第5話 なんてこと
他人に回復魔法を使うのは初めてだ。それを試しにきたとはいえ、まさかこんな重病者だとは思わなかった。腕が折れてるとか、そういうレベルを想像していた。
どうみても難しい事案だ。
そして、それは想像通り、とても困難なものだった。
例えば、自分に回復魔法をかけると、無自覚に『痛み』の場所に、自己回復力を集められるようだ。さらに、これもまた無意識に、継続して患部へ魔法をかけ続けているようだ。
痛くなったお腹を、無意識のうちにさすったり、手を当てたりするのと同じだろう。自分の体なので、痛いところがわかるから、魔法の効果は最適化される。
だが、他人に回復魔法をかけると、そうはいかないらしい。
わたしには相手のどこが痛いかはわからない。今のようにけが人に意識がなければ、視覚確認だけが頼りだ。
継続的に、治すべき場所へ、自己治癒力・回復力を集中させるとなると、毎秒、毎分、魔法をかけなければならないようだった。
*
どれくらいの時間が経過しただろうか。
わたしは男性の傷口にむけて、両手の平を向けている。
もちろん回復魔法のためだ。
「深淵に至る灯は、我が身の寄る辺、深々の活力とならん――ハート・ビート……!」
先ほど、集中力が切れてしまい、魔法の効果も失ったのだ。重ね掛けはリセットされたので、再度、一からかけなおす。
じつのところ、4回目のやりなおしだった。
「……っく。ふう……」
すでにあたりは暗い。きっと屋敷のみんなは心配して、わたしを探している。実は手紙を一枚、枕の下に隠してきた。カタリナなら見つけるだろうから、居場所はきっとわかる。
心配するなら、目の前の命のほうだ。
汗がとめどなく流れては、目に入ろうとしてくるのを、強く瞬きをして抑える――あとどれくらいかければ、良いのだろうか。
足の傷口周辺の色が、ずいぶんよくなっている気がする。黄色と紫と黒と赤がまざっているような感じだったが、今ではオレンジっぽくなってきた。
変にぶよぶよとしていたはずの肉質も、良い意味で、骨と皮だけになっている。腫れがひいているのだろう。
しかし、暗くて、よく見えない。
変化がわからない。
これは正解なの?
そもそもわたしは何をしているんだっけ?
あ、カタリナがおいしそうなパンケーキを持って立ってるわ――。
「へ、へへ……おいしそぉ」
「む、娘さま? 大丈夫ですか……?」
「はっ!?」
い、いけない。
なんかイケナイ領域に踏み込んでいた。
「マ、マリエルよ……! わたしの名前はマリエル!」
「マリエルさま……大丈夫、ですか?」
「大丈夫じゃないわよ……でも、お父さまのほうが、もっと大丈夫じゃないでしょ……!」
ぐうっと、腹に力を入れる。
パンケーキの幻影を見るとは、おなかが空いているのかしら。
いえ、違う……この感覚。
まずい。これは魔力切れの感覚じゃないだろうか。
久しぶりのことで、危機感を覚えていなかった。
最近は、魔力総量がかなり増えていたので安心していたが、小さい頃、練習中に魔力不足でよく失神していた。
少女が暗い部屋の中――さらにわたしよりだいぶ離れた位置から言った。
「でも、お父さん、だいぶ顔色が良いです……あと、足の周りの色もいいです……!」
「あなた、そこからよく見えるわね」
「暗いところばかりだから、この村は。僕は、とくに夜目がきくって、ほめられます。特技の一つなんです」
「そうなのね……?」
少女の対応はここ数時間でだいぶほぐれてきた――って、あれ?
ちょっと、まって。
いま、この子『僕』って言ったわね。
こんなにカワイイ女の子が? ……いや、普通か。普通ね。ボクっ娘ってことよね。魔力切れ寸前でおかしいのね、頭が。一人称なんて、なんでもいいもの。
でも、そういえば……なんか、このゲームには、夜に目が利くから夜這いをしかけてくるような、でも繊細なところもあるような、真面目に見えてアグレッシブなところもよある美少年攻略キャラがいたわよね。
そうね。
いた。
マリエルが悪役令嬢としてはでてこない、別のルートだけど、たしかにいた。
名前は――えっと。
フレン。
そう。フレンだ。
思い出した途端、なぜだろうか、背中が寒くなった。
「ね、ねえ……あなた……そういえば、わたし、名前聞いてないじゃない……?」
ふらふらとする中で、尋ねる。
治療の手は緩めていない。もう十分なような気もするけれど、走り続けた魔力を止める意識は芽生えなかった。
「あ、そうでした……僕、名前、あります」
「当たり前、でしょう。で、名前は?」
「名前、フレンです」
「フレ、ン……?」
「はい、フレンだけです。家名はもちろんありません」
ふらふら、あたま、が、ふらふらする。
ゲー厶にフレン、がいる。いた。
そして、かれのなまえは――フレン……フレン……フレン!?
ちょ、ちょっと待って!?
銀色の髪、恐ろしいほどの美貌、名前はフレンって――。
「そ、それって、まさか、学園特待生になる……フレン・アルマイザー!?」
親が死んで、路頭に迷う子供になったけれど、とある事件から跡継ぎ不在のアルマイザー家に養子の一人として迎え入れられて、メインではないけれど、ヒロインの攻略対象の一人になる、あの、フレン・アルマイザー……!?
「え? い、いえ、家名はないです。ただのフレンです」
ということは、この少女は――少年ということ。
そして、わたしは『攻略対象の男性』に接触してしまったということ。
「ま、まずい……」
よくわからないけど、まずい気がした。
わたし、いま、彼の人生を文字通り『変えてしまっている』のでは……?
「あ、やば……」
それ以上に、もっとまずいのは。
上下左右のないはずの闇の色が、ぐにゃりと握りしめられたように、混ざった気がした。
「マ、マリエルさま!?」
きゅう、と変な音が喉の奥からしたのを認知したが最後、わたしの意識は暗転し、どさりと、地面に倒れ――ることなく、誰かに支えられたまま、宙に浮くようにして――。
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