第29話

 聖の一日は、姉の存在を無視することから始まる。

 気にしたら、気になって、どうしても目で追ってしまう。そうならない為に、姉に不快を与えないために、聖は俯き、自分を戒める。横を向きたい自分の心を殴る。


 それが良かったのだろう。

 恵理香は警戒心を解くようになった。そればかりか、彼女は自分の行いを考えるようになった。ひょっとして、自分はいけないのじゃないかと考え、聖に対する行動や言動を思い直すようになった。




 ある朝、ご飯を食べ、聖は家を出ようとした。いつものように、心から姉を締め出し、鬱々とした気持ちで。


 その時、恵理香は何か気分でも良かったのだろう。寂しい弟の後ろ姿を見て、優しくなった。


「いってらっしゃい」

 恵理香は言った。


 聖はびっくりして、振り返った。

 姉は弟の顔を見ると、にわかに嫌悪が湧き、俯いた。

 それでも、聖は嬉しかった。


「行ってきます」


 そう言ったら、恵理香はぷいとそっぽを向いた。


 聖は宙に舞い上がる良い心地である。


 お姉ちゃんが声をかけてくれた!


 しかし、夜になると朝の事が嘘みたいに、姉が不機嫌である。それは、調子に乗った聖がじろじろ見てくるせいで、恵理香は苛々するのだ。



 恵理香は聖と顔を合わせるたびに苛々する。

 自分の心の狭さに締め付けられながら、恵理香は苦しみを吐き出すように、恋人の栄太に言った。


「本当に嫌なの。嫌いなの。生理的に無理なの! あの子。くっついてきて本当きもい」

「家族なんだろ? そんなこと言うなよ」

「でも、やなの」


 いつもは恵理香の味方の栄太も今日は違った。さすがに呆れて、

「わかった。恵理香はさあ、自分が綺麗だから、自分より劣っている人を下に見るんだ。それはよくないよ。いい気になっているよ。君の弟が可哀そうだ」

「なんでそういうこと言うの? あたしの味方になってよ」

「味方だよ。だから忠告するのさ。君がサイテーの女にならないようにね」


 栄太との会話で恵理香は考えを改めた。

 あたしもわがままだったわ。多少は情けをかけるのが大人よ。嫌悪をむき出しにして、みっともなかったわ。大人の対応をするわ。あの子だって悪い子じゃないんだわ。優しくしてやれば、あの子にも気持ちが伝わるし、あたしも憎むのをこらえられるようにすれば、良い家族関係が築けるわ。世のなか完全な悪い人なんていないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る