第15話

 聖は母と一緒に手をつないで外に出た。すると、先に出た恵理香は車の前で待っていた。

 恵理香は日差しが熱いので、額に手をかざして、車に寄り掛かって、

「遅いじゃないの」

 と、ふくれてみせた。


「しようのない子」

 母は、そういいながら車のキーを出した。


「おーい、恵理香ちゃあん、またおいでよー!」


 見ると、施設の中から、律義に姿を現して、先ほど恵理香とたわむれていた男性職員と、二人の女性職員が笑顔で手を振っていた。


「またねー」

 恵理香も満面の笑みで手を振り返した。


 そんな姉をみて、聖はどうして、おばあちゃんには、その優しい笑みを見せられないのだろうと不思議に思った。笑顔を見せるのは、簡単なことなのに。しかし、その簡単なことも恵理香は意地が邪魔するのである。


 楽しい別れのなごりを顔に残し、恵理香は助手席の窓を開けて、風に前髪をなぶらせながら、鼻歌を歌っていた。その声は澄んでいて、心地いい。

 恵理香はティッシュペーパーを一枚縦に薄くちぎると、走る車から窓の外に、つと落とした。細い紙は、すうと後ろに飛んでいき、後部車両のフロントガラスに舐めるようにぶつかると、車の上の方に滑っていき、見えなくなった。


「やめなさいよ。恵理香」

 母が注意した。


 恵理香は窓を閉め、助手席から、後ろの座席に座っている聖を振り返り、いたずらっぽく笑った。

 面白かったでしょ? と言わんばかりである。

 聖も、神秘的に空を舞っていった白いものに感動していた。まるで白い鳥が飛んで行ったように素晴らしかった。


「ごみを外に捨てちゃいけないわ」

 母は苛々したように言った。

「わかってるの?」

「もうしないわ」

「本当ね」

「でも聖ちゃんがやるかも」

「やらないよ!」

 聖は慌てて言った。

 恵理香はおかしそうにケタケタと笑った。


 聖は姉の笑顔に癒されながらも、胸の奥でちりちり焦げる臭いを嗅いだ。彼は祖母の夢子のことを考えた。姉に心を許すのは、姉のいじわるに味方しているのではないか、自分は祖母を侮辱しているのではないか。

 聖はやましさに顔色が曇った。ふいに彼は、自分という人間がとてもいやらしい存在に感じた。耐えがたい恥ずかしさが襲った。自分に残念である。彼はしょんぼりして、恵理香の後ろ頭を見つめる。


「おねえちゃん」

 その顔に答えを見つけたくて姉を呼ぶ。


 姉は振り返った。

 長いまつ毛に縁どられた大きな目で聖を見て、眉を上げて見せる。その様は高貴で美しかった。眩しい妖精のようだ。

 こんな素晴らしい人と仲がいい僕は幸せ者だ。聖は心が励まされ、嫌なことが全てこの美しい顔の中に消えていくのを見た。

 おずおずした気持ちで聖がニヤニヤと笑うと、恵理香は気味悪そうに顔をしかめた。


「あんた、たまに嫌な顔をするわね。気を付けなさい。嫌われるわよ」


 聖は唇を噛んで、上がっていた口角を下げた。

 心を許して、自分の気持ちを剥き出しにしていたところへ、そんな悪口を言われ、差だした手を拒まれたような、不快を感じた。

 淡い憎しみが、聖の胸に、ぽっと蝋燭の火のように灯り、直ぐ消えた。

 彼は姉が好きで何でも許せると思った。

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