第2話:親友の忘れ形見

 隣に住んでいる冒険者組合の構成員でもあるレーニアに店の閉店準備を任せると、すぐに馬を預けている馬屋に向かった。若い冒険者が陥った窮地を救いに行くことは一度や二度ではない。時々ではあるが、冒険者組合からそうした依頼がかかることもある。

「そういえばリーファとフェイってどこかで聞いた名前だわ」

 馬で出発した一行は、シークを先導にし、ひた走る。道すがらフューが誰にともなくそう言った。

「リーファ・マイザーにフェイリック・マイザー。双子でね、リーファがお姉さんでフェイは弟よ」

「マイザーって……もしかして」

「そ。ルースとリゼの曾孫にあたるのかしら。今じゃ唯一マイザーの名を継いでいる血筋だったと思う」

 かつての冒険仲間の名を挙げると、フューもすぐに感付いたようだ。

「そうなのね。じゃあ何が何でも助けてあげなくちゃ。そういえばリゼとは?」

「ルースが亡くなってからは会ってないわ」

 リゼリア・アム・イーリス・マイザー。純血のエルフであり、人間であるルース・マイザーと結ばれたのち、子を産み、その後も平穏な暮らしをしていたが、大きな病を患うこともなく往生したルースを看取った後は音信不通だ。恐らくはエルフの森に還ったのかもしれない。ルースを看取った後のリゼリアは明らかに生気を失くし、そのままルースの後を追うのではないかと心配になるほどだったが、そうはならなかった。

「そっか。色々あるものね……」

 親である自身よりも先に逝ってしまう娘、フィーのことを考えているのだろうか。フューが一つ、嘆息した。



「あそこだ!」

 林道を抜けると、シークが声を上げた。切り立った絶壁が見える。地殻変動の際に現れた、断崖に近い岩山の麓にぽっかりと口が開いていた。ここからの印象だとさほど深い洞窟ではなさそうで、確かに猛獣や下級魔族が住処にするにはうってつけの場所だ。

「中は何か変わったものはなかった?」

「リーファとフェイが閉じ込められた部屋みたいになってるところだけは、その力場がおかしくなってるってリーファが言ってたんだけど、それ以外は特に……」

 漠然としたフューの問いに、しっかりとした答えが返ってくる。元々シークは聡明だが、冒険者としてはまだまだ駆け出しだ。だが、そうした返答を返せることにシークの成長を感じ、トレスの胸中には嬉しさがこみ上げて来る。

「じゃあその奥に何かありそうね」

「かも」

 にやけてしまいそうになる頬を軽くマッサージしつつ、トレスは短く頷いた。

「奥?」

「そ、この自然洞窟はその奥にあるかもしれない遺跡に繋がる入口、って考えることもできるわ」

「奥に、力場を狂わせる仕掛けがある。つまりそんなものを仕掛けなくちゃいけない何かがあるかもしれない、ってことね」

 不思議顔を作ったシークにフューとトレスが答える。シークからの情報では少なくとも精霊魔導に干渉する力場を発生させる仕掛けが自然洞窟の奥にある。何もないただの地中にそんなものが存在する理由はない。

「あ、そっか、何もない所にそんなものが発生してる訳もないし……」

「そういうこと」

 若いながらも彼らも必死に学んでいるということだ。フューやトレスの言葉があったとはいえ、しっかりとシーク自身の中に落ちている考えだということが判り、更ににやけてしまいそうになるが、それよりも。

「ともかく二次崩落が心配ね」

「二次……」

 落盤の恐ろしさはフェイリックもリーファも解っているはずだ。下手に刺激するようなことはないだろうが、それでも他の原因で二次崩落が起きる可能性も充分に考えられる。

「中、入ってみる?」

「危険だけど、リーファとフェイをそのままにもしておけないし、防護の魔導プロテクションをかけて進むしかないわね」

 フューの言葉にトレスは頷いた。防護の魔導では巨大な岩盤を防ぐことはできないが、少々の落石程度ならば防ぐことはできる。ないよりはずっとましだ。

「そうね。少しの振動でも異変があるかもしれないから、静かに、ゆっくりね」

「あ、あぁ了解」

 フューとトレスの緊張感を感じ取ってか、シークもまた神妙に頷いた。



「ここね……」

 そう言うと、トレスは精神集中を始める。

「トレス?」

 急に動きを止めたトレスをシークが訝しげに呼ぶ。

「静かに。恐らく念話の魔導テレパシーよ」

「え……」

 魔導、と聞いてシークは慌てて口を噤む。魔導を発動するための精神統一や所作は古代語魔導であれ、神聖魔導あれ、精霊魔導であれ、邪魔をしてはいけないと口酸っぱく言ってきた。他人の会話程度で集中を乱されることなど万に一つもないが、魔導には身振りが必要なものもある。口を噤まなくとも、そうした魔導師特有の所作を邪魔しなければ上出来だ。

