第4話:発動、禁制古代語魔導

 洞窟の入り口に戻り、トレスは一つ深呼吸をする。

「さて、始めるわ。みんなは少し離れてて」

「りょぉかい」

 フューの声に頷いて、トレスは精神集中を始める。細剣レイピアを抜き、逆手に持つと柄頭に設えられているアメジストに良く似た旒刻石の結晶が淡い光を発する。魔力と精神力、気力を補助する力を持った石で、旒勁りゅうけい使いの武具や魔導師の杖などに用いられている物だ。

 神経を研ぎ澄まし、静かに魔神言語の呪文詠唱を始める。

「始まった」

 魔神言語は呪文として詠むと言葉では言い表せない音になる。魔神言語を文字として見た時に、それが発音できるかどうかで魔神言語を使えるかどうかが判る。かつては誰もが会話として使っていた、失われてしまった言語で、灰世紀の魔導師達はその失われた言語を音として復活させた、という説もある。またその失われた言語には古代語魔導とは全く別の効果を発揮する、欠落の残響ヴォイドエコーという言語も存在し、トレスは一語だけ、その欠落の残響を扱うことができる。

「聞いたことない言葉だ……」

「言葉っていうよりも音だよな、これ」

「そうね、生物の声帯から出てる音とは思えないけれど」

「これが魔神言語の呪文詠唱なんだ……」

 フェイリック、シーク、フュー、リーファが控え目な声で口々に言う。トレスの耳は会話を捉えてはいるものの、単純に耳に入っているだけで、集中は途切れてはいない。

「長いね……」

「禁呪だからね。高速詠唱なんて以ての外だし、集中を邪魔しちゃいけないわ。少し口を噤みましょ」

 そうフューが言って程なく、呪文詠唱を終える。一字一句間違えてはいない。トレスの両手に魔導力が宿る。あとは魔導発動のための最後の言葉を紡ぐだけ。閉じていた目を開けると、まずは頭上の岩盤に左手を翳す。

空間力場崩壊の魔導ホロウディスインテグレイト……!」

 無色透明だが、僅かに空間を区切るラインが走る。意識を集中し、右手も添え、空間を崩壊させる力場を地上よりも上方、頭上の岩盤に定める。

「!」

「天井が抜けた!」

 背後でシークが声を上げる。

「みんな、消えてく……」

 頭上の岩盤が、まるで風化したかのように塵と化して行く。重なり合っていた岩盤がバランスを失い次々と落ちては空間力場崩壊の魔導の中に入り、塵と化して行く。

「岩盤が消えるのは見て判るけど、何が起きてんだ?」

 砂のように崩れ去り、その砂すらも残さずに崩壊して行く様を目の当たりにしても、シークにとっては理解不能なのだろう。

「あれが無、って言われてる現象ね」

「無……」

 フューが答え、リーファが戦いた声を上げる。

「無、何もないから認識できないって言われてるわ。見えていても見えていない。あそこには何もないから、視認することはできない。そこに入ったらもしかしたら何かを認識できるのかもしれないけれど、何かを認識した時点でそれは無ではないってことね」

 フューにこの魔導のことを話したのは随分と昔のことだ。フューはフューなりに無について調べたのかもしれない。

「入ったその場で、無になる?」

 判らないながらもフェイリックが言う。

「そうね。実際あれが無だって言えるのも魔導が働いてるから、禁呪と無の境界を認識してるだけ」

 トレスが指定している範囲の中に入った岩盤が塵と化す。術者のトレスですら外側から見ているだけではその状況しか判らない。

「実際にはあの魔導の中が無であるだろうという推測でしかないってことですか?」

 リーファはそれとなく理解しているようだ。リーファも精霊魔導師だ。精霊魔導とは異なる魔導ではあるものの、興味とある程度の理解はあるのだろう。

「そういうことね。誰も、何者にも証明する術がないから」

「なるほど……」

 頭上の岩盤は片付いた。あとは先ほどリーファ達がいた場所までの、既に崩落し、通路を塞いでいる岩盤を崩壊へと導く。

「だからこそ禁呪、なんだね」

「そうね」

 単純に強大な火力を持つ魔導、天空より流星を降らせる魔導、術者自身の身体を触媒として悪魔を呼び出す魔導、重力を操る魔導など、禁制古代語魔導は多岐に渡る。アインスがこれまでに発見し、封印してきた魔導書や巻物、強力な力を持った遺物は数知れないが、それでも氷山の一角だろう。

「……ふぅっ」

 床と壁、粗方の岩盤を消し去り、リーファ達が閉じ込められた部屋のような部分の壁以外は吹きさらしの地となってしまった。これでは下級魔族どころか獣ですら住処にすることはできないだろう。

