8月の雪
@ace_joker
第1話
その駄菓子屋は小学校の通学路の傍にあった。放課後、子供たちで賑わい、子供たちは目を輝かせながらお菓子を選ぶ。老店主は一日の中で、最も忙しい時間であるにもかかわらず、とても幸せそうだ。
駄菓子屋では夏の間だけ『かき氷』を売る。かき氷一人前200円。値段は子供たちのおこづかいで十分買えるだろうと考えその値段にした。くたびれた年代物のやや錆の目立つかき氷機は、夏になると大活躍だ。
かき氷機から皿の上に降り積もる氷は、さながら季節外れの雪のようだ。子供たちは皿の上に積もっていく『雪』を嬉しそうに見つめている。やがて皿の上に山となった氷に、待ちきれなかったとばかりにひと際大きな声で、
「メロン、メロンかけて」
「わたしはいちご!」
「レモンもおいしいんだよ」
「じいちゃん、カルピスもあるんだよね!」
駄菓子屋の前には子供4人がギリギリ座れるテーブルが1つ。夏の暑さにもかかわらず、子供たちは体をくっつけ、楽しそうにかき氷を口に運ぶ。その様子を満足げな顔で「じいちゃん」と呼ばれた老店主は眺めていた。
老店主がふと目を外に向けると、1人の男の子が店の様子を見つめているのに気づいた。小学校低学年くらいだろうか?この辺では見かけないな?そう思っているとその子は老店主の視線に気づいたのか走り去って行った。
翌日も店は大盛況。テーブルにつけない子供は立ち食いだ。
「あー、頭痛え!」
「おまえ一気に食い過ぎなんだよ」
はしゃぎながらかき氷を食べる子供たち。そしてその様子を離れたところから見つめる小さな瞳が2つ。老店主はその瞳の持ち主が、きのうこの店を見ていた子供だと気づいた。老店主が声をかけようと歩き出したその瞬間、その子は逃げるようにその場を去って行った。
「この辺では見かけないんだよなあ・・・」
閉店後に店を片付け、やや遅い夕食を食べているとき老店主は1人つぶやいた。
「最近引っ越してきた子かな?」
店に来る”常連”は大概知っているが、どうにも【あの子供】が気になってしまう。明日も来るだろうか?もし、あの子供が来たら驚かさない様に少し話をしてみるか?
翌日、店は相変わらず忙しかったが【あの子供】は現れなかった。やがて閉店時間が近づき誰も居なくなった店を老店主は少しづつ片付け始めた。
「あの・・・すみません。まだ、お店やってますか?」
老店主の背中越しに、声をかけて来た人がいた・・・
声の感じから女の人だとわかったが、店を閉めようと思っていた老店主は
「申し訳ありません。もう閉店なんですよ」
振り向きざまにそう応えたが、そこには2人の人物がいた。髪を少し茶色に染めた若い女性。視線を落とすと・・・【あの子供】。2人は手をつないでいた。
「・・・帰ろうか・・・かき氷、今日は終わりだって・・・」
女性が申し訳なさそうに【あの子供】に向かってつぶやく。【あの子供】がつながれた手を力を込めて強く握った様子を見た老店主は、慌てて
「ああ!ちょっと待って!確かまだ氷があったはずだ!」
老店主が言うと同時に冷凍庫を開け中を確認すると
「よーし、これなら2人分作れる!」
老店主は慌てて、店の中にしまい込んだテーブルと椅子を外に並べる。
「ここに座って待っててください。今削りますから!」
老店主は急いでかき氷機のカバーを取り、氷を機械に固定すると勢い良く削り始めた。
皿の上に降り積もる季節外れの”雪”。【あの子供】は立ち上がり、機械の側に行くとその作業をじっと見つめる。
「邪魔しちゃダメよ!席についてて!」
女性が反射的に言うと、老店主は
「いいんですよ!どの子もこんな感じです」
やがて2人分のかき氷を作り終え、2人の前に並べる。
「そうだ!シロップ。シロップ!残ってるかな?」
老店主はシロップの入っている容器を次々確認していくが、申し訳なさそうに言った。
「あいにくとシロップが残って無くて・・・カルピスでもいいかい?」
女性が【あの子供】を、確認を求めるような目で見ると【あの子供】は大きく頷いた。
「構いません!この子はカルピスも好きなので!」
女性の声に安堵した老店主は
「良かった・・・今、出すから」
老店主は冷蔵庫からカルピスを取り出すと、2人の皿に山と積もった”雪”の上にカルピスをかけていく。カルピスがかかった”雪”は”みぞれ”になった。
【あの子供】はスプーンでかき氷をすくうと一瞬の間をおいて口に入れる。
