レストランの魔導師

yui-yui

第1話:旧友との再会

 トゥール公国歴一〇〇年 妖精の月

 主要地方都市 ナイトクォリー市


 ナイトクォリー市でもそろそろ本格的な夏が始まろうとしている。

 かつてトゥール六王国と呼ばれた時代には、英雄王、旋風の騎士ナイト・オブ・シフルことソアラ・スクエラが治める王国として繁栄を極めたこともあり、第二次トゥール六王国大戦の終戦から一〇〇年が過ぎた今でもその賑わいは衰えを知らない。


 水と緑が豊かなナイトクォリー市には、とあるレストランがある。


 ―― 奇蹟の調べ亭。

 店主の名はトレス・リーリエ・ディヴァイン。

 彼女はトゥール大陸最強との呼び声も高い傭兵、神威しんいの通り名を持つ、アインス・ゼル・ディヴァインの妻であり、かつてはアインスや様々な仲間達と共に冒険の旅をした、強大な魔力を有する魔導師でもあった。

 特にあてどの無い旅の最中、共にナイトクォリー市に住居を構えると、ほどなくしてトレスはレストランを経営し始めた。

 六王国時代から未だに食事処の体制は宿屋と酒場を兼ねた店が数多いが、奇蹟の調べ亭は食事のみをする店で、宿泊はできない。

 しかし、大きな戦争もない今となっては旅をする者も減少し、宿泊はできなくとも、彼女のうら若き乙女のような清廉な風貌や人当たりの良さ、何より料理の味が好評を博し、たちまち人気店となった。


 トゥール大陸の各主要都市はどこも同じ様相だが、ナイトクォリー市の役所は、かつてのナイトクォリー王国の王城であった。その市役所前を通る中央通りからほど良く離れた地に奇蹟の調べ亭はある。

 中央通りの外れになるその地は、平時は雑多とした賑わいにはかろうじて巻き込まれず、取り巻く状況はどうあれ平穏を望むトレスには丁度良い場所だった。


 今日はトレスの知り合いである若い冒険者が、とある自然洞窟に住み着いた下級魔族の討伐に向かったという連絡が冒険者組合から入った。昔、一緒に冒険をした仲間の子孫でもあり、トレスやアインスは何度か彼らに指南したこともあり、今では浅からぬ縁を持つ仲間だ。大きな戦争がなくなった今では冒険者家業が盛況で、彼らもまた若き冒険者の仲間入りを果たしたばかりだ。

 それほど危険な依頼でもなく、討伐対象が下級魔族であれば彼らでも危機に陥ることはない。



 そんな日の午後、奇跡の調べ亭に珍客が訪れた。

 その珍客は珍客らしく、控えめな、それほど大きくない店の看板の上からゆっくりと降りてきた。見た目はまだ少女の域を脱していない女性だが、背には二対の純白の翼があった。

 永遠の生命を持つと言われている有翼人種、フェザーだ。精霊魔導に精通し、薬草学に長け、温和な者が多く、人間にも交友的であることが多い種族だ。

 そのフェザーの少女は足が地面につくと何かの呪文を唱え始めた。すると程なくして、彼女の背にある純白の翼が淡い光に包まれ、あっと言う間に見えなくなってしまった。

 フェザーのみが行使する、翼を消すための特殊な呪文だ。翼の所在のみを精霊界に一時的に送るものだと言われている。精霊魔導に精通しているフェザーならでは独自の精霊魔導らしい。フェザーの少女は自分の背を振り返るように翼が見えなくなったことを確認すると、すぐさま奇跡の調べ亭の扉を開く。小気味良く小さなベルがちりんちりんと軽快な音色を奏でた。

「トォレスッ」

 トレスの名を呼ぶその美しい声が、まるで歌声のごとく軽やかに弾む。

「?」

 カウンターの奥で洗い物をしている手を止めて、トレスは少女を見やる。

「フュー?フューなの!」

 トレスは洗っていた皿を危うく落としそうになりながら、フェザーの少女の名を呼んだ。

 フュー・グレイ・アレスティというのが彼女のフルネームで、昔の冒険仲間でもある。

「久しぶりね、トレス」

 美男美女が多いフェザーの中でも飛び抜けて美しい顔立ちをしたその少女は笑顔になる。

「ほんと、久しぶりね!かれこれ十年は会ってなかったんじゃないかしら!」

 フェザーの少女の実年齢は人間の感覚を基準とすれば、少女と呼ぶには相応しくない年齢で、今年で一三〇歳になる。エルフやフェザーという種族からすると一三〇歳などまだまだ若輩だが、百年も生きられない人間からしてみれば目も常識も疑う事態だ。