「終わったわ。魔導が完全に収束するまではもう少し時間がかかるけど」

 空間に歪みを生じさせている部分をちょい、と指さしてトレスは苦笑する。まだもって空間力場崩壊の魔導は効果が残っている。範囲を最小限に縮め、何もない、上空に止めてはあるが、その間も範囲内の空間が消滅している。空間を消滅させるということが世界にどんな影響を与えるのかは不明だが、その空間にある空気や気圧等、あらゆるものが塵となり崩壊して行くのだ。こんなことが、世界に全く影響がないということはないだろうとトレスは考えている。

「お疲れ、トレス」

 流石に少々の魔力は消費したように感じたが、それほど疲れた訳でもない。空間力場崩壊は禁制古代語魔導の中でも制御はし易い方だ。

「少しずつ小さくなってる?」

 上空に浮かぶ魔導の効果を見てリーファが呟くように言う。

「えぇ、効果時間はそう長くないから時期収束するわ」

「なんか、無がある、とか何もないって感じることもできないね」

 フューの話を受けてか、リーファにも概念的なことだけは判っているようだ。

「無っていうのは概念的な話になっちゃうけど何もないってことだから、そもそも何もないなぁ、っていう認識すらできない物よ」

 何もない、と感じればそれは何もない、と認識しているので、、がそこにはある。

「色がないっていう感じとも違うもんな」

「色がない、って感じられたらそれは無じゃないからね」

 シークもそれとなくは感じているのか、リーファと同じく上空を見上げる。

「そっか。あそこだけ色がない、ってなったら色がないって事象がそこにある、ってことだもんね」

 フェイリックも首を捻りつつ言う。

「そ。本来の無っていうのはそういうことなんだと思う。今見ている無はあくまでも禁呪の副産物。禁呪を行使したから無が発生している、もしくは無としか言い表せないから、便宜上そう呼んでいるだけ」

 何も、捉えることも感じることもできない。無を研究している魔導師は昔からいるし、魔導学院でも無の研究は長年続けられているが、その心理に辿り着いた者はいない。或いはいたのかもしれないが、それこそ無になってしまった可能性もあるのかもしれない。

「それも禁呪を目の当たりにしてないと訳が判らないな」

「確かに……」

 シークとフェイリックは大きく首を傾げる。理解できないことに思いを馳せるのは研究者として必須ともいえることだが、冒険者として早く一人前になりたいと思う彼等にはあまり関連はない事象でもある。それにトレスですらもそうしたもの、で折り合いをつけていることだ。魔導師の素養を持たない戦士二人が思い悩むにも限度はある。詰まるところ、解決できない問題は、もはや問題ではない。

「そもそも危険なものなのかも判ってないしね。何も感じられないし、認識もできないんだもの。もしかしたら私達だって無に触れていることだってあるのかも判らないわ」

 あの禁制古代語魔導の中に身を投じれば、待っているのは崩壊だ。無を認識できるもできないもない。禁制古代語魔導の中に飛び込み自身を崩壊させたという、死が見て取れるだけだ。

「それにあの禁呪で発生した無に飲まれて消えて行く岩盤自体を認識できているってことは、本来の無と、禁呪が創り出す無とは全く性質が異なる物なのかもしれないっていう説もあるし」

 現在に置いて禁制古代語魔導を行使できる者は殆どいないとされている上に、危険な魔導だという認識も強い。研究を続けている魔導師達ですら、必ずしも自らが禁制古代語魔導を行使できる訳ではない。故に、臨床実験もできず、乏しい研究材料でしか研究は進められない。無の解明は永遠にされないことなのかもしれない。

「無……意味が判らん」

「良く判らない物を力として使うって、本当は危険なことよね」

 精霊魔導は精霊の力が、神聖魔導は神の力がその魔導の根源となっている。そして古代語魔導は旒刻旋りゅうこくせんという大地に流れる気の流れから発する力を根源としている。その旒刻旋から発している力に、魔導師の精神力と魔導言語で干渉し、魔導効果を発揮するというものだ。

 旒刻旋は大地の気であり、大地の生命力でもあると言われている。過去、灰世紀や古代魔導帝国で起きた大きな戦争では、禁制古代語魔導を行使できる魔導師が多く存在した。激しい争いの中で大地の生命力が魔導師によって浪費され続け、衰弱した結果、国が滅んだ。

「だからこその禁制魔導呪文、魔神言語なのよ」

 国が滅び、戦争が終わると、強大な禁制古代語魔導は使われなくなった。過ぎゆく時の中で、禁制古代語魔導を行使できる魔導師は減少して行き今に至るが、現在でも禁制古代語魔導を行使できる才覚を持つ魔導師は生まれている。

