来る。
そうして気づく。
なるほど。これが誰かを尊敬すると言うことか……。
数万年生きてきたが、こんな気持ちを誰かに抱いたことは一度としてなかった。
それをたった十四年しか生きていない少女に教えられるのだから、俺もまだまだ未熟と言うことだろう。
そして、そんなエリスだからこそ、俺は友達になりたいと思ったのかもしれない。
「それじゃあ、食べてもらえるか?」
オムレツを差しながら言うと、
「はい!もちろんです!」
そう言って、エリスは今日見た中で一番嬉しそうな顔で笑った。
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