第7話
日曜日の朝、朝食がメープルシロップとバターをのせたホットケーキだった。この甘いお菓子が子供たちは大好きだった。食事を終え、満腹になると、聖は幸福でぼうっとしていた。
すると、恵理香がにこにこしたり変な顔をして、聖の顔を眺めていた。
「ちょっとこっちへ来て」
恵理香の部屋に、二人の子供は二人きりで閉じこもった。
聖は恵理香に誘われると、心なしか胸がわくわくした。どんな楽しいことが待っているのだろう。恵理香と関わることなら何でも楽しいことだ。
絨毯の上にクッションを敷いて、そこに聖は座らせられた。
「いいこと? 静かにするのよ。叫んだりしちゃ駄目よ」
恵理香は筆置きから鋏をとると、それを持って、聖の前に座った。
「あんたの目は少し離れているから治しましょ」
媚びるような笑みを浮かべて、恵理香は聖の眼がしらに鋏を入れようとした。
聖は驚き、恐怖でわっといって逃げ出した。
「駄目よ! 戻ってきて!」
部屋の外へ逃げ出そうとした聖を、恵理香は組み敷いた。そして、彼の顔に鋏を近づけた。
「いやだよ!」
聖は、わっと泣いた。
母がすっ飛んできて、鋏を手にしている恵理香を見て、キッとなった。
「何をしていたの、恵理香」
恵理香は真っ赤な顔をして鋏を隠した。
「違うの。お姉ちゃんは悪くないの。お姉ちゃんは僕を治そうとしたの」
「どういう事」
「目の離れているのを治そうとしたの。でも、僕、怖くなって……もう怖くないよ」
聖は真っ青になって震えながら言った。
母は怒りの形相になり、逃げようとする恵理香を捕まえた。
「あなたはいったい、聖のことが嫌いなの? 嫌いじゃなかったら、顔を変えてしまおうとか思わないはずよ。どうなの」
「好きよ、好きよ、違うの。でも、もっと良くなると思って」
恵理香は泣きながら言った。
「ごめんなさい」
その後、親の前で恥をかかされたと思った恵理香は聖を無視し、冷たい目で睨みつけてきたりした。
心が凍え、聖は辛かった。泣きそうだった。
しかし、夜になると恵理香は聖を抱き寄せ言った。
「ごめんね。聖ちゃん。あたし嫌な姉ね」
「そんなことないよ。お姉ちゃんは世界一優しいお姉ちゃんだよ」
姉は両手で顔を覆った。
「泣かないでお姉ちゃん」
必死に励まし、おだて、姉は顔を上げた。驚いたことに、その目は白目が純白で、とても泣いた後とは思えなかった。いや、泣いていなかったのだ。
姉はご機嫌に言った。
「あたし、自分が罪深いと思ったのよ。でも聖ちゃんがよく言ってくれて、あたし、元気が出た。そりゃ誰だって時々悪いことはするわ。しない人なんていないのよ。完璧な人なんていないのよ。あたし、思うの。人間は、生まれた時は悪魔なの。でも、成長して学んで、天使になるの。そして天国に行くの。そう思わない? 聖ちゃん」
「思うよ。お姉ちゃん」
「じゃあ、あんたは、お姉ちゃんより悪魔だわね。だって少ししか、まだ生きていないから。お姉ちゃんよりも学ぶ機会がすくなかったんだもの。あんたはお姉ちゃんよりも悪い子よ」
聖は涙目になって、
「僕良い子になりたい。悪魔なんて嫌だ」
「じゃあ頑張るのね」
姉に意地悪を言われると、見捨てられるんじゃないかという気がして、姉の愛を勝ち得ようと、聖は泣き顔ですがるのだった。
聖が苦痛の表情をすると、かえって、恵理香は喜んだ。彼女は眉を吊り上げ、目を細め、上から弟を見下ろすのだ。
つんとすました、彼女の気品ある顔に、聖は参っていた。
恵理香は女王様だった。そして、聖は家来だった。
恵理香がソファの上で漫画を読んでいる横で、聖は好んで母を手伝い、食事の食器を出したり、お皿を運んだりした。そして、一番多めに盛り付けされた皿を姉の席の前に置いてやるのだった。
時々、恵理香は言った。
「ちょっと靴下履かせて」
五本指の白い美しい足を、その細い足首に触れる時、聖は激しく胸が高鳴り、頭が上せたようになった。そして愛しく、優しく、繊細にその足を抱え、黒い靴下をしっかり履かせてやる。姉の綺麗なピンク色の爪が、少し長めに伸びていた。
そのとがった爪を、聖はわざと偶然を装い、自分の手に突き刺さるように仕向けた。そして、何事もなく靴下をはかせ、
「いいよ」と聖はいやらしい笑みを浮かべるのである。
恵理香は何も気づかなかった。弟の心の中にどんなさざ波が起こったのか、どうでもいいことだった。
恵理香にとって、聖は弟でしかない。もとい、子分でしかなかった。
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