本編

第2話 死に戻り――楽器職人アマリア

 ミシェルには前世の記憶がある。

 ただしそれを「前世」と呼んで良いかは、判断保留案件だった。


 * * *


 前回死んだのは、王国暦七三八年。

 現在生きている世界は、六九八年。


 この時間差は、単純に「ミシェル・シャルダン公爵として生きて死んで、ある時点まで記憶を持ったまま巻き戻った」というわけではない。文字通り「前世」はべつの人間として生きていたのだ。現在の時間軸からすると、まだ生まれてもいない未来の人間である。


(死んでから、過去に生まれ変わっちゃった、みたいなんだよね……。ミシェル・シャルダンは、私にとっては歴史上の人物。王宮への反逆を画策していたとか、政争に負けたとかで処刑された、最後のシャルダン公爵。まさか、実際は男じゃなくて女だって秘密まで隠していたというのは、この体の持ち主になって初めて知ったけど……)


 ミシェルの以前の名はアマリア。街場の楽器工房の楽器職人。享年二十八歳。

 最後に手掛けた仕事は、ミシェル・シャルダン公爵の遺品であるヴァイオリンの修理・修復だった。


 楽器職人の仕事というのは、楽器を作るだけではない。工房に持ち込まれる楽器類を直すのも重要な仕事である。アマリアは特に、その分野で腕利きであると名を揚げたために、制作よりも直しの作業で忙しくなっていた。シャルダン公爵のヴァイオリンは、没落貴族の蒐集品を専門に扱う商人ジャンピエトロ・パガーニから、指名で受けた依頼だった。

 名工の銘が入ったそのヴァイオリンは、工房に届いた時点で見るも無惨な有様であった。



「シャルダン公爵が処刑され、家が没落した後、王宮から派遣されたのはおよそ真っ当ではない管財人だった。生前の公爵は貴族の中の貴族。その矜持にかけて宮廷貴族の奢侈を批判したために、敵が多かったんだ。王宮への反逆罪というのも、捏造だって噂もあってね……。とにかく、非業の死を遂げた後、その財産も食い荒らされ、貴重な調度品や何やらも闇に流されて散逸した。これもその中のひとつ。見つけたときには、もうこの状態だった」


 商人のジャンから楽器の来歴の説明を受けつつ、ヴァイオリンの状態を確認していたアマリアは、思わず眉間にシワを寄せて渋い表情になってしまった。


「セラック系のニスがベタ塗りされているけど、イグナツィオ・ピアンジェレッリのニスの塗り方とは明らかに違う。出処を辿れないように見た目をいじったのかな……。だけどここまですると、音にも影響があるはず。これだけしておいて、ピアンジェレッリの銘を残しているのは、そこで価値に大きく差が出るからってこと? 小賢しい」


 修理でも修復でもない加工が施されている。そう指摘したアマリアに対し、ジャンは感心したように二、三度頷いてひげの生えた口元に笑みを浮かべた。

 ひげのおかげで胡散臭く年齢不詳の印象のあるジャンだが、声は若い男性だ。


「さすがの目利きだな。おそらく君の推測の通りだ。シャルダン公爵は死に際が悲惨過ぎるから、特に貴族は縁起が悪いと忌避するだろう。だが、物は良い。だから手っ取り早く見た目をごまかしつつ『新発見のピアンジェレッリ作』として売ろうとしていたと、考えられる」


 そこまで聞いて、アマリアは訝しむように目を細めて商人を見る。


「ごまかしてまで売ろうとしていたものを、私が修復したとして。その後の売り先のあてはあるの? これは庶民が買えるようなものではない。売るとしたら貴族だよね? シャルダン公爵家から流れてきた品と明らかにして大丈夫なの、あなたの商売として」


 壊れたものを直すのが修理であり、可能な限り元の状態に近づけるのが修復。アマリアの技術は「修復」に比重がおかれている。

 この場合はニスを一度落として、本来の制作者が使用していたニスを塗っていくことになる。「原型」に近くなれば、見るひとが見たときに出処まで気づく可能性はあった。

 アマリアの問いかけに対し、ジャンは声もなく笑って「心配ない」と答えた。

 かくしてアマリアは、シャルダン公爵のヴァイオリンの修復を引き受けたのだ。


 その仕事をやり遂げる前に、アマリアは命を落とした。

 仕事に熱中し、深夜の工房にひとりで残っていたとき。作業開始時から気になっていた裏板の一部の不自然な厚塗りのニスを落としていたところ、そこに何かが塗り込められていることに気付いたのだ。もともと小さな紙を折りたたみ、板と合わせた色を塗り、さらにニスで塗って貼り付けていたようだった。


(紙片……?)


