第4話 初仕事
絶句するほどの美少女を発見してしまった。
前世を思い出し、覚醒してからというもの、わたしは、マリエルでありながら、本来のマリエルではなくなった。
性格・趣味嗜好は『前世7:マリエル3』程度の配分になっていた。はずなのに、いまこの瞬間だけは、前世のわたしの100%が諸手をあげて、ガッツポーズしていた。
美しい人間はそれだけで至宝である。
華奢な体にあって、なお、線の通った造り。いや、細いがゆえに、体の線がきれいに浮き上がっているのか。
大人へ至る一歩前、この時期にしか存在しない、なにかが、肌の下から染み出ているようだった。
まぶしいほどに整っている。
こんな美少女、見たことがない……。
「あなた、すごい綺麗ね……」
ほう、っと息をつくように、本心が出た。
「あ、う……?」
突然、現れて、変なテンションをぶつけられた少女は、当然、戸惑っていた。
泣いていたことを隠すように、目元をぬぐう。
そのしぐさの一つ一つが美しい。
わたしは目的を忘れてしまうほどに、魅入られた。
「すばらしいわ……持って帰って、飾りたいくらい」
人間を持って帰ったら犯罪なのは、前世でもこの世界でも一緒だ。もちろん持っては帰らない。というか、わたしは何を言っているのだ? 悪役令嬢ルート回避するために、いらぬ感情を捨てたはずなのに、悪役令嬢みたいなことをしている場合じゃない。
ふう、と息を吐く。
マリエル・カフスレイヤとしての自分を取り戻す。
スカートを片手でつまみあげ、空いた手を胸にあてた。それから膝を軽くまげて、浅く頭をさげる。この国独自の、淑女の挨拶である。ゲームあるあるで、中世らしい文明だけれども、やはり、確実にどこか違うのだった。
「突然、ごめんなさい。わたしは怪しいものではないわ――」
カフスレイヤと名乗るべきか?
悩んだが、この少女に嘘はつきたくなかった。
嘘をつけば、自分が汚れてしまいそうだ。
「わたしの名は、マリエル・カフスレイヤ」
「カフス……?」
「領主の娘といえば通りが良いかしら」
美少女が、これでもかというほどに、大きく目を開く。
「……りょ、領主様の……! え? え? なんで、こんなところに……?」
あわあわ、とし始める美少女。なにこれ、くるおしいほどに好き。
でも、領主の娘と名乗った以上、クールにいかないと。
わたしは、優雅に微笑む。
「落ち着きなさい。あなたを取って食おうというわけではないのだから――いや、わたし? ぜったいにダメよ? そういうことすると立場上死ぬから、ほんと、やめて、わたし」
「……? ……??」
わたしの中のわたしを、マリエルと一緒に鞭で追いやる。
はあはあ、と息を荒くする姿を見て、美少女が勘違いをして、頭をバッとさげた。
「す、すみませ……ん!」
首だけを大きくさげるような、不格好な動きだった。メイドが見せてくれる綺麗な姿勢とは真逆の体勢。美しいゆえに、いびつさが目立つ。それでも誠意は伝わってきた。
「いえ、そのような対応はしなくてもよいですよ――それよりも、どうかしたのですか?」
「どう、か……」
「あなた、今、泣いていたでしょう?」
「あ……」
美少女が、隠すように目をつむる。なんだかちょっと幼いところも、かわいい。
「べつに隠さなくていいのよ。責めているわけではないの。心配しているんだから」
優しく微笑んであげると、美少女は肩の力を抜いた。
なんどか口をパクパクとさせたあと、ようやくといった感じで、言葉を紡いだ。
「……お父さんが」
「お父様?」
「魔物に襲われて、大けがをしているんです……」
わたしはそこで、イベントフラグがたった音が聞こえた気がした。
それが良いか悪いかは脇に置いておくことにして――。
「なるほど、ね」
求めた状況が目の前にころがりこんできた。
これは運命か、それともゲーム由来の強制力か――わたしは、マリエル・カフスレイヤの正史から、別の歴史へと歩めているのだろうか。
わたしは本当に、苦しい死から逃れることができるの?
