死に戻りのアマリア
有沢真尋
プロローグ
第1話 冷徹公爵仕草が通じない
シャルダン公爵家の嫡男ミシェルは、ときの女王陛下から「花の貴公子」の名を賜った目のさめるような美少年である。
艷やかな黒髪に、澄んだ硝子のようなヘーゼルの瞳で、このとき十歳。
冷ややかな美貌は研ぎ澄まされていて、眼光は鋭く、並み居る大人にひけをとらぬほど、超然としている。
ほっそりとしたうなじから、やや華奢な肩から背中まで線が細いことから、服装が違えば少女にも見えたであろうが、容姿に触れる発言は彼のもっとも嫌うところであった。
たとえ他意なく褒め称えようとも、凄まじい眼光で睨みつけられ、黙らされるというのが彼の行く先々では起きている。
それでも、実際に彼の激昂を目にしたことがない者は、まさかそこまで怒らないだろう、噂は大げさなのだと勘違いして、声をかけてしまうのだ。
お美しいですね、と。
* * *
「失せろ小娘。それ以上、私にそのしけた面をさらすな」
公爵家の嫡男にして、次期公爵であるミシェル・シャルダンの一言に、光あふれる薔薇園での茶会の場が、一瞬にして体感温度氷点下まで冷え切った。
言われたご令嬢はといえば、真っ青になって唇を震わせている。目も潤んでいて、決壊寸前といった様子。いまにも、昏倒してしまいそうだった。
真横でそのやりとりを見てしまったフレデリクは、唖然として食べかけのカスタードタルトをぽろりと取り落とした。
(え……ええーーーーっ!? ミシェル、初対面の相手に、それはさすがに感じ悪すぎるだろう!)
発言の主は、フレデリクの友人ミシェル。
まだ大人ではないが、分別らしきものはあってしかるべき年齢である。
しかし、その涼しく整った横顔には、どんな後悔も浮かんでいない。やるべきことをやったという不遜さだけがある。いわゆる、取り付く島なしという態度だった。
フレデリクはミシェルを見て、泣きそうな令嬢を見て、とりあえず落としたタルトを拾おう……と考えてから、ようやくそんな場合ではないと気付いた。
「ミシェリュ(噛んだ)……、言って良いことと、悪いことが世の中にはあってね」
ミシェルは、フレデリクの顔を無表情に見つめてきた。そこはかとなく、圧があった。
(だめだ、この気迫に負けている場合じゃない。きちんと言わないと)
ぐずぐずして、ミシェルに「これは良いことだ」などと言わせてしまっては手遅れだ。
そうやって、身分と権力に任せて、周囲の人間の顔を潰す行動をしていては、後でどんな手痛い目に遭うかわかったものではないのだ。
少なくとも、侯爵家の次男であるフレデリクは、貴族の機微のなんたるかをそう教わっていた。ミシェルの受けている教育の質が自分のそれより悪いとは思わないが、ここで暴言を聞いてしまったのも何かの縁。
素知らぬふりでやり過ごすのも良くないと、すっと息を吸い込み、口を開く。
発言は、ミシェルの方が早かった。
「これは私の父が母によく言っている。つまり『言って良いこと』なのだ。私の父はシャルダン公爵だ。十歳の子供にもわかる間違いなど犯すはずがない」
「……っ」
フレデリクが言おうとした言葉は、喉の奥に詰まってしまい、出てこなかった。
心の中では、おおいに叫んでいた。
(一切合切全部間違えてるよって言いたい! メチャクチャ言いたい! だけどそれをこの場で俺が言うと、ミシェル飛び越えてシャルダン公爵の顔を潰すことになるのか!? 難しすぎるだろ政治的判断! 子どもの喧嘩に大人出て来んな! そもそも父が母によく言ってるってなんだ、公爵家の日常会話どうなってるんだ。子どもの前でそんな話をするなっ! 即行で仲直りしろっ!)
ものの一秒ほどの間に心の中で散々騒ぎ倒して、フレデリクは咳払いをする。かろうじて、周囲を意識し、笑みを浮かべてみせたのは貴族の意地。
フレデリク・デュヴァリエ。プラチナブロンドにアイスブルーの瞳。ミシェルと同じく十歳にして、やはり女王陛下から「花の貴公子」の異名を授けられた紅顔の美少年、なのである。この年その二つ名で呼ばれた少年は、二人いたのだ。
(俺の笑顔にはそれなりの、場を和ませる、効果があるはず……)
そう信じて、フレデリクは明るい声で言った。
「公爵ご夫妻の関係と、君とこちらのご令嬢の関係は全然違うね? 名前も知らない間柄で、夫婦のマネごとみたいなことはどうかと思う」
「ん。名前を知らないというのは嘘だ。彼女はマリアンヌ・ラポルト。私の婚約者候補だ。あくまで候補のくせに、気安く色目を使ってきたのが気に障った」
「あっははははは、ミシェル、おもしろい。実に面白いなぁ!」
笑うしか、無かった。笑い声で発言を塗りつぶすつもりで大げさに笑って、心で泣いた。
(俺は無策無能……、ここまで場をぶっ壊されて、取り返す方法なんてあるのか? さっぱり思いつかない)
ひとまずミシェルを連れて去ろう。そうしよう。
そのつもりで、フレデリクはミシェルの肩に腕を回す。なんだ、と言いたげに視線を向けてきたミシェルであったが、質問の隙を与えてなるものかとフレデリクは「花を摘みに行こうじゃないか!」と爽やかに言った。
「構わないが。お前の最終判断としては、私は顔色を無くした女を放って、ここで立ち去るべきってことなんだな?」
「わぁ……! 俺を追い詰めるためだけにたった今この場でそんな言い分を思いついたなら、ミシェルは厄介事の天才だと思う!」
「褒めるな。嬉しくなる」
