23話「聖水とは……」

 深月が呪いを払うという行為に若干の恐怖を抱いていることを知ると自然と独り言が口から出て行くのだが、シスターブレンダ曰く今から本格的に呪いを払う行為が始まる故に口を閉じて黙るように念を押してきた。


 そして俺は口を固く閉じて頷いて返事をすると、彼女は光り輝く十字架を自らの額へと近づけて両の瞼を閉じながら呪文のような意味不明な言葉を小声で囁き始めた。やがて詠唱のような言葉が三分ほど続くと急にブレンダは左手を伸ばして十字架を深月の元へと向ける。


「呪いの名を大天使トゥゲエルに仕える者の前に示せ! ヴァールハイト!」


 その言葉を力強い表情を見せながら覇気が上乗せされた声で彼女は言い切ると、それは魔法の一種なのかは分からないが明らかに先程まで流れていた教会内の雰囲気が変化したことを悟ることができた。


「……っ」


 教会内の雰囲気が鉛のように重く冷たい感じへと変化したことで恐怖という感情が体の内側に芽生えると、視線を至る方へと向けて気を紛らわせようとしたのだがどうやら異変はそれだけで済みそうにない。


「ぬぁっ!? な、なんだこれはっ!?」


 視線を至る方へと向けることで恐怖心を誤魔化していたのだが、不意に視界の端でありえない光景が映ると何故か引き寄せられるようにして視線を向けてしまった。

 

 だがこれがそもそもの間違いであり、この異変という謎の事象を全て認めざる得なくなった。

 そしてブレンダから口を閉じるように言われていたことも、この時即行で禁忌を破ることとなった。


 そう、今現在俺の視界の真ん中には絶対に有り得ない現象が起きていて、それは深月を取り囲む蝋燭達が突如として自我を得たように主張を行い始めていたからだ。


「な、なんで風もない建物内でこんなにも大きく火が揺らめいてるんだよ……」


 蝋燭に灯された火が荒れ狂うように揺らめく姿を見て思わず生唾を飲み込むと十中八九、明かり確保の目的で灯された訳ではないだろうそれらは無風にも関わらず灯火を大きく左右に揺らしているのだ。それはまるで何者かが扇で左右から力強く仰いでいるようにすら見える。


「えっ、えっ!?」


 それから時を同じくして異変を察知したのか深月は困惑した様子で声を出しながら顔を合わせてきた。だがその気持ちは俺とて同じであり、なんならこのホラーな展開に先程から足の震えが止まらないぐらいである。……というかこういう光景を某恐怖映像で見た気がするのだ。


「動かないで! その場でじっと大人しくしていて下さい!」


 しかし俺達が目に見えて取り乱し始めたことから、ブレンダが大きな声で注意するとそれは教会内に響き渡るほどの声量であった。

 

「は、はいっ!」


 彼女の声に圧倒されたのか深月は返事をしながら慌てて背筋を伸ばして姿勢を正しくさせていた。ちなみに俺はブレンダの声量により心臓の鼓動が一回だけ止まり軽く死にかけたぞ。

 ……まったく、大声を出すならば事前に何か一言ぐらい欲しいのだけどな。


 ――けれど蝋燭に灯されている火の異様な動きが徐々に静まり出すと、怪奇現象にも似たそれが収まるのを目に見えて実感できて心の中に僅かにだが余裕が生まれた。


 本当にさっきまでの現象は某ホラー映画と同じ展開でなんら変わりはないのだ。

 これであとは悪魔的な存在が出てきたら、それこそノンフィクション映画の完成だろう。


「やれやれ……。まったくもって肝が冷える体験だったな。まだまだ夏はさきだっつーの」


 そう軽口を叩きながら肩を竦めて先程までの異様な現象を片付けようとする。

 だがその瞬間――教会内に「エルド王……」という聞いたことのない声が耳元で囁かれた。


「ひぃっ!? だ、誰だよ! 悪ふざけは大概にせえよ!」


 そして咄嗟に自身の耳元を抑えながら深月とブレンダに向けて文句を言い放つが、それは決して有り得ない事だと自分自身が一番理解していた。

 何故なら目の前に二人が居る状況で隣から声が聞こえてくる訳がないからだ。


 これは俺が本能的に幽霊などの類を否定したいが故に、敢えて現実を認めないようにして相方達のせいにしたのだ。だけどその深月達ですら同じ声を聞いたのか、明らかに動揺している様子で表情を恐怖の色に染めていた。


「さっきの声は一体なんなんだよ……」


 耳元で囁かれた声が到底人の出せるものではないとして、本能的に理解出来るからこそ更なる恐怖が体を蝕んでいくのが分かる。そしてこれは肝心なことだが、この教会に居るのは俺と深月とブレンダの三人だけである。


「エルド王……そんなまさか……」


 神妙な面持ちでブレンダが言葉を呟くと、それは明らかに不穏な雰囲気を漂わせていた。


「えっ……。ちょ、ちょっとブレンダさん!?」


 しかし深月はその言葉を聞き逃すことはなく、彼女の様子を見て最悪な展開を予想したのか声が若干震えていた。


「だ、大丈夫です……。なんとかしてみせます!」


 そしてブレンダは手にしていた十字架を握り締めるが、その返事を聞くに彼女の現状の力では呪いを払うという行為は難しいのだろう。

 それはブレンダの声色や表情、全ての仕草を見ていれば素人でも分かることである。


「もはや一周回って変に冷静になれるな……。これも怪奇現象の一種か?」


 無駄に思考が鮮明となると先程までの恐怖心はまだ僅かにあるのだが、それでも落ち着いて周囲の状況などを把握することが可能となった。


 これが一体どういうことなのか分からないが、冷静に物事を見極める事が出来るのならば有難いことだろう。特にこういう状況下ではな。


 だがそれでもブレンダが呪いを払うという行為を諦めないのであれば、あとは彼女を信じて全てを任せるしか手は残されていないだろう。なんせ他に相方の呪いを解く方法なんて知らないからだ、


 ――――それからも呪いを払うという行為は継続されるとブレンダは十字架を聖餐卓の上へと置いて、代わりに今度は透明な水が容器一杯に満たされた小瓶を手にしていた。

 一体それは何に使う為の道具かと眺めていて疑問に思うのだが、


「今からこの小瓶に注がれた聖水を全てミツキさんに浴びせますので服を脱いでください」

 

 彼女は凛とした表情を見せつつ堂々した声色で小瓶の中の正体を告げるのであった。

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