回復魔法を極めたところで、極悪令嬢としての断罪からは逃げられず、つまるところ、痛みからも逃げられないのではないか。
それでも。
「お父さんが……お父さんが、死んじゃいそうなんです……っ」
わたしは、目の前で、流れてては落ちていく涙を止めたかった。
*
迷いなく進んでいく美少女の後ろを、ついていく。
死にそうだという、彼女の父親のもとに案内してもらっているところだ。
時間が経過して、仄暗くなってきた。
足元は見えるが、あと一時間ほどで日も暮れるだろうか。
村のなかに明かりは一つもない。
時折、ほのかに光る石が、家の前などに置いてある。
これは加工物ではなく、自然界にある『光石』というものだ。日光を集めているのではなく、魔力が関係して、光っているらしい。魔法石の原料らしいけど、詳しくは知らない。
村の、どの小屋も同じ造りである。
番地も表札もないから、どこに誰が住んでいるのかは不明である。
人は歩いていない。魔物を警戒しているのだろうか? ――そう考えていたら、小屋の陰からこちらを見る目を認めた。さっと隠れる。ああ、なるほど。理解した。その間にも、こちらをうかがうような視線を感じる。
警戒しているのは、魔物ではない。
わたしだ。
マントを付けた赤い髪の少女が一人で寒村を歩いている。
得体のしれない人間だものね。
自称、領主の娘というのも、眉唾物だ。
むしろ、そんなわたしの発言を信じてくれている、目の前の少女が異常なのだろう。もしくは、そんな言葉にしがみつきたいほどに、追い詰められているのか。
どちらにせよ、できることは、してあげたい。
村の一番奥というのだろうか。
背後の森に入る手前の家にたどり着く。
「ここ、です、領主さま」
少女が振り返りながら言った。
わたしは静かに訂正した。
「領主の『娘』です。あと『様』なんてつけなくてもいいわ」
「すみません。娘さん……」
「そういう呼び方は初めてね……」
「す、すみません」
「怒ってないわよ、別に」
ぎこちない少女の言動は、もうあきらめた。何度いっても、頭をペコペコとさげながら話をする。きっと、そういう気質なのだろう。
美少女が入り口にかけられた何かを横にのけて、わたしをいざなう。ドアではなく、草を編んでつくったノレンのようだった。
その先は、特に暗く、まるで魔物が大きな口を開いて待っているようだった。
「失礼します――っ!?」
不意打ちだった。
視界は黒でいっぱい。目がなれるまで、少しだけ時間が必要だ。
だが、その前に、強烈な何かが、わたしの身を包んだ。
それは、ドロっとした臭気だった。
手には取れぬはずの臭いが、固形物のように鼻の奥まで侵入してきた。
人家からしてはならない臭いだ。生命が剥落していくような、危機感を覚える。
目を凝らす。
必死に、闇の中に、命の光を見つけようとする。
居た。
板すら敷いていない地面に、毛皮でもなく、草で編んだ敷物だけ。
その上に、けが人が寝ていた。いや、倒れていた、と言ってもよいほどだ。
わたしは振り返らずに尋ねた。
「……お父様は、どんな状態なの?」
べそをかきはじめた美少女が、必死に、わたしに説明を行う。
「魔物に足を噛まれて……それで、一日で、血はとまったんです……けど、なんだか、熱が出てきて、足もぶよぶよとしてきて……それから、へんな汁と臭いが……」
「医者には見てもらったの?」
反射的に聞いてしまう。
「い、しゃ?」
「……いえ、そうだった、ごめんなさい」
この世界には医学という名の学問は存在しなかった。
近似で、薬草学。特殊な効果を持つ草花を研究している。漢方に近い。
そして、液薬学。ポーションを作成している。しかしけがを治すものではなく、魔力回復といったものがほとんどだ。あとは補助魔法と同じ効果がでるもの。
ようするに、魔法が発展しているせいで、医学など発展しないのだ。
そりゃそうだ。聖女なんていう奇跡が存在しているなら、医学など生まれない。長年をかけて治療法を見つけるでもなく、一瞬で聖女が治療をしてくれるのだ。