 トレスがフューと初めて出会ったのはフューがまだ一九歳の頃だったのだが、お互い見事なまでに見た目は変わっていない。

 フューはカウンター席に着くとトレスの手を取った。

「そうねぇ。ぐーたら亭主は?」

「ついこの間、一年ぶりに帰ってきたけどまた出かけちゃったわ」

 つい一週間ほど前のできごとだ。

 百年前、六王国大戦が終戦し、終戦と共に発現した災害、『瘴気の嵐』や、蒼の賢者が行ったとされる『精霊解放』の影響で、各地に大規模な地殻変動が起きた。その地殻変動は、埋もれた遺跡や地下迷宮などを多く出現させた。

 遥か昔、今よりも強大な魔導力で繁栄を極めた、古代魔導帝国時代の遺跡や、それよりも遥かに昔の灰世紀と呼ばれる時代の地下迷宮などが現れた地域もある。

 魔導学院の魔導師や地学研究者達の研究成果では、古代魔導帝国の終焉時に起きた地殻変動は、精霊の力が暴走して起きたものとされ、第二次六王国大戦の終結時に起きた地殻変動は、精霊解放で精霊の力が正常化し、再びエールスの時代の地殻に影響を与えたのではないかと言われている。

 夫であるアインスはそうした状況の観察や、視察、発見された遺跡などで出土された、強大な力を秘めた遺物が心無き者に利用されることを防ぐために、ちょうど一年前に組織を立ち上げ、大陸中を飛び回っている。

「一年!あの根無し草にも呆れたものね。あたしのところにも半年くらい前に一度きて、色々話してったけど」

「なぁるほどね。どうりでフィーがくっついてた訳ね」

 アインスが戻ってきたつい先日、昔馴染みの忘れ形見と共にフューの娘が一緒にこの店に訪れた。アインスはどうやら何かを学ばせたいと目論んでいるらしく、三人で再び旅に出てしまったところだった。

「あら、フィーはちゃんと合流できたのね。とりあえずナイトクォリーに行ってみたら、とは言ったんだけど」

 フィーというのがフューの娘で、名をフィー・レッシュ・アレスティ。今現在一五歳の少女だ。

 エルフの夫との間に産まれた子、エルヴンフェザー。

 長寿のエルフとフェザーから生まれた子は長寿にはならず、禁忌の子ともされている。

 エルフとフェザーの強大すぎる魔力をそのまま一身に引き継いでしまうエルヴンフェザーは、その魔力が危険視されることと、その強大な魔力故に自身の生命力を削られることで、人間と同程度の寿命しか持たない。

 エルフとフェザーは共に繁殖力が弱い種族だが、それでも新たに誕生した生命が親よりも先に逝く悲しみと、残されてしまう親の悲しみは、エルフ、フェザー双方に共通するものであった。

 故に、この二種族の交わりは禁忌とされ、そのことで新たな確執をも生むことになってしまった。

「あら、そうだったの?」

「えぇ。アインスが来た時、あたしとアインスの話を一生懸命聞いててね。ま、あたしも若い頃は集落を飛び出したクチだから止められるもんでもないし、あの子には好きなようにやらせてあげたいなって思うからね」

 そんな事情からフューは自身の持てる技術をフィーが幼い頃から教え込んだらしい。まだ一〇代の少女には酷なことだとフュー自身も思っていたようだが、文字通り人並みの寿命しか持たないフィーが、母であるフェザーや父であるエルフとは比べるべくもない短い人生を自由に生きるためには、どうしても必要なことだと感じていたのだという。

「あらあら、じゃあ第二の影斬りが誕生するかもしれないわね」

 トレスはそう言って洗い物を終えるとお茶の準備を始めた。

「影斬り!なんて懐かしいのかしら!」

 第二次六王国大戦時、フューは影斬りという二つ名を持つ有名な傭兵だった。

 第二次六王国大戦が終結した際に、大戦中、目覚ましい活躍をした功労者に贈られた、トゥール十四爪牙の称号を贈与される予定だったが、フューはそれを辞退した。

 今も昔も屈強な戦士達は、誰が呼んだか、通り名や渾名で呼ばれることも多い。影斬りもその一つで、六王国大戦を取り扱った様々な書物にはその名も登場するほどだ。

 かつて英雄王と呼ばれたナイトクォリー王国国王、旋風の騎士ことソアラ・スクエラの子孫であるレヴィン・ロウ・スクエラもまた風の精霊であるシルフを通り名として使っている。

