第5話 うそでしょ……?
実のところ、ここまでの重傷者に、回復魔法を使うのは初めてだ。
軽い傷はあったけれど、ここまでの症状はない。
もちろん、そういう目的で訪れた。でも、魔物に軽く噛まれたとか、傷の治りが多少悪いとか、腕がきれいに折れてしまっているとか、そういう状態を、都合よく想像していたのだ。
けれど、違った。現実は、もっとひどかった……。
どうみても、負った傷から、さらに悪い方向へ進んでいる。
「それでも、やるしかないわね……」
わたしは、手袋を外し、外套を脱ぎ、腕をまくった。
どうすればいいのか。わかることは、ただ、魔法をかければよいというわけではないだろう。
回復魔法には、コツがいるのだ。
例えば、自分に回復魔法をかけるのは、とても効率が良い。無自覚に『痛み』の場所に、自己回復力を集めようとするのだ。
痛くなったお腹を、無意識のうちにさすったり、手を当てたりするのと同じだろう。自分の体なので、痛いところがわかるから、魔法の効果は最適化される。全身にかける必要はない。
だが、他人に回復魔法をかけると、そうはいかないようだ。
わたしには相手のどこが痛いかはわからない。今のようにけが人に意識がなければ、相手の意見も聞けない。
治すべき場所が、的確にわからないなら、全身に魔法をかけ続ける必要があるのだろう。それも、ずっと。相手をはげますように、寄り添って。
効率は悪いが、それしかない。
いくら初歩の魔法だとしても、普通の人間ならば、魔力が続かないだろう。
でも、わたしは違う。
将来、ヒロインと攻略対象の前に立ちふさがるボス――悪役令嬢予定のわたしだからこそ、できる人助けなのだ。
「さあ、やるわよ――」
わたしは、魔法を発動するための三節を口にした。
*
どれくらいの時間が経過しただろうか。
わたしは男性の傷口にむけて、両手の平を向けている。
もちろん回復魔法をかけ続けるためだ。
「深淵に至る灯は、我が身の寄る辺、深々の活力とならん――ハート・ビート……!」
いまいちど、三節を唱えた。
先ほど、集中力が切れてしまい、魔法を解除してしまったのだった。
効果をあげるための重ね掛け効果もリセットされてしまったようなので、再度、一からかけなおす。
さらっといっているが、じつのところ、三回目のやりなおしだった。
実践してみてよくわかった。
魔力にはまだ余裕があるけれど、集中力が続かない。暗闇の中、意識を妨げるものはないというのに、目に見えない何かに、押しつぶされそう。
「ふぅ……はぁ……」
大きく、息を吸う。吐く。心拍数を一定に保つように勉める。
部屋はもともと暗かったが、さらにその色を濃くしていた。
外には光る石があり、さらにその横で焚火をして、湯をわかしてもらっている。
きっと屋敷のみんなは心配して、わたしを探していることだろう。抜け出すように、無言で出発したからだ。
じつは、手紙を一枚、枕の下に隠してきた。カタリナなら見つけるだろうから、居場所はきっとわかるはずだ。
だから、目の前の命だけを心配しよう。
また、集中がきれそうだ。
汗がとめどなく流れては、目に入ろうとしてくる。しきりにまばたきををして抑える――あとどれくらいかければ、良いのだろうか。
自分の体なら、塩梅がわかるのに。
相手の顔色さえわからないと、良し悪しも不明だ。ヒントを得る。そうか、今度からは、相手の生命力の流れを感知できるようになればいいんだ。そうすれば、滞っている場所=悪い部分がわかるし、相手の活力も手に取るように理解できるだろうし。
でも、いま、その手段を持っていない。
だから、全身に魔法をかけ続けるしかないのだ。
目を凝らす。
外から入ってくる、薪の明かりをたよりに、患者を観察する。
足の傷口周辺の色が、ずいぶんよくなっている気がする。
最初は、紫と黒と赤がまざっているような感じだったが、今ではオレンジっぽくなってきた。
変にぶよぶよとしていた肉質も、良い意味で、乾燥してきた。腫れがひいているのだろう。
なら、治ってきているのだろう。
つまり、これは正解なのだろうか?
あれ。そもそもわたしは何をしているんだっけ?
あ、カタリナがおいしそうなパンケーキを持って立ってるわ――。
「へ、へへ……おいしそぉ」
よだれがたれる。
「む、娘さま? 大丈夫ですか……?」
「はっ!?」
い、いけない。
なんかイケナイ領域に踏み込んでいた。
「マ、マリエル……! わたしの名前はマリエル! マリエル・カフスレイヤ!」
「マリエルさま……大丈夫、ですか?」
「大丈夫じゃないわよ……でも、お父さまのほうが、もっと大丈夫じゃないでしょ……!」
ぐっと、腹に力を入れる。パンケーキの幻影を見るとは、おなかが空いているのかしら。
たしかに、昼から大したものを食べていない。冒険者用の固いパンと、塩辛い干し肉を噛んでみただけ。全部は食べられなかったけど、栄養は取った。
唐突に理解する。
あ、わかった。
違う……この感覚、お腹が空いたわけじゃない。
これは――魔力切れの感覚だ……!
