第4話 初仕事

 覚醒してからというもの、性格・趣味嗜好は『前世と今で、8:2』程度の配分のはずなのに、いまこの瞬間だけは、前世のわたし100%が両手をあげて、ガッツポーズをしていた。

 美しい人間はそれだけで至宝である。


 華奢な体にあって、なお、線の通った造り。いや、華奢ゆえに、まっすぐな線がきれいに浮き上がっているのか。

 大人へ至る一歩前、幼年と青年の間にしか存在しない、なにかが、肌の下から染み出ているようだった。

 まぶしいほどに整っている。

 こんな美少女、見たことがない……。


「あなた、すごい綺麗ね……」


 ほう、っと息をつくように、本心が出た。


 少女は戸惑ったように、目元をぬぐう。

そのしぐさの一つ一つが美しい。


「あ、う……?」

「すばらしいわ……持って帰って、飾りたいくらい」


 持って帰ったら犯罪なのは、この世界でも一緒なので、もちろん持っては帰らない。というか、わたしは何を言っているのか。悪役令嬢ルート回避するために、いらぬ感情を捨てた。


「ああ、ごめんなさい。わたしは怪しいものではないわ――」


 名乗るべきか? ……悩んだが、この少女に嘘はつきたくなかった。

 嘘をつけば、自分が汚れてしまいそうだ。


「わたしの名は、マリエル・カフスレイヤ――領主の娘といえば通りが良いかしら?」

「……りょ、領主様の……! え? え? なんで……?」

「落ち着きなさい。あなたを取って食おうというわけではないのだから――ぜったいにダメです。そういうのはダメです、死ぬから、ほんと」


 わたしの中のマリエルを鞭で追いやる。

 前世のわたしの感覚が80%ぐらいになる。


「す、すみませ……ん!」


 ばっと、頭をさげる少女。

 首だけが大きく下がっている、メイドが見せてくれる綺麗な姿勢とは真逆の体勢。それでも誠意は伝わってきた。


「いえ、そのような対応はしなくてもよいですよ――それよりも、どうかしたのですか?」

「どう、か……」

「あなた、今、泣いていたでしょう?」

「あ……お父さんが」

「お父様?」

「魔物に襲われて、大けがをしているんです……」


 わたしはそこで、イベントフラグがたった音が聞こえた気がした。

 それが良いか悪いかは脇に置いておくことにして――。


「なるほど、ね」


 これは運命か、システムか。

 強制力というべきか――わたしは本当に、苦しい死から逃れることができるのだろうか? 回復魔法を極めたところで、極悪令嬢としての断罪からは逃げられず、つまるところ、痛みからも逃げられないのではないか。


 でも。


 わたしは、それでも、目の前の涙を止めて見たくなった。


     *


 村の、どの小屋も同じ造りである。

 番地も表札もないから、どこに誰が住んでいるのかは不明である。


 人は歩いていない。魔物を警戒しているのだろうか? ――そう考えていたら、小屋の陰からこちらを見る目を認めた。さっと隠れる。ああ、なるほど。理解した。その間にも、こちらをうかがうような視線を感じる。

 マントを付けた赤い髪の少女が一人で寒村を歩いている。

 警戒されているのは、わたしのほうか。得体のしれない人間だものね。


 むしろ、そんなわたしの妄言ともとれる発言を信じてくれている、目の前の少女が異常なのだろう。もしくは、そんな言葉にしがみつきたいほどに、追い詰められているのか。


「ここ、です、領主さま」


 少女が振り返りながら言う。

 わたしは静かに訂正した。


「領主の『娘』です」

「ここです、娘様……」

「そういう呼び方は初めてね……」

「す、すみません」

「怒ってないわよ、別に」


 ぎこちない少女の言動は、もうあきらめた。何度いっても、頭をさげながら話をするし、きっと、そういう何かを教え込まれてるのだろう。


 ドアというより、草を編んでつくったノレンのようだ。

 わたしは、手で押しのけて、くぐった――。


「失礼します――っ!?」


 不意打ちだった。


 ドロっとした臭気が、固形物のように鼻の奥まで入ってきた。

 人家からしてはならない臭いだ。生命が剥落している危機感を覚える。


 わたしは振り返らずに尋ねた。


「……お父様は、どんな状態なの?」

「魔物に足を噛まれて……それで、血はとまったんです……けど、なんだか、ぶよぶよとしてきて……へんな臭いが……」

「お医者さまには見せたの?」

「お、いしゃ?」

「……いえ、そうだった、ごめんなさい」


 この世界には医学という名の学問は存在しなかった。

 近似で、薬草学。特殊な効果を持つ草花を研究している。

 そして液薬学で、ポーションを作成している。

 あとは、魔法が発展しているせいで、探求されていないのだ。そりゃそうだ。聖女なんていう奇跡が存在しているなら、医学など生まれない。聖女の魔法の回数をどうやって増やすか、を考える。研究にはお金もかかるのだ。

 人間はどの世界でも、大きなものに吸い寄せられるらしい。

 上記の二学問も、魔力回復効果の探求に傾倒しているのは、聖女の魔法回数を上げるために違いない。

 


 一歩。

 一歩。

 死を否定するように、地面に寝かされた男性に着実に近づいていく。


 お父様に近い年齢だろうか。汚れた服に、汚れた肌。

 色々と便利だからか、もしくは服が破れてしまったのか、半裸に近い形で管理されている。

 足には包帯のようなものが巻かれているが、汚れていて逆効果にも見える。

 羽虫が数匹、頬の横を通った。


「魔物特有の毒、かしら?」

「毒じゃないって、村長が。魔物のどくなら全身がすぐにおかしくなるって……でも、魔物に噛まれると、こういうふうになるって言ってました……すこしずつ悪くなって……」

「毒じゃない……すこしずつ……ああ、感染症……?」

「かんせん?」

「なんというか、人間には存在しない汚いものが、人間に入った感じかしら……傷口からね」


 そういう考え方が、この世界にあるかは知らないけど、そういうことなのかもしれない。

 確かめる方法はないし、確かめる手順も知らないのだ。

 

「あ、あの、それで、どうすれば……」


 少女はおろおろとしている。

 そりゃそうだろう。

 わたしは「助けられるかもしれない」と宣言して、つれてきてもらったのだ。

 なのに、何もせずに絶句しているのでは、どうしようもない。


 わたしは体を侵そうとしてくる臭気を追い払うように、頬を両手でパチンと叩いた。


「っ!?」


 ビクリと肩をあげる少女へ指示を出す。


「傷口を洗ってみてみるから、包帯をとってくれるかしら。あと、お湯とかある? 洗えるなら、お父様の体を、なるべく洗っておきたいわ。回復力があがるから」

「は、はい……おゆと、あと……」


 右往左往する少女を、わたしは叱りつけた。

 もちろん怒りからではない。

 助けたかったからだ。


「はやくしなさい! お父様がどうなってもいいの!?」

「は、はいぃ!」


 こうして、わたしの初仕事は唐突に始まったのだ。


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