治し方よりも、魔法の回数をどうやって増やすか、を考えるに決まっている。
だから、わたしは異端なのだ。
治癒魔法ではなく、回復魔法なんてものを極め、さらに昇華させようとしている。
でも、それが今、役に立つというのなら、喜んで、魔力をささげよう。
一歩。
一歩。
死を否定するように、地面に寝かされた男性に着実に近づいていく。
わたしのお父様に近い年齢だろうか。
近づけば近づくほど、わかってくる。
汚れた服に、汚れた肌。色々と便利だからか、もしくは服が破れてしまったのか、半裸に近い形で管理されている。
足には汚れた包帯のようなものが巻かれており、葉っぱのようなものがはみ出ている。薬草だろう。しかし、効果的には見えなかった。
羽虫が数匹、頬の横を通った。
肩がビクンと跳ね上がる。ふう、と小さく息を吐く。
おちつけ、マリエル・カフスレイヤ。
あなたは将来、主人公や攻略対象を脅かす、稀代の天才魔法使いになる。悪役令嬢として、命を奪われる。それでも最後は高笑いをして、首を斬られるじゃないか――こんなことで、怯える存在ではない。
怪我人の足元にしゃがむ。臭いがぐっと強くなるが、めげずに美少女に声をかけた。
「魔物特有の毒、かしら。」
指先で患部にふれる。人間の皮膚とは思えないほどに、ぶよぶよとしていた。
「毒じゃないって、村長が。魔物のどくなら全身がすぐにおかしくなるって……でも、魔物に噛まれると、次第にこういうふうになる人もいるって言ってました……すこしずつ悪くなって……死ぬって……」
「毒じゃない……すこしずつ……ああ、感染症……?」
なるほど。
毒蛇にかまわたわけじゃないけれど、蛇にかまれて患部が腫れるのと同じ。
それの、最上位のケースなのだろう。
「かんせん?」
当然、美少女にはわからない。
というか、この世界の人間には、理解できないことじゃないだろうか。
ウイルスなんて、わたしだって、前世で教えられてなかったら、理解もできない。
わたしは、極力簡単に、説明する。
「なんというか……人間には存在しない汚いものが、人間に入った感じかしら。傷口から、よくないものが入り込む感じね」
「あ、あの、それで、どうすれば……」
少女はおろおろとしている。
そりゃそうだろう。
わたしは「助けられるかもしれない」と宣言して、つれてきてもらったのだ。
なのに、何もせずに絶句しているのでは、どうしようもない。
わたしは体を侵そうとしてくる臭気を追い払うように、頬を両手でパチンと叩いた。
「っ!?」
ビクリと肩をあげる少女へ指示を出す。
「まず傷口を見てみましょう。汁が出ているなら、洗ってみる。ここ、水を使っても平気?」
「平気です」
「なら、わたしは包帯をとっておくから、水をくんできて。あと、お湯は用意できる?」
「あの、火が、ないです……」
申し訳なさそうな美少女を見て、反省する。
わたしは、「燃えよ」と一節を唱え、指先から小さな炎を出した。
「ま、魔法っ!?」
美少女が驚く。
わたしはたずね方を変えた。
「この通り、火種はあるから、燃やせるものを用意して。あと、お湯をわかすための道具はある?」
「村長に、かりてきますっ」
「あと、布ね。布もできれば、お湯で煮てから、水であらって、しぼってくれる? お父様の体を、なるべくきれいにしておきたいの。そういう細かいことでも、人間の回復力はあがるのよ」
「は、はい……おゆと、あと……そのまえに、かりてきて、ぬのと……」
右往左往する少女を、わたしは叱りつけた。
もちろん怒りからではない。
助けたかったからだ。
「一つずつでいいから、動くこと! お父様がどうなってもいいの!?」
「は、はいぃ!」
かわいそうだけれど、動いたほうが理解できることもある。
こうして、わたしの初仕事は唐突に始まったのだ。
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