ははっと軽やかに笑われて、フレデリクは奥歯を噛み締めた。切実に言いたい。デレる相手を間違えていると。しかし、フレデリクはそれなりにわきまえた性格なので、思いついたことがあっても理性でこらえて呑み込む。一方のミシェルは、まったく躊躇しなかった。
「私の理解者はお前だけだな。お前がいればもう他に誰もいらない気がしてきた」
「ん? んっ?」
「婚約なんていっそやめにしよう。もしどうしてもというのであれば、私はお前と婚約をすることにする」
「んんんんんっ?」
理解が追いついていないわけではない。何かしら、ろくでもないことに巻き込まれているのは気付いている。その上で「冗談ならそこまでに」とミシェルに対して牽制しているのだ。
見返してきたミシェルの目は、真面目そのものだった。
「お前となら、いけると思う」
「いけなくなくないですか?」
「いけなくなくないって結局どっちなんだ? いけるって方向で良いか? いいな。決まりだ」
「ミシェルッ!」
フレデリクに叫ばれようとも、ミシェルは特に発言を訂正することもなく。
にこにこと笑って「さ、花摘み花摘み」と歩き出した。置いていかれては堪らないと、フレデリクはその背を追う。それから、(女の子を置いていくのもいけない!)と気付いて、傷心のご令嬢を目で探した。
「いってらっしゃいませ」
ばっちり目が合ったご令嬢には、フレデリクから何かを言う前に、明るく送り出されてしまった。
(いってらっしゃいませって、どこへ)
改めて顔を向ければ、少し離れた位置からミシェルが見ていた。
フレデリクより小柄で、いつも冷めきった目をしていて、不仲の両親の真似事をして婚約者候補を冷たくあしらってしまう、美しい幼馴染。フレデリクは、胸に痛みを覚え「うっ」と口元を手で押さえてしまった。
(もしかして、両親の不仲のせいで婚約や結婚に懐疑的になっているのか? なんて不憫なんだ、ミシェル。それで俺となら婚約しても良いって? そうか)
そこまで言われておいて、細かいことをいつまでも悩み、その挙げ句断ってしまうのは男がすたるというもの。
婚約するにあたり問題と言えば男同士ってことくらいかな、とはさすがに気づいていたが、黙殺した。
フレデリクは決断を下して、勢いよく言った。
「わかった! 婚約しよう! 俺はミシェルと婚約して、結婚する!」
* * *
(……嘘だろ……)
ミシェルの幼馴染である「花の貴公子」フレデリクは、ミシェルがゴリ押しした無理難題に力ずくで答えを出してきた。宣言してしまったらスッキリしたのか、その後はやけにてきぱきとした調子で話を続ける。
「早速、シャルダン公爵と話を進めてくれるよう、父上にお願いしてくる。善は急げ」
「待て。急ぎ過ぎだろ……ッ」
颯爽とどこかへ行ってしまいそうなフレデリクに、ミシェルは慌てて食い下がった。仕立ての良いジャケットの裾をなびかせ、すぐ隣へと走り込む。並ぶと、すでに身長差があって、視線を上向ける位置関係になった。
「き、君、どうしていま、婚約を決断した? できるわけないだろう、男同士だ」
「できる」
あまりにもきっぱりと言われて、ミシェルは言葉を失った。フレデリクはそのミシェルに構うことなく、自分の胸に手を当てて言った。
「努力する。俺はミシェルにふさわしい男になる」
「ふさわ……えっ」
努力では超えられない壁があって、ふさわしい男になっても「公爵家嫡男」のミシェルにとって必要な伴侶は「跡継ぎを生む、公爵家にふさわしい女性」なのでは……。
ミシェルの動揺をよそに、フレデリクは静まり返った周囲の空気すら気にする素振りもなく、青空から注ぐ日差しの下、白皙の美貌に甘やかな笑みを浮かべてミシェルを見つめてきた。ミシェルだけを。
「俺はミシェルを愛する。というか、もう愛していることに気付いた! 小さいときから仲睦まじく付き合ってきた友人の俺が相手なら、ミシェルはひどいことなんて言えないはずだ。二人で現公爵夫妻を超えていこう! むぐ」
飛びついたミシェルが口を手でふさいだせいで、フレデリクは苦しげに息を詰まらせた。悪いことをした、とは思うもののミシェルはそれどころではない。
「それはさすがにやめておこうか! 親世代に対する、下剋上発言は何かとまずい!」
「ぷはっ。愛で世界を変える」
「革命だと!? もういいから黙れ!」
ミシェルは、気が遠くなってきた。
(彼はフレデリクと言ったっけ? ミシェル・シャルダンの友人。次から次へと危険なことばかり口にして! 一体なんなんだ、貴族ってこんな変なひとばかりなのか……!?)
もう一回口をふさいでしまえと思ったが、間近な位置でにこりと微笑まれて、ミシェルは動きを止める。美形というのは、成長の途上どこをとっても完成された容貌なのだろうか。十歳にしてすでに、凄まじく破壊力のある、色香漂う笑顔だった。
目が合っただけで、ぞくっと背中に寒気が走る。
(公爵家嫡男のミシェルが、実は「女性」であると知っている人間はいないはず。友人だって知らないはずで、彼にとっての私は「男」だ。貴族にとって跡継ぎ問題は避けて通れないとすれば、男同士で結婚なんてありえないはずなのに。なぜ承諾した? というか
焦るミシェルをよそに、フレデリクはミシェルの手を取ると、指に口づけた。
「君にも、俺を愛していると言わせてみせるよ……!」
もはやミシェルは言葉もなく、呆然と立ち尽くしていた。
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