 他には二年ほど前にナイトクォリー市に赴任してきた静衡士せいこうしと呼ばれる女性衡士、そしてこのナイトクォリー市の常駐部隊長である屠竜とりゅうドヴァー・ベルクトあたりが有名どころである。

「今夜は泊まって行ってくれるんでしょう?フュー」

「勿論そのつもりよ」

 お茶を入れながら問うトレスにフューは笑顔で答えた。 



「トレス!」

 忙しい夕食時を過ぎて少し落ち着いてきた頃に、トレスを呼ぶ声が店内に響いた。

「……やっとゆっくり話せると思ったのにね」

「ま、いいじゃない、今日は泊まってくつもりなんだし」

 店の手伝いをしてくれていたフューが苦笑交じりにそんなことを言った。

「それもそうね」

 トレスもフューに苦笑を向けたが、すぐに声の主の方へと視線を向けた。

「シーク、どうしたの?」

 シークと呼ばれた少年の域を出ない若者の顔色が、トレスを呼びに来た理由を物語っていた。

「リーファとフェイが!」

 シークはカウンターテーブルまで駆けつけると息も切れ切れにそう言った。リーファとフェイ。シークと同世代でリーファが精霊魔導師。そしてフェイリックが戦士の双子の姉弟きょうだいだ。

「少し落ち着いて。リーファとフェイがどうかしたの?」

 トレスはシークに水が入ったカップを渡すとそう訊ねる。今日の依頼はそれほど危険なものではなかったはずだった。しかし、シークの表情は青ざめていた。

「今日行った洞窟の奥で……」

「洞窟?」

 短くフューが差し挟む。

「ゴブリンか何かの討伐に行ったのよね」

「あぁ、オークだった。でもオークは倒したんだけど、洞窟の奥で落盤が起きて……」

「!」

 トレスとフューはシークの言葉に絶句した。

 落盤は小規模なものであっても簡単に人の命を奪う。人工の洞窟だろうと遺跡だろうと自然洞窟だろうと、落盤の予測は難しい。それが経験の浅い冒険者ともなれば尚のこと。

「それで、二人は?」

「生きてる。声は何とか聞こえてるんだ。だけどそこ、リーファが言うには魔導的な、なんだっけな、力場?が狂ってて精霊がちゃんと存在できないらしくて、精霊魔導を使うのはちょっと危なそうだって……」

 生きていると聞いてトレスは安堵する。それでもまだ危機的状況であることには変わらない。落盤は僅かな刺激でも二次崩落が起こる可能性がある。

「で、剣なんかでは壊せそうにないから、とりあえず助けを呼びにきた、と」

 フューはシークの言葉の後を続けた。無理をせずに引き返してきたのは賢明な判断だ。

「判ったわ、とにかく現場まで連れて行って、シーク」

「あ、あぁ、済まないトレス」

 崩落現場からの救出作業となれば、トゥール公国の公僕、公国衡士師団の力を借りて大規模な工事の依頼をすることになるかもしれない。とにかく現場を見てから冷静な判断を下さなければならない。

「トレス、あたしも行くわ」

 トレスが臨時閉店の準備をしようとすると、フューが腕まくりをして立ち上がった。

「それは心強いわ」

 フューの斥候スカウトとしての技術は、探索をするには申し分ない。フェザーとしては若輩であっても、人間の感覚で言えば老年期を越えるほどに重ねてきた鍛練や実戦で培ってきたフューの斥候や盗賊シーフの技能は、もはや各組合長のレベルを凌駕している。

「シーク君、だっけ。洞窟まではどのくらい?」

「あ、えと馬で小一時間……」

 面食らった様子でシークは答える。少々先の尖った耳を持つエルフと違ってフェザーは翼を隠してしまうと人間と見分けが付かない。見た目だけならばリーファとそう変わらない年頃のフューだ。シークとしてはフューの実力を測り損ねているのかもしれない。

「了解。急ぎましょ」

 百聞は一見にしかず。あれやこれやと説明するよりも実際にフューが持つ技能を目の当たりにすればシークも納得せざるを得ないだろうし、何よりも今は一刻を争う。

「あ、あぁ」

 シークの生返事を他所に、トレスも身支度を整え始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る