「はぁー・・・冷たくておいしい・・・」
(素直な感想だ)老店主は思った。
【あの子供】は夢中で食べ進める。
「崇人!もっとゆっくり食べないと頭が痛くなるよ!」
その様子を見ていた女性が注意する。
(そうか・・・【あの子供】は
「さあ!お母さんも!氷が溶けないうちに!」
老店主は母親にもすすめる。
夢中でかき氷を食べる崇人。その様子を、時折慈しむように見る母親。かき氷を食べる子供は大勢見てきたが、こんなに美味しそうに食べる子供は、この崇人が初めてだ。
「あー。美味しかった」
そう言うと崇人が手の甲で口の辺りを拭う。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
母親もほとんど同じタイミングで食べ終わり、お礼の言葉を述べた。さらに言葉を続けて
「かき氷なんて15年近く食べてなかった・・・」
老店主はその言葉に
「大人になると何故か食べる機会がありませんよねぇ」
と応えた。
「あ、お店、閉めようとしてたのにすいませんでした。・・・あの・・・お会計お願いします」
母親の言葉に老店主は反射的に
「2人前で400円頂きます」
と応える。母親は財布の小銭入れを開け、真剣な目で硬貨を数え
「うん・・・なんとか足りそう・・・」
そう小声で呟いた。老店主はそのつぶやきを聞くと、何かを悟り
「ああ!でもシロップも無くなってたし、氷も残りものですし・・・今日のお代は結構ですよ」
その言葉を聞いた母親は
「いえ!そういうわけには・・・」
老店主は間髪入れずに
「いやー、氷を捨てる手間が省けて良かったです。ありがとうございました。ですからお代はいただけません!」
その言葉の後、間をおいて母親は
「申し訳ございません。ありがとうございます・・・」
そう言って頭を下げた。
「じゃあ帰ろっか・・・」
崇人と母親は手をつないで店を後にした。2人の後ろ姿を老店主はしばらくの間見つめていた。やがて気を取り直すと店じまいに取り掛かり始めた。
【親子】が来店してから1週間が経った。子供たちで相変わらず賑わう駄菓子屋だが、子供たちの相手をしながらも老店主はあの【親子】のことを考えていた。
(やはり最近引っ越して来たのかな?)
(400円を払うのに慎重になるということは、暮らし向きが楽じゃないのかな?)
そして一瞬間をおいて
(・・・また来てくれるだろうか?)
そう考えた刹那
「じいちゃん!かき氷!オレンジで!」
いつもの”常連”から元気な注文が来た。”常連”の注文を快諾し、氷を削る作業もどこかうわの空になる。子供たちの相手にてんてこ舞いになりながらも閉店時間が近づき、子供たちも皆家に帰って行った。老店主は大きく”伸び”をすると、店を片づけようと椅子から腰を上げた時、待っていたあの【親子】が来てくれた。
老店主は
「いらっしゃい!」
と言うと、母親はしどろもどろに
「・・・あ、あの、この子がまた”じいちゃん”のかき氷が食べたい!と言い出しまして」
「もちろん!お代は払います!この前の分も含めて・・・」
老店主は
「また来ていただいて、ありがとうございます。さあ、テーブルについて下さい!」
老店主は、崇人を見ると
「今日はシロップが全部あるから!どれがいい?ちなみに人気があるのは・・・」
と聞かれもしないのにシロップの説明を始めてしまう。
【親子】にかき氷を出すと、崇人は勢い良く食べ始める。その様子を老店主と母親は眺めていた。やがて母親が、促されたわけでもないのに話し始めた。
「私たち半年ほど前にこの町に越してきまして・・・この先のアパートに住んでいるんです・・・低所得者向けの・・・」
老店主は合点がいったという表情で言葉をつなぐ。
「・・・たしか区が管理?してるんでしたっけ・・・」
母親が言葉を続ける。
「この子の父親は酒を飲むとよく暴力をふるいました。始めは私にだけだったんですが、次第にこの子にも暴力をふるうようになって・・・」
母親は言葉を続ける。
「区役所に相談して、今のアパートを紹介されて・・・夫の居ない隙に2人で逃げてきたんです・・・」
(DV・・・というやつか・・・)
老店主はため息をついた。
(店に来る子供たちを見ていると”DV”など違う世界に思える・・・だが、現実にこうしてあるのか・・・)
母親は絞り出すように話を続けた。
「パートですけど仕事も区が紹介してくれて・・・日中は仕事をしなきゃいけないから、この子には毎日寂しい思いをさせてしまって・・・」
