第4話
ある日、夕飯を作っている由美子のエプロンの裾を引っ張って、恵理香は何かを訴えるような眼差しで母を見つめた。
「どうしたの」
母は大根を切る手をとめて言った。
「ママ、赤ちゃん産んで。あたし、お姉ちゃんになりたいの」
由美子はビックリしたが、微笑ましくもあった。
「どうしたの急に。お姉さんになりたいだなんて。いつも癇癪起こして怒りっぽくて、わーわーわからずやのアナタが。大人になりたいなんて、ついにあなたもこのままじゃだめだと思ったのね」
今までの苦労を思って、つい愚痴っぽくなった。
「違うの。あいちゃんがね、お姉さんになったんだって。妹が産まれたの。ねえ、あたしも小さいちびっこが欲しいの。うんと可愛がるわ」
目をきらきらさせて、恵理香はお願いした。
「わかったわ。パパに相談しましょ」
「今すぐ生んでね。今日よ」
「そりゃ無理よ。すぐというわけにはいかないわ。赤ちゃんはね、コウノトリさんが授けてくれるの。ママが選ばれなくちゃならないの」
「コウノトリさんはどこにいるの?」
「世界中を飛び回って忙しいの。でもママたちが赤ちゃん欲しいですと思っていれば、その気持ちのにおいに気付いて、向こうからやってくるのよ」
「でも、あいちゃんがね、パパとママが一緒のお布団で寝たから、赤ちゃんが生まれたって。あいちゃんのお兄ちゃんがそう言ったって。だからコウノトリさんがいなくても生まれるのかもね」
「あいちゃんのママの所にもコウノトリさんが来たのよ。そうに違いないわ」
由美子は少し赤くなり、意味もなく咳払いした。
妻と夫は子供を寝かしつけると、たびたび愛し合った。
ある時、いつものように愛し合っていると、寝室のドアが少し開いているのに気づいて、由美子は慌ててガウンをまとった。そして、ドアを開けてみると、恵理香が泣いていた。
「まあ、どうしたの」
「ママ、パパと泣いていたの? 何か悲しいショックなことがあったの? あたし、コウノトリさんが来ると思って見てたの。さあ言って。どんな不幸があったの?」
明は困ったように苦笑いした。
「違うのよ。泣いてなんかないわ。パパと遊んでいたのよ。さあ、もう寝なさい」
乱れた髪をかき上げ、由美子は娘を子供部屋に連れて行った。
子を寝かしつけ、一人、戻ってきて、寝室に夫婦二人きりになると、お互いの顔を見合わせ、おかしいような疲れ切ったような顔をして、その日は黙って眠りについた。
恵理香の四歳の誕生日の日、恵理香がケーキの蠟燭の火を吹き消して、部屋が真っ暗になると、電気をつけて、由美子は恵理香を抱きしめ、言った。
「あなたにプレゼントよ。ママね、とうとう赤ちゃんを授かったの。あなたはもう少しでお姉さんよ」
しかし、想像したのと違って、恵理香は興味なさそうに、薄ぎこちない笑みを浮かべた。その大きな目は遠くに投げやられ、笑ってはいなかった。
「どうしたの恵理香」
「ほかにプレゼントはないの?」
「あるわ。でも赤ちゃんができたのよ。喜ばないの?」
「あいちゃんが言っていたの。妹がママを独り占めするって。あいちゃんのママも妹のほうがあいちゃんより大切そうにしているんだって。ねえ、ママ。あたし、チビいらない。ママはあたしのものよ」
それを横で聞いて、明は悲しい嫉妬に襲われた。
「パパのことも好きだろう?」
「好きよ。でもママはもっと好きなの」
恵理香は悲しくなり、泣き出した。
「小さい子にかかりきりになるのは仕方ないのよ。だって何も出来ない子だもの。でもね、あいちゃんより妹の方が大切というのは違うわ。あいちゃんのママはみんな平等に自分が生んだ兄妹たちを愛しています。だって自分が生んだ子だもの」
「でも、いや。いらないわ。赤ちゃんいらない!」
しかし、次の日になると、昨日の荒れようは忘れ、恵理香はひしっと母の足にしがみつき言った。
「ママ、夢を見たのよ。天使のような小さい男の子がね、お姉ちゃんに早く会いたいよっていうの。あたしの弟だわ。ね、ママ。産んでね。あたしも早く会いたいの」
いらないと言われても消すことはできないのだ。由美子は恵理香の心変わりに、ほっと胸をなでおろした。
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