 持ち主が悲惨な死に方をしている、いわくつきの楽器。そこに隠されたメモ。一体何が書かれているのか――。


 アマリアの記憶はそこで途絶えている。メモの中身を見たかどうかも覚えていない。ただ、気づいたときには何者かが背後に立っていた。振り返ろうとしたときに鈍器のようなもので殴られて意識を失った。


 * * *


 次に目覚めたときには、十歳の「ミシェル・シャルダン」になっていたのだ。


 鏡に映るのは、黒髪にヘーゼルの瞳。

 もとのアマリアとは似ても似つかぬ、生まれつきの貴族とはかくやという整った容姿。少年の見た目ながら、すでに並々ならぬ威厳と貫禄が漂っていた。

 そして、表情筋がとても硬かった。

 長年ろくに笑ったこともないのでは、というほど頑固な無表情のおかげで、アマリアは転生における動揺を、奇跡的にさほど表に出さずに済んだ。ミシェルの身分を考えれば、不自然なほどそば仕えが少なく、ひととの接触が最小限だったのも幸いした。幸か不幸か、両親ですらも、中身の入れ替わりに気付くことはなかった。


 アマリアは、ミシェルとして慣れぬ生活を送りつつ、調べられる限りのことを調べた。

 そして、ここが紛れもなく自分の記憶にある時代より前で、元の体の持ち主は、最後のシャルダン公爵で間違いないだろうという結論に至った。


(元の私、アマリアが生まれた年に、ミシェル・シャルダンは死んでいる。だとすると、この体でそこまで生きて死ねば、アマリアとしてもう一度生きられる未来があるのかもしれないけど……。ミシェルの死は、本当に回避できないのかな? 私はどうすれば良い?)


 このまま死んで、本来の自分に戻れるのなら、次はで命を落としたくない。職人としてやりたいことはまだまだあったのだ。

 一方で、別人になったのなら、別人として生きるのも悪くないか、とも思う。最初はうまくいかないことも多かったが、ようやくミシェル・シャルダンに慣れてきたのだ。

 ミシェルが死んでもアマリアに戻れる確証などない以上、未来を知るアドバンテージを生かして、ミシェルを死なせないで生き延びるというのはどうだろう。


 運命に抗えるのか、という不安は大いにある。

 何をどうしても、結局のところ二十二歳で死ぬのではないか? それも、王国史に残る悲惨な死に方をするのだ。

 その後、家そのものが没落ということは、残された一族郎党ろくな目に遭わないはず。


 アマリアはさほど歴史に詳しくないせいで、ミシェルに関する知識は一般常識と商人のジャンに聞いた程度のことしか知らず、結婚していたのかどうかすら把握していなかった。

 ただ、没落回避の見込みがないうちは結婚しない、というのがアマリアの考えだった。

 それゆえに、婚約者候補や候補になりそうな相手から話しかけられようものなら、極端なほど冷淡にあしらった。


 厄介なことに、そうした方が良い理由は他にもあったのだ。

 ミシェルは、というとんでもない秘密を抱えていたのだから。


 この国では爵位は基本的に終身であり、当主が亡くなればその人物にもっとも近い男子が爵位を継承する。もし男子がいない場合、血縁をたどって叔父や従兄弟、もしくはもっと遠縁の……と継承者を探すことになり、思わぬ人物に爵位が転がりこむといった事態も、ないわけではなかった。しかし、公爵位ともなれば、そんな不確かな継承が許されるわけがない。


 親から息子へ、間違いなく受け継がれなければならないのだ。

 つまり、跡継ぎとしての男子は絶対条件。

 ミシェルに兄弟はいない。アマリアの知る歴史では、公爵家の嫡男として、この先の未来で公爵位を継ぐ。女性であることが明るみになれば、大問題だ。そのため、屋敷の少数の者だけで秘密として共有し、隠し通そうとしていたのである。


 婚約からの結婚となれば、秘密が知られる危険性は高まる。

 現シャルダン公爵もそれはよくわかっているのだろう。婚約者候補の名前こそ上がるものの、具体的に話を進めるそぶりはなかった。ミシェルが女性を寄せ付けないのも、黙認している節があった。

 アマリアとしては「果たしてこの状態でどこまでいけるか」と悩んでいたが、やり切るしかないと覚悟していた。


 そんな中で、茶会の席で顔を合わせたフレデリクに諌められたときに、ふと魔が差した。


 ――私の理解者はお前だけだな。お前がいればもう他に誰もいらない気がしてきた。


 大げさな口説き文句が、するりと口から出た。言ってしまってから、アマリアはあっけにとられていた。

 まるで、アマリアの意思を超えた、何者かがそれを言わせたかのような感覚があった。

 自分には、フレデリクが必要なのだ、と。


(ミシェル?)


 アマリアがこの体を乗っ取ってしまって以来、どこかに消えてしまったミシェルが、目の前の少年を口説いていたのだろうか?


 ――俺はミシェルを愛する。というか、もう愛していることに気付いた! 


 そしてフレデリクからの、まさかの返答。


「あんな反応されるなんて、普通考えないだろ……。ミシェルが女性だと、知っているわけでもないだろうに……」


 ここは、子ども同士のじゃれあいで、その場限りの冗談ということにしてほしい。周りだってそのつもりだろうし、おおごとになどなるはずがない。

 そう高を括っていられたのもごくごく最初のうち。


 もともと知り合いだったミシェルとフレデリクの交流はその後も続き、突き放すこともできないまま二年が過ぎるうちに、アマリアは否応なく知ることになるのだ。


 フレデリクは、ヴァイオリンの名手であると。

 しかも彼の愛器は、アマリアにとってあまりにも見覚えのあるもの。ニスによって塗り固められる前の、イグナツィオ・ピアンジェレッリ制作のヴァイオリンだったのだ。


 そのヴァイオリンに導かれるように、フレデリクをもまた、ミシェルの運命に巻き込むことになるのだった。


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