「禁制になる訳か」

「古代魔導帝国が滅んだのもその禁呪が原因だって言われてるしね」

 強大な禁制古代語魔導を行使せざるを得ないほどに激しい戦いが続いた結果でもある。六王国大戦でもその姿を現した、灰世紀の破壊兵器、鍵師けんしや、魔族の頂点であり史上最大最悪の邪竜、ブレイズ・ウェラー、それに対抗した古竜エンシェントドラゴン守護竜ガーディアンドラゴンの絶大な力。神にも匹敵すると言われるほどの力を持った存在がぶつかり合った結果でもある。

「アインスがアチコチ飛び回ってるのも、危険な魔導書や巻物、魔導の武具なんかを悪用されないためだから」

 発見した遺物は去年立ち上げたばかりの非営利組織、フィーカが封印をしている。殆どの出資はアインスの私財だったが、現在では各主要地方都市の冒険者組合トラベラーズギルドや、斥候組合スカウトギルド盗賊組合シーフギルド魔導学院ウィザーズカレッジなど、多くの組織が出資をしており、職員や協力者もそうした組織からの出向者が多い。あらゆる方面で経験豊富な者が多いが、危険度の高い遺物の封印には強力な魔導力を持った者が指揮を執り封印することもあり、トレスもまた、何度か封印の指揮を執ったことがある。

「邪竜戦争とか六王国大戦とかの惨劇を繰り返さないためだね」

 大きな争いは、いつでも強大な力を欲し、それ有した者が原因となる。そしてその強大な力は、多くの命を奪うことにも繋がる。アインス達フィーカの面々は、そうしたことを繰り返さないために各地を飛び回っている。

「そうね。もう少し頑張ったら貴方達もアインスを手伝ってあげてね」

「それは望むところだな!」

「だね!」

 熟練の冒険者にも依頼を発布し、協力を得ている。報奨金は組織の性質上それほど高くはないが、それでもアインスの考えに賛同する冒険者達は多い。

「もっと賛同者が増えてくれればいいんだけどね」

 それこそ国営局、公国衡士師団が協賛してくれると良いのだが、国家という大きな組織ともなると当然一枚岩ではなく、保守的な思想を持つ者や革新的な思想を持つ者、それぞれだ。第二次トゥール六王国大戦の終戦から百年。人間よりも寿命が長い亜人類以外は当時の戦争の悲惨さを知る者も減り、文化や技術の革新を求める者達からは、封印自体が良くないことだという話も上がっている。

「でもドヴァーは協力してくれるんでしょ?」

 トゥール公国衡士師団、ナイトクォリー市常駐部隊の隊長であるドヴァー・ベルクト。彼は国営局下の組織である公国衡士師団とは無関係で、私財を投じてくれている。彼の妻であり、フィデス市本部部隊、隊長であるフィーア・レイ・ベルクトもまた、私財を投じてフィーカを支援してくれている上に、遺物の封印の際には立ち会うこともある。

「個人的に、ね。やっぱり一つ所に強大な遺物が集まる、っていう事実を危険視する意見もあるみたいだから、国営局が、ってなるとまた問題も多いのよ」

 フューの言葉にトレスは苦笑を返す。

「どの口が言ってんだか……」

 二年前、現在のトゥール公国衡士師団ナイトクォリー市常駐部隊の副隊長、静衡士せいこうしの通り名を持つ女性衡士、リセル・セルウィードがフィデス市より転任してきたのは、彼女のフィデス市での最後の仕事であった野盗襲撃事件が原因だった。それは彼女が何か失態を犯した訳ではなく、公国衡士師団の私欲にまみれた陰鬱な裏側を知ってしまったからこその処置だった、とその事件に少々関わっていたアインスから報告を受けた。ドヴァーもフィーアも、公には何一つ話せない状況ではあったものの、アインスやトレスにはその事実を認めていることを、あくまでも個人的に話した。どうやらそれはフューも知っているようだった。

「え、国営局に任せればそれが一番なんじゃないの?」

 フェイリックが尤もな意見を口にする。あくまでも公国衡士師団は正義の集団だ。国営局も国を管理し、人間のみならず、森や山、草原に暮らす亜人類も含め、みんなが豊かに暮らせるよう務めている。それが、野盗襲撃事件の真相を知らない一般市民の総意だ。しかし、国民のために国民に与えられた権限を、権威を、私的な権力だと勘違いする輩は、いつの時代にも現れる。

「そりゃあそうでしょ。でも組織が大きいとその腰もまた重いからね」

 公国衡士師団の闇は、払拭されたかどうかは判らない。野盗襲撃事件に深く関わった衡士、フィーアや公国衡士師団長であるコッド・スナイプスは、今まで以上に国営局や衡士師団への監視の意識を高めている。また話に依れば、次期公国衡士師団長との呼び声も高い、セイルファーツ・ノード・デリヴァーも事件の顛末を知っているらしいので、公国衡士師団としての真の矜持は、簡単には崩れないだろうとも思える。

「オトナのジジョーってやつ?」

「ま、そういうことね」

 収束し始めた空間力場崩壊の魔導を見て、フューがそう結んだ。

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