久しぶりのことで、感覚がずれていたのだろうか。
さきほどまで魔力は平気だと思ったのに、一気に、ゼロに近づいてきた。
最近は、魔力総量がかなり増えていたので、忘れていた。
小さい頃、練習中に魔力不足でよく失神していた。それが今の感じ。
「まだ、なの……?」
早く終わって。
そうすれば、すべてうまくおさまるのに。
その時だった。
出入口付近に立っていた少女が声をかけてきた。
「お父さんの顔色、だいぶ良いです……あと、足の周りの色もいいです……!」
ずいぶんと、確信的に言うので、驚いた。
だって、目の前にいるわたしだって、色の違いを完全には把握できないのに、離れた場所から、見えるなんて。
「あなた、そこからよく見えるわね。わたしでも、目を凝らさないとわからないのに」
少女は何でもない風に言う。
「この村は、暗いところばかりですから、目がよくないと生きていけません。それに僕は、とくに夜目がきくって、お父さんにほめられました。特技の一つなんです」
「そうなのね……?」
少女の対応はここ数時間でだいぶほぐれてきた――って、あれ?
ちょっと、まって。
いま、この子『僕』って言ったわね。
こんなにカワイイ女の子の一人称が、僕? ……いや、普通か。普通ね。ボクっ娘ってことよね。魔力切れ寸前でおかしいのね、頭が。一人称なんて、なんでもいいもの。
でも、そうだ。
あえていうなら……このゲームには、夜に目が利く攻略対象がいた。
特性を生かして、積極的にヒロインへ夜這いをしかけるようなチャラいキャラ。でも、実は繊細なところもある、女性のように美しい銀色の髪を持った青年。
そうだ。確かにいた。
マリエルが悪役令嬢として出る攻略対象とは、別のルートの攻略対象だけれど、たしかにいた。
彼の名前は――えっと。
フレン。
そう。フレンだ。
思い出した途端、なぜだろうか、背中が寒くなった。
「ね、ねえ……あなた……そういえば、わたし、名前聞いてないじゃない……?」
ふらふらとする中で、尋ねる。
回復の手は緩めていない。もう十分なような気もするけれど、残り少ない魔力を止めてしまったら、二度と魔法をかけられない気がした。
少女は、そんな中でも、どこか気の抜けた感じに、答えた。
「あ、そうでした……僕も、名前、あります」
「当たり前でしょう。で、あなたの名前は?」
「名前はフレンです」
「フレン……?」
「はい、フレンだけです。家名はもちろんありません」
ふらふら。あたま、が、ふらふら。
フレン、フレン、フレン――ゲー厶には、フレンが、いた。
そして、かれのなまえは――フレン……フレン……フレン!?
ちょ、ちょっと待って!?
銀色の髪、恐ろしいほどの美貌、名前はフレンって――。
「そ、それって、まさか、学園特待生になる……フレン・アルマイザー!?」
急に、あたまが鮮明になった。
ゲームのイベント、一枚絵が脳裏にまざまざとよみがえる。
銀髪の魔法弓使い。フレン・アルマイザー。
実の父親が死んで、路頭に迷う。そのあと、教会の施設にはいったけれど、とある事件を経て、跡継ぎ不在の子爵、アルマイザー家に養子の一人として迎え入れられる。メインキャラではないけれど、ヒロインの攻略対象の一人になる、あの、フレン・アルマイザーが、目の前の美少女……。
フレンと名乗った美少女は、おおげさに言う。
「え? い、いえ、家名はないです。ただのフレンです」
「あなた……男ね?」
「え? はい、そうですけど……」
少年だった。つまり、フレンは、あのフレンなのだ。
そして、わたしは『攻略対象の男性』に接触してしまったということになる。
「ま、まずい……」
よくわからないけど、まずい気がした。
わたし、いま、彼の人生を文字通り『変えてしまっている』のでは……?
「あ、やば……」
だめだ。いま、集中力が切れてしまった。
上下左右のないはずの闇の色が、ぐにゃりと握りしめられたように、混ざった気がした。
「マ、マリエルさま!?」
きゅう、と変な音が喉の奥からしたのを認知したが最後、わたしの意識は暗転し、どさりと、地面に倒れる……ことはなかった。
まるで、誰かに支えられたまま、宙に浮くようにして世界は闇へ――。
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