第27話

恵理香は階段の上に弟の姿を見つけると、にわかに憎しみが湧き、物凄い形相で、聖を睨みつけた。

 それでも、聖は姉の愛に訴えようとした。


「お姉ちゃん、聞いて。僕……」

「本当嫌。あたしに関わらないでよ。気持ち悪いんだから」

「でもね、お姉ちゃん、僕、決めたんだ……」


 姉が階段を上がってくる。弟の傍をすり抜け、自室に入ろうとする姉の手を強く引いて、聖は訴える。しかし、恵理香は、その触れた手が汚らわしいといわんばかりに、悲鳴を上げて、手を振りほどき、心底嫌そうな、また泣きそうな、あるいは暴力的な顔になった。


「どうしたの」

 母が飛びだす。


「助けて! ママ!」

 恵理香は下に降りて行った。


 聖は彼らから嫌な目で見られた。それが悲しかった。

 聖は、

「ごめんなさい」と言ったが、返事はなくて、女二人は呆然としていて、そこに父も現れ、怯えたようにこちらを見る。

 もう聖は居た堪れない。酷く辛かった。

 彼は部屋に入り、扉に背を預け、しおしおと泣いた。嫌いだと思った。自分を裏切る姉が、親が。


 死んでやろうかな?


 聖は悲しみに伏している内に、そう思うようになった。


 僕がいない世界は、アイツらにとって、どんなに味気ないだろう。

 聖はほくそ笑んだ。

 自分が死んだとき、半狂乱になる母の姿が浮かんだ。父も涙し、姉は自分に責任を感じて、青ざめ、震えている。


 ああ! 僕のいない世界は、どんなに恐ろしいだろうな!


 しかし、そのまま妄想に暮れて隠れている聖ではなかった。彼は、最初苦しくても、時間がたつと、その痛みを忘れてしまう長所があった。


 聖は涙を流し、姉の足に縋りつきたい気分だった。そうするのが良いことに感じた。


 はりつけにされたキリストは僕だ。僕の心は何穢れなく美しいプリズムのよう。


 膨れ上がった、この清い気持ちに押されるようにして、聖は部屋を飛び出すと、階段を転げ落ちた。

 その凄まじい音にびっくりして、母が駆け寄る。


 聖は涙した。涙に曇った視界の隅に、恵理香を見つけた。彼女は唇を引き攣らせ、

「残念。生きてた」

と言った。

 その言葉が聖を凍りつかせた。


 本気なの? 僕を嫌っているの? やだ! やだよ!


「面白いから、もう一回落ちてよ」

 姉は冷酷に言った。彼女は自分から弟を引き離すようにしむけることで、弟のいない安全圏に入ろうとしていた。


「恵理香! 何てこと言うの!」

「何よ! 聖が大事なの? あたしが不幸になっても弟のほうが大事なのよ! あたしが嫌いなのね? そうよね?! 出で行くわ! 出ていくわ!」

「何言っているの」

「あたしがどんなに怖いかわかってくれないのよ」


 姉の苦しみがわかって、聖は我慢できなくて口を出す。

「ごめんなさい。お姉ちゃん。僕もう嫌なことはしないから、許してよ!」

「許してって、許さなかったら、あたしが鬼なの? ねえそうなの? あたしが悪いみたいに! あんたが出ていけばいいのよ! 馬鹿!」


 恵理香は聖を蹴り上げ、自室に駆け込み、籠った。


 どうするのが正解なのか、聖は考えた。

 正解は一つもない。いや、僕がいない方が、やはりいいのだ。


「聖、もう恵理香にあまり触れないであげて。できるだけ顔を合わせないようにしてね。あの子も色々あって、ストレスなのよ。いずれまた仲良くなれるから、それまでは、そっとしてあげて」

 母は涙目になって、聖の肩をつかみ、訴えた。

 聖は嫌だといえず、うん、と言った。

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