「ある日仕事から帰宅するとこの子が『じいちゃんのかき氷が食べたい!』と言い出して・・・」
老店主がその言葉に応える。
「・・・それでうちの店に・・・」
母親は老店主を一瞬、見ると言葉を続けた。
「仕事を終えて早足で家に帰って・・・それでこの子に『かき氷食べに行こう』て言ったら、この子すごく喜んでくれて・・・」
「それであの時間にお邪魔してしまったんです・・・色々ご迷惑かけてすいません・・・」
沈黙が辺りを包む。
「お母さん、客商売は”お金”を貰うだけでは続けられないんですよ。お金なんて所詮、物質ですよ・・・心の無い・・・」
老店主も思いをつづり始めた。
「駄菓子なんて1個何十円です。儲けなんかほとんどない。でもね、この店にやって来る子供たちの嬉しそうな顔とか楽しそうな様子を見ると元気を貰うというか・・・『明日も店を開けなきゃ!』そんな気になるんです」
「崇人君はかき氷を食べてるとき、とてもいい顔をしてくれるんです!どんな子供よりも」
「・・・だから、これからもお2人で店に来てください!かき氷を食べに・・・お代は崇人君の笑顔で充分です」
その言葉を聞いていた母親は老店主の顔を改めて見てみた。そして・・・
「・・・本当に、お言葉に甘えて・・・いいんでしょうか?」
老店主は満面の笑みで応える。
母親は立ち上がり何度も頭を下げた。そして、親子は家に帰って行った。いつものように手をつないで。途中、崇人君は一度こちらを振り返り母親に何か話していた。
いつものように店を片づけ、遅めの夕食を食べ老店主は布団に入った。
『じいちゃんのかき氷が食べたい!』
崇人君の言葉を思い出し、
(何度も店を畳もうと考えたけど・・・続けてきて良かった)
一人笑みを浮かべると、やがて眠りについた。
駄菓子屋は連日盛況で相変わらず老店主は忙しい日々を過ごしていた。
(これだけ客が来てるのに・・・儲けが出ないというのも因果な商売だ)
でも、もう店を畳もうとは思わない。子供たちが、あの親子が店を必要としてくれる。親子は週1日位の間隔で来てくれる。かき氷を食べるとき、崇人君はとてもいい表情で食べてくれる。その母親は最近、パートから正社員になったと話していた。正社員になることができて収入も増え、先日今までのかき氷の代金を払いたいと言ってきた。こちらがいくら固辞しても「払わせてください!」の一点張りで渋々受け取った。やがて小学校の夏休みが終わり、忙しさが一段落したとき、店を崇人君が訪ねてきた。それも一人で。崇人君は一枚の丸めた画用紙を手渡してくれた。
「夏休みの宿題でじいちゃんの店を描いたんだ。そしたら先生もクラスのみんなも上手に描けてるって褒めてくれたんだ。⦅はなまる⦆ももらったよ!この絵、じいちゃんにあげるよ!」
老店主は画用紙を広げてみた。画用紙の真ん中に大きく描かれた駄菓子屋。駄菓子屋の脇には・・・一人の男性。その顔はニコニコとしている。
(この男、俺かな?)
老店主はニヤつく。画用紙の右上には赤ペンで⦅はなまる⦆が描いてある。
「いいの?お母さんに見せなくても?」
老店主が崇人君に聞くと
「お母さんにはもう見せたんだ。お母さんが『じいちゃんに渡して来たら?』ていうからあげようと思って・・・」
崇人君はいつもの笑みをみせている。
老店主は、
「ありがとう・・・じいちゃんの宝物にさせてもらうよ・・・」
崇人君は
「じゃ、僕は家に帰るね」
崇人君は駆け足で家路に向かうが、すぐこちらに振り返り
「じいちゃん!かき氷ありがとう!また来るね!」
今度は振り返らずに駆けて行った。
崇人君の後ろ姿を見送ると、老店主は店の奥の茶の間に上がった。踏み台を出し画用紙を天井の近くの壁に画鋲でとめると改めて崇人君の”名画”に見入る。
「この店が”表彰”されるなんてなぁ・・・つくづく客に恵まれてるよなぁ」
「店・・・畳まなくて・・・良かった」
老店主は感慨を胸に店に戻って行った。
もうすぐ夏も終わる。夏が終われば、かき氷機は来年に備えて簡単なメンテナンスをしてしまわなければならない。そして椅子に座りながら老店主は一人呟いた。
「そうか・・・俺は子供たちに生かされ、活かされてここまで来たんだなぁ」
「・・・つくづくいい人生じゃないか・・・」
終わり
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