「離れた相手と意思疎通ができるって思ってくれればいいわ」

 気持ちを整え、呪文詠唱に入る前にトレスは簡単な説明を入れる。

「古代語魔導?」

 呪文詠唱に入ったトレスの意識をかき乱さないよう、声を潜めつつシークはフューに訪ねる。

「そ。リーファちゃんもフェイ君も君もトレスとはそれなりに付き合いがあるんでしょ?」

「あぁ」

「念話は離れた所にいる仲間と意思疎通ができるっていう魔導よ」

「そうなんだ」

 念話を相手に繋げるためには、ある程度の信頼関係、術者が被術者の存在を認識できる程度の関係が必要となる。全くの赤の他人では、意思の疎通は不可能だ。

「視念話の魔導……」

 さほど長くはない呪文詠唱を終え、魔導発動のための最後の言葉を紡ぐ。ほどなくして良く見知った存在の意識を掴むことができた。

「リーファ、無事?トレスよ」

『トレス!』

 声は元気だが不明瞭な声だ。リーファに衰弱は感じられないが、精霊魔導だけではなく、古代語魔導をも疎外する何かが存在している。声が不明瞭なことはともかくとして、トレスはひとまず安堵のため息を漏らした。

「良かった、無事みたいね。大きな声は出さないように。リーファ、息苦しさとかは?」

『大丈夫。でも精霊を呼び出すと姿が歪んじゃって会話も難しいの』

「……私には何も感じられないけど、そこには何かがあるってことね。リーファ、周囲を見せて」

『うん』

 以前リーファにはこうしたいわゆる通信の魔導の様々を実体験させたことが功を奏したようだ。リーファは自身の視線をぐるりと巡らせる。一瞬映ったフェイリックもまだ衰弱している様子はなかったようだ。

「多分だけど、リーファの視界で物を見てるみたいね」

「魔導ってすごいな……」

「トレスがすごいのよ」

 恐らくは唖然としているのであろうシークにフューが言って聞かせる。使い魔を伴えば使い魔の感覚を共有することは容易いが、人を介して、となると本来通常の念話の魔導では不可能だ。そもそもが念話の魔導は離れた位置にいる者と会話するための魔導であり、トレスが使ったのはただの念話の魔導ではなく、念話相手の視野をも同調できる視念話の魔導だ。通常の念話の魔導に視野同調の魔導ビション・チューニングを掛け合わせた、いわば複合魔導で、こうした複合魔導は魔導の巻物や魔導書に書かれている呪文を理解し、詠むだけでは発現不可能だ。あらゆる呪文に組み込まれた、あらゆる魔導言語と魔導公式を一から全て理解する必要がある。念話の魔導の呪文の中に視覚同調の魔導の呪文も織り交ぜ、術者にも被術者にも負担が掛からないよう、確りと魔導公式を組み換えてある。

「真上に穴がある?」

『あるわ』

 トレスの声にリーファはゆっくりと視界を上に向ける。今にも崩れ落ちそうな岩盤が天井を覆っていた。岩盤一枚一枚の重みが互いを支えている危うい状態のように見える。小さな地震でも起きてしまえばたちまちの内に二次崩落が起きるだろう。

「高さは、少しあるわね……人は通れそう?」

『うん多分』

 岩盤と岩盤の合間に人が通れそうなほどの隙間が開き、夜空が抜けている。穴の周囲には木々が見えないとなると、天井の先は開けた場所なのかもしれない。

「上に回ればロープで引っ張り上げられそうかしら」

「上に出てみないとだけどできるんじゃないかしら」

 トレスの声だけで状況を想像したのだろう。フューが提案してきた。リーファの視界で見上げた天井から抜けていた夜空はだいぶ小さく見えた。人が通ることはできそうではあったが、強度は心許ない。外から回って天井部分についても、トレス達が訪れた衝撃で崩落を起こしてしまっては元も子もない。

「リーファ、フェイ、できるだけ動かないで、もう少し待ってて」

『うん、判った』

 不安そうにリーファは頷いたが、それでもトレスが助けに来たことで少し安堵したようだった。

「一旦出ましょう」

 視念話の魔導を終えると、トレスは岩盤に背を向けた。

「そうね」



「で、どうする?」

 この状況では何も案が浮かばないのであろうシークがトレス、フュー、どちらともなく訊ねた。

「上から引っ張り上げるのが妥当だけど、その上が簡単に行けるかどうかね」

「この状況じゃ登山って規模でもないし……」

 この場は切り立った岩山の中腹にできた自然洞窟だ。登るにしても林道や獣道もない。

浮遊の魔導レビテーションで行くしかないわね」

「あたしとトレスの魔導でなら一人くらいは持ち上がるわよね」

「そうね、重労働には変わりないけれど、そんなこと言ってる場合でもないし」

 実際に二次崩落はいつ起こっても不思議ではない。そんな状況でリーファとフェイリックをこのままにしてはおけない。

「え、フューさんは魔導師なの?」

 シークが不思議顔を作る。なるほど、フィーの言い方では勘違いしてしまうのも無理はない。

「精霊魔導は使えるけど」

「精霊魔導師、なんだ」

「リーファと一緒ね」

 リーファはエルフの血を引いているせいか、精霊との意思疎通は幼い頃からできていて、精霊魔導師としての素養が発覚するまでにはさほどの時間もかからなかった。現在でも年齢を考えれば相当に優秀な精霊魔導師だろう。

「でも精霊魔導に飛ぶ魔導なんてあったっけ」

 リーファの精霊魔導を幾度となく見てきたシークが言う。

「まぁないこともないけど、ものすごぉく高位の風の精霊の力を借りるものだからここら一帯禿げ山になるくらいの突風は発生するかもしれないわね」

「そ、それは……」

 二次崩落どころの騒ぎではない。当然フィーがそんな精霊魔導を使う気がないことはトレスにも判っていた。

「もちろんそんな危ないことなんてしないわよ。じゃあシーク君はそこでちょっとお留守番ね」

「え?」

 フィーは呆気にとられるシークを他所に、小さく呪文を唱え始めた。

「……」

「フューはフェザー。見るのは初めて?」

 トレスは何人ものフェザーの知り合いがいるが、特に親しくしていたのはフューだけだ。気難しい者が多いとされるエルフと違い、フェザーは温和な性格の者が多い。翼を隠してしまえば人間と見分けがつかないため、大きな街には翼を隠したフェザーが何人もいて、人間たちと交流を深めているのだとフューに聞いたことがあった。

「フェザー……」

 恐らくシークは出会ったことがないのだろう。今は人間と何も変わらないフューを食い入るように見ている。

「こう見えて一三〇歳のおばあちゃんなんだから、ここはベテランにお任せなさいな」

 そう言うと、フューの背に二対の純白の翼が広がった。

「うおっ!」

「翼の開封はいつ見ても綺麗ね」

 ばさり、と翼を震わせるとフューはくい、と親指を立てた。

「す、すげぇ……」

「んじゃトレス、行くわよ」

「はぁい」

 フューの言葉を受け、トレスも浮遊の魔導の呪文詠唱を始めた。



 浮遊の魔導を使い、フューと共に上空に上がると、方向感覚を頼りに進む。月明りは明るい。あまり高度を取らず、岩肌に注意深く目をやる。

「周りに木々は見えなかったし……あの辺りかしら」

「どれどれ……あ、そうね!着地はなしで行きましょ」

 暗い穴がぽっかりと空いている。リーファの視界で下から確認した時は天井部分はそれなりの厚さがあるように感じたが、上に回ってみると、それほどの厚さは無いように思えた。フューはそれを上から見ただけで感じ取ったのかもしれない。フューの観察眼は信頼できる。トレスはフューの言葉に頷いた。

「えぇ」

 穴の直上まで来ると、トレスは控え目に声をかける。

「リーファ、フェイ、聞こえる?」

「あ、トレス……と、誰?」

 下からでは良く見えないのだろう。フェイリックの声はほんの少しだけ訝しげに感じられた。

「私の古い友人。フェザーよ。わたしと二人で引っ張り上げるから、ロープ降ろすわね」